お狐様、奈良に行く5
夕方。イナリたちは部屋に集まって話をしていた。議題は当然紫苑のことだが……特に、先程から何度も何度も鳴り続ける紫苑の覚醒フォンのことだった。
相手は紫苑の家族だが、父に母、妹までが着信履歴に勢揃いしている。未登録の番号も幾つかあるが、親戚か何かかもしれない。
「やっぱり電源オフにしとくべきじゃない? で、向こう戻ったら機種変えて番号も変えましょ」
「そうですね。これはちょっと……流石にどうかと思います」
「俺もそう思う。ハッキリ言って非常識だ。家族のやることじゃない」
やはり全員が同じ気持ちなのだろう。そしてこんなにもしつこく電話をかけてくる理由は、やはりタケルの存在だろうと、誰もがそう考えていた。何しろ、これだけ電話に出なくても諦めないのだ。何らかの理由で焦っていると考えていいはずだ。
「やはりこうも電話をしつこくかけてくるとなると……タケルの話が伝わったんじゃろうな」
「まあ、そうでしょ。娘を政略結婚に利用しようとしたら恋人がいたんだから。向こうの目論見が全部崩れるわけだし」
「祝福ではないだろうなと思ってしまう辺り、本当に悲しいことですね……」
「覚醒してから、ずっとそう。ボクは気にしてない」
紫苑は何でもないように言うが、その口調に諦めが入っているのは、紫苑と仲の良いこの面々には明らかで……だからこそイナリは、紫苑の肩に手を伸ばしポン、と叩く。
「紫苑。辛ければ辛いと言うてもええ。人生の重さは、1人では背負いきれぬもの……それ故に友が居るのじゃからの」
「そうよ。私は友人なんてそんなに作らない方だけど、アンタのことは友人とは思ってるわよ」
「私もです」
「あー、俺もだ」
月子と恵瑠、そしてタケルもそれに続けば紫苑は「……ん」と呟いてイナリの膝に倒れて顔を埋める。
「……ありがと。嬉しい」
そう言って紫苑はそのままイナリの膝から動かなくなってしまうが、照れて顔をあげられないのだろうとイナリはそのまま紫苑の頭を撫で始める。
「ふふ、愛い子じゃの。よしよし」
本当に慣れた様子で紫苑の頭を撫でるイナリは初見なのか、タケルが唖然とした顔をしているが……月子と恵瑠には慣れた光景ではあった。イナリの膝は基本的に先着一名であり、とはいえ何か適当な理由もなしにそんなことは出来ないお年頃でもあった。何より今「ズルい」とか言わない良識は、月子にも恵瑠にもあったのだから。状況についていけていないのはタケルだけである。
しかし、そんなタケルも空気を読める男ではあるので、目の前の光景に関しては思考を停止すると「ところで」と話を元に戻す。
「いい加減、紫苑さん周りの状況はどうにかしておくべきだと思う。俺がいるだけでは解決しないなら、もう一手必要なんじゃないか?」
「うむ、そうじゃの。奈良支部では地球防衛隊の活動を疑っておるようじゃが……これといった動きもないしのう」
「それなんだけどさ」
「む?」
「地球防衛隊の活動にしては、かなり『違う』部分が多いと俺は思う」
地球防衛隊。それは反覚醒者団体ではあるが、正確には魔力否定団体と呼ぶべきものだ。
新しい今の世界自体を否定する地球防衛隊の思想は、しかし根絶できない訳があった。
そう……今の世界がおかしいのだ、と。それは度々言われてきた言葉であった。
それまでの人類の進歩を否定するかのように科学が無力になり、代わりに魔力という新しい概念を利用した魔学なるものが始まった。
それでも覚醒者なる者たちでないとモンスターには対抗できない理不尽。
明確な力の差と科学の敗北、そして生まれた格差。科学では永遠に解明できない能力。
誰かが言った。これは科学を貶め人類を退化させようという何者かの企みであるのだと。
銃を捨てさせ棒切れを振り回させることで人類の知恵を捨てさせようとしているのだと。
魔力などという怪しげな力に頼らせることで、それに依存させようとしているのだと。
陰謀論にも似たそれは急速に賛同者を増やし、ついには組織となった。
「だからこそ、1つの疑問がある」
「紫苑を道具として使うこと……じゃな」
「ああ。地球防衛隊は覚醒者の利用なんて考えない。勿論裏じゃ分からないけど、少なくとも表向きにはそんなことはしない」
それに関してはまあ、イナリも日本支部が覚醒者を使っていた事実や、そもそも日本支部長が覚醒者であったことを知っているが……まあ、表向きにはそうなのだろう。というか、知っていたからこそ、その違和感に気付かなかったともいえるだろうか?
「……確かにそうじゃな。紫苑の両親が地球防衛隊であれば、覚醒者である紫苑を政略結婚に使うというのは道理に合わぬ」
「覚醒者だからこそ、ということでは?」
「魔力をウイルスみたいに言ってる連中だぞ? それを政略結婚先に押し付けるって発想はアウトだと思う」
「確かに……」
「でもそもそも理論が破綻してる連中よ? 常識だの道理だのを期待していいものかしらね」
魔科学者の筆頭である月子からしてみれば、地球防衛隊なんていうものは非科学的な連中の集まりだ。目の前の事象から目を背け、嫉妬に塗れた連中の集まりだ。今の時代電気だって魔石発電なのに、その事実から目を背けている時点でどの理屈も屁理屈でしかない。
「ダンジョンなくして今の世界は成り立たないのよ。非覚醒者にモンスター素材が回らないっていったって、それは一部の危ないものに限った話。生活用品がどれだけモンスター素材に置き換わってると思ってんのよ。電気だって魔石発電だし、浄水だってそうよ。その恩恵を受けてない人間なんて、居やしないんだから」
「だからこそ、建前は重要というわけじゃの」
理屈が破綻していようと、建前が立派であればそれなりに見えるものだ。だからこそ、裏で何をやろうと表向きの行動だけは建前を守り続ける。そういうことなのだろうとイナリは理解していた。そして、そうであるのならば今回の紫苑に関する騒動は地球防衛隊とは関係ない、ということになる。
「しかし、妙じゃの。奈良支部がそんなことを理解しとらんとも思えんが」
ぽつりと呟いたイナリの言葉に全員がピクリと反応する。
確かにおかしい。地球防衛隊は存在そのものが覚醒者協会にとっての危険要素だ。当然、彼らが何を考えているかは末端の職員に至るまで教育されているはずだ。いや、されていなければおかしい。だというのに、この状況はなんだというのだろう?
「……まさかとは思うけど。今回の件、奈良支部は敵かしら?」
「地球防衛隊の話は嘘ってことですか? ですが、紫苑さんのご家族の話に説明がつきませんよ」
「権力者絡みってセンはどうだ? いや、でも流石に支部レベルで抱き込みが出来たりするか……?」
「神のごときものかもしれない」
ワイワイと話し合う4人に頷きながら、イナリは「よし」と頷く。
「まずは最悪の可能性から潰してみるとするかの?」
「最悪の……って。イナリ、どうするつもりか聞いていい?」
「うむ。何か憑いているかもしれんしの。数珠丸あたりで試してみようではないか」
もし何かが憑いていれば、憑いているものが消し飛ぶ。早速やってみようかと立ち上がろうとするイナリを、紫苑が掴み月子が押さえる。
「待ちなさい」
「人体に害はないぞ?」
「あるとかないとかの話じゃないのよ。アンタのそういうの、凄い派手でしょうが」
「まあ……そうじゃの?」
「もしソレやって何も引っかからなかったら、それこそつけ込まれる隙になるのよ」
「むう」
確かに憑依されているわけではなければ、町中に謎の光が広がるような怪事件になりかねない。もし見当違いであれば、イナリが悪者にされる隙となってしまうし、それは避けたいところだ。
「とはいえ、何かせねばいかん。なれば……うむ、そうじゃの」
イナリの視線は未だ断続的に鳴り続ける紫苑の覚醒フォンに向けられる。
「月子や、確認なのじゃが」
「何よ」
「覚醒者はそうなった時点で覚醒者協会のみに帰属する存在となる……じゃったな?」
「そうよ。国籍なんてものは関係無くなるわ」
たとえば紫苑も日本生まれの日本人ではあるかもしれないが、戸籍上では日本の所属ではなく覚醒者協会日本本部の所属となっている。覚醒者基本条約に基づく「覚醒者を国家利用させないため」の仕組みは、そんな力技で機能している。紫苑を勝手に婚姻させることが出来ないというのは、このためだ。覚醒者協会が受理しなければ、書類上の夫婦にすらなりえない。そういう仕組みになっているのだ。そしてそれは……他の関係でも、機能し得る。
「紫苑」
「うん」
「お主の両親に、ハッキリと引導を渡そうと思う。構わんかの?」
「いいよ」
アッサリと、紫苑はそう答える。それは、ハッキリとした紫苑の決意でもあった。
「たぶん、ボクも早く割り切るべきだったんだと思うから」
「うむ」
かかってきた電話……「お父さん」と表記されたそれにイナリが出れば、電話口からは罵声のような怒鳴り声が聞こえてくる。
『紫苑! どういうことだ!? 覚醒者の恋人だと!? そんなものを許すと思ってるのか! 大体お前は』
「うるさいのう。戯言で耳が腐るのじゃ」
『だ、誰だ!?』
「先日会うたじゃろう。イナリじゃ」
『紫苑を出せ! なんで紫苑の電話に……! あまりにも常識知らずだろう!』
「それはお主じゃろ?」
『何を……この、偶々妙な力を得ただけの小娘に何が分かる!』
「さよか。それでのう、紫苑はお主等とは縁を切るそうじゃ。別に法の上でも問題ないそうじゃしの。紫苑はお主等とは関係ないところで幸せになる故な。二度とかけてこんように」
そう言って電話を切ると即座にかかってくるが、無視してイナリは電源を落とそうとして……「これどうやって電源切るんじゃ?」と紫苑に聞いてしまう。機種が違えば操作方法が違うのは覚醒フォンでも同じなので仕方ないのだが、紫苑は薄く微笑むと覚醒フォンの電源を切り、机へ投げ出す。
「向こうに帰ったら、あれじゃの。紫苑の新しい電話を買わねばのう」
「ん、イナリとお揃いにする」
またイナリの膝に慣れた動きで倒れ込む紫苑は重荷が無くなったような表情をしていたが……そんな紫苑を撫でながら、イナリは少しばかり悲しくも思う。
恵瑠の両親のように死の瞬間も娘を案じ幸せを願う素晴らしい人々もいるというのに、そうではない者もいる。勿論、イナリがかつていたあの廃村でも、皆が善人というわけではなかったが、こうして身近な範囲でそうしたことが起こるというのは、本当にままならないものだ。
イナリは自分が神と呼ばれるモノであることは自覚しているが、だから何もかもを解決できるのかと言われれば、当然違う。大国主命だって、そんな力を持っているかどうか。
せめて、手の届く範囲だけでも幸せに出来ればいいのじゃが、と。イナリがそう思うのとは別の場所で……1人の男が電話を床に叩きつけていた。
「ふー……ふー……! あの、あの小娘! 何が縁を切るだ! そんな、そんなことが許されると思ってるのか!」
「アハハハハハハハハ!」
「何がおかしい!」
部屋の隅で豪奢な椅子に座り本を読んでいた男に紫苑の父は灰皿を投げつけ……しかしそこには何もおらず、壁に灰皿がぶつかって転がっていく。
しかし、しかしだ。そこにいたのは、本当に男だっただろうか? そもそも、その場所には誰もいなかったはず、では?
「いやいや、実に面白い」
そんな声が紫苑の父の背後から聞こえてくる。振り返っても、そこには誰も居なくて。
「暇潰しではあったが、随分面白いのが引っかかったものだ。さてさて、ちょっとは面白い結末になれば良いのだがね」
紫苑の父の目の前に何者かの左手が現れ……パチン、と指を鳴らす。同時に紫苑の父はボーッとした様子になり……すぐにハッとしてまた怒り出し何処かに電話をかけていく。
そして……誰も見ることのない、できないメッセージが虚空に浮かんでいた。
―【書を持つ者】が全てを嘲笑っています―
お狐様にお願い!
書籍2巻は4月15日発売です!





