お狐様、お世話される
「かーわーいーいー!」
机の上にちょこんと座っているミニイナリに、エリがそんな興奮した声をあげる。
アツアゲと並んで魔石をポリポリと食べているミニイナリは確かに可愛くて、どういう事情でこうなったのかということをさておけば確かに可愛いのは間違いない。
ツン、ツンとイナリをつつくエリにイナリが「これこれ」とたしなめれば、エリは「あはー」と感極まったような表情になる。
「なんか……凄く良いですね……! ノイズイナリちゃんも可愛いんですけど、それとは違う生イナリさんならではの可愛さが此処に……!」
「まあ、ええがのう」
「……ぎゅっとしていいですかね?」
「ええよ」
「やったー!」
魔石を食べるイナリの邪魔をしないようにイナリに魔石を手渡していくエリだが、この魔石はエリたちがイナリのために用意したものだ。
机の上にドッサリ置かれた魔石は結構な速度で減っており、けれどイナリは小さいままだ。
「イナリさん。私は小さいイナリさんも可愛いとは思いますけども……元には戻れそうにないんですか?」
現在、イナリは公的には連絡が取れないことになっている。それは現状のイナリが「こういう状態」だというのもあるのだが、何よりイナリの希望によるものでもあった。それ故にフォックスフォンの赤井も心配していたが、赤井が個人ではなく「フォックスフォン」という会社の代表である以上は仕方のないことだ。
「んーむ……いや、実はもう封印を壊すくらいは出来るんじゃよなあ」
「えっ」
思わず止まってしまったエリの手から魔石を受け取りながら、イナリは「なんと説明したものかなあ……」と呟く。
そう、実のところ魔石の魔力はしっかりとイナリの中に吸収され続けており、そこを起点に封印を壊すことは可能なレベルになっている。それをしないのは……ちゃんと、理由がある。
「まあ、その辺にエリを呼んだ理由があってのう」
「といいますと……もしかしなくても奈良の件ですね?」
「うむ。此度の件、儂はまだ終わったとは思うとらんのじゃ」
テレビをつけると、丁度奈良の件をニュースでやっているのが見える。
―地球防衛隊奈良支部と思われるビルに警察が強制捜査に入りました。この会社は覚醒者として有名な鈴野紫苑さんの両親の運営する会社であり、その立場を利用して様々な方面に影響力を行使していたという話もあり、警察は余罪についても追及していく方針ですー
―解説の田辺さん、今回の件についてどう思われますか?―
―はい。そもそも今回の話は覚醒者基本条約と、その関連法案があまり知られていないことがあるんですねー
―そうなんですか? 覚醒者基本条約って確か世界的な決まり事でしたよね?―
―その通りです。しかしながら出来てからそれなりに時間が経過したせいか、知らないという人も多いんですね。実際こちらのアンケートを見ていただければ分かるんですが……―
奈良の件は紫苑の両親と、その会社が悪いということで世間は決着していたが、情報の洪水に消えかけたその話は、警察の強制捜査によってまた注目され始めていた。
チャンネルを回しても、何処の局も生中継をやっており紫苑にインタビューをしたがる者も当然のように多いが……そこは紫苑が今までメディアに顔を出していなかったのが幸いしていた。
いたが、紫苑の両親の方向性から辿ろうとする者も多く、紫苑は今、日本で一番そうした対策が万全な覚醒者協会日本本部の月子の部屋に匿われていた。
一応今回の顛末はエリにも伝えていたが、だからだろうか。エリも何か思うところがあるようだった。
「たぶんですけど、神のごときもの……ですよね? イナリさんが危惧されているのは」
「うむ、そうじゃ。というのも、謎が多すぎる」
特にイナリを「封印」しようとした技術の件だ。あの技術が如何なるものであるかは覚醒者協会本部から人が出向いて調査しているそうなのだが、肝心の犯人たちが「その知識」だけスッポリと抜けてしまっているようなのだ。他の記憶はあるしイナリの「封印」を実行した記憶もあるというのに、月子が回収した道具の製造法含め、その知識を丸ごと喪失しているようなのだ。
何故か、というのは分からないが「神のごときもの」の関与を疑うには充分すぎた。
ただ、そこで問題なのは祢々切丸が紫苑の父を指したことだった。
アレは間違いなく首魁を示す。となれば、封印の件の首魁は紫苑の父だったということになるのだが……覚醒者協会のチェックでは紫苑の父は非覚醒者だったし、イナリも直接見た限りでは覚醒者や使徒であるようには思えなかった。
「おかしいんじゃよなあ……神のごときものが関わっているのであれば、その使徒を探し出せると思ったんじゃが」
「うーん……」
イナリの疑問に、エリも考え込むように首をこてん、と傾ける。
実際のところ、エリから見てもイナリの祢々切丸は反則的なスキルだし、それがどんなものかが知られれば世界中から捜査協力依頼が舞い込みかねない。個人、組織、国家……祢々切丸の力を借りて解決したいことは山ほどあるだろう。そのくらいには凄まじいものだ。
しかし、そんな祢々切丸から逃れた者がいる。それ自体がエリからしてみれば疑問だった。
月子は「封印のように使徒の存在を隠し誤魔化すものがあるのでは」と考えているようだが、エリはそれにも疑問があった。
そもそも祢々切丸を誤魔化すことができたとして、別の人間をスケープゴートにすることができるのか? ということだ。
まあ、実際に出来るかどうかは月子のように頭の良い人間が考えればいいとエリは思っているけども。
「そうですね。困ったときは発想を変えてみればいいんじゃないでしょうか」
「発想を、のう」
「はい。たとえば……そうですね。『祢々切丸は何も間違えていない』、とか」
祢々切丸は何も間違えていない。
そうだとして、では何が「間違い」なのだろうか?
神のごときものがいると考えているのが間違いで事件は解決していた?
それとも。そこまで考えて、イナリはハッとした表情になる。
「……なるほど。よもや、そういうことか?」
「あ、何か分かったんですか?」
「うむ。まだ想像に過ぎんが……エリは流石じゃのう」
「えへへ、じゃあご褒美にイナリさんの考え教えてください」
「なあに、簡単な話じゃ。つまり、今分かっている事実には一切の間違いはないということじゃ」
「え? でもそれじゃ……」
「辻褄が合わぬ。しかし、目に見える事実で辻褄が合わずとも、それを可能にできるものがあるじゃろ?」
「あ、洗脳ですね!? 事件を起こせと洗脳しちゃえば!」
「ははは、それじゃと儂の祢々切丸は欺けんじゃろ。そそのかしとるんじゃからな」
「あっ……」
そう、たとえば特定の事件を起こすように紫苑の父を洗脳した者がいたとする。確かにそれは紫苑の父主導で事件が起きたことになるだろう。
しかしそれでは首魁を指し示す祢々切丸は欺けない。紫苑の父を飛び越えて、その先に居る本当の犯人に辿り着くはずだ。そして、そうはならなかった。祢々切丸は紫苑の父を指し示した。
「であれば、今回の事件を考え、実行したのは間違いなく紫苑の父であり、その事実は動かないということじゃ」
「確かに……ですけど、そうだとすると黒幕の存在がなくなってしまいますよ?」
「さて、どうじゃろうなあ……」
言いながらイナリはテレビに視線を向ける。そこでは地球防衛隊の恐ろしさについて説明していたが、まあ内容的には何の問題もなく公平に事実を伝えている。
「たとえばじゃが、地球防衛隊の連中を何も知らん者がいたとして、このにゅーすを見て……そうしたら連中にどういうイメージを抱くかの?」
「そりゃまあ、危ない連中だなあってなると思いますけど。でも、そうやって何かを誰かが囁いて事件を起こさせたんなら、やっぱり黒幕はそいつだーって話になるんじゃないですかね?」
「そうじゃの、確かにその通りじゃ。しかし囁いていないとしたらどうじゃ?」
そう、何も言わないのであれば……思考誘導など一切しないのであれば、それは事件の首魁だとは言えない。たとえば花粉症の人間がくしゃみをしたのが原因で世界中の杉の木を消滅させた者がいるとして、その「くしゃみをした誰か」は杉の木消滅事件の首魁になり得るだろうか?
いいや、1つの原因ではあるかもしれないが黒幕でも首魁でも有り得ない。つまり、例えばの話だ。
「紫苑の両親、そして結界を使った連中の頭の中を、過激な考えをしやすいように弄った者がいるのかもしれん」
たとえば思考誘導でもなく「何かやりやすいように」弄られたとして、そこから何かを起こすのは確かにその人間自身が一から全て計画した……首魁ということになるだろう。そしてそれが意味するものは、つまり。
「え、じゃあイナリさんを狙ったのは本当に邪魔だからで、地球防衛隊がどうのこうのっていうのも全部本当で……つまり全部『偶然』が重なった結果ってことですか!?」
「というよりも偶然が重なるようになっておったんじゃろうな。ほれ、あのドミノとかいうあれじゃよ。1つ1つの現象が重なると大きいことに見えるじゃろ? じゃから、所々で詰めが甘い。そういうことじゃろ」
迂遠であり、しかし確実な手段でもある。1つ1つの事件を追う限りではそれぞれに首魁がいて、しかし本当の首魁は事件を計画すらしていない。それどころか言葉1つ囁いていないかもしれないのだ。それでは確かに祢々切丸もその何者かを首魁だと判定はしないだろう。
「中々に面倒そうな相手じゃ。故に、な? この小さい姿は奴の顔面に一撃喰らわせるには良い手になると思っとるんじゃよ」





