お狐様、川口を歩く
埼玉県川口市。それはかつて鋳物の町とも呼ばれ、映画の舞台になったともされる町だった。時代の変化と共にベッドタウンへと変化した川口市は……とまあ、そんな歴史もモンスター災害で一変した。
日本全体を襲ったモンスター災害は埼玉県でも例外ではなく、此処川口市も甚大な被害を受けた。荒川があることで川口港も出来たが、しかし東京側の赤羽港と比べれば見劣りするのも確かだった。それでも諦めることなく努力した結果、現在の川口はかつてのように工場が立ち並ぶ工業街へと変わっていた。
主に小型~中型船や関連装備を製造するドックや工場が立ち並び、そこに覚醒企業も入ることで覚醒者用の水中用装備の研究所なども出来るようになった。そのせいか覚醒者でなくとも男女ともに筋肉ムキムキの者が多く、むしろスラッとしているのがいたら覚醒者かもしれないな……といったような状況であった。
「はー……川1つ渡るだけで随分と雰囲気が違うもんじゃ」
ムキムキッと音がしそうなくらいにマッチョな工員たちの歩いている町中にはトラックも安全運転で多く走っている。交通の主役がバスになったのと同様に、様々な物品の運送はトラックが主役だ。陸路は比較的安全とはいえ、配送が滞れば生活の影響が大きすぎる。そんなわけでモンスター災害後に最優先で行われた物流網の再整備により物流トラックの運転手の給料は大幅に上がっている。こういう場所にいる彼等も、一般人としてはかなりの高給取りだし何かあっても戦える覚醒者であれば更に給料が上がったりするので運送系の覚醒企業も存在したりするが……さておいて。
「……で、埼玉第3ダンジョンは何処なんじゃ」
イナリは迷っていた。もう、すんごい迷っていた。バス停もあっちこっちにあるがどれが埼玉第3ダンジョン行きか分からないし、工場やら研究所やらばっかりで一般人立ち入り禁止でイナリが道を聞けそうな場所はない。なので自然と通行人に聞くことになるのだが。
「え? ダンジョン? 知らないなあ」
「あるのは知ってるけど、この辺の住人じゃないしなあ」
そんな感じの答えが返ってくるばかりで、埼玉第3ダンジョンの場所を知る者がいないのである。唯一教えてくれた人もいたにはいたが、その通りに歩いていくと行き止まりである。なんか違う道を教えられてしまったようだ。とはいえ人の親切を悪しざまに言うのは間違っている。
「ぬぬぬう……どうしたものか」
事前にちゃんと道順は調べたのだが、どうにも迷宮じみているし何処も同じ風景に見える。いや、実際には違うのだが初見のイナリにはどうにも分からない。覚醒フォンで再度地図を調べてみても、地図に乗っていない細道だの裏道だのもあって何が何だかである。
そんなこんなで迷子の狐になってしまったイナリではあるが、ふと気付くと何か見た顔が通り過ぎていくのを見つける。格好は大分違うが間違いない。慌てて追いかけたイナリは、そのパリッとしたシャツの後ろを掴む。
「ま、待つのじゃ!」
「え? おや、これはこれは」
そう、それは「使用人被服工房」の執事長、滝川セバスチャンであった。今日は執事服は着ていないが、パリッとしたシャツにスラックスを合わせ、よく磨いた靴も合わせ「出来る男の休日」な装いだ。
「お久しぶりです、狐神様。もしや狐神様も鍋谷珈琲店の珈琲を目当てに?」
「いや、こおひいではなくてじゃな。埼玉第3ダンジョンに行きたくてのう……」
「おや、迷子でいらっしゃいましたか」
「うむ。すまぬが、助けてくれると非常に有難いのじゃが……」
「承りました。これもまた縁です」
セバスチャンはあっさり微笑むと「此方です」と迷いない動きで歩き出す。イナリとしては断られてもまあ仕方ないと思っていただけに、迷いもせずに頷いたセバスチャンに少しばかり驚いてしまう。しかし助けてくれるのはとても有難いので、その後ろを歩きながらセバスチャンをじっと見る。
「いやまあ、助けを求めたのは儂なんじゃけども。ええんかのう。こおひいが目当てだったんじゃろ?」
「ふふふ、人助けを放棄してまで飲むものではございませんとも。使用人被服工房のメンバーたるもの、私生活においても胸を張れる生き方であれ。それを実践しているだけでございます」
「……ふむ、素晴らしい生き方じゃのう」
「ええ。生き方が真っすぐであれば背筋もピンと伸びるもの。それは執事としても人としても大事なものです」
必ずしもそうとも限らないが、そういう心意気であろうというのは否定できるものではない。事実、セバスチャンのピンと伸びた背筋も歩き方も……覚醒者であるということを除いても非常に綺麗なものだ。
「ところで、埼玉第3ダンジョンに挑まれるとのことですが」
「うむ、何か知っとるのかの?」
「あまり雰囲気のよろしくない場所です。狐神様であれば平気とは思いますが……ご気分を害されるのではないかと心配ではあります」
「……ふむ」
そういえばあの三橋という男も危険とは言っていたが、どうもそれだけではないらしいとイナリは思う。そうして2人で歩いていくと……イナリは想像をちょっと斜め上に超えた光景に目を丸くするのだった。
イナリ「セバスチャンに会えて助かったのじゃ……」





