お狐様、青森にて
今の今別町にホテルのようなものは基本的に存在しない。
それは今の今別町が覚醒者専用の要塞都市と化していることに加え、観光するべき場所が何処にもないからだ。
ある意味で要塞都市となったことによる弊害だが……今別町はその性質上仕事はいくらでもあり、働き手のための住居や宿舎などは余るほどに充実している。
その上で、視察や今回の大規模迎撃作戦のようなことがある際に幹部以上の人間が滞在するための宿泊施設も用意されていた。
それが今別ロイヤルホテルである。施設名は住民からアンケートで決めたものであるらしいが、要塞化に際して建てられたものであり、覚醒者用の建物として他の建物同様に頑丈に作られている。
3階建てのホテルとしては然程大きくはない建物は、しかしメンテナンスをきっちりと行っていることがよく分かる。
「綺麗ですけど豪奢ではない……って感じですね」
「確かにのう。沖縄のほてるは何やら色々と飾っておったからの」
「結構好きですよ、こういうの」
エリとイナリ、ソフィーのそれぞれの感想にホテルの支配人が「ありがとうございます」と頭を下げる。
「様々な事情で当ホテルは建築されましたが、やはりおもてなしというよりは宿舎といった側面も強く……華美であるより居心地を、といった面が強く出てしまうという事情がございます」
「ああ、此処に来るのって戦闘系覚醒者ばっかりでしょうしね。芸術より酒と美食のほうが好き、と」
「左様でございます。同じ理由でトレーニングルームもございます」
ソフィーとしては本当に馴染む理由だしイナリは「ほー」と感心した様子だが、エリはちょっと不満そうではある。
まあ、本当に単純な話なのだ。観光であれば様々な美しさを楽しむ心の余裕もあるが、戦闘や部下の統率などの諸々をやった後は、風呂に入って飯を食って寝るのが一番だ……という覚醒者は非常に多い。
何かあっても「え……そうだっけ?」となるから何かを置いても芸術品が可哀想であり、何より作者に失礼だ。おまけに緊急時に此処も防衛拠点の1つになることを考えれば、そうしたものにダメージが行くのは社会の損失だ。
「何やら不満そうじゃのう、エリや」
「んー……まあ、なんといいますか。そういう場所だからこそ心の余裕は大事なんですけど……ただまあ、そういうのって押し付けでもあるので、まだまだメイドとしての修行が足りてないなあって」
「うむうむ。エリは頑張り屋じゃのう」
そんなことを言いながら案内された部屋は3人とも別……ではあったのだが、エリは希望してイナリと同室である。
広々とした和洋室の部屋は綺麗に掃除されており、ベッドのマットレスも高級でフカフカなものだ。
窓から見える風景は要塞化された都市なので、まあ景色としては微妙と言わざるを得ないが……別に観光に来たわけではないので充分と言えるだろう。
「良いお部屋ですねえ」
「うむ、そうじゃのう」
イナリの服の中から飛び出たアツアゲが早速お部屋探検をしているが、いわゆるオールインクルーシブの形式となっており、早速アツアゲの開けた冷蔵庫の中には大量の飲み物が入れられている。
「へえ、全部無料なんですねえ……あ、青森りんごジュースがあるのはなんかこう、青森来たなあって感じありますよね」
「うむうむ、そうじゃのう」
何故かアツアゲがリンゴジュースのパックを気に入ったのか抱えているが、それをそのままにテキパキとした動きでエリがお茶を淹れ始めている。
パックではなく茶葉で置いてある辺り、こだわりがあるのかもしれないが……そうしてお茶と煎餅を楽しみ始めたあたりで、エリが「ソフィーさんのことですけど」と切り出す。
「む?」
「お知り合いなんですか?」
「まあ、知り合いといえば知り合いじゃのう」
友人かと聞かれると「まあ、知り合いじゃの……」みたいになってしまうのだが、さほど悪い感情は抱いていない相手だ。まあ、今日はなんだか妙にソワソワしている……というか、いまいち気が乗っていないのが明らかに分かるのだけれども。
しかし、そういう話をエリがしたいわけではないらしいというのも、イナリには分かる。
「なんといいますか……イナリさんと似て非なる感じがするといいますか……私の中でも上手く表現できる言葉がないんですけれど、あえて言うならイナリさんに似てる……って感じでして。正直、他でそんなの感じたことがないので凄く気になっちゃったんです。もしかしたら親戚とかかなーって」
「親戚でも姉妹でもないのう」
そう微笑みながら、イナリは少しばかり驚いていた。
つまるところエリはソフィーが普通の人間ではないと勘付いていたということになるし、それどころかイナリに他とは違う何かを感じていたということになる。
それは言ってみれば「神」を言葉以外の感覚で認識していたという話でもある。
(うーむ……今まで人の子には色々と会ってきたが……一番底知れんのはエリかもしれぬのう)
とはいえ、ソフィーが人に仇為す者ではない以上はソフィーが神のごときもの「そのもの」だということをエリにバラすのはよくないことだ。
いくらイナリがエリを信用していて、エリがそんなことを余所でペラペラと話す性格ではなく、話すことで何かしらの危険を事前に予防できると仮定しても、それでも本人の居ないところで勝手に話すのはイナリの基準では正しくない。
「まあ、儂も付き合いが長いわけではないが……うむ。仲良くなりたいと思っとる最中かの」
「イナリさんにしては曖昧ですね。なんだか珍しいです」
「うむ? そうかのう……いや、そうかもしれんな……」
エリとしてみればイナリの人物評は「いい子じゃよ」か「んー……うむ……」みたいな感じなので、ある意味わかりやすいのだ。そこにきて人物評が「無い」というのは、本当に珍しい。判断しきれていないから何とも言えないと言っているのと、そう変わりはしない。
「……なるほど。何か難しい事情を抱えた人なんですね」
「まあ、のう。しかしまあ、こうして一緒に来てくれとる。じゃから良い友になれると思うんじゃよ」
「そうですねえ」
「うむうむ」
笑顔でニコニコと微笑みあいながらエリは「まあ、信じすぎない程度に好意的に付き合うって感じですかねえ」などと考えていた。
現代社会においてメイドなどをやっている以上は性善説だけではやっていけないところもあるので、エリはその辺については結構敏感だ。そういう意味ではエリから見たソフィーは「白黒どっちにでも即座に変わりそう」といった感じであったりする。
「しかしこの煎餅、美味いのう」
「南部煎餅ですね。岩手とか近いですから、持ってきてるんですかね?」
食べるとボリボリと食感の楽しい南部煎餅はリンゴらしきものが混ざっていて、あるいはそういった縁で此処に置かれているのかもしれないが……そんなイナリの前にアツアゲがそっとパックリンゴジュースを置く。さっきまで抱えていたものだ。
「おお、ありがとうのう」
リンゴジュースを置くとアツアゲは冷蔵庫を開けて、今度はミネラルウォーターのペットボトルを抱え始めるが……どういう意味があるのかは不明だ。
「お部屋が暑いとかですかね……?」
「うーむ……」
とはいえアツアゲに体温はないし、そういう感覚があるのかも不明なのだが、ひとまずエリが部屋のクーラーを操作するとアツアゲはペットボトルを仕舞ってテレビのリモコンをテーブルから持っていく。器用に操作する様子を見るに、クーラーを操作できないから主張した……というわけでは、やはりない。
そんなアツアゲの謎行動にイナリとエリが首を傾げているその間……ソフィーは部屋で大きな溜息をついていた。
その手には覚醒フォンがあり……如何にも嫌そうな表情が浮かんでいる辺り、連絡したくないという感情が透けて見える。
しかし何度目かの溜息をつくと、何処かに電話をかけ始める。数回のコール音の後に出た相手に、ソフィーは「どうも」と本当に最低限の挨拶をする。
『そちらの状況はどうだ?』
「今のところ可もなく不可もなく。ていうか、なんですか此処。明らかにヤバそうなのが潜んでますけど、まさかウチ関連じゃないですよね?」
『知らん』
「知らんって……」
『誰が何処で契約しているかなど分かるはずもないだろう』
「……それはそうですけど」
しかし、万が一にも同勢力であればソフィーとしては、その辺についての事前の覚悟をしておきたいのだが……まあ、言っていることは分かる。たとえば電話の向こうの無駄イケメンが使徒を作っていたとしても、直接会いでもしない限りはソフィーには分からないのだから。
『しかし、青森だったか。そこに何かが潜んでいてもおかしくはないだろうな』
「ええ……? なんかありましたっけ」
『恐山があるだろう。霊場などと呼ばれている場所が今の時代どんなことになってるか知らないわけでもないだろう』
「あー……」
人類は気付いていないかもしれないが、霊場などと呼ばれるような場所は「魔力が観測されない世界で魔力を有していた」世界のバグのような場所である。
元々そういうものと親和性が高かった場所は今では魔力の特に濃い場所となっており、それは現時点では起こりえないような現象を容易に起こし得る可能性を持っている。
たとえば恐山の場合は「青森第1ダンジョン」と呼ばれる、東京第1ダンジョン同様に完全攻略が不可能なダンジョンが存在している。これは単純に恐山にある力が強すぎるせいでダンジョンも影響を受けてしまった例だが……魔力とは地中や空中などを伝って周囲に流れていくものだ、此処に影響していたとしても、やはりおかしくはない話なのだ。
『それよりコガミイナリだ。どうだ、多少は仲良くなったのか?』
「あー……まあ、ぼちぼちですかね……」
『日本で暮らして妙な言葉を使うようになったな。まあ、いい。私を紹介できる程度には仲良くなるように』
「努力はします。それでは」
そう言って電話を切ると、本当に疲れ切った顔でソフィーは覚醒フォンをベッドに放り投げる。
「はー、まったく。そもそも狐神さんって直感的にモノ見てるとこあるから、あの無駄イケメンが仲良くなれるとは思えないんですけどね」
しかしまあ、だからといってやらないわけにもいかないのが辛いところだ。
「狐神イナリ……この変化していく世界で生まれた、最も新しい神、か」
どうしてこのタイミングで、と思わないこともない。もっと前から出てきていてもおかしくなかったはずだが、とソフィーは思う。
まあ、イナリが廃村から出なかったせいでありダンジョンがあの日廃村に出現しなければ、まだ廃村に居た可能性がある……などとはソフィーも気付くはずもない。
ソフィー自身、考えても仕方ないことだと思いながらも机をトントンと指で叩いてしまう。
(そもそも仲良くしろって言われましてもね。あんなイベント1つでなれるはずもないでしょうよ)
もっとこう、仲良くなれるような「何か」というのは……少なくともあんな新人見学ではないはずだ。
更に一歩踏み込む必要がある。とはいえ、具体的にどうしたものか?
考えて……ソフィーは、ちょっとしたことを思いつく。
「あー……恐山。そっか、それがありましたね」
青函トンネルダンジョンのことをイナリは気にしていたし、恐山が影響しているかもというのは、あの無駄イケメンの予想でもある。
その辺を上手くどうにかこうにか話しつつ、恐山ダンジョンの見学話に繋げていく。
そうすれば、多少なりとも関係を進展させられるのではないだろうか?
「いや、わざわざ危険なところに連れていくのは無しですかね……?」
バトルジャンキーでもあるまいに、戦いを喜ぶはずもない。もっと平和な性格であることは承知している。そうなると……と、そこまで考えてソフィーはハッとする。
「観光。それですね!」
言いながら先程無駄イケメン……ミケルと話していたときと比べると、まったく違う速度で覚醒フォンを掴みイナリへかけ始める。
『儂じゃよ』
「あ、イナリさん! 明日観光行きませんか? もっと青森っぽいところとか見たいでしょう?」
『ん? うむ、そうじゃのう。しかし明日には帰る予定じゃろ?』
「そこはほら、調整をですね」
『迷惑をかけるのはいかんよ。その代わりほれ、今度一緒に行こうではないか』
そんな正論を真正面から言われてしまえばソフィーとしても「そうですね。是非」としか答えようがない。通話を終えて、テーブルに覚醒フォンを置くと。ソフィーはそのままベッドに突っ伏してしまう。
「……まあ、次回の約束は出来たし。これでいいんですかね?」
いいかどうかは分からない。とはいえ、何もしないよりは一歩進んでいる。まずはそれでいいのだろう。
(いやほんと、こんなとこで友情ごっことか……正直めんどくさいんですがね)
今日何度目かも分からない、大きな溜息をついたソフィーはそのまま寝てしまおうかと考えて……しかし、館内に突然響いた警報音に「ほわあっ!」と奇声をあげて起き上がる。
「何⁉ 何ですか!? 火事!?」
―緊急事態。緊急事態。陸奥湾にて水棲モンスターの一団を確認。各員は対応マニュアルに従い行動開始。繰り返す……―
「あー……なんだ。海のモンスターですか」
そういえば此処はそういうアレでしたね、などとソフィーは枕に顔を埋める。
まあ、好きにやっていればいい。勇気ある戦いをする分にはソフィーとしても歓迎だし、その戦いぶりによっては新しい使徒として契約することを考えてもいい。
ちょっと神視点で覗き見でもしてみようか……などと考えて、やっぱりいいかとソフィーは思い直す。
たたでさえ面倒なのだ。他の面倒ごとに首を突っ込む気もない。
「まあ、狐神さんが首を突っ込むなら恩売りますけども? そういうアレでもなさそうですし」
マニュアルがある程度に慣れているのであれば、わざわざ手を出さずとも対処可能だろう。そこに首を突っ込むのは余計なお世話というやつだ。
ソフィーとしては本気でそう思っていたし……人助けがどうとか、そういうものはひとまず、全く考えてもいなかった。
そういう意味ではソフィーとイナリの思考には大きな差があるのだが、ソフィーの誤算はもう1つ。
イナリの友人関係で、水とか海とか。そういう話の際に高い確率で仕事をしている者がいることを、全く気にもしていなかったことである。
そういえば本作品で登場する旅館とかホテルとかの名前は基本的に架空のものなので、事前に被らないか検索したりしてます
はい、実際の施設名とかとは一切関係ありません。





