お狐様、埼玉第3ダンジョンに挑む
「なんじゃあ……? 祭りか?」
ダンジョンゲートの制限区画へと続くその通りには無数の露店が出ていたのだ。食べ物や飲み物などを売っている露店はそれなりに繁盛しているようだったが、店の主人や客たちの視線は一斉にイナリたちへと向く。
「どっちだ?」
「あの女の子のほうだろ。男の方は明らかに私服だし」
「いやあ、無理だろ。今回は賭けにもならねえな」
「倍率が……」
そんな声が聞こえてくるが、「賭け」とやらが何かは、イナリにもすぐに理解できた。恐らくは、埼玉第3ダンジョンに挑む者が生きて帰ってくるか……そんな風なものを賭けの対象にしているのだろう。なんとも悪趣味な話ではあるが、そんなものはイナリがここで諭したところでどうにかなる話ではない。
「ふう、やはり集まっていましたか」
「やはり、ということは毎回こうなんじゃな?」
「ええ。ほとんどは非覚醒者なのですが……」
「一部の覚醒者が予約情報を流しとる、と」
何がそんなに面白いのかはイナリには理解できないが、そんなものを見るためにあちこちから集まってきているのであればなんともご苦労な話ではあるだろう。そして実際、これを見るために県外からも集まってくるのだから悪趣味の極みである。さておき、イナリはセバスチャンに「此処で大丈夫じゃよ」と声をかける。このぶしつけな視線にセバスチャンを晒すのは、恩人に仇を返すような行為であるようにも思えたのだ。
「しかし……」
「後は真っすぐ行くだけじゃろ? 迷いはせんよ」
イナリの意図を正確に感じ取ったのだろう、セバスチャンは少し悩む様子を見せた後「お気をつけて」と頭を下げる。それは本当に心配しているのが見ているだけでも伝わってきて、イナリは小さく微笑む。
(……ほんに、良い心をしておる。使用人被服工房の者たちは皆そうじゃが……ほっくすほんの話が無ければ、あるいはこちらに入っていたかもしれんのう)
そこまで考えて、イナリはメイド服を思い出し「やはり無いかもしれん」などと思ってしまうが、それはさておいて。見送るセバスチャンに軽く手を振りながら制限区画へと歩いていく。流石に制限区域の門に近い場所からは野次馬は排除されているようで、イナリは門を入っていくが……そうすると、職員が慌てたように走ってくる。
「お待ちしておりました! いやあ、すみません。此処はいつもこうでして」
「別に構わんよ。拭いきれぬ業もまた、人の一部じゃ」
「……結構怒ってらっしゃいます?」
「怒っとらんよ」
実際イナリは怒ってはいない。ちょっとどうじゃろうなあ……と思ってはいるが、この程度で怒りはしない。イナリが本気で怒るのはこの前の【果て無き苦痛と愉悦の担い手】のような外道を相手にするときくらいのものだ。他にも諭すときには怒ったりもするが、そのくらいである。まあ、怒るかどうかと好感度が下がるかどうかは別の話なので「ダメな連中じゃなあ……」とは外に居る連中はイナリに思われてはいる。その辺は自業自得ではある。
「それで無聊を慰めることができるというのであれば、見世物になるくらいはなんでもないからのう」
「ぶりょう……難しい言葉をお使いになりますね」
「そうかのう?」
見物客が入ってこないようにするためなのだろう。他のダンジョンと比べても厳重な警備がされているが、一瞬も気が抜けないといったような緊張感が職員の間に漂っているのをイナリは感じていた。もしかすると、過去に入ってきた非覚醒者がいたのかもしれない。
「しかしまさか、有名な狐神さんがいらっしゃるとは」
「何か問題があるかのう?」
「いえ。ですがご存じかもしれませんが生還率の低いダンジョンでして……」
「おお、心配してくれているのじゃな」
実際には「有名人に死なれてしまうとクレームが凄いから無理しないでお願い」という悲痛な職員の叫びであったりもする。イメージキャラのようなアイドル覚醒者がダンジョンで死んでしまうと色んな方面からクレームが飛んできたりするので、あまり有名なアイドル覚醒者がダンジョンに来ることをダンジョン管理担当の職員は喜ばない傾向にある。安全対策がどうのという的外れなクレームを受けるのは精神的にも疲れるからだ。
イナリが最近有名な「実力派」であるらしいことはニュースで職員も知ってはいるが、それが作られたイメージか本物かは、職員も分からない。しかし職員の見たところイナリは大分余裕そうな表情を浮かべている。
「まあ、心配は要らんよ。無茶はせんからの」
「是非そうなさってください。命より大切なものはございませんので」
色々と実感のこもった言葉に「苦労してるんじゃなあ」とイナリは少し同情してしまうが、まあイナリに何かできるはずもない。もし出来ることがあるとすれば、それは無事に帰ってきて元気な表情を見せるくらいのものだろう。つまり、イナリには現時点で出来ることは何もない。
「お気をつけて」
「うむ、では行ってくるでの」
だからこそ、イナリはいつも通りにゲートを潜る。そうして転移した先は……まるで子どもが夢に見る玩具工場のようなカラフルで楽しげな場所だった。
イナリ「何やら妙な場所に出たのう」
 





