お狐様、東京第1ダンジョンに挑む3
ダンジョンを歪める者の存在をイナリが知ってから、1時間ほどが経過して。イナリは周囲を見回していた。あの時視界を乗っ取った結果、大体の方向と距離は理解できた。そこから判断するに、この辺りのはずなのだが……。
「ふーむ、まあ見られてその場に留まる者もおらん、か。此処で儂を迎え撃つつもりかと思っとったが……」
そう、この階層の中でも広い部屋のような場所。そこには先程の男の姿はない。ないが……1人の女が縛られ転がされていた。気絶しているように見えるその女は、イナリが此処に来るまでに資料を見た、クラン「越後商会」のクランマスターである越後 八重香のものだ。
彼女以外の大規模攻略隊のメンバーはいないようだが、重要度でいえばおかしくはない。
おかしいのは、彼女だけが此処にいること、そして残されていること。
(十中八九、何かしらの罠……しかしまあ、飛び込まないわけにもいかぬのう)
そう、今回のイナリの最大の目的は八重香の救出。他の攻略隊の面々についても探したいところではあるが、まずは八重香を助けなければならない。だから、イナリは倒れている八重香へ向かって歩き出し……地面から突き出した無数の槍の罠を横に跳んで避ける。
「おおっ!?」
それを狙い壁から発射された矢を手から展開した障壁で防げば、その足元に大きな落とし穴が開く。落とし穴の縁に手をかけ落下を防げば、穴の底で何かカチリという音が響く。それはドカン、という轟音と共に穴から火柱を噴き上げるほどの大爆発を起こしてイナリを吹っ飛ばす。
地面をゴロゴロと転がったイナリは、ケホッと息を吐く。
「ぬう、流石に今のは肝が冷えたぞ。儂が罠をどうにかすることを前提に仕掛けてきよったか」
八重香を餌にしたのも、こうなれば敵ながら良い判断だ。此処にあの「使徒の男」がいたならば、イナリは間違いなく弓形態の狐月で射貫いていただろうから。
「まあ、それでもこれで終いよ。どれ、助けに来たぞ。何処ぞ痛むところはあるかのう?」
目を開いていた八重香……流石にこれだけ大騒ぎになれば起きるだろうとイナリも思うが、八重香は「うう……」と口を開く。
「助けに、来てくれたんですね……」
「うむ。縄は……面倒じゃの、切るか」
刀形態の狐月でイナリが八重香の縄を切ると、縄はザラリと砂のように消えていく。何かの不思議な力を持っている縄であることは一目瞭然であったため、これで正解だったのだろうとイナリは思う。
「お主を外まで連れていかねばならんが……他の攻略隊の面々について何か知らんかの?」
「いえ、分かりません」
「そうか。まあ、仕方ないかもしれんのう」
「すみません。でも、分かることもあります」
「うむ?」
何を言うつもりかとイナリが促せば、八重香は部屋の天井付近に飾ってある、おかしな装飾を指差す。あざ笑うような髑髏の模様をあしらった、何かのシンボルじみたレリーフだ。それが何かまではイナリには分からないが、先程の縄同様、何らかの力を感じるのは確かだった。
「此処に居た男が言っていたんです。あれは何か大事なものだって。きっと、壊されると困るんだと思います」
「壊されては困る、か。まあ、有り得る話じゃの」
たとえば何かの呪術であるにせよ、その核となるものは確実に存在する。あの怪しげなものがそれに値する何かであるというのは、イナリとしても納得できる話だ。
「貴方なら壊せると思うんです! ですから……!」
「まあ、そうじゃのう」
イナリはレリーフに視線を向ける。そう、確かに壊せる。狐火でも弓形態の狐月でも、どちらでも恐らく可能だ。だから、イナリは。
「お願いします! あれを壊して、そして……!」
「その前に」
イナリは刀形態の狐月の鍔をカチャリと鳴らす。そう、その前に。解決しなければならない疑問がある。狐月を八重香の首元に突きつけ、イナリは問いかける。
「お主……何故あんな高いところにあるものを儂が壊せると?」
「え、え?」
イナリは振り返り、猜疑の目を八重香へと向ける。先程八重香は、聞き流すにはあまりにもおかしすぎることを言った。イナリなら、あの天井付近にあるものを壊せると。そう、刀を持つイナリに言ったのだ。覚醒者の役割分担でいえば「近距離ディーラー」にしか見えないイナリに、だ。
「刀一本しか持っていない儂にソレが出来ると確信しとったな? どう見ても他の武器など持っとらんというのに」
「そ、それは。その」
「あの時の男の姿は幻術というわけか。ん?」
「ち、違うんです! 私、証明できます! この刀を引いて頂けたら、すぐにでも!」
「ほう?」
イナリが狐月を首元からどければ、八重香は服の中から丸い珠のようなものを取り出す。
「こ、これです! これが……」
「ん? ぬおっ!」
凄まじい光量を放った珠にイナリの目が眩み、瞬間に八重香は『愉悦の牙』を振り抜く。
(馬鹿が……この一瞬で私はお前を殺れる!)
能力の上がった今の八重香であれば近距離ディーラーの如き動きが出来る。だから、八重香はイナリの巫女服の心臓の辺りへと『愉悦の牙』を突き刺して。
「……えっ」
刺さらなかった。たとえ何かしらの防具であったとしても『愉悦の牙』であれば問題なく貫けるはずなのに。それこそが『愉悦の牙』を必殺足らしめているのに。なのに今、『愉悦の牙』があっけなく弾かれて。ギイン、と。『愉悦の牙』が弾かれ、空中を回転しながら床に転がっていく。
「あ、あああ!?」
「残念じゃのう。その怪しげな小刀……濃い『呪』の気配がする。となればもう、全容も見えた。大人しく縛につくが良い」
冷たい目で見てくるイナリに、八重香はヒヒッと引きつった笑みを浮かべる。なんだ、なんなのだコイツは。聞いていたよりも、想定したよりも。もっとずっとヤバい。フォックスフォンの支援? あんなクランとしてみれば二流もいいところのクランに、『愉悦の牙』を弾くようなアイテムを用意できるものか。なら、こいつは一体……何処から。
「まだだ。まだ、私は負けてない。万物取引の力を使えば」
―いいや、終わりだ。その見苦しさは愉しいが、此処で幕としよう―
「は⁉」
転がっていたはずの『愉悦の牙』が、八重香の背に刺さる。それは、八重香の中を八重香が知っているよりも遥かに速い速度で蹂躙して。『愉悦の牙』ごと、八重香を一瞬で無に変えた。
「なっ……!」
―【果て無き苦痛と愉悦の担い手】が使徒契約を持ちかけています―
一瞬の事態に驚愕するイナリの前に、ノイズの混じったウインドウが現れる。それは、システムのものとは明らかに違う「何か」だった。そして、それは……今目の前に出ている「これ」を出した者……【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の仕業に違いない。だから、イナリの返答は決まっている。
狐月を構え直すと、イナリは刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ青い輝きを纏っていく狐月は荘厳な輝きを放って。
「失せよ、悪鬼外道――秘剣・鬼切」
ウインドウを、真っ二つに叩き切る。触れ得ぬはずのそれはしかし、イナリの一撃で切り裂かれ消えていく。
―【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の干渉力を一時的に排除しました!―
―世界初の業績を達成しました! 【業績:初めての干渉排除】―
―想定されない業績が達成されました!―
―金の報酬箱を手に入れました!―
手の中に現れた金色の箱を神隠しの穴に放り込むと、イナリは先程まで八重香が「いた」場所へと視線を向ける。手向けるのは、祈り。間違いなく悪人ではあるが、被害者でもあった。真実が知れれば恐らく誰にも祈ってもらえないだろうから、せめてイナリだけでも祈ってやらねば救いがないというものだ。
「ま、如何な事情があろうともお主のやったことは許されんが。さてさて、この件。どうしたもんかのう……」
言いながらイナリは決意する。この件の始末、自分に頼んできた連中に全部ぶん投げようと。
そう、これが後日悲劇の事故として大きく知られることになる「大規模攻略隊全滅『事故』」の……真実であった。
イナリ「……」





