お狐様、フォックスフォンに行く
3日後の秋葉原。イナリとしては2度目になるが、朝の秋葉原はすでに人が多い。
眠らない街となった秋葉原は、この時間でも様々な目的で人がやってきている。
工房での武具の受け取り、あるいは注文に修理依頼、消耗品の補充……誰もが真剣に、あるいは楽しげに歩いているのが良く分かる。
「メロンアックスは……あっちみたいだな」
「剛鉄匠の作品の委託販売ってマジネタなのか?」
「有り得ない話じゃないぞ。全国からの委託品があるのは事実だしな……」
何やら何処かから仕入れた情報を元にお店へ向かっている者もいるし「腹減った」などと言いながら食事処を探している者もいる。前回来た時と違うのは、呼び込みの人間がちょっと少なくなっているくらいだろうか?
「この前のジェネシスの動画見たか?」
「オークジェネラルの剣と兜のだろ。今東京第4ダンジョン凄いことになってるもんな」
凄いことになっているらしい。まあ、そうであればイナリはしばらく近づかないが……相変わらずチラチラと飛んでくる視線がどういう意味かについては、イナリとしてはなんとも判断しがたい。
ただ、悪意のある視線は存在しないのでイナリとして全く気にせず歩いていく。
その手の中には、合計2つの紙袋に入った羊羹がある。ちょっとした手土産というやつだ。
幸いにもフォックスフォンの場所は覚えている。大通りをまっすぐ進むだけなので非常に簡単だ。
そうして歩いて、歩いて。『使用人被服工房』の看板が見えて、ちょっと立ち止まる。
「さて、と。まずはこっちじゃな」
まだ朝のせいか店の前にメイドは立っていないが、一歩店の中に入ればメイドがいる。
というか、エリがいた。
「お帰りなさいませお嬢さ……あ、イナリさん! どうされたんですか!? おはようございます!」
「う、うむ。おはようじゃ。ほれ、この前世話になったからのう。手土産を1つ……最上屋の羊羹じゃ」
「え? わあ、ありがとうございます! 皆で頂きますね!」
「うむうむ、そうしておくれ」
近くにいた別のメイドに羊羹の袋を手渡すエリだが、物凄く慣れた……こういうのを貰い慣れた動きである。
「……もしかしてよく贈り物をされたりするのかのう?」
「此処だけの話、すっごい貰います。怪しげなものも混ざってたりするので、鑑定スキルが大活躍です!」
「おおう……」
「それよりイナリさん! 執事長がイナリさんなら上級メイド(正社員)で雇いたいって言ってたんですけどどうですかね!?」
「遠慮しとくのじゃ……」
先約もあるが、流石にイナリとしてはメイドになるつもりは一切ない。なんだか、あのヒラヒラしすぎた服は落ち着かないのだ。
まあ、そんなわけでメイドたちに「いってらっしゃいませー」と謎の挨拶で見送られながら『使用人被服工房』を後にしたイナリは、フォックスフォンの店の近くへ辿り着く。
(……そういえば、あっちのらいおん通信に行ったことはなかったのう)
道を挟んだ反対側のライオン通信は多機能らしいが、どうせイナリにはそんな機能が多くても使いこなせはしない。どのみち縁は無かったか……などと考えながらフォックスフォンの店に入ると、店内が一斉にざわつく。店員たちの視線が一気にイナリに集まったのだ。
「ようこそお待ちしてました狐神さん!」
「ひょえっ!」
そうして一斉に礼をするフォックスフォンの店員たちにイナリは思わず気圧されるが、進み出てきた1人の女に僅かな関心を覚える。
出来る女といった風体の、スーツのよく似合う「カッコいい女」と呼ばれるタイプの人物だ。
しかしイナリが興味をもったのはそこではない。
(……ほう。今まで会った中では一番強い気配がするのう。もしや……)
「ようこそ、狐神さん。弊社代表の赤井です。幸いにも今はお客様はいらっしゃいませんが……壁に耳あり障子に目ありと申します。此方へどうぞ」
「うむ、よろしくのう」
比較的大きなビルであるフォックスフォンの最上階丸々1つが代表室であるらしく、その一番手前の応接室にイナリは通される。秘書らしき人物の用意した茶を飲みながらイナリは、自分をじっと見ている赤井の視線に気付く。値踏みでもされているのだろうか……まあ、悪意のある視線ではない。
そんなイナリに気付くと、軽く赤井は咳払いをする。
「では、改めまして。代表の赤井です。今回は弊社からの提案を受けて頂き感謝します」
「狐神イナリじゃ。何処まで話を聞いとるか分からんが、此方としても渡りに船じゃったからのう」
「覚醒者協会から大体の事情は聞いています。完全に安全だ……などとは言いませんが、有象無象からの勧誘は跳ねのけられるでしょう」
「うむ、頼もしいのう」
覚醒会社フォックスフォン代表 赤井里奈、と書かれた名刺を受け取り……イナリはふと首を傾げる。
「覚醒会社……?」
「覚醒者が立ち上げた企業の場合はそうなります。税金とか……色々有利なんですよね」
「ほお、そんなもんがあるんじゃのう」
「ええ。クラン運営にもお金がかかりますので。余程戦闘で稼ぐ自信がなければ、何かしらの商売をするのが普通なんです。勿論、それにも相応の手腕は必要ですが……実のところ、この2つである一定のレベルまでいくと共通して必要になるもの。それが『イメージキャラ』なんです」





