お狐様、おでかけの予定が決まる
新章開始です!
「……両親に会ってほしい」
紫苑の言葉にイナリが「ほう」と声をあげ、月子が煎餅をポロリと机に落とす。
そろそろ秋になろうかという日和、イナリの屋敷の庭でも紅葉が始まり、散らばった葉をエリが掃き集めている。イナリの屋敷は覚醒者協会の契約した清掃業者がちゃんと入っているのだが、色々と事情もあり、こうしてエリがやっていることがある……さておいて。
「いやいやいや、いきなり何がどうなってそういう話になるのよ」
月子が煎餅を手元の小皿に置きながらイナリの巫女服の裾をぎゅっと掴めば、アツアゲが真似して月子の服の裾をぎゅっと掴む。どうしてかは分からない。面白そうに見えたのだろうか?
「……アンタは真似しなくていいんだけど」
アツアゲも面白くなかったらしく月子の服の裾を離して何処かに歩いていくが、月子が紫苑に向きなおればイナリも思い出すように「ふーむ」と呟く。
「そういえば紫苑からご両親の話を詳しく聞いたことはなかったが……何かあったかの?」
「ん。両親はボクが覚醒者やってるのを反対してる」
そう、紫苑は今一人暮らしだが、それは水中能力者として覚醒してすぐに両親と喧嘩して家を飛び出したからだ。ちなみに最近は駒込に越して来たらしいが、それはさておいて。
とにかく覚醒者となった以上は日本の各種の法律に縛られることもなく、戸籍も覚醒者協会という何よりも力を持つ組織に認定される。まあ、それは必ずしも家族の断絶を意味はしないし、制度的にも覚醒者のほうがお得である……が、紫苑の場合は家を飛び出し覚醒者協会の庇護下でやっていくことを選んだわけだ。
まあ、結果から言えば日本のトップランカーの一角となった紫苑は自分の絶対的な正しさを証明したわけだが、正しいから全ての人間が認めるかといえば話は別だ。たとえ紫苑が日本の海の平和をその一手で守る欠かせない存在であろうとも、両親は「危ないから」という理由でそれを認めていないのだ。
「ああ、よくある話ね。私も両親とは縁切ってるし」
「うーむ……いやまあ、儂がどうこういう話ではないんじゃろうが……」
「よくある話よ。覚醒者は人間じゃないとかいう連中もいるし」
「そんなのもいたのう……」
地球防衛隊。覚醒者という存在は人類を退化させようとするオカルトな陰謀の産物であり、正しき科学の叡智で世界を照らすべきだと……まあ、そんなことを言う連中であるが、以前イナリを狙ってきたことがあった。まあ、叩いてみれば「神のごときもの」が関わっていた事件ではあったのだが、どうにも日本支部は再度何処かに出来上がって活動を再開しているらしい。
「で? アンタはどういう風に反対されてるのよ」
「最初は死ぬからやめろって言ってた。今は家族に迷惑をかけてまでやる仕事かって言われてる」
「はあ? どういうこと?」
「ボクが有名になり過ぎたから、つながりを求めて色々来る。でもすぐに察して去っていく。不仲だと噂になると、まあ色々ある」
地元で商社をやっている紫苑の家族だが、紫苑の実家ということで色々と来るらしい。らしいが、紫苑は今は戸籍が覚醒者……つまり日本国籍とは「別」になっており、戸籍上では他人になっていて具体的には紫苑に対する何らかの権利主張は不能な状態になっている。勿論その逆もまた然りであり覚醒者保護のための仕組みが見事機能した一例と言えるが、その辺りをグレーにせずにスッパリと断ち切った例はそれなりに多い。
とにかく、紫苑の家族だからといって紫苑に関する諸々をやることはできないという話だ。
「で、簡単に言うと不仲説が広がり過ぎてこっちにまで実害出てる」
「あー……そういうことね」
月子が苦々しい顔で頷いているが、イナリは何も分からない顔をしている。そもそも、有名人スキャンダルがどうとかいう話に全く興味がないのでその辺のロジックが理解できないのである。月子もそれを察してどう説明したものかと迷う様子を見せる。
「えーと……そうね。つまり、どちらにも原因があるとか歩み寄る姿勢を見せないのかとか、そういう話が出るわけよ」
「なるほどのう」
家族の問題と片付けるには紫苑が有名過ぎるのだろう。まあ覚醒者協会がそういった声を考慮することは一切ないが、この問題を論ずる個人の感情がどうかという話は別だ。そういったものが紫苑の耳に届く程度には騒がしくなっているということなのだ。
「だから、ここら辺で話をしに行く必要がある。そこについてきてほしい」
「構わんよ。しかし、儂が役に立てるかのう?」
「イナリは今、すごく有名。だからいることで助かる」
「うむ。では一緒に行くとしようかの」
「ありがと」
その話を聞いていた月子は少し考えるような様子を見せて、やがて「うん」と何かを心に決めたように頷く。
「私も行ってもいいわよ」
「ありがとう。でも無理しなくていい」
「私も行くわ」
「うん、ありがと」
紫苑が了承したのを見ながらイナリが「仲が良いのう」とニコニコしているが、実のところ月子が行くということは護衛がつくということであり、覚醒者協会の全面バックアップが約束されるという話でもある。そういう意味では月子の提案は本当に紫苑の役に立つ話ではあるのだ。
「というわけで、護衛がつくことになるけど。誰にする? 協会に任せてもいいけど、知り合いの方が安心できるんじゃない?」
「そうじゃのう」
「どうしようか」
いつものメンバーを思い浮かべ、庭のエリを見る。いつの間にかアツアゲがエリの肩に乗っているがさておいて、あらゆる面で安定した役割を期待できる人物でもある。
他でいえば恵瑠、ヒカル、タケル……といったところだが、男手が欲しければタケルでもいいだろう。
9大クランの一角である武本武士団のマスターの義子である恵瑠はその背景だけで言葉に説得力があるだろうし、テレビで有名なヒカルも同様だ。
とはいえ、誰を連れていくのが正解なのか? 全員というのは少々問題があるし、誰か1人がいいのは間違いない。
あるいは、覚醒者協会から安野を連れていくというのもアリだろうか。協会の立場から色々と話せることもあるだろう。
「ふーむ……恵瑠が良かろうのう」
「理由聞いてもいい?」
「うむ。なんというか……一番穏やかな空気を纏っておるからのう。あまり威圧感があるのも問題じゃろうて」
そういう意味ではエリでもいいのだが、メイドをこよなく愛するエリはちょっとばかり親御さんへの説得要員としては不適切なので仕方ない。
「まあ、恵瑠本人に聞いてみてからじゃが……紫苑はどう思うかの?」
「ん、いいと思う。ただ、事前の打ち合わせは大事」
「そうじゃの。どれ、では早速……」
イナリは覚醒フォンを取り出すと、恵瑠に向けてメッセージを送り始める。
【いなり:ひとつ頼みがあるのじゃが】
【恵瑠:なんでも仰ってください】
メッセージを送ってから3秒もたたないうちに返ってきた返事にイナリは「おお……」と驚くが、「大丈夫そうじゃ」と紫苑に答える。
【いなり:実は紫苑の親御さんにご挨拶にいくことになっての】
【恵瑠:今行きます】
首を傾げるイナリに、横で画面を覗いた月子が「あー……」と察したように呟くが、それから10分もたたないうちに中庭を走る恵瑠が丁寧に玄関から入り、そのまま居間へと飛び込んでくる。
「お邪魔します! それで一から全部説明してください! 一からです!」
「う、うむ。実は紫苑に親御さんに会ってほしいと」
「ん、頼んだ」
「月子さん!?」
「不仲の仲裁よ、落ち着きなさいよ」
「不仲……」
その言葉を反芻すると、恵瑠はイナリの隣にすとんと腰を下ろす。月子とは反対側だ。
「詳しくお話を聞かせてください。私とて長く父と不仲だった身です。何処までお役に立てるものか分かりませんので」
「ん」
そうして紫苑が改めて説明していくと、恵瑠の表情は少しずつ曇っていく。それは無理だと考えているというよりは、何かを理解したかのような、そんな表情であった。
「そ、うですか……事情は理解できました」
「どうかの、恵瑠?」
「正直分かりません。言葉が重要ではないときもありますから」
言葉ではそれらしきことを言っていても、内心では違う場合もある。偽善、偽悪、恋や愛、その他の感情や都合に絡む諸々……人はしばしば、自分の気持ちとは違うことを口にするからだ。
「紫苑さん。紫苑さんはどうお考えですか?」
「私は覚醒者としてやってきてよかったと思ってる。でも理解してもらえない。それだけ」
「……分かりました。イナリさんに同行をお願いされていたのは、何か解決の方策がそこにあったということですよね? まずはそれを聞かせてください」
「イナリという親友がいる。何よりも幸せな証拠。納得せざるを得ない」
確かに一生の友は得難い財産とはいう。いうが……それが覚醒者という生き方に反対する両親への説得材料になるかというと……少々、難しい気が恵瑠にはする。するのだが、紫苑の目には「完璧」と書いてあるようにすら見える。
「えーっと……はい。その。分かりました。私が色々とフォローしますので、そうしたら紫苑さんは否定せず頷いていただければ大丈夫だと思います」
「分かった」
「流石じゃのう、恵瑠。もう方策が見えたのかえ」
「はい、少なくとも理屈であればどうにかする自信はあります」
「うむうむ」
本気で感心したように頷いているイナリを横目に、月子が軽く咳払いする。
「どうにもならなかったら、私もフォローするわ。そこは安心していいわよ」
「よし、では決まりじゃな。ところで……実家の場所は何処なんじゃ?」
「奈良」
「おお、有名な場所じゃな」
とはいえ、また東京からはそれなりに離れることになる。ならば安野に一報入れていこうと電話をすれば、なんとも気楽そうな安野の声が聞こえてくる。
『あ、おつかれさまです狐神さん! どうされました?』
「すまんが儂、奈良に行くことが決まってのう。詳しい日程はまた後日伝えるが、まあそんな感じじゃ」
『分かりました。現地にも連絡しますので、決まり次第教えてくださいね!』
安野もすっかり慣れたものだが、出会った頃のワタワタとした感じよりは余程頼りになる。最近お給料もちょっと上がったらしいので、それも影響しているのだろうか?
「それで、いつにするかのう?」
「ちょっと待って」
紫苑が覚醒フォンで何処かにメッセージを送るとすぐに返事が来たらしく、物凄く嫌そうな顔をする。
「明日行こう。なんか話をしたいから明後日には戻って来てくれって言ってるし」
「急じゃのう」
「ボクもそう思う」
互いに都合もあるだろうに、そんな急に呼び戻して何があるというのか? そこがイナリとしては謎だが、まあ行ってみれば分かるだろう。安野に早速連絡すると「ホテル手配しときますね」となんとも頼りになる言葉が返ってくるが、どうにもイナリに使うための予算が覚醒者協会側で確保されているらしい。さておいて、そうなると色々と準備が必要になってくる。
庭に視線を向ければ、そこにはエリはもう居ない。別のところに行ったのだろう。
「おーい、エリや」
「それで来たら怖すぎるでしょ」
「お呼びに従いエリ参上! どうされましたかイナリさん!」
「うわ来た。なんで?」
「メイドイヤーは聞こえる範囲の音はだいたい拾えるのです!」
「……つまり近くにいたのね?」
「はい、そろそろ新しいお茶をと思いまして」
その言葉に恵瑠はハッとしたような表情になるが、やがて「失念していました……」と諦める。何故ならエリの手にはすでにお茶の乗せられたお盆があったからだ。
「それで、何かご用でしたか?」
「うむ。明日からちと事情で奈良に行くでの。アツアゲは連れていくが、留守をお願いしたくての」
「承りました! 一応3日程度であれば平気ですが、予定が伸びるようであれば他のメイド隊の面々に協力要請しても構いませんか?」
「勿論じゃよ。前回同様に契約金は払うでの」
元々イナリの家にはよく出入りして家事をしているエリではあるが、家の主であるイナリが数日居ない時には使用人被服工房を通じて家の管理の委託をお願いしていることもある。なお、エリの発案でありエリが居ない時にはメイド隊の面々で取り合いになる。なお執事はダメらしい。エリがダメと言うからダメらしい。さておいて。
「そうなりますと、イナリさんのお荷物は問題ありませんが……紫苑さんたちは準備する必要があるのでは?」
「ん、一旦戻る」
「私も今持ってきてる荷物じゃ足りないわね……すぐに戻るわ」
月子は元々護衛がいるので、そのまま護衛と共に、紫苑はソロなのでパタパタと屋敷を出ていくが、それを見送るとエリはちらりと恵瑠に視線を向ける。
「恵瑠さんはよろしいんですか?」
「そうですね。父にいったん事情を話してから準備しようと思うのですが、今日は此処に泊っても構いませんか?」
「うむ、ええよ」
「ありがとうございます! ではすぐに!」
立ち上がると恵瑠も走っていくが、それをやってきたアツアゲが「なんだあいつ」とでも言いたげな視線で見送る。
「みんな元気じゃのう、良いことじゃ」
「皆さん、イナリさんのこと大好きですからねー。私もですけど」
「ほっほっほ。それは嬉しいのう。ほれ、エリも座ってお茶を飲むとええ」
「では遠慮なく」
そうしてイナリとエリとアツアゲだけになった居間はなんとも静かで、庭を眺めていると……なんだか妙に大きな、具体的には30センチくらいのトンボがつい、と飛来する。
「やけに大きなトンボじゃのう……なんじゃあれ」
「あー、オウサマトンボですね。もうそんな季節になったんですね」
ザンザンゼミ同様に世界が変化した後に現れた種だろうか。全身金色でキラキラしたトンボは、やがてまた何処かへ飛んでいく。しかし、それにしても大きい。大きすぎる。
「あの図体で、食事は大丈夫なんじゃろか……」
「カメムシとかの害虫を好んで捕まえるらしいですよ。あれも結構たくさんいるのでオウサマトンボは人気らしいです」
「色々いるんじゃなあ」
トンボの話には興味が無かったのかアツアゲがテレビをつけるが、そうすると沖縄特集をやっていて何処かで見た真っ赤なヒーローがインタビューに答えていた。
「あ、レッドシーサーですね。イナリさん会ったんですよね?」
「うむ、元気な若者じゃったよ」
沖縄でも色々とあったが、奈良ではどうなるか。それはまだ分からない。しかし、イナリとしては無事に終わることを祈るばかりであった。





