お狐様、奈良に行く3
それから少しもしないうちに覚醒者と思わしき何人かが走ってきて紫苑たちが構えるが、イナリが「待つのじゃ」と声を上げて制する。
「先程の連中とは、ちと違うようじゃ」
そんなイナリの言葉の正しさを証明するように「す、すみません!」と男女の混合チーム……約3人ほどの覚醒者たちが声をあげる。
「そちらで何かがあったのは分かっていたのですが……!」
「予想外の足止めを受けてしまいました!」
「お怪我はありませんか!?」
「何それ。言い訳になると思ってんの?」
「まあまあ」
あからさまに不機嫌になる月子をイナリがなだめるが……まあ、確かに言い訳としてはどうしようもないというのが本当のところだろう。護衛が足止めされて護衛対象と引き離されたままでした、などというのは護衛の意味が全くない。というか、普通に大問題だ。
というよりも、月子を危険に晒したという時点で大どころか超がつくレベルの問題なのだが……まあ、そこはひとまずさておこう。
「それで、足止めというのは何だったのかの?」
「それが……1つ1つは大したことがないのですが、振り払うには気が引けるものばかりで」
急な体調不良、泣いている子ども、弱り切った表情で道を聞いてくる人……どれもこれも、対処自体は難しくないが連続してしまうとそれなりの時間のロスになるものばかりだ。
ただ、こうして事件が起こってみて「それは偶然か?」と聞かれれば首をかしげてしまう。
「本当に申し訳ありません」
「ええんじゃよ。それよりこの男をどうにかしてくれんかの」
「あっ」
未だイナリに踏まれたままの男は何やらブツブツと呟いたままで、護衛の覚醒者たちはイナリの足の下から男を引きずり出す。そうされてもブツブツと呟いている男は如何にも様子がおかしくて、護衛の覚醒者たちもなんとも奇妙なものを見る表情になっていた。
「な、なんだ? この男は」
「様子がおかしいな」
「とにかく移送しましょう。応援を呼ばないと」
「あ、それなら先程連絡しましたよ。すぐに来るのではないかと」
恵瑠の言葉通り、そのタイミングで覚醒者仕様の車が凄まじい勢いで走ってきて停止する。中から走って出てきたフル装備の覚醒者たちは素早く周囲を確認すると、そのうちの1人がイナリへ声をかけてくる
「お待たせしました。襲撃の犯人はその男ですか?」
「うむ、どうにも様子がおかしいがのう」
「では此方で連行します」
テキパキとした動作で男を拘束し車に積み込むと、そのまま2人を残して車は再度発進していく。
「私たちは周囲の確認を行います。思うところはあるでしょうが、護衛はそこの3人がひとまずは続けますこと、ご容赦ください」
「そう気負わんでもええよ。何事もなかったのじゃからの」
「何かあってからじゃ遅いから。あんまりアホ晒してたら本部案件になるって伝えなさい」
「はい」
頭を下げてそのまま何処かへと走っていく2人を見ながら、月子ははー、とあからさまな溜息をつく。
「あっちに護衛変えろって言うべきだったかしらね」
「凄くテキパキしてましたね」
「たぶん強攻課か何か。でも護衛に向いてるかは不明」
月子たちがそう言う中、所在なげにしていた護衛たちだが、とにかくその後は何事も無くホテルに到着する。当然、部屋に何かあるということもなく腰を下ろすイナリたちだが……窓から公園を見ていた紫苑が「ねえ」と声をあげる。
「……鹿、増えてる気がする」
「え? ……うわあ」
丁度近くにいた恵瑠が窓から見て思わずあげた声に月子とイナリも窓から外を覗くが……紫苑の言う通りの光景がそこにあった。
鹿、鹿、鹿、鹿、鹿。かなりの数の鹿たちが公園に座っていて、そこからイナリたちのいる部屋を見上げているのだ。いったい何があればそんなことになるというのだろうか?
「イナリ、私たちが知らない間に鹿せんべいでも買ったの?」
「何も買っとらんが……」
「きっとイナリに惚れてる」
「イナリ様の魅力が鹿に通用してるってことですか!?」
「鹿に惚れられても困るのう……」
実際のところ鹿がどういうつもりかは知らないし偶然かもしれないが、鹿が神の使いというような話は意外に本当なのかもしれないし、もっと何か別の事態によるものなのかもしれない。しかし今のところは特に何の被害もないのだから気にする必要はない。
ないが……視線が刺さる気がするのでカーテンを閉めて、お茶でも飲もうかと思い立つ。
「ふー、とにかく茶でも飲んで一息つくかのう」
「それがいい。丁度ここにある」
机の上に置かれた茶櫃を紫苑が開けると、そこにはお茶碗とティーバッグ、小さなお菓子などが入っている。緑茶に梅昆布茶、紅茶まであるが、イナリはそれを見て「おお」と嬉しそうな声をあげる。
「てーばっぐじゃのう。人類の知恵の結晶じゃよなあ」
「ん? 何て言ったの?」
「む? てーばっぐ、かの?」
「ティーバッグ」
「てーばっぐ」
「ティー」
「てー」
そのまま、互いに無言。イナリが「?」と疑問符を浮かべて首をかしげるのを恵瑠がニコニコしながら見ているが、月子が呆れたように溜息をつく。
「テーだろうとティーだろうとどうでもいいでしょうが。それより私はコーヒーがいいんだけど、ないのかしら」
「そこにコーヒーマシンがある」
「え? あ、ほんとね……何これ、豆でも粉でもないんだけど」
「わあ、面白いですね。えーと、これをセットするんですかね……?」
「濃縮液ってこと……? 面白い発想よね」
カプセル式のコーヒーメーカーの前でわいわいとやり始めた月子と恵瑠をそのままに、紫苑とイナリはお茶を淹れて……そのまま、揺れる湯気をじっと見ていた。それは、先程から何か言いたそうにしていた紫苑の言葉をイナリが待っていたからだ。
「……ごめん。ボクのせいで、予想以上に迷惑かけた」
「お主のせいではないじゃろ」
「でも、ボクが頼んだから起きた」
「そういう考えは良くないのう」
言いながら、イナリはお茶を一口飲む。実際のところ、今回の件は紫苑は何も悪くない。わからずやの家族に話をしに来ただけであり、あのよく分からない連中も、ついでに地球防衛隊の連中も……紫苑の責任などでは断じてない。
「そもそも、そういうのを論ずるのであれば儂も1度怪異に姿を真似られて本部で暴れられたしのう」
「あー、あったわね。そんなこと」
コーヒーを持って戻ってきた月子が当時を思い出すように頷くが……あの一連の「都市伝説」事件には紫苑も関わっていただけに「ん……あのときも迷惑かけた」としょげてしまう。
「気にすることは無いんじゃよ。そもそも、世の全てを把握するなど天の神々にだって不可能なのじゃから」
神話を紐解けば神々の失敗談などいくらでもあるし、予想もつかないところから予想もつかない結果になった話だってある。つまるところ、予想外の事態を「予想せよ」というのは如何に無理かという話なのだ。
「それを踏まえれば、紫苑は何も悪くない。そうじゃろ?」
「ま、そうね。そもそも地球防衛隊の日本での活動はほぼ停止状態にあるっていうのが現状の理解として正しかったはずだし。それに……あの高山家の秘書だっけ? あいつ関連の話が地球防衛隊関連かどうかもちょっと、ね」
「覚醒者を使っていたから、ですか?」
「そういうこと」
「加えて言えば、あの男自身の様子もおかしかったのう。祓って確かめてみるべきじゃったか……」
戻ってきた恵瑠も「うーん」と悩むような声をあげる。ちなみにイナリの近くに座ろうとするのはいつものことだが、出遅れたので仕方なく正面に座っている。
「そもそもの話、地球防衛隊が関わっているとして今回、何をしようとしてるんでしょうか?」
「日本3位の紫苑を実質無力化する、とか? やめさせたがってるんでしょ、戦うの」
「別に寿退職って仕事でもないでしょうに。覚醒者ってそういうのじゃないって分かってるじゃないですか」
「そりゃそうだけど。結婚を機に危険なことを……とか」
「……分かってない、のかもしれんのう」
「え?」
イナリの呟きに恵瑠が疑問符を浮かべる。分かってない。その意味するところが恵瑠には分からなかったのだ。しかし、同様に少し前まで何も知らなかったイナリだからこそ気付くことがある。
「覚醒者が思う以上に、世間は覚醒者のことを知らんのかもしれんぞ」
実際のところ、覚醒者は非覚醒者にとってはアイドルのような存在だ。それは覚醒者協会がそういう風に売り出すことで良いイメージを意図的に作り出していたからであり、かつての時代のように覚醒者をどうにか縛り付けようとするような風潮が出来ないようにするためでもある。
地球防衛隊が世間の支持を得ていないのもそうした戦略が上手くいっているからであり、それは非常に良いことでもある。しかし、だ。別の問題も生み出しているようにイナリには思えたのだ。
「覚醒者について理解していなければ、伝え聞く情報でしか判断は出来ん。たとえば先程の男もそうじゃの。あの男自身は力自慢だったのじゃろうが、だからといって儂に1人でぶつけよう、とはならんじゃろ」
覚醒者としての攻撃能力B。確かに素晴らしい数値だ。一般的な考え方をすれば、力の弱い魔法系を力ずくで制圧することなど簡単であるように思える。
しかし、実際にはそうではない。イナリが「狐神流合気術」であっという間に制圧してみせたように、能力値の差など些細である例は多々ある。それは至極当然であるのだが……まあ、だとすると別の疑問も出てしまうのだが。
「そもそも、あの男は何だったんじゃろうなあ……よもや、本気で力尽くで儂を押え込めると思うたわけでもあるまいが」
「急にアイツ殴りたくなってきた」
「あ、私もです」
「同じく。さておいて、思ってたんだと思うわよ?」
シュッシュとシャドーボクシングを始めた紫苑と恵瑠をそのままに、月子は肩をすくめてみせる。
「覚醒者の一極集中問題。知ってるでしょ?」
「うむ」
成功しようとする覚醒者が地方から日本本部のある東京に出てきてしまう問題だが、奈良でもやはり同じ問題を抱えている。有望な、あるいは自分を有望と信じる真っすぐな野心ある若者は皆、東京へと出ていってしまうのだ。
「地方に残ってるのは……まあ、優秀な奴もいるけど実力的な話よ。基本的にアンテナ感度の低いやつが多いわ」
勿論例外もいるけど、と月子は付け加える。たとえば地元愛で沖縄にいるレッドシーサーなどは「例外」の最たるものだ。タケルが草津にいたのも「例外」と言えるだろう。
「その中にはああいうのも居るらしいわ。単純にステータスだけで自分が最強と思い込む連中。実際、本気で強い奴は大体東京出てきちゃうわけだし。そうすると、強さの基準がそのバカになる。いつの間にか『地元最強』から『世界最強』とかになるわけね。マトモな奴はそんなバカとは関わらないし、そうなると勘違いが何も知らない人に広がってくわけ」
「つまり強そうな奴がそれっぽい証拠を持ち強そうに振舞えば、事実はどうあれ最強に見えるわけじゃな?」
「そういうことね。さっきの秘書とやらもそんな感じなんでしょうね。ま、確かに攻撃能力Bっていう世界的基準に合致してるんだから無理もないけど」
覚醒者ではない者にスキルがどうのと言ったところで理解などされはしない。覚醒者全員の能力値やスキルがご丁寧に全て開示されているわけではないのだから、強い者が「俺にも出来る」と言えば「そういうものか」と納得してしまう。それが覚醒者協会の基準で優秀とされる能力を持っているのであれば尚更だ。
「言っとくけど、全国……いや、世界中大体似たような感じらしいわよ? 覚醒者と非覚醒者の相互理解は程遠い……っていったところね」
「何やら面倒じゃのう」
「そういうものよ」
世の中、面倒ではないことのほうが少ないというものだ。つまり今回の事態も地球防衛隊が関わっているかもしれないし、そうではないかもしれない。あるいは関わっているけれど他の要因が絡んでいるかもしれない。「分からない」が正しい答えとなるわけだ。
だからこそ、答えの出ない問いを考察するのはひとまず諦めて。運ばれてきた夕食を食べて、お風呂に入って。ベッドに入れば、静かに寝息が聞こえ始める。最初の寝息は恵瑠、次は紫苑だ。
「……寝ないのかえ?」
そんなイナリの問いに、隣で寝ている月子が「アンタもでしょ」と返す。真剣な表情の月子が何を考えているかは、イナリにはなんとなく分かる気がした。
「紫苑のことを考えとるんじゃろ?」
「そうよ。今回の件を後腐れなく解決するにはどうしたらいいか……結構難問よ」
ハッキリ言えば、戸籍上の縁がどうこうという話であれば紫苑が覚醒者であるという事実だけでどうにでもなる問題だ。しかし紫苑の両親が地球防衛隊と関わっているのであれば話が非常に面倒になる。元々彼等の戦法は直接戦闘ではなく世論を動かすなどの情報戦だからだ。まあ、覚醒者協会側に防がれているからこそ、そういった手段から先鋭的な方向にシフトしようとしていた面もあるが……さておいて。
「分かり合えるのが最良じゃが……あの様子ではそれは難しかろうのう」
「そうね」
「では、捨てるしかないかもしれんのう」
イナリはそう言うと、自分をじっと見ている月子に気付く。
「……意外ね。アンタは何とか分かり合う方策を探すのかと」
そう言って、月子は「違うか」と呟く。
「そういえば、そういうドライなところもあったわね。昼間の男も躊躇なく投げ飛ばしたし」
「まあ儂とて博愛主義を騙る気もないがのう」
微笑みながら、イナリはどこか遠くを見るような目になる。懐かしいものを思い出すような、そんな目だ。
「捨てることで始まるものもある。振り返らぬことも、忘れ去ることも……人の世に生きるのであれば必要なことじゃろうよ」
イナリのいた廃村が人に捨てられてそうなったように、そうしなければならないこと、選択しなければならないことは人生において何度も現れる。
あの村の人々が二度と戻ってこなかったように、イナリがあの村に1人きりであったように。
そしてイナリもまた、あの廃村を去ったように。そういうものなのだ。そういう風にして、皆生きている。
「……そうやって語るってことは、作戦があるのね?」
「うむ」
イナリはそう頷くと、2人を起こさないようにこそっと月子の耳元で囁く。
「まずは、此処にタケルを呼ぶとしようかの」





