お狐様、再びの奈良へ3
「な、なんだ!?」
英寿の言葉に答える者は居ない。秘書も外に出ていったが、まだ戻ってきてはいない。
しかし明らかに不安な音だ……何かが吹き飛ばされる音が断続して響き、それが近づいてくるように感じるのだ。
「くそっ、いったい何なんだ! おい、誰かいないのか!」
答えは無い。近づいてくる音に英寿は僅かに脅え「誰でもいい! 今すぐ来い!」と叫ぶ。
あれだけ雇ったのだ、こんな「いざという時」に役に立たないなら、何のために雇ったというのか?
使用人? 一体どこのどいつがそんなものを送り込んできたというのか。
分からない。分からないまま……やがて、何の音も聞こえなくなって。
コンコン、コンコンと。ノックの音が響く。
「入室してもよろしいですか?」
「……だ、誰だ」
知らない声だ。ノックをするということはこちら側であるように思えるが、知らない声であるというのは酷く英寿を不安にさせる。
ドアの向こうからは、何も……いや、「メイドです」と返答が聞こえてくる。
「ふ、ふざけるなよ! うちでそんなのは雇ってないんだよ!」
「それはいけませんね!」
バタン、と。響く音と共に飛び込んできたのは1人のメイドだ。そう、メイドである。
メイドだ……秘書は使用人と言っていたが、これはメイドだ。メイド以外の何物でもない。
「こんなお屋敷に執事もメイドもいないなんて、いけませんよ!」
「うるさい! ほんと誰なんだお前は!」
「よくぞ聞いてくださいました!」
メイドは英寿の言葉に待ってましたとばかりにウインクをきめる。
「荒みがちな生活に安らぎを、趣味と実用の両立に完全回答! 世界のために今日も征く! 『使用人被服工房』のメイド、エリでっす!」
「知らん! なんだお前!」
「メイドです!」
ビシイッとポーズをきめるメイド……エリに英寿は頭の中に疑問符ばかりが増えていくのを感じていた。
「その……なんだ。メイドがなんでウチを襲いに来るんだ!」
「私は襲ってませんよ! 襲ってくるのを撃退はしましたが! なんかシンボルエンカウントみたいでした!」
「……っ!」
なんでそんなことに。いや、それより何故そんな状況に疑問を抱かなくなっているのか。
何故、何故。そもそもメイドがこの現代に。何かがおかしい。おかしくはない。
自分でも分からない混乱の最中、英寿はソレから目が離せなくなる。
「……おい、それは」
開かれた扉の前に立つエリの、その後ろ。ひょっこりと扉の向こうから見えている狐耳と、巫女服。それは、確か。狐神イナリとかいう。
「お前、そうか。今回の見合い話の邪魔をした奴の仲間か」
「そうだとしたら、どうします?」
その瞬間。ぷつりと、英寿の意識が途切れた。そして、事前に仕込まれていた条件の下に英寿の口からスピーカーのように声が漏れ始める。
「……正直、驚いた。あの封印はかなり苦労したのだがね? どうやって抜けたんだ?」
「んー……神のごときもの、ですか。やっぱり裏に居たんですねえ」
「ハハハ。それは君もだろう? いや、それより折角会えたんだ。話を……」
「ノジャ」
「ん?」
「ノジャ!」
「はあ!? な、なんだそれは!」
ヒョコッと出てきた狐耳と巫女服のそれは、イナリではない。いや、確かにイナリではあるのだが、造型が随分と雑だ。なんかこう、明らかに全部違う。そしてそれは当然だ。
何故なら、コレはイナリではなくノイズイナリだからだ。
「に、偽物!?」
「違いますよ、ノイズイナリちゃんです!」
「馬鹿な! 本物の魔力は確かに此処に……!」
瞬間。英寿の中にいるモノは足元に気付く。そこには凄まじい魔力を秘めた狐月を構える小さなイナリの姿があって。目の合ったイナリはフッと笑う。
「蝕む邪を祓え……秘剣・大典太」
リィン、と。鈴のような音を響かせながらイナリを中心に緑の波紋が広がっていく。
それは屋敷の中へと広がると同時に、英寿の中にいるモノを押し出そうとして、しかし小さなイナリを思いきり蹴り飛ばす。
……いや、蹴り飛ばせない。ガヅン、と。響いた音はエリが英寿の足を自分の足で押さえた音だ。
「させませんよ? 私、これでもタンクですので」
「き、貴様……! う、うおおおお!?」
英寿の身体から黒い霧のようなものが抜けていく。それは緑の波紋の中に消えていって……英寿の身体がドサリ、と倒れると共にイナリたちの目の前にウインドウが現れる。
―【書を持つ者】の分体を排除しました!―
―【書を持つ者】の構築した仕組みが崩壊していきます!―
「わー……なんか、こうなるんですねえ……」
「よっ、と」
ポン、と音をたててイナリが元の大きさに戻っていくが、エリとしてはまだ状況を完全に理解できてはいない。
「ねえねえイナリさん。囮で騙す作戦までは理解できてたんですけど、これって結局どういうやつだったんです?」
「んー、うむ。そうじゃのう……ま、アレじゃな。憑き物落としというやつじゃよ」
どういう仕組みであったかは、イナリもまだ理解できてはいない。いないが、今の奈良の状況は簡単だ。あの【書を持つ者】の分体とかいう代物が人間を弄り、結果として自発的に色々と行動を起こすようになった。なった……が、まるで機械のようになるまで自己判断力が落ちた状況になれば話は別だ。
何を【書を持つ者】が仕込んでいたかは、イナリとしてはどうでもいい。
ただ1つ分かるのは【書を持つ者】の分体は自分の存在を把握される危険を冒してまでイナリに手を出し、そうすることでまで「何か」をしようとしていた。
だからこそ、ノイズイナリを出すことでイナリの「姿」を、イナリ本人が小さいまま同じ場所にいることで「魔力」が揃う。
ノイズイナリだけなら騙されないだろうが、本人もいるのだから騙し切れた……というわけではあるのだが。
「奴は何かをしようとしていて、恐らくは儂が何を出来るかも知っとった。故に、確実に排除しておきたかったんじゃろうのう」
「ふむふむ?」
「奈良の状況が変わったのは、恐らく仕上げの時期だったんじゃろう。そこに儂が健在なのは邪魔であった……故に、現れた」
使徒ではないのであれば、憑き物だ。ならば大典太で吹き飛ばせる。
話としてはまあ……そんな、敵の焦りによる不注意を利用したというだけの、そんな単純な話であったわけだ。





