お狐様、奈良に行く
翌日。奈良に到着したイナリたちはバスターミナル前で「おお……」と声をあげていた。
「此処が奈良なんじゃのう」
「なんだかワクワクしますね!」
物珍しそうに周囲を見ているイナリと恵瑠だが、奈良はモンスター災害の影響は免れず、かなり致命的な被害から復興した街である。その際に古都としての奈良を強調していくということで、あちこちをわざと古い町並みに建て直している。
この奈良バスターミナル周辺は普通だが、あちこちに「それっぽい」街並みが作られているわけだ。
「何処も似たようなことを考えるのじゃなあ」
「大きな建物が有利って時代でもないしね。でっかいビルがモンスターの襲撃でポキッと折れたら助からないでしょ?」
「その割には都心はビルだらけじゃったが……」
「覚醒者所有の特殊素材製が多いからそうなるのよ。そうじゃないのも多いけど」
「ふむ?」
分かっていない風のイナリに、月子はバスターミナルの壁をコンと叩いてみせる。
「今の時代、鉄骨鉄筋コンクリートだのってのはバターで建築してるのと然程変わらないのは分かるでしょ?」
「まあ、そうじゃのう」
「でも、特殊素材……モンスター素材は、非覚醒者には使えないようになってるの」
魔科学。科学に魔石を組み込んだ新しい技術は実際のところ、覚醒者にしか使いこなせなかった。モンスター素材1つとっても、どうやっても傷1つつけることが出来ないからだ。いわゆる人造アーティファクトを使えばなんとか加工可能だが、その間に製造系のスキル持ちが一瞬で終えてしまう。他にも流出したアーティファクトによる犯罪なども起こるに到り、全てのモンスター素材は覚醒者専用となった。
他にも非覚醒者の建築業者保護の諸々もあり、まあそういう……面倒くさい事情が幾つも重なっているわけだ。
「高い予算かけて高いリスク背負ってビル建てるよりは、低い建物のほうが良いって事情もあるわけ」
「難しい時代なんじゃの」
「そういうこと」
イナリが月子の説明に頷いていると、恵瑠がギョッとした顔でイナリの袖を引っ張る。
「イ、イナリさん……」
「む? おおっ」
「うわ、なにこれ」
「鹿がいっぱいですよ!?」
いつの間にやらバスターミナル周辺に鹿が集まって、イナリたちを……正確にはイナリをじっと見ていたのだ。試しにイナリが横に動けば鹿の首や視線もそれに合わせて動いていく。しかし何故かはわからない。
「いつの間にか鹿せんべいでも買ったの?」
「いや、買っとらんが……なんじゃあ?」
「巫女服が原因じゃないですかね? 奈良では鹿って神さまの御遣いですし」
「むう」
どちらかというとイナリが神であるわけだが、だとしてもイナリが鹿に注目される謂れはない。
「そもそも鹿に乗ったのは建御雷神じゃろ? こやつらには儂が建御雷神に見えとるのかのう」
「そんなわけないでしょ。ま、そのうちどっか行くわよ」
「とはいえ、こうも集まられては周囲に迷惑じゃからのう。ほれ、解散じゃ解散」
イナリがパタパタと手を振れば、鹿たちは何処かに解散していって、恵瑠が「え、凄い……」と呟く。
「イナリさんって、いつの間にか動物と通じ合うスキルをお持ちになられてたんですか……?」
「そんなものは持っとらんのう」
「どういう理屈か調べてみたい気はあるけど、まあ後回しかしらね」
言いながら月子は、紫苑に視線を向ける。今日バスに乗ってからほとんど喋らない紫苑のことが気になったからだ。そしてそれはイナリも恵瑠も同じであり……紫苑は3人の視線を受けて「ん」と声をあげる。
「何? ボクがどうかした?」
「うむ……今日はずっと憂鬱そうじゃからのう。ご両親に会うのは、辛いかの?」
「別に辛くはない。でも、憂鬱ではある」
「そうか。辛ければいつでも言うんじゃぞ」
「言ったら、どうなるの?」
「うむ。いつでも家に連れ帰ってやろう」
イナリの言葉に紫苑はちょっと驚いたような顔になって、イナリの手をぎゅっと握る。
「ん、そのときはボクを連れてって」
「承った」
微笑むイナリに紫苑はようやくいつもの……それでも無表情だが、大分元気になる。
「じゃあ、行こう。その辺にタクシーいっぱいいる」
タクシー乗り場へ歩いていく紫苑にイナリはついていこうとして、月子にくいっと裾を引っ張られる。
「ん? なんじゃ?」
「あの子の両親のことだけど」
月子はイナリの耳に口を寄せると、そっと囁く。
「かなり面倒な類よ。覚悟だけはしときなさい」
面倒。覚悟。それがどういう意味かイナリには分からなかったのだが……紫苑の実家が経営している商社のロビーに入ると、早速それを嫌でも理解させられていた。
「だからあ、部外者は困るんですよねえ。お嬢さま1人だけじゃないと」
「儂は付き添いじゃ。それは事前に伝えてあったじゃろう」
そう、迎えの社員の男が露骨にイナリたちを排除しようとしているのだ。紫苑が事前に両親と連絡し、それもあって紫苑が里帰りを選んだはずなのだが、早速話が違うというやつだ。しかも態度がすこぶる悪い。月子はすでにキレかけている。
「そうは仰ってもですね。代表からはそんな話は聞いてないわけでして。そもそも家族の話に割り込んでくるっていうのはどうなんですかね?」
「それ込みで通っておった話じゃろう。今更なんだというんじゃ」
「ですからあ、家族の話にはご遠慮いただきたいって話なんですよ」
「話にならんな。別の者はおらんのかえ?」
イナリがそう言いながら周囲の社員たちに視線を向ければ、どの社員もヒソヒソと何かを囁き始める。
「実際何の権利があって割り込んでくるんだって話だよな」
「そもそも何あの恰好。痛々しくない?」
「ほら、覚醒者ってコスプレしながら生きてるようなもんだし」
ヒソヒソ声はクスクス笑いに変わっていくが、今にも怒りのままに叫びだしそうな月子を恵瑠がなんとか抑えて……といっても、恵瑠も怒っているのは明らかだった。もう何処から爆発するかといった中で、紫苑が口を開いて。
パアン、と。イナリの柏手の音が響き渡る。それはロビーの隅々まで広がっていき、音が通り抜けた場所にいた人々は皆毒気が抜けたような、ぽかんとした表情に変わっていた。
「ヒソヒソクスクスと……ようもまあ、底意地の悪いことを。性根を腐らせるは自由じゃが、その腐臭を向けてくるとあれば実に気分が悪い」
「ふ、腐臭!? 言い過ぎでは!?」
「たわけが、都合の良いところだけ切り取って被害者ぶるか」
「あ、アンタのようなケンカ腰の人間を社に入れるわけにはいかん! 警備員! 何をしてる!」
男の言葉に警備員たちが顔を見合わせ、じりじりと近づいてくるが、そもそも非覚醒者の警備員に覚醒者をどうこうしろというのは無理な話だし、覚醒者の警備員は覚醒者の経営する覚醒会社に雇われている。そもそも警備員は戦う職業ではないという現実を置いといても、かなり無茶が過ぎる。
「紫苑。もう帰るかの?」
「それもいいかも」
「は!? そ、そんなことが許されると……!」
紫苑を掴もうとした男の手が、ヒョイとよけられて空を彷徨い、勢い余ってロビーの床に転がっていく。
「だっさ……」
月子がゴミを見る目で見下ろすと、男の顔が真っ赤に染まって勢いよく立ち上がると拳を振り上げる。
「このガキが……!」
月子がそれに何かをする前に恵瑠が前に出て、男の拳を真正面から受け止めると、そのまま腕を掴み地面へと引き倒す。
「ぐえっ!?」
「何なんですか、この人。覚醒者相手に殴りかかってくるとか……正気とは思えないんですけど」
「マジでそれよね。何なの、勝てる可能性がどっかに落ちてたの?」
完全に呆れている恵瑠と月子だが、それはイナリも同じであった。ハッキリ言うと、最近出会わなくなったタイプのダメさだ。まあ、千差万別というように人間が1000人いれば1000のタイプがあるわけで、こうした人間がいたところで不思議ではないのだけれども。
それでも、そもそもの問題として誰かを迎え入れる態度ではない。紫苑が此処の社長の娘だというのであれば尚更だ。
「さて、どうしたものかのう」
イナリが本気で紫苑を連れて帰ることを考え始めていると「何をやっている!」という怒声が聞こえてくる。ツカツカと奥から歩いてくる男は黒髪を短く切り揃え、如何にも高そうなスーツや時計を身に着けているが、その目つきの悪さはどうしようもない傲慢さからくるそれだ。
勿論、初対面で人をどうこう言うのは悪しきことではあるけども。それでもここまで分かりやすいのは、そうはないだろう。実際、近づいてきた男の次の言葉は……言葉ですらなく、舌打ちであったからだ。
「チッ……なんだ紫苑か。そういや呼ぶって言ってたな」
そう吐き捨てると、男はイナリたちを見ると顎で外を指してみせる。
「ご友人方は、さっさとお帰りいただけませんかね?」
「いい加減繰り返しの話も疲れるのう」
イナリは深々と溜息をつくと、男の前へと進み出る。その顔には、イナリには本当に珍しい不機嫌の色がにじみ出ている。
「儂らを同席させんというのであれば紫苑と帰るし、この話は間に覚醒者協会を通すことになるでの。それでも帰れと言うかの?」
「お前にそんな権限が」
「昨日のうちに連絡してのう。本部長から許諾を貰っておる」
覚醒者協会日本本部長。その名前の重みは一般人であっても余程の世間知らずでなければ知っている。当然この男も知っていたようで「う」だの「ぐ」だのと声にならない声をあげていた。
「さあ、話をする気になったなら自己紹介しようではないか。儂は狐神イナリじゃ」
「……鈴野裕樹。この会社の専務だ」
「うむ。では案内してくれるかの?」
「……っ、こっちだ。おい、入館証! さっさと出せ!」
受付に向かって怒鳴りつける裕樹を見てイナリはますます視線を冷たくしていたが……評価がゼロからマイナスに下がっていく勢いが止まらない。
そうして4階の社長室に入ると、その中にいた人々の視線が突き刺さる。
「おい裕樹。なんで紫苑以外を連れてきたんだ」
「そうよ。お帰り願うように伝えてあったのに」
「仕方ないだろ。帰すと覚醒者協会が出てくる」
その言葉に恐らくは紫苑の父であろう男が舌打ちするが、どうにも息子と似過ぎている。母も……残念ながら同じ部類だろうか?
「まあ、いい。紫苑、座りなさい。ご友人の皆様も」
「そんなつもりはない」
紫苑はそう言うと部屋の中央へと進み、机の上に置いてある何かのファイルをぺらっと開く。何やら男の写真や経歴が記載されているそれはどうやら見合い用の釣書であるようで、それを紫苑は冷たい表情で机にポイと投げる。
「何かと思えばこんな話。愛想が尽きる」
「親に向かってなんてことを……!」
「覚醒者なんて危険な仕事、そう長続きするものでもないでしょう!? そろそろ現実を見るべきよ!」
「イナリ」
「うむ」
「ボク、帰る」
「そうしよう」
予想以上に話にならない。月子も恵瑠もこんな状況では同じ感想であり、何らかの交渉をする気にもならなかった。呼び止める声を無視してイナリたちが部屋を出て、ビルと敷地を出ると……そこには覚醒者仕様の車と、その前に1人の男が立っていた。胸元から下がっている覚醒者カードは協会の人間であることを示しているが、男はイナリたちを見ると軽く頭を下げる。
「初めまして。覚醒者協会奈良支部の江藤です」
「狐神イナリじゃ。それで何用かの?」
「お迎えに参りました。どうぞお乗りください。支部までお連れします」
イナリはその言葉に「ふむ」と呟くと、その場で安野に電話する。
『はい、安野です。どうされました?』
「今目の前に奈良支部の江藤という男が居るんじゃが、何か手配したのかの?」
『サポートするようには伝えました。ちょっと替わっていただけますか?』
言われてイナリが覚醒フォンを江藤に渡せば、すぐに江藤の顔が真っ青になる。ペコペコしている江藤と安野の会話はイナリには当然のように聞こえているが、どうにも「もっと明確に怪しまれないように伝えろ」といったようなことを安野に言われているようだった。
そうして電話が終わると、江藤はまだ青い顔で再度自己紹介を始める。
「失礼しました。本部の安野より支援要請を受けて参りました。事情は伺っておりますので、まずは支部にておもてなしをさせていただけませんでしょうか?」
「うむ、疑って済まんが……今日はどうにも信じられんことの連続での。許してほしいのじゃ」
「いいえ、私も悪い部分が多々ございました」
そうして車に乗って奈良支部に移動する最中、江藤は「地球防衛隊をご存じですか」と切り出してくる。
「うむ、知っとるよ」
日本支部に突っ込んだのはイナリだし、そこの支部長と戦ったのもイナリだ。
非覚醒者で構成される反覚醒者団体であり、その背後に「神のごときもの」がいたことはすでに覚醒者協会内では秘匿事項となっているが……とにかく覚醒者を嫌う世界的団体の名前である。
「奈良では最近、彼らの活動が活発になって来ておりまして。実のところ今回の件、彼らが関わっているのではないかという……そんな疑いが浮上しています」
「あちゃー……」
月子もそれで理解したのか、なんとも嫌そうな表情になったが……イナリも紫苑も、恵瑠も同様である。何を言いたいのか、分かってしまったのだ。
「……ボクの親の会社が、染まってる?」
「可能性の段階です。今のご時世、自分がそうであると宣言するのは余程の過激派だけですから」
それでも行動を実際に起こすまでは野放しにされているのが現状だ。特に日本支部が壊滅状態にある今、日本における地球防衛隊の活動の影響は然程でもないと非覚醒者社会では見做す者も多い。
「ただ、覚醒者協会としては鈴野さんのご家族の状況を憂慮しています」
「まあ、そうでしょうね。しかしそうなると、あの見合い写真はなんだったのかしら」
「それは……分かりませんが、鈴野さんを情で縛ろうとした可能性……とか……ですかね?」
言っていてピンとこなかったのか、江藤の声は尻すぼみになっていく。いくが、更に言いにくそうに「あー……」と声をあげる。
「その、協会の判断としてはお帰り頂きまして、今後のご家族からの連絡はシャットアウトするという方針をお勧めしたいのですが……」
そう、それは正しい判断だろう。しかし、どうにも江藤は言いたいことがあるようだった。
「その、ご迷惑は重々承知で申し上げるのですが……2、3日ほど奈良にご滞在いただくことは可能でしょうか?」





