お狐様、知らない間にヘイトを稼ぐ
東京第1ダンジョン、1階層のとある場所で【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の使徒は混乱していた。
全て、全て上手くいっていたはずなのだ。あと一歩でこのダンジョンは主たる【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の影響下となり、此処を拠点に更なる影響力を広げていくはずだったのだ。
その為に長い期間準備をしてきたというのに、何故今更あんなものが現れるのか?
「くそっ、くそっ……! なんだアレは! 秋葉原の臨時ダンジョンをクリアしたコスプレ女がいたのは知ってたけど……アレはフォックスフォンが高いアイテムで支援しただけって話じゃなかったのか⁉ 情報屋め、全部終わったらブチ殺してやる……!」
そう、情報屋は確かにそう言っていた。あの「狐神イナリ」はアイテムボックスを所持しており、その中にフォックスフォンからの多数の高価なアイテムを所持し、そのアイテム頼りで無理矢理実績を作っている最中だ……と。
「なんだあの無茶苦茶な威力の攻撃は……! 近距離と遠距離、物理ディーラーと魔法ディーラーの混合⁉ 狐巫女とかいうアホみたいな名前のジョブにそんな力があるのか⁉」
まるで1人で何でもできると言わんばかりの無茶苦茶さだ。それだけではない、あんな軽装でスピアトラップの罠を受けて無傷。スタンプボアの突撃を受けて骨が折れた様子もない。あの巫女服の性能なのかもしれないが、それにしたって、あんな防御性能があるのならばタンクすら要らない。能力値では明らかに遠距離系魔法ディーラーだったはずなのに。少なくとも武器と防具の性能が高いことだけは疑いようもない。
そして……【果て無き苦痛と愉悦の担い手】より授かったスキル「愉悦の目」を利用して此方を覗いてきた。そんなことが出来るとすれば……【果て無き苦痛と愉悦の担い手】同様、神しかいない。
「【果て無き苦痛と愉悦の担い手】よ……! あの女は何処かの神の使徒なのですか⁉」
―否。神との繋がりは感じられぬ―
「では何故! あのような者がこのタイミングで!」
―愉しめ。私は愉しい―
「……!」
【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の使徒はそれきり返事を返してこなくなった【果て無き苦痛と愉悦の担い手】に激しい怒りを感じていた。力をくれると言ったくせに。今度はお前が見下す番だと言ったくせに。だから契約したのに。だから人間を裏切ったのに。
「私を……貴方の使徒を愉悦の対象にしようというのか!」
―【果て無き苦痛と愉悦の担い手】が哄笑しています―
「う、うあああああああああああああああああ!」
【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の使徒は地団太を踏むと、ローブの中から禍々しいデザインのナイフを取り出す。中央に紫色の光のラインの走るナイフは、明らかに普通ではない輝きを感じるが……それを見ながら、【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の使徒はゆっくりと息を整えていく。
「……落ち着け。私の計画はまだ破綻してはいない。あのコスプレ女を殺せばいいだけの話だ。私には、この神器がある。刺せば全身に溶解毒の回る『愉悦の牙』が……!」
そう、このナイフに刺されればどんな人間も助からない。身体の全てが溶解し溶け落ち、着ていた服も装備も溶かし切る。最後には何も残らない、【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の使徒の知る限りではこれ以上はない暗殺武器。【果て無き苦痛と愉悦の担い手】から授かった、神器と呼ぶにふさわしい武器だ。
「そうだ。私になら出来る……あのコスプレ女にこれを刺してやることが……! ヒヒ、ヒヒッ……!」
【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の使徒の姿がジジジ……と音を立てて変わっていく。
何処にでもいそうな男の姿から、女の姿へ。身長すら変わったその女の姿は……越後商会のクランマスター「越後 八重香」の姿、そのものだ。
【果て無き苦痛と愉悦の担い手】の使徒が八重香へと変身したのか?
否、否。そうではない。彼女は越後八重香本人であり、先程の男の姿こそが八重香が念には念を入れて変えていた姿である。
幻影を作る能力を持つアーティファクト「偽りの幻影珠」の能力であり、大規模攻略メンバーを皆殺しに出来た秘密の1つでもある。
「私だって、もうただの『商人』じゃない……そうだ、今の私なら出来る……!」
そう言い聞かせれば、八重香は自分の中に冷静さが戻ってきたのを感じる。殺せる。それを強く感じるがゆえに、動揺などする必要すらない。今の自分は【果て無き苦痛と愉悦の担い手】との契約により、大規模攻略隊のメンバーたちの力の一部を吸収したのだから。
名前:越後 八重香
レベル:46
ジョブ:神託の商人
能力値:攻撃C 魔力C 物防C 魔防D 敏捷C 幸運D
スキル:計算力向上Lv3、万物取引、神託、愉悦の目、加護(果て無き苦痛と愉悦の担い手)
何度確認しても凄いステータスだ。ほとんどの能力が上級クラス。しかもこれから更に成長出来る。あのコスプレ女を殺せば、どの程度強くなれるだろうか? 自分が死ぬと知ったその瞬間、どんな表情を浮かべるだろうか?
「ああ、こんな簡単なこと。どうして私は苦悩してたんだろう」
そう呟いた八重香の瞳には、奪うことに喜びを感じる者特有の暗い光だけが浮かんでいた。





