お狐様、青函トンネルに行く
ミチルの周囲には前回同様に護衛が立ってはいたが、前回ほど張りつめてはいないのが表情から分かる。
まあ、此処にいるのはサンラインと覚醒者協会の関係者ばかりだ。何処かから敵が来るかも……みたいな状況ではないのだろう。青函トンネルのモンスターに関しても問題がないという前提があるのなら、更に緊張は消えていくのは……まあ、仕方のないことだ。
「うむ、街自体が戦うためのものになっておるとはのう。色々と驚きじゃよ」
「ふふふ、そう難しい話でもないんですよ」
ミチルはそう言いながら、周囲に視線を向ける。あちこちを行き交う覚醒者たちは忙しそうにしている者もいれば、暇そうな者もいる。しかしそこには何処か日常を感じさせる空気が漂っている。そしてそれは、どうやらイナリたちの勘違いではないようだった。
「此処にあるのは日常です。確かに戦うための街ではありますが、覚醒者である以上それは定めです。ですが……平たく言うと、命がけの単身赴任みたいな生活を続けたい人って、実はそう多くないんです」
「う、うむ?」
「家族を置いて遠くでお仕事するやつですね」
「おお、なるほどのう。出稼ぎじゃな」
エリに耳元に囁かれて、イナリは納得する。まあ大体合っているが、さておいて。確かに覚醒者の仕事はモンスターと戦うことであり、全国各地のダンジョンに行くことも含まれる。特にクランの庇護を受けていない、あるいは弱小クランであれば頼れるのは自分の腕一本、みたいなのもよくある話だ。
さて、そんな状況で「家付き転勤無し、大勢の仲間との安定仕事。固定報酬」みたいな仕事があればどうなるか? という話であり、その結果が今の今別町であったりもする。
「あー……もっとこう、死を厭わぬ英雄を集めたのかと……」
「今の時代、そんな人は中々いませんよ。誰だって自分の生活が一番です」
「衣食足りて礼節を知る、というやつじゃな。死を厭わぬのは別じゃが」
「そういうことです」
「ええー……」
残念そうに言うソフィーではあるが、誰もがイナリやエリのように実力も人気もあって自由気ままな覚醒者をやっているわけではないのだから仕方ない。
何よりエリだって「人類のために命を懸けて戦っているか」と聞かれれば「えーと……」と困った顔をするだろう。そういった使命感はそういうものが必要な状況か生き方か、そういうものからしか生まれてはこないだろう。
とにかく、この街は覚醒者という力持つ者の安定雇用のためにも必要ということだ。
「ふーむ……勉強になるのじゃ」
「ちなみに私たちサンラインも此処には出資しています。その見返りという形で定期討伐をやらせていただいているわけですね」
「それは見返りとは言わんのう。お主も中々に善人なんじゃのう」
「いいえ、偽善ですよ。それに狐神さんほどではありません」
「実際にやるなら偽善でも変わらんじゃろ」
そんなことを言いながら笑い合っているミチルとイナリを見ながら、エリが「うーん」と感心したような声をあげる。
「お主もワルよのう、の善人バージョンとかあるんですね」
「え、ごめんなさい。日本のサブカルはそんなに詳しくなくて」
「サブカルじゃないですけど……うーん、でも一般常識かと言われると違う気もしますね……」
時代劇あるあるネタが何処に分類されるかは議論を呼ぶかもしれないが、まあソフィーには通用しないネタだったようでエリは残念そうであった。
そしてある程度盛り上がると「さて」とミチルが手を叩く。
「そろそろ迎撃準備も出来た頃です。向かいましょうか」
「うむ、そうしようかの」
そうして壁の中に入っていくと、そこには巨大なトンネルと……その周囲に配置されたフル装備の覚醒者たちの姿があった。
イナリたちのいる場所は少し高台になっていて、恐らくはサポート役なのであろう遠距離ディーラーたちの姿もあるのが見える。
最前列が重装備のタンクたち、その後ろに近距離ディーラーと中距離、遠距離ディーラー、そして最後列にヒーラーやサポーターの姿がある。トンネルから出てくると分かっているからこその配置だが、重そうな盾を構えるタンクたちに同じく大きな盾を軽々と背負っているエリが見ながら頷いている。
「これだけ集まると壮観ですよねえ」
「うむうむ。ピカピカの装備も着けとるし、何やら初々しいのじゃ」
「本気で新人っぽいのばかりですね。私、実はそう言う名目なだけかと思ってましたが」
「いいえ、まさか」
ミチルは笑顔を浮かべながらイナリたちの隣に立つ。その表情は9大ギルドの一角の長らしい、実に自信に満ち溢れたものだ。
「それなりに安全な環境で実戦というものを体験する。それは非常に重要な経験です。何しろ、そんな甘いことを言っている環境なんて普通はないんですから」
「うむ……」
それは確かにその通りだとイナリも思う。これまで苦戦らしい苦戦をしたことのないイナリが口に出しても説得力はまるでないが、実戦とは命をかけるものであり場合によってはトラウマの原因にもなるものだ。
戦う力があるから戦える、というわけにはいかないのが本当のところであり、だからこそ成功体験を必要とするというのは……まあ、分かる話だろう。
勿論、とんとん拍子で日本の上位に躍り出ているイナリが口に出しても説得力はゼロなのだが、まあさておいて。
「モンスター確認! 来ます!」
そんな声が新人たちの中から響き、直後に青函トンネルからモンスターたちが溢れ出てくる。
それはどれも可愛らしい動物人形ばかりであり、けれど人間サイズの動物人形たちがドスンドスンと何が詰まっているのかと言いたくなる重たげな足音を響かせる姿は、実に可愛くない。
「ゴオオオオオオオ!」
「ぬお!?」
イナリがビックリするような巨大な叫び声を響かせる動物人形たちだが、声まで可愛くないとは本当に致命的だ。
「うるさいのう」
「そこがいいんですよ」
「む?」
「恐ろしげな叫び声に一々身を竦ませていては、致命的な結果に繋がるかもしれませんから。此処で慣れておきませんと」
確かに、眼下のタンクたちは驚いた表情をしているものの盾を離していない。いないが、気圧されたのか隊列が多少崩れており、動物人形たちの重たい打撃に「うわあ!」と声をあげている。
だが同時にディーラーたちが一斉に攻撃をかけることで動物人形たちは倒れていき……それは動物人形たちが然程強くないことを明確に示していた。
「ゴブリンくらい、ですかね?」
「流石にアレよりはパワーあるでしょうけど。まあ、総合的には同じくらいですかね?」
続けて出てきたデッサン人形たちに近距離ディーラーが苦戦しているのが見えるが、デッサン人形のほうが素早く戦闘技術らしきものがあるのが原因であるようだった。しつこくローキックを繰り出しているデッサン人形もいるが、鎧を着けていれば致命的な問題は無さそうだ。
その後もアンティーク人形にヒーロー人形と、色々と出てくるが……サンライン新人チームは苦戦しつつもなんとか倒していく。
そうして最後に残った宇宙人人形たちを全滅させると、ミチルは満足そうに頷く。
「これで終わりですね。如何でしたか?」
「んー……」
何やら難しそうな表情をしているエリに、ミチルが疑問符を浮かべる。確かに不甲斐ない部分は多々あったが、エリはそんなことを言う性格には思えない。だからこそ疑問だったのだが、よく見ればイナリとソフィーも似たような顔をしている。
「なんだか……こう……スッキリしないような気がするんですよね」
「あ、分かります。たぶんお行儀よく種類別に来たからじゃないですかね?」
「そうじゃのう。まるでそう決められているかのようじゃ」
「ああ、そういうことですか」
3人の疑問の理由が分かって、ミチルはホッとしたような表情になる。その理由はすでにある程度解明されているからだ。
「モンスター自体の特性だと考えられています。今まで青函トンネルから出てくるモンスターは、必ずこのパターンで襲撃してきます。ただの1度の例外も無く……です。それでも何かあったときのためにこうして待機もしていますが、出現間隔まで同じとなれば、それはもう……」
「必然、と?」
「はい。勿論、そうではない可能性もありますが」
「ふむ……」
絶対とは言いきらない辺りにミチルの慎重さが見えるが、それでもある程度確信しているように見える。実際、宇宙人人形たちが全滅してから何かが青函トンネルから出てくる様子はなく、新人たちも気が緩んでいるのが見える。
やがてさらに時間がたち、解散の合図で新人たちが散り始めた、その瞬間。
「……!? 全員、警戒!」
ミチルが声を張り上げ、青函トンネルの中から出てくる「それ」を見る。
「鎧武者?」
「え? もう終わりじゃなかったのか?」
そんな呑気な声をあげる新人たちだったが、まあ仕方がないだろう。
それは小さな鎧武者のように見える「何か」……いや、中身がないように見えるので和風の小さなリビングアーマーといったところだろうか?
いや、青函トンネルの中のダンジョンのモンスターを考えれば五月人形であるのかもしれない。
しかし、どのみち子供サイズのそれに新人たちの余裕な表情は崩れることはない。
「ゴオオオ……」
「は!?」
「え、ええ!? 巨大化!?」
そう、それが巨大化するその瞬間までは。大人サイズ、そして巨人サイズへ。全長5メートルほどの巨人と化した五月人形モンスターは、更に10メートルサイズ近くまで巨大化する。
それは手に持つ巨大な太刀を振り上げて、一気に振り下ろそうとする。ブオン、と響く巨大な振り上げ音はサンラインの新人たちに強烈な印象とパニックを引き起こして。
「来い、狐月」
高台にいるイナリの手に弓形態の狐月が現れる。限界まで引き絞られた弦を持つイナリの手に輝く光の矢が現れ、極太の光線と化し五月人形モンスターの頭を吹き飛ばす。
頭部を失った五月人形モンスターはそのまま消えていき、魔石をその場にドロップする。
「……ふむ。今度こそ終わりかの?」
もしかすると今のがボスモンスターであったのかもしれないが、ダンジョンの外でそれを確かめる術はない。システムも何も語る気はないようなのでなおさらだ。
「おつかれさまです、イナリさん」
「うむ。ありがとうのう」
水筒からお茶を入れて渡してくれるエリに頷きながら、イナリは青函トンネルを見つめる。あの中に何があるかは分からないが、恐らくはロクでもないものがあるのだろう。何しろ……今まで何年もかけて「宇宙人人形が終わればもう何もない」というパターンを作っていたのだ。それなり以上の知恵があるのは間違いない。
「ありがとうございます、狐神さん」
青函トンネルの中のことを考え始めたイナリに、ミチルがそう声をかけてくる。多少顔が青ざめているのは、危うく被害が出るところだったからだろう。
「言い訳はしません。貴方が居なければ負傷者が出るのは避けられなかったはずです」
「なに、儂が居らんかったところでお主がどうにかしておったろうよ。礼には及ばん」
「そういうわけにもいきません。この恩は何かの形で返させていただきます」
「本当に必要ないんじゃが……まあ、あまり断るのも失礼じゃの」
それより、とイナリは続ける。
「あの中、何かもっと面倒なのが居る可能性があるのう」
「……そうですね。少なくとも10年単位で策略を練っていた何かがいるのは間違いなさそうです」
青函トンネルダンジョンのボスモンスターは、現在でもその正体が知られていない。先程の五月人形をボスと考えてもいいが、少しばかり楽観的に過ぎる。防衛計画の見直しも含め、現地関係者はしばらく忙しい日々を過ごすことになるのは間違いない。
「……ふーむ」
ぶっちゃけた話で言えば、イナリは探索不能な「黒い場所」に向かっても構わないのだ。しかしイナリがそんな出しゃばって解決すべきことかどうか確信は持てていない。何より、1つ大きな問題がある。
(……なーんか近づきたくないんじゃよな。まさか黄泉平坂ということもあるまいが)
現世と黄泉を繋ぐとされる黄泉平坂は、たとえ誰であろうと簡単に立ち入るような場所ではないが……まあ、まさかこんなところにあるわけもない。しかしどうにも不吉な何かがその奥にあるような気がイナリにはしていた。
虎穴に入らずんば虎子を得ずとはいうが、わざわざ他を巻き込むリスクを冒してまで虎子を得る理由もイナリにはない。藪をつついて蛇を出す……どころか、伊邪那美命でも出てきてはたまったものではない。
勿論、伝説のように毎日1000人殺すとか宣言されてしまえばイナリとしても立ち向かわざるを得ないだろうが、どうにもそんな感じでもない。
「何かあるんですか、イナリさん?」
「いや、何というわけではないがの……どうにもあの穴の奥には行かん方がええ気がしてのう」
「あー、分かります。下手に触れない方が良さそうですね」
ソフィーも同意するが、実際あの奥にニヴルヘイムでもあるのかというような不気味さを感じていた。勿論そんなはずはない……と思うが、似たような力を持つ何かが居る可能性は高いと感じていた。
(そうなると、さっきのは警告……? 近づくんじゃない的な?)
神のごときものが青函トンネルに使徒を置いている可能性は高い。その目的が何であれ、今影響がないならソフィーとしては全力で回避したいところではある。まあ、一応あの無駄イケメンに報告はするが……たぶん同じ考えであるだろうとも思っていた。
「早く帰りましょうよ。予想外のことで私、疲れちゃいました」
「あ、ではすぐにホテルまで案内させます」
ミチルがそう気を利かせてくれるが、ミチルも探索を諦めたはずの青函トンネルの奥が気になって仕方がないといった様子ではあった。
だから、帰りの車の中で……イナリはポツリと呟く。
「アレは現代に生まれた禁足地、というやつかもしれんのう」
人間が足を踏み入れてはいけない、容易に触れることを許さない神秘の場所。あるいはそういうことなのかもしれないとイナリは思う。
勿論、心配ではあるが……今まで祟っておらず、イナリたちが現れることで変化が訪れた……と仮定すれば、これ以上無暗に関わるべきではないとも考えられる。
どのみち、様子見であるだろう……今のところは、それが何よりも平穏であるのだから。





