タケルと最近の事情
イナリとヒカルが楽しくやっている、丁度その頃。覚醒者協会から要請された臨時ダンジョンの攻略を終えていたタケルは、ふうと息を吐いていた。
夏真っ盛りのこの時期は夕方になっても蒸し暑く、特に東京はその傾向が強いようにタケルは感じていた。
空気が湿っぽく、蒸し器の中に放り込まれたような暑さ。簡単に表現するのであれば、そんな感じだろう。
(なんだかんだ、草津は過ごしやすかったんだな……)
臨時ダンジョン消滅に伴う撤収準備を進めている覚醒者協会の面々を見ながらタケルはそんなことを考える。手伝おうかと聞いて「休んでいてください」と断られてしまっているので、ちょっとソワソワと……自分だけ休んでいるのが気になってしまう性格だからなのだが……とにかくソワソワとしながら、タケルは手の中の眼鏡に視線を向ける。
銀の報酬ボックスから出てきたものだが、勿論ただの眼鏡ではない。どうにも「暗視の眼鏡」と呼ばれるものであるらしく、ランタンやスキルの明かりの類が無くても暗闇を見通せるという力を持ったアーティファクトであるようだ。
丸いフレームのちょっとレトロなデザインの眼鏡は便利そうではあるが、タケルが使うかというと、かなり微妙なところではある。
「眼鏡、か……」
知り合いで使いそうな人がいるかタケルは考えてみるが……まず最初に思い浮かべたのはイナリだった。
(あの人はなあ……とりあえず貰ってはくれそうだけど、使うかどうかは……どうだろうな……)
かけてもくれるだろうし似合いそうだけれども、必要かどうかといわれると……微妙だろう。
次に思い浮かべたのはエリだ。エリは……どうだろうか。使う機会がありそうな気もするし、似合うのではないだろうか?
他の面々は……正直、あまり使っている場面を想像できない。
(でもなあ、エリさんはなあ……普段居るのって確か秋葉原の……あの店だろ? 男1人で行くのキツくないか……?)
使用人被服工房。店であり覚醒企業であり、クランでもある。そんな使用人被服工房を一言で言うのであれば「メイドと執事がいっぱいのお店」である。
自然と客層もそういうのに興味がある、むしろそういう格好で戦いたいといった面々であり……しかもよく売れている、人気店なのだ。
そういう場所に「貴方にプレゼントしたいんです」と眼鏡を持っていくのは、正直どうなのだろうか?
ハッキリ言うと、タケルはそれなりに顔が売れてしまっている。元3位で、今ランキングを再び駆けあがっているのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、そんな状況でそれはちょっと軽率に過ぎるだろう。
「……やめた。もう直接聞いてみよう」
あきらめ顔でそう呟くと、タケルは覚醒フォンのメッセージアプリを起動する。
【タケル:暗視の眼鏡っていうのを手に入れたけど、誰か使うか?】
【エリ:あ、聞いたことあります。イナリさんに似合いそうですよね】
【恵瑠:分かります】
【紫苑:そうなの?】
【月子:あの丸眼鏡でしょ? 確かに似合いそう】
【ヒカル:よく分からんのじゃ、だってさ】
【紫苑:どういうこと】
【紫苑:一緒にいるの?】
【ヒカル:風呂入ってる】
【月子:お風呂で電話触るのやめなさいよ】
【紫苑:ずるい】
【恵瑠:うらやましいです】
【ヒカル:別に一緒に入ってるわけじゃねえよ。風呂の外から聞いてるだけだし】
【月子:ていうかアンタ、気が付くと泊まりに行ってるわよね】
即座に違う方向にすっ飛んでいく会話を見ながら、タケルは色々と諦めた表情になる。
いつものことだが、たぶん眼鏡のことはもう全員の頭から吹っ飛んでいるだろう。
(……狐神さんでいいか。それが一番平和そうだ)
元々イナリ大好きグループだから当然の流れではあるのだが、こうも「イナリに」という流れで一致するのであれば、その流れに乗るのが一番いいだろう。
そう考えていると、タケルは誰かが自分に近づいてくることに気付く。
「あの……」
「ん? ああ、茅野さん。お疲れ様です……どうされました?」
覚醒者協会東京支部の即応課とかいう部署の人だったはずだ、とタケルは思い出す。この現場に引っ張り出されて、結構バタバタとしていたのが印象的だったが……黒のベリーショートに、何処となく猫を思わせるクリッとした黒目が印象的な女性だ。
何らかのモンスター素材であろう白い革の鎧がよく似合っていて、腰に提げた金属製の短杖が茅野が魔法系のジョブであることをよく示している。
全体的に言えば「活発で可愛らしい女性」というイメージになるのだろう、年齢的にも安野とそう変わらないようにタケルには見えたし、もしかすると同期かもしれない。
しかしタケルの反応が普通に、紳士に……悪い言い方をすれば淡白に見えてしまうのは、普段タケルのいるイナリグループとも言うべき面々が美少女揃いであるから……なのかもしれない。慣れというのは実に恐ろしいものである。
「大和さんもお疲れ様です。今日は本当に凄かったです」
「いえ、俺なんてたいしたことはないです」
「そんな……大和さんがたいしたことなかったら、世の中のほとんどの人がそうなっちゃいますよ!?」
「ハハ、ほめ過ぎですよ。実際、俺はまだまだなんです。もっと強い人を知ってますからね……傲慢にはなれそうにもない」
「謙虚なんですね」
「そうかな……」
自分が謙虚かどうか。それはタケルとしては、少しばかり疑問でもあった。こんなところに呼ばれて強者面で暴れて、天狗になっていないと言いきれるだろうか?
自分なら出来ると、そんな根拠のない自信がなかったとは言えないはずだ。
勿論、自信を持つこと自体は悪いことではないはずだ。それがなくては何1つ出来やしないのだから。
「そ、それで、ですね。もしこの今夜お暇でしたら皆で一緒に打ち上げとかいかがですか?」
「申し訳ないです。今日はちょっと寄るところがありまして……また誘ってください」
「あ、そうですか……」
残念そうに戻っていく茅野を見てタケルは「悪いことしたかな……」と頬を掻くが、相手の好意が分かるからこそ簡単にのってはいけないとも思っている。
勿論、簡単にのる人間も多いらしいが……そうありたくはないのだ。
「……そろそろ帰るか」
後日眼鏡を届けに行く、と。そんなメッセージをイナリに送って、タケルは歩きだす。
東京都練馬区。昔は遊園地があったらしいその場所は、今では大規模な公園になっているが……今日臨時ダンジョンが出来たのはまさにその場所であり、緊急封鎖を解いている最中のそこを歩きながら、タケルは自分の目の前に現れたウインドウを見る。
―【炎を掲げるもの】が貴方に使徒契約を持ちかけています!―
―【都市を守護するもの】が貴方に使徒契約を持ちかけています!―
―【荒ぶる狂乱と破壊】が貴方に使徒契約を持ちかけています!―
―【武と暴風の英雄】が貴方に使徒契約を持ちかけています!
―【勇敢なる戦士】が貴方に使徒契約を持ちかけています!―
「……そのつもりはないよ」
ウインドウを軽く掃うと残念そうに消えていくが、再び幾つかのウインドウがタケルの前に現れる。
―【武と暴風の英雄】は貴方に与えられる武具や能力の素晴らしさについて説いています―
―【炎を掲げるもの】は貴方こそが崇高なる意志を体現できるはずだと説得しています―
「今はそういうのに頼りたくはないんだ。どうか分かってほしい」
そんなタケルの言葉にウインドウは消えていくが……入れ替わりのようにまた別のウインドウが現れる。
―【都市を守護するもの】は、いつでも呼ぶようにと微笑みかけています―
「ありがとう。その気持ちは覚えておくよ」
―【勇敢なる戦士】が【都市を守護するもの】に1人だけ理解者ぶろうとするなと怒っています―
―【荒ぶる狂乱と破壊】は【都市を守護するもの】にお前はいつもそうだと責めています―
―【炎を掲げるもの】は貴方の真の理解者は自分だけだとアピールしています―
(……いや、ほんと困るな……)
近頃、タケルは「神のごときもの」たちからこうして多くのアピールを受けていた。流石に【終わり告げる炎剣】は接触してこないし、してきたとして再契約するつもりもないが……恐らくは、今のタケルを見て魅力的だと思われているのだろう。
しかしまあ……今のタケルは自分自身の過去と、過ちと……そして、イナリによる救いによって出来ているものだ。それが魅力的だというのであれば、それはイナリが受けるべきだろうと思っているので、タケルは驕るつもりは微塵もない。
「ん?」
【イナリ:いつでも来るとええ。今夜でもええからの】
「ははっ、本当にあの人は……」
自分を子どもか何かのように……いや、恐らくはいつものメンバーもそうなのだろうが、子どものように可愛がっているのがよく分かる。しかし、誰もがそれを心地よいと思っているのだ。勿論、タケル自身を含めて……だ。
【タケル:なら明日の朝に行くよ】
【イナリ:ええよ。しかしタケルが使ったほうがええんでないかの?】
【タケル:俺は、使わないから】
そんな風にメッセージを終えると、タケルはバスに乗って巣鴨へと帰っていく。
なんだかんだと武本武士団の寮にお世話になっているままだが、居心地も良く出ようとすると周囲に引き留められるので出るタイミングをすっかり逃しているタケルだが、その理由としてはタケル自身が美形であることも起因するのだろう。
タケルを一言で表すと「良い人」なので好かれやすく、どうにも1人で放っておけない部分があるのだ。
実際今もバスの中で、タケルに気付いて囁き合っている人々の声が聞こえてくる。
「ねえ、あれって……」
「だよね!? 大和君だよね!?」
「本物凄い……!」
「サイン欲しいって言ったら、やっぱり迷惑だよね!?」
ヒソヒソと話しているようだが、覚醒者であるタケルの耳には勿論バッチリと聞こえている。まあ、確かに「覚醒者には平和を守る仕事があるので邪魔してはいけません」とは非覚醒者社会で習うことではあるし、小さな子どもたちはともかく大体の人はそれを意識して遠巻きにするようになる。なる、のだが。
「俺で良ければサインしますよ。ボールペンくらいしか持ってないですけども」
「キャー!」
「え、いいんですか!?」
いつも持ち歩いているか、使うような部活でもやっているのだろうか……サイン用のペンとノートを差し出してくる少女たちから受け取ると、タケルはサラサラとサインをしていく。前に覚醒者協会から頼まれてやったことがあるので、これが初めての経験でもない。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
「……っ、嬉しい……!」
「そんなに喜んでもらえると……なんか照れますね」
声も無くフラフラと自分の座席に戻っていく少女たちに苦笑しながら、タケルは恵瑠からのメッセージが届いていることに気付く。
【恵瑠:今日の夕飯はどうされますか?】
【タケル:残ってるなら頂きます】
【恵瑠:ちゃんと取ってありますから、安心してくださいね】
「ほんっと……善意に生かされてるな」
思わずそう呟いてしまうのも仕方のないことだろう。今のタケルの周囲は、多くの善意で溢れている。それは非常に嬉しいことではあるのだが、同時に申し訳ないな、とも思ってしまう。自分がその善意に対して何か返せているか分からないからだ。
とはいえ、何か返すにしても……どう返すかは悩み物だ。贈り物で返せるのであれば幾らでも贈るのだが、それで喜ぶような……まあ喜んではくれるだろうが、それを望んでいるような面子でもない。
悩みながら巣鴨で降りれば、やはり観光客の一部がタケルに気付いてザワついているのが分かる。
「大和タケルだ……!」
「やっぱ雰囲気あるよなあ」
最近駒込に宿泊施設が整備されたため、かなり遅い時間でも観光客が巣鴨を歩くようになったが……その中には覚醒者事情に詳しい者も当然ながらいる。
その中にはタケルについて知っている者もいて、まあちょっとした……いや、かなりのアイドル扱いになるわけである。
だからタケルは適当に手を振りながらもその間を通り過ぎ、武本武士団の本部へと入っていく。
「あ、大和さんお帰りなさい!」
「今日はどうでした?」
「皆さんもおつかれさまです。仕事も無事に終わりました」
声をかけてくるクランメンバーたちと挨拶しながらタケルは屋敷の中に入っていくが、基本的に武本武士団本部のような巨大クランの本部であれば24時間誰かしらが動いていることが多い。勿論、基本的には寝ているのだが……何があるか分からないため、交代で電話番や見張り番などをしているのだ。
勿論、そうした仕事は結構な手当が出るため、自分で中々稼げないクランメンバー間で取り合いになっているのだが、そこはさておいて。
「おお、タケル。戻ったか」
「秀秋さん……玄関で何してらっしゃるんです?」
「なあに、お主が戻ってくると恵瑠から聞いたからのう!」
ワハハ、と笑う気のいい老人といった風体の男こそが武本武士団のクランマスターであったりするわけだが……沖縄での事件以来、どうにも予想以上にタケルは気に入られたようで、こうして家族のように接してくるのだ。まあ、それも決して悪い気分ではないのだが。
「夕飯がまだなんじゃろ? 恵瑠が用意してくれとるからの、ほれ!」
「どうしたんですか秀秋さん、今日はやけに上機嫌じゃないですか」
「そりゃあ上機嫌にもなろうよ! 今日テレビに出とったの知らんのか?」
「え? 知らないんですけど」
「そう思っての。録画しといたから見るといい」
「あー、ちょっとお父様!? またタケルさんに絡んで……!」
そこに恵瑠がパタパタと走ってくるが、それも武本は「すまんすまん」と豪快に笑いながら謝っていた。武本のことを「秀秋さん」と呼ぶようになったのも沖縄後の話だが……他にそう呼んでいる者はいないので、相当距離を縮めたのだということがタケルにも嫌でも理解できる。
さておき、そのテレビの放送内容だが……ほぼ一瞬だが、覚醒フォンの画面を見ながら物凄く柔和な表情で微笑むタケルが映っていたのだ。
タケル自身、そんな表情をしているとは思わなかった。思わなかった、のだが。
「あそこにテレビがいたのも驚きですけど……いや、居たかなあ?」
「いや、アレ自体は協会が広報用に出した記録映像じゃの。ほれ、隅に書いとる」
「あ、ほんとですね」
さておき、こんなのは映っているかいないかというレベルの話であるはずだが、武本が何がそんなに嬉しいのかタケルは分からない。分からないが……恵瑠がなんとも言いにくそうに「あー……」と声をあげる。
「そのですね。この一瞬の映像がネットで大人気だそうでして。あの笑顔を向けられたいとかなんとか……取材要請もたくさんでして」
「そういうことかあ……」
クランのイメージも上がる話だ。地域貢献を自ら音頭をとってやっている武本としても嬉しい話だろう。
「いやはや、タケルがこれだけ好かれているのがなんだか我が事のように嬉しくてな!」
「それは……なんていうか、どうも」
そっちだったか、と。タケルは途端に照れ臭くなってしまう。
とにかく……タケルはそうして今日も武本武士団で、本人が思うよりもずっと、ずっと上手く過ごしていたのだった。
今回はタケル回でした。





