お狐様、誘う
翌日。お土産を持ってイナリの屋敷にやってきたタケルが玄関で見たのは、緑色のジャージ上下を着込んだソフィーであった。
「えっ……タケルさんっていうのは男の方でしたか……?」
「あ、はい。初めまして……えっと、イナリさんの知り合いですか?」
「はい、まあ……ソフィー・ダールです。どうぞよろしく……」
「大和タケルです。よろしくお願いします」
どういう経緯でソフィーが玄関に出てきたのかタケルにはサッパリ分からないのだが、ソフィーとしては「タケルなんて名前でも、どうせ女の子だしイナリは料理中だしまあ、いっかー」といった感じであった。
そしてイナリとしても、その辺の機微はあんまり理解できない……というかタケルはタケルなので、何も気にしていない。そんなコンボが決まった結果の出来事ではあるのだが、ソフィーとしては「どうして……」といった気持ちである。
しかも今のソフィーのジャージはともかく、中に着ているTシャツが「英雄」とド派手な文字で描かれたやつである。少なくとも初対面の相手の前で着ているような代物ではない。
しかも、タケルが気をつかって動揺がほぼ一瞬で収まり普通のスマイルでソフィーを見ているのが更にキツい。辛い。
「……普段はこうじゃないんですよ」
「あ、はい」
フォローされても辛いだけと分かっているのかフォローはなかったが、どのみちソフィーにとっては辛い。さておいて。
「おお、タケル。よう来たのう」
そこにパタパタと早歩きでやってくるのはイナリだが、いつもの巫女服にお玉を持っている姿はなんとも言い難い……いや、似合っている。似合っているのだが、本来巫女服とお玉という組み合わせはそんなに正しくないはずなのだが……イナリはいつも「こう」なのでそれが普通に見えてくるという、常識が地味に破壊されていく姿である。
「料理中だったか。ごめん、そんなときに」
「いやいや、ええんじゃよ。昼時に来いと言ったのは儂じゃしのう」
ニコニコと微笑みながら、イナリはお玉を手元で軽く動かしてみせる。
「丁度昼食が出来上がるところじゃが……もう食べてしまったかのう?」
「あ、いや。まだだけど」
「そうかそうか。それならよかった。ほれ、上がっていくとええ」
「なら……お邪魔します」
そう言いながらタケルは靴を脱いで上がり、揃えて……と、それを見ていたイナリはニッコリとタケルに微笑みを向ける。
「え? 何か俺……やっちゃった?」
「いやあ。タケルは良い子じゃと思うてのう」
スキップでもしそうな楽しげな歩き方で台所に戻っていくイナリにタケルが疑問符を浮かべていると、ソフィーがその横でこそっと囁く。
「えーとですね……色んな人をお家に迎えていると細かい所作からどんな人が見えてくるようになったとかなんとか……」
「あー、そういう……ちなみにダールさんは?」
「ソフィーでいいですよ。私は『ソフィーは元気じゃのう』って言われました」
なんとなくその時の状況が目に見えるようだったが……まあ、たぶん色々雑だったのだろう。イナリがそれで悪感情を抱くとも思えないので、本気でソフィーがワンパクに見えたのだろう、などとタケルは納得していた。
とにかく手伝うべく台所に行くと、そこには何とも和食らしい和食が用意されていた。
「おお、凄いな……」
丁度イナリが玉子焼きを切っているところだったが……鍋で煮えている味噌汁も、大皿に入ったおにぎりも……小皿に入っているお漬物も、どれも美味しそうだ。
「ふふん。どうじゃ? 儂も上達したものじゃろう」
「ああ、これは凄い……イナリさんって料理が上手だったんだな」
「そこまで言われるとちょっとほめ過ぎな気もするのじゃ」
「え、そうかな……」
「エリとかは凄まじいからのう」
「エリさんはちょっと……比較対象として適切じゃないと思う……」
和洋中を基本に知っているものなら大体作れると豪語するエリは以前月子にゴマ団子をリクエストされて完璧に応えていたりといったこともあったが……それはさておいて。少し遅れてやってきたソフィーと共に居間まで運んでいけば、やはり上座にゴッドキングダムの玩具が鎮座している。
「まだ座ってるんだなあ……」
「アツアゲのお気に入りじゃからのう」
よく見ればゴッドキングダムの近くでサーチタンクに乗ったアツアゲが移動しているが……それが月子が用意した「動力が何も入っていない玩具」であることはタケルも知っている。どうやらアツアゲと何らかのリンクをしたことで動くように……どういう理屈かはサッパリ分からないのだが、アツアゲの一部になったような扱いであるようだ。
(だが、そうなると……)
タケルの前に止まって「よう!」とでも言いたげに手をあげてくるアツアゲの前に膝をつくと、タケルはサーチタンクをじっと見つめ……次にゴッドキングダムに視線を向ける。
「なあ、アツアゲ。実は動かせるんじゃないか? アレ」
その言葉に、アツアゲは無言。しかしサーチタンクから降りると、ゴッドキングダムの手に触れる。
「ぬ? もしや……」
「え、まさか本当に?」
イナリとソフィーがそう呟く中で……ゴッドキングダムの手が動き、アツアゲを肩へと持ち上げる。
「うわ、動いた……何なんですか、積み木ゴーレムって」
「儂にも分からん……」
イナリも「もしかしたら」と思って中止はしていたのだが、いつもアツアゲが運んだり手作業でポーズを変えていたので「アレは無理なのかもしれんのう」などと思っていたのだ。いたのに……実は動かせる、となるとタケルに言われて初めてアツアゲがそれを披露したことになる。
「へー、やっぱり動かせるのか! 凄いなアツアゲ!」
ゴッドキングダムの肩の上でアツアゲが胸を張っているが……動かせるということはサーチタンク同様に合体できる可能性があるということでもあるのだ。そうなったアツアゲがどんな風になるのかは、イナリにも想像できはしない。
しかしまあ、すぐに「まあ、ええか」とイナリは状況に適応してしまう。考えていた可能性が現実になってしまっただけの話ではあるし、もしかするとゴッドキングダムと合体したアツアゲがアニメのゴッドキングダムの装備を使うのかもしれないが……それを喰らうのはモンスターなので別にいいか、と思ったのである。
「さ、食事にしようかの」
「え、アレ放置ですか!? あの玩具は私も存在だけは知ってますけど、何処まで現実に出来るんです!? ていうか何が出来るんですかあの玩具!」
「さあのう。きんぐだむかのん、とやらがあるのは知っとるが……あとほれ。きんぐだむそおど?」
「……もう考えるのやめます。いただきます」
いただきます、に合わせてゴッドキングダムの目がビキューン! と音をたてて輝いていたが……まあ、それだけなので平和な食事の時間が流れていく。
「出汁巻き玉子、でしたっけ? 美味しいですねコレ」
「エリに教わったからのう」
「あー、それで恵瑠さんが練習してたのか……」
数日前に恵瑠が玉子焼きを山のように作っていた謎が解けたタケルが納得したように頷いているが……タケルが想像しているように「仲良くエリに習って練習してた」といった話ではなく、エリの玉子焼きに負けたと思った恵瑠が猛特訓していたというのが真実であったりする。
「ところで、なんじゃがなソフィーや」
「はい、なんでしょう」
「実際に見てどう思うかえ?」
「え、何の話なんだ?」
「まあ、見た感じだけで納得出来るんですけども。一応、なんで彼なのか聞いてもいいです?」
タケルが疑問符を浮かべている中、イナリは「うむ」と頷いてみせる。
「なあに、簡単な話じゃよ。儂が知る中でタケルは一番平均的な感覚を持っておる。儂らだけでは気付かぬことにも気づいてくれるのではないかと思うてのう」
「むむ……」
言われてソフィーは以前会ったエリのことを思い出す。ハッキリ言うと、彼女は非常に出来るタイプだ。
なんでもそつなくこなせるから頼りになるが、メンタルがイナリと結構似通っている。それが「メイドらしさ」なのかイナリに影響されてなのかは不明だが、言ってみればイナリが違和感を抱かないものに対してエリがイナリ同様に違和感を抱かない可能性もある……つまり今回の東京第1ダンジョンのような「何かを感じる」ための話においてはエリの役割がイナリと被るという話でもあった。
「うーん……まあ、そうですね。何があるか分かりませんし、そういうのは助かるかもです」
「よし、では決まりじゃの!」
イナリが手を叩くと、タケルに振り向く。
「実はのう、タケルに1つ頼みがあるんじゃよ。勿論、無理なら断ってくれてええ話なんじゃが」
「いいよ。何すればいいんだ?」
「……まだ何も言うとらんが」
「なんだっていいさ。イナリさんの頼みを断る気はないよ」
本気の顔でそう言うタケルにイナリは「うーむ、有難いがのう」と呻く。
「無茶を言うかもしれんのじゃから、其処は聞いてからでもええんじゃないかの?」
「そうかもな。でも何を聞いても俺はやっぱり頷くと思うよ」
「東京第1だんじょんの最奥に行くことでも、かの?」
「勿論だ。攻略して来いと言うなら行ってくるよ」
何の迷いも無くそう言いきるタケルを見て、ソフィーが「うーむ」と唸ってしまう。
「何やったらそうなるんですか?」
「何と言われてものう……」
「うわっ、ちょっ」
―【都市を守護するもの】が手を出す気かと責めています―
―【燃え盛る鍛冶師】が貴方を睨みつけていますー
―【不屈の鍛冶師】が貴方をどんな目に遭わせてやりたいか並べ立てています―
―【炎を掲げるもの】が許されることではないと憤っています―
ソフィーの目の前に出てくるウインドウをバタバタと手を振って消しているのをイナリが疑問符を浮かべて見つめ、タケルが何かを察したような顔をしてみているが……ウインドウが全て消えると、ソフィーはタケルをじっと見つめる。
(これだけめんどくさそうな連中に好かれてるなんて……傾向からして正しい方向性での正義感があって、努力家で、それに根差した実力があり……火の扱いにも慣れている、ってとこですかね? うーん、それなら私も欲しいんですけども。ていうかあの方が欲しがりそう)
「大和さんでしたっけ? 私とも仲良くしましょうね」
―【武と暴風の英雄】が貴方に対する敵意を表明しましたー
―【都市を守護するもの】が武装を整えています―
―【炎を掲げるもの】が剣を強く握っています―
タケルに手を差し出そうとしたソフィーが顔をヒクつかせながらそっと手を引っ込めるのを見てタケルが「えーっと……もしかして『何か』ありました?」と遠回しに聞いてくるのをソフィーは「何もありませんよー」と誤魔化す。
(ええー? 本気と書いてマジのやつじゃないですか。仲良くしようって言っただけなのに。どんだけ目をかけてるんです? ていうか、それなら使徒契約持ちかけてますよね? え? まさか断られてるんですか?)
「そっか……プレイボーイなんですね……」
「違いますけど……」
「ぷれいぼういってなんじゃ? 野球用語かの?」
「判定次第って辺りでは野球用語にも似てますかね……」
たぶんプレイボールから連想したんだろうな、とソフィーは看破しつつもタケルに手を出すのはやめようと心に決めていた。たぶんこの状況でこっそり契約を持ちかけても断られるだろうし、後々とんでもないことになりそうだからだ。
これはソフィーの想像ではあるが、かなり本気のラブコールを送っている気がする。「ただ見かけたから」ではなく、あからさまにタケルを「見て」いる。たぶん互いに牽制もしているだろう。
そういうことをされている人間が素敵な結末を迎えた話はあまりソフィーは耳にしないが……まあ、イナリの庇護下でもあるので然程問題は無さそうでもある。というか、別に使徒になりそうにもないし然程親しくもないのであれば、「イナリの友人A」くらいの距離感なので結構ドライな気持ちである。
「それで、なんだけど。結局東京第1ダンジョンなのか?」
「うむ。その奥になんぞあるらしくてのう。タケルは敏い子でもあるしの。感じるものもあるかと思うたんじゃよ」
「出来る限り期待には応えるよ。で、いつ行くんだ?」
「明日じゃの」
「分かった。準備しとく」
ただそれだけの会話で全部決まり、食事を終えるとタケルはそのまま洗い物まで手伝って帰っていくが……ソフィーはそんな2人を見て考え込んでいた。
(あのめんどくさそうな連中が狐神さんに絡んだ様子はない……ということは、あっちの視点から見てると気付かない……狐耳の生えてる人間、みたいに見えるのはほぼ確定。私には気付いてるから、そこが私と狐神さんの差ってことですよね。そこだけが分からないんですよね……システムが何らかのフィルターをかけてるのは確実だと思うんですが、もっと何かありそうな気がする……)
それはもしかすると東京第1ダンジョンの最奥にあるという何かと関係しているのかもしれないと、ソフィーはそう思う。
「ねえ、狐神さん」
「ん? なんじゃ?」
「システムが神を創ろうとした形跡がある、ってあの無駄イケメンは言ってましたけど。実際のところ、どう考えてます?」
「んー? どうも思わんが。そもそもの話、この国は神産みの神話は語り切れんほどあるからのう」
「あー、そういうお国柄でしたね……」
その辺に文句をつける気はないが、文化の差というか神話の差というか。さておき、イナリがそうであれば冷静な視線については確保できそうだ、とソフィーはちょっとした達観の気持ちになる。
であれば、悩むのはこのくらいでいいだろうという気持ちになってくる。イナリは何も思っていないようだし、ソフィー1人で悩んでいてもどうしようもない。
「それにしても立派なお屋敷ですよね此処」
「うむ。色々あってのう。いつの間にかこんな感じになっとった……儂としては、最初の一軒家でもよかったんじゃが」
「その家を知らないんで何とも言えないんですが、たぶんダメだと思いますよ……」
イナリが最初に覚醒者協会から借りていた小さな一軒家。今イナリがそんな場所に住んでいたら各方面から苦情と引き抜き合戦が来ていただろうが……イナリからしてみれば「広いと友人を招けて嬉しいが、もう少しこじんまりしていてもいいんじゃがのう」的なことを考えていたりするので、その辺の感覚の差はどうにも埋まりそうにはないのである。





