お狐様、会議する
だからソフィーはイナリに「陸奥湾に行かないかえ?」と誘われて普通にギョッとしたし、それは陸奥湾に向かう高速搬送車の中でもそうであった。
今別町の最北端にある陸奥湾防衛基地へ向かい高速で走る車に揺られてなんとも微妙な顔をしているイナリに、ソフィーは1つ問いかけてみる。
「なんていうか、単純に疑問なんですが……」
「うむ?」
「陸奥湾の件、そんなにイナリさんに関係はないと思うんですが、どうして行こうと思ったんです?」
「ふむ……」
ソフィーの疑問にイナリはなんと答えたものか、少し考える。
これが人間相手なら「助けたいからじゃよ」の一言で済むが、ソフィーの場合はもう少し踏み込んだ答えが必要になる。
何故なら善意だとか人情だとか……そういうものがソフィーはあまり人間に寄り添わないタイプであるからだ。
そしてそれはソフィーに問題があるのではなく、文化の問題であるだろうということだ。
たとえば日本神話においても天津神と国津神ではそれなりに異なる部分があるが、国が変われば更に違っているのも当然というものだ。
だからどう説明するかを、イナリはしっかりと言葉にするべく考え……やがて頷く。
「そうじゃな。儂とて、むやみやたらに首を突っ込もうとは思っとらんよ」
「ですが、これは……いえ、否定するわけではないんです。人助けは良いものですしね」
「うむうむ。たとえば……そうじゃのう。儂は今青森におるが、九州で何かが起こったとして、今すぐ助けに行かねばと騒ぐのは、これはなんとも気の早い話じゃ」
「まあ……そうですね」
「助ける、手を貸す……良いことに聞こえるが、度が過ぎれば傲慢でもある。故に、儂は1つ決めておることがある」
そこでエリが理解したのか「ああ……」と小さく頷いているが、ソフィーには分からない。
「儂はな、請われたら基本的には断らないんじゃよ」
「あー……それは、なんとも……優しい、ですね」
文化の違い……というか神としての在り方の違いをソフィーはハッキリと感じ取る。これは日本の神がどうこうではなく、イナリが「そういう在り方」であるとしか言いようがない。
(うーん……やっぱりウチと結構相性悪いんでは……? まあ、でも……やりようはありますかね)
「理解しました。いえ、どんな関係も相互理解から始まりますからね。あんまり悪く思わないでいただけますと……」
「別に思わんよ。人が3人集まれば3つの考え方があるもんじゃろ」
実際イナリはソフィーには悪感情はない。違う価値観を持っている程度で嫌うはずもない。同じ価値観をあらゆる誰もが共有できると思うのは傲慢でしかない。
だから、そんな3人を乗せた車は陸奥湾防衛基地に到着して。そこにいた人物にソフィーは再びギョッとする。
「やっほー、イナリ」
「おお、紫苑。待たせたのう」
「待ってない。来てくれて助かる」
「いや、待ったじゃろ……」
「待ってない。実質ゼロ分」
そう、そこにいたのは日本におけるランキング3位、『潜水艦』鈴野紫苑である。
(うーわ、鈴野紫苑……!? あ、そっか。請われたら断らないってそういう……!)
イナリを「呼んだ」のが誰なのか今更ながらにソフィーは理解するが、そこは部屋が違うから電話がきたのも分からなかったという……まあ、そんな話であったりするし、イナリに「行こう」と言われて好感度アップを優先した結果たいして聞かなかったこと、加えて「イナリならそういうこともあるだろうな」と判断した……まあ、そんなトリプルコンボである。
「それで? 状況について教えてほしいんじゃが」
「ん、敵の第一陣はもうやっつけた」
「おお、そうじゃったか」
「でも、その先が問題」
そう、海から襲ってきたのはマーマンを中心とするごく一般的な水棲モンスターたちだった。
いつもとの違いは、その数が異常なほどに多かったこと。
そして……倒したモンスターたちはその全てが、鏡が砕け散るようにひび割れて消えていったということだ。
「何かがある。でも、その何かが分からない。こういうときは、普通じゃ理解できない何かがある」
「……うむ」
神のごときものが関わる事件ではないか。紫苑は暗にそう言っているのだとイナリは気付く。
確かに、神のごときもの……その使徒が授かった何かしらのスキルである可能性は高いだろう。
いったいどのようなスキルなのかはまだ何とも言えないし、今の段階では祢々切丸で犯人を探すことも出来ない。
受け手に回らざるを得ないのは歯がゆくはあるが、こればかりはどうしようもない。
「通常通りなら規模を増した第二陣が夜に来る」
しかし、第一陣がいつもよりも遥かに多かったのであれば第二陣もそうなるはずだ。神のごときものが関わっているのであれば、更に別の何かが仕込まれている可能性すらある。
「だから呼んだ。ボクだけじゃ、どうにも出来ないかもだから」
「うむ、任せよ。儂もおるし、エリも……ソフィーもおる」
「あー……ソフィー・ダールです。どうぞよろしく」
「……ん、鈴野紫苑。よろしく」
微妙に……というよりあからさまに態度も表情も違う紫苑にソフィーは思わず冷や汗を流す。嫌われるほど関わりはないはずだが……紫苑については情報が少なすぎて、ソフィーとしてもどうしようもない。
「あ、気にされなくて大丈夫ですよ。紫苑さんは大体こうなので」
「おお? 何をするんじゃ紫苑」
「ん」
紫苑がイナリを引っ張って後ろに隠れるのをエリがそう解説するがソフィーとしては「へ、へえ……そうなんですか」と答えるしかない。
「まあ、とにかく只事ではないようじゃの。解決できるとええんじゃが」
沖縄の大規模襲撃の件もある。油断することなど出来るはずもないが……イナリが行くと言って、現地の覚醒者協会が許可どころかイナリたちの乗る車まで出してくれた理由がその場の誰でも理解できてしまっていた。
「お話し中、失礼いたします。覚醒者協会青森支部陸奥湾防衛基地司令、岩田です」
「おお、此度はいきなりで迷惑をかけてすまんのう」
タイミングをはかるようにして声をかけてきた岩田司令にイナリが謝れば、岩田司令は「とんでもない」と首を横に振る。
司令、と如何にも軍属のような響きだが、この岩田という男は間違いなく覚醒者協会の所属であり、如何にも戦闘職といった姿であった。
年齢は30代後半から40代といったところだろうか、白髪が混じり始めた髪はオールバックに整えており、柔和な表情を浮かべた顔は精悍であり、服の上からでも分かるほどに筋肉があるのが分かる。
その服もモンスター素材で編んだと思われる明らかな戦闘用であり、腰に提げた剣は如何にも高そうだ。
全体的にいえば「叩き上げのベテラン」といった印象であり、この場所を任されている理由がよく分かる。そう、現場が分かるタイプの有能な指揮官、といったところだろうか?
「こちらこそ、高名な狐神さんたちに来て頂けるとは有難い話です。16時より作戦会議を行いますので、後程作戦室まで来て頂ければ幸いです」
「うむ、お邪魔でないとええんじゃが」
「いいえ、元より行動を縛ろうとは思っておりません。気軽に来て頂ければ」
では、と言って去っていく岩田を見送ると、イナリは「うーむ」と首をかしげてしまう。今の岩田の言葉に気になる部分があったのだ。
「自由に行動……という風に聞こえたが、それでええんかの」
「ん、いい。元々一定以上の力を持つ覚醒者は集団行動するメリットがあんまりない」
「あー、それは分かる気がします」
ソフィーが紫苑の言葉に頷いているが、実際強力な覚醒者は一騎当千の言葉通りに敵陣を蹂躙出来るスキルを持っていることが多く、その場合集団行動すると仲間を意識して動くことで広域スキルなどの使用を控え、結果として火力が下がる……だけでなく、せっかくの突出した能力を他に合わせることで活かせない、あるいは意味が無くなってしまうことが多い。
つまるところ、覚醒者社会は強くなればなるほど孤独だという現実、そして集団行動というものは一定範囲内の実力の平均化でしかないという事実を浮き彫りにしてしまったのだ。
「有象無象を100人用意するより、英雄と呼べる1人のほうが価値が高いんですよね。なら、英雄を100人揃えて初めて集団というものを作れる……まあ、そういう感じですよね」
「……ん、まあ、うん」
「だ、大丈夫ですよー。怖くないですよー」
「ん」
紫苑の人見知りが炸裂しているが、イナリに赤羽で自分から話しかけたのが相当に特殊パターンだったというのがよく分かる。さておいて……この陸奥湾防衛基地は、青函トンネルよりも更に強固な防衛体制を敷いているようで、各所のサーチライトや監視塔などが非常に物々しい雰囲気を醸し出している。
しかしながら、少しばかり青函トンネルと違うのは……港らしき場所があるところだ。
今はゲートで外からは隔離されているようだが、いつでも出撃できるような形になっているのが分かる。
「船があるんじゃのう」
「ん。主に警戒用。ソナーとか積んでて、何かあったときに警報出す」
今は魚介類もそれなりに高くはなったが、それでも漁業が滅びたわけではない。覚醒者を護衛にして遠洋漁業に向かう漁師もそれなりにいるし、そうした努力と覚悟によってスーパーに魚介類が並ぶわけだ。
そして、少なくとも近海レベルであればこうした場所から警戒船が出動しモンスター出現の報を流したり、対応可能であれば倒したりもする。
……もっとも、大規模襲撃の際にはモンスターに沈められることもあるので、船は出さないことが多いのだが。今回もそういうパターンである。
そんな感じで見学をしていれば、すぐに作戦会議の時間になり……会議室にはイナリを含め、それなりの人数が集まっていた。まるで大学の大講義室のような広い部屋は、しかしそのほとんどの席が埋まっており、イナリたちは演説台のようなものが据え付けられた近くの関係者席とでも呼べる場所に座っていた。
ざわざわと騒がしい会議室の中においてもイナリの姿は目立っており、指をさすような者こそ居ないものの、聞こえてくるのはイナリに関するものばかりだ。
「あれってイナリちゃんだよな……」
「青森に来てたのか」
「やっぱ美少女だよなあ」
「仕事で会ったんじゃなけりゃあなあ……話してみたかったけどなあ」
なるほど、ある程度以上の職業倫理があるようだが、こんな前線とも言える場所で働いているだけはあるのだろう。そんなざわめきも岩田司令が会議室に入室すると同時にピタリと止まり、場に緊張した空気が流れ始める。
「皆さん、おつかれさまです。本日はたまたま青森にいらしていた狐神イナリさん、敷島エリさん、ソフィー・ダールさん。それと今回も鈴野紫苑さんが救援にいらしています。此処に居るメンバーはすでに分かっているとは思いますが、SNSなどに上げることがないように願います」
そんな注意事項などは……本当に今更だろうが、イナリたちに対する「そんなことは無いように言い聞かせています」というアピールでもあるのだろう。それが終われば、用意された巨大な画面に周囲の地図が表示されていく。
「以上のように、今回の敵は太平洋側から大間町側を通りやってきたものと考えられます。それまで警戒網に引っかからなかった理由は不明ですが、あちら側はシステムの異常の可能性も含め原因究明に努めるとのことであり……つまり、夜の襲撃に関しては現時点ではあるともないとも言えず、同程度の大規模襲撃が起こる可能性もあることを念頭に入れねばなりません」
流石に最終防衛都市今別などと呼ばれていても、青森周辺の索敵の全てを担っているわけではない。各所に存在する索敵施設は今別に水棲モンスター情報などを伝える役割を果たしており、もたらされた情報に従い適切に人員を派遣しているわけだ。逆に言えば、その情報が間違っていれば大変なことになってしまうわけだが……今回はまさにそれだ。
「うーん……索敵手段に引っかからないモンスター、ですか……」
「まさか天狗の隠れ蓑というわけでもないじゃろうがのう」
「あれって透明になってもソナーは防げないんじゃないですか?」
「どうなんじゃろうなあ。本物を見たことがないからのう」
エリとイナリがそんなことを言い合うが、機械の故障ではなく「すり抜けた」ことを前提に話をしていることに紫苑は気付いていた。そして紫苑自身、その可能性が高いとも考えていた。
目視にソナー、その他幾つかの手段で監視しているはずだが……その全てが敵を捉えることが出来なかった。つまりはそういうことなのだろう。
(それなら、きっとまたすり抜けてくる。イナリがいるから最終的にはどうにでもなるはずだけど……)
問題は、それが「特別」であるのか、それとも「今後の標準」であるのかだ。もし後者であるのならば、今後の海洋防衛計画が全て見直しを余儀なくされるだろう。
もっとも、見直したところで具体的にどうすればいいか……となれば月子や世界の魔科学者たちに何か凄いものを開発してもらう、くらいしかないのが実情ではあるだろうし、それだって1日や2日でどうにかなるものでもないはずだ。
解決策のない問題ほど恐ろしいものはなく、最悪の度合いとしてはまさに最高レベルとしか言いようがない。
(……今回だけは、神のごときものの仕業のほうがいいな)
紫苑だって、ずっと此処に留まっているわけにはいかない。だからこそ今回が「特別な事態」であることを願ってしまうが……実際にどうであるかは、蓋を開けてみなければ分かりはしない。
どのみち最悪であるのならば、少しでも未来に展望の見える最悪の方がマシと考えてしまうのは……まあ、仕方のないことではあるのだろう。
そんな紫苑の心情を理解したわけではないだろうが、イナリの服の中から出てきたアツアゲが「元気出せよ」とでもいうかのように、紫苑の足をポンポンと叩いていた。
「……ん、ありがと」
ちょっとホッコリした気分になった紫苑がそうアツアゲにお礼を言っていると、イナリがそんなアツアゲをひょいと持ち上げる。その表情はイナリには珍しく何か考え込むような様子で。
「ふむ……うむぅ……いや、しかしのう……」
何をそんなに思案しているのかはイナリ以外には分からないし、アツアゲも持ち上げられたまま首を傾げていて。やがてイナリは「うむ」と考えをまとめ頷く。
「ちょっとええかの? 事態の解決になるかはまだ分からんが……1つ策を思いついたんじゃよ」





