お狐様、デンマーク本部長に会う
ミケルの日本到着の翌日。覚醒者協会日本本部の全面サポートの下にイナリとミケルの青森での会談は実現していた。この超スピードでの会談実現は、ミケルという男の世界的な影響力が関係している。
覚醒者協会デンマーク本部の本部長、ミケル・ニールセン。その名前はデンマークだけでなく日本でも良く知られている。
何しろデンマークの英雄であり本部長という肩書もそうだが、その眩いほどのイケメンっぷりが有名過ぎるのだ。
どう見ても20代にしか見えないと有名なミケルはデンマークでは人気過ぎてカレンダーになっているほどであり、日本版もよく売れているという。
言ってみれば世界的なアイドル覚醒者。ミケルを一言で表すならばそういう言葉がピッタリだろう。
歩けば光が散る、とすら言われるミケルは最終防衛都市今別の会議室へとやってきていた。
日程完全非公開ということでマスコミをシャットアウトしきっているわけだが……イナリと机を挟んで向かい合うミケルの視線は、イナリから全く離れない。
ぶしつけ、と言われてもおかしくない程の「観察する」視線を、しかしイナリは真正面から受け止める。
涼しげな笑顔をお互いに浮かべ、しかし無言のその空間で……ただ1人同席を許されたソフィーは物凄く嫌そうな表情を浮かべている。
「あのー……そろそろ話を、ですね?」
「うむ、そうじゃの」
ソフィーの言葉に先に頷いたのは、やはりイナリであった。ソフィーとしてもそれを期待して話を振った部分はあるので、本当にホッとした顔をしているが……そんなイナリは、いつも通りに微笑みミケルへと話しかけていく。
「初めまして、じゃの。儂は狐神イナリじゃ。ソフィーからは儂に会いに来たと聞いとるが、どんな用件かのう?」
「ああ、初めまして。私はミケル・ニールセン。デンマークの覚醒者協会で本部長をやらせてもらっている」
特に何の特徴もない互いの挨拶。しかしそこで、ミケルがとんでもない発言をする。
「もう察しているとは思うが、私は『神のごときもの』だ。『虹の橋の番人』と呼ばれているがね」
「ふむ? それが本当の名前ではないのじゃろう?」
「勿論だ。しかしながら、システムとは本当に厄介でね。私たちの名乗りについては妨害されるように出来ている」
言いながらミケルは笑顔を消し、スッと目を細める。それはミケルの感じている不愉快さを、誤解無くイナリに伝えてくる。まあ、本当の名前を名乗れないともあれば当然ではあるだろうか?
「まあ、理解はできる。名前とはすなわち力でもある。まずそこを制限することで、この世界への影響を最小限としたのだろう」
「……よく分からんが」
「言葉に力があるように、名前にも力がある。そしてそれは世界を容易に変容し得る。急速で変化するこの世界に、それは毒になる。たとえば邪悪な意思を持つ『名前』は、この世界を一瞬で悪夢に染めるだろう」
たとえば、全ての水が毒に変わるかもしれない。たとえば、空気が人類には耐えられない組成に変わるかもしれない。たとえば、三次元世界から二次元世界や四次元世界に切り替わるかもしれない。たとえば、肉体という概念そのものが消え去るかもしれない。あるいは、全ての苦しみや悩みが消え去るかもしれない。
なんだって起こり得る。魔力を認識しない世界から魔力を認識する世界に切り替わったように、世界の法則なんてものはいつだってどのようにだって切り替わる。「何にだってなれる」という言葉は、人間にだけ許されたものではない。世界だって、何にでもなれる。その世界に暮らす住人がどうなるか分からないという注釈が付くというだけの話だ。
「システムを名乗るものは、いきなり世界の住人が全滅するような……そんな事態を防ぎ、世界の変化を安全に遂行するために存在するものだと私は認識している。そして恐らくはほぼ自動で動いているのだろう……だからこそ、私のような例外が存在する余地が生まれる」
「中々興味深い話ではあるがのう。それで、その例外たるお主は何がしたくてこの場におるんじゃ?」
「コガミイナリ。君を見極めに来た」
そう、ミケルはほぼその為だけに日本にやってきたといっていい。日本本部長に睨まれ嫌味を言われながらも日本に来てイナリに会いに来たのも、「見極めたい」という一心でだ。
「私が例外であれば、君は番外だ。恐らくはシステムが深く関わっている君を知ることで、システムが何を考えているか分かると思ってな」
「儂とてそんなものは知らんよ。あ奴は儂に度々『ダンジョンを壊すな』と言うてきよるがのう」
「壊せるのが驚きではあるがね。しかし、ふむ……どうやら私の考えは当たっていたようだ」
「納得するのはええがの。説明がないと何も分からんが」
「まあ、それは道理だ」
言いながら、ミケルはしかしどう説明したものか迷っているような表情を見せる。
「……これは可能性の話だが。システムは、神を創ろうとしていた可能性がある。恐らくはこの世界の絶対的な守護者としての……だがな。だが君の登場でそれは不要になったのだろう」
「また話が飛ぶのう。儂、ついていけんのじゃ」
「そうかもな。しかし、一目見れば分かる話だ」
「ふむ?」
「東京第1ダンジョン。その最奥に何がいるのか……是非見てくるといい。恐らくはデンマークに最初に現れたダンジョンと同じモノがいるはずだ」
そう言うと、ミケルは席から立ちあがる。もう話は終わりだと言わんばかりのその態度にソフィーは「えっ」と声をあげる。
「いいんですか? え、これで終わりです?」
「ああ、ひとまずはな」
「あんだけ関係各所に迷惑かけといて、思わせぶりなことだけ言って終わりですか? 正直私もあんまり分かってないんですが?」
「なら君も東京第1ダンジョンに行け。それで分かるはずだ」
「ゴチャゴチャ言わずに教えてくれればいいじゃないですか」
ソフィーがそうごねれば、ミケルは小さく溜息をつく。
「説明したくないんだ。しかし、見ればシステムが自分をそう称する意味も見えてくるはずだ」
「ふむ。何か嫌なモノがあるんじゃな?」
「恐らくは君にとってもそうだろう」
「ならば自分の目で確かめるとしよう」
イナリがミケルに頷けば、ミケルはソフィーに「君に足りないのはこういうところだ」などと言い放ち部屋の扉の前まで歩いていき……そこで振り返る。
「一応君にも伝えておこう。この世界での勢力争いはすでに激化しつつある……君もまた巻き込まれていくはずだ。そのとき、もし寄る辺が無いのであれば歓迎しよう」
「覚えておくとしようかの」
「そうしてくれたまえ」
その言葉を最後にミケルは出ていくが……その足音が遠ざかったのを確認すると、ソフィーは大きく溜息をつく。
「……いや、ほんとすみません。あの人顔しか取り柄がなくて……あ、目と耳もよかったっけ。やばっ」
聞こえているぞ、というメッセージが覚醒フォンに届いてソフィーが「ひゃー」と声を上げていたが……イナリとしては、ミケルにそこまでの悪印象はない。
イナリの見た限りではミケル・ニールセンという人物は超然としており、恐らくはその価値観の中で正しくあろうとしている。そういう意味では非常に真っ当だ。
「まあ、本当に儂を見にきただけのようじゃし……しかしまあ、お主といいミケルといい、『神のごときもの』も色々じゃのう。考えてみれば当然ではあるのじゃが……」
「あはは……」
青森含めこの世界に迷惑をかけているであろう同郷にはソフィーは心当たりは物凄くあるのだが……あえて言うことでもないので笑ってごまかす。
「それで? 本当に行くんですか東京第1ダンジョン」
「どうしようかのう」
ハッキリ言うと、イナリとしては世界の真実などというものには今更そこまで興味はない。
何があっても大丈夫なようにダンジョンに潜って力を蓄えてはいるが……ミケルと違ってシステムに対して含むものはないし、それはミケルの話を聞いた後でも変わらない。
「実を言うと、私は興味あるんですよね。一緒に行ってくれません?」
「ええよ」
「うわあ、返事速い。ありがとうございます」
「構わんよ」
興味は無くとも、頼まれれば行くのは別に嫌ではない。青森から帰ったら早速行こうかなどとイナリは考えていたが……ふと思いついて、システムへと呼びかけてみる。
「しすてむよ。お主、本当に神を創ろうなんぞと思うとったんかの?」
当然のように、そのイナリの質問に返答はない。質問権が残っていれば話は別だったのかもしれないが、使い方自体はイナリは全く後悔していない。あれはあのとき、使われるべきだった。たとえ世界が巻き戻ったとしても、イナリは同じことに質問権を使うだろう。
「……一応聞きますけど、システムから返答って」
「無いのう」
「ですよねー」
そんなミケルとの出会いを経た次の日。イナリはエリやソフィーと共に東京へ帰り、東京第1ダンジョンへと向かう準備を整えていた。幸いにも東京第1ダンジョンは今までクリアされたことのない超難関として知られており、腕試しやモンスター災害が起きない程度の討伐などでしか人の出入りがない場所だ。
他の人気ダンジョンと比べれば格段に予約しやすい場所であり、しかしソフィーも人間社会で暮らしている以上は色々と片さねばならない用事もあるということで、1週間後の予定となっていた。
では、その間どうするかというと……イナリの場合は友人とのまったりとした時間である。
「では、今日は肉じゃがを作るとしようかのう」
「なんだかんだとレパートリー増えてるよな、イナリ」
「うむ……エリがのう。教えてくれるんじゃよ」
「あの人、安野さんよりイナリのことサポートしてるんじゃね?」
完璧メイドと名高いエリは今日は千葉県のダンジョンの攻略に行っているそうだが……最近は「困ったらエリに聞いてみればいい」という風潮がイナリを中心としたグループ内では出来つつあるし、勝手知ったるといった風で棚からフライパンを取り出しているヒカルもそうであった。
「で、どうやって作るんだよ」
「そうじゃのう。まずはタマネギを食べやすく切っていくんじゃが」
イナリが洗って皮を剥いたタマネギをトントンと切り始めればヒカルは汁が目に入らないようにそっと離れるが……イナリは全く気にせずにそのまま切っていく。まあ、イナリは涙を流すとかいう機能は意図してやらない限りは作動しないのでタマネギの汁で泣くようなことはないのだが。
ニンジンもジャガイモも食べやすく切っていき、その間にヒカルは牛肉を冷蔵庫から取り出す。
相変わらずイナリは「美味そうじゃのう」が品物を選ぶ基準なのだが、駒込の肉屋は良心的価格でありヒカルの目から見ても非常に妥当な牛肉の薄切りである。さておいて、そんな牛肉を油を入れて炒めたら、タマネギとニンジンを合わせて炒め、最後にジャガイモを投入していく。
「さて、此処で醤油にみりん、酒に砂糖を加え……水で溶くように混ぜていき……」
「煮込んだら完成、だな。意外と簡単だよな」
「そうじゃのう。とはいえ、最初に肉じゃがを発明した者は凄いのう」
「なんかビーフシチュー作ろうとしてそうなったって話じゃなかったか?」
「ほー」
勿論そういう説がある、という話だが……ともかく、ご家庭の味として有名な肉じゃがには本当に色々なレシピがある。
たとえばさやいんげんを散らしたり、糸こんにゃくを入れてみたり。本当にご家庭によって様々だ。だからたとえば、これは狐神家の肉じゃがという話になるのだろうけども……まあ、その辺りはさておいて、やがてホクホクとジャガイモが仕上がれば肉じゃがの完成だ。
勿論、肉じゃが単体ではない。ふっくらと炊きあがったご飯こそがイナリにとっては本命であり、そこにふりかけは……あえて今回はかけない。
お盆にのせて、机まで運んで。手を合わせて「いただきます」をして口に運べば、しっかり煮込んだホクホクの野菜と牛肉の味が広がっていく。
「なんだろうな、この絶妙に甘めの汁が美味いよな」
「そうじゃのう」
そう、肉じゃがの美味しさはその汁に詰まっている。じっくり煮込んだ肉と野菜の旨味も溶けているのだから、美味しくないはずがない。
そして……そんな美味しい汁をご飯にかけたらどうなるのか? たっぷりの旨味の汁をご飯にかけて、お茶漬けのようにサラサラとかき込んだら、どのくらい美味しいのか? その答えは、本当に幸せそうなイナリの顔が示していた。
「はあ……美味いのう。実に美味いのじゃ」
「正直どうかと思ってたけど……確かにこれはイイな。うん、美味ぇ」
ただ汁が美味いだけではなく、残った野菜の欠片も一緒にかき込むのが本当に美味いのだ。汁をただ飲むよりもご飯にかけることで味が増しているように感じるのは、決して気のせいではないだろう。
勿論、これに関しては好みというものが出やすくはあるのだが……ご飯大好きイナリにとっては幸せの塊であるし、イナリのやることは比較的肯定しがちなヒカルが真似するのもまた必然であっただろう。
そんなことをやっているとアツアゲがやってきてテレビをつけ始める。この時間はアツアゲ好みの番組はやっていないので、適当にチャンネルを回しているだけだが……その中で、見覚えのある男の映像がニュースに映る。
―平日の昼間の池袋に突然現れたミケル・ニールセン氏に気付いたファンが黄色い悲鳴を……―
―はい、本当にかっこよかったです!―
どうやらミケルが池袋を歩いていたとか、そんな程度の話らしいのだが……本人の人気のせいでニュースになってしまっているようであった。とはいえ、ヒカルはニュースを見て首をかしげてしまっている。
「確かに顔は整ってるけどよ。そんな騒ぐようなものかあ?」
「どうかのう」
「だってほら、イナリだって別に興味ない顔してんじゃん」
イナリは余程のことをしない限りは相手を嫌わないので、いつもとても人当たりがよく見えるし実際その通りなのだが、だからこそスタートラインから抜け出すと反応が違うというのはいつもイナリと絡んでいる面々からするとよく分かるのだ。
「まあ、顔の造作など然程気にする話でもないからのう」
そう、イナリは外見などで人を判断したりはしない。大切なのは中身だと分かっているし、見た目が整っていてもどうしようもない中身を持つ人物というのはいるものだ。……とはいえ、だ。
「……イナリが言ってもそんなに説得力はねえよな」
とんでもない美少女のイナリに言われて納得する者がいるかどうかは、ちょっとヒカルには自信がなかったのである。





