お狐様、ソフィーが泊まりに来る
青森行きが翌日になったその日の朝、イナリの家には珍しい客が来ていた。
そう、それは何だか疲れた表情をしているソフィーである。玄関口には荷物を詰めたカバンも置いているが、それは明日の迎えの都合であったりする。
とにかくソフィーは全身から「疲れた」という雰囲気が出ていて、机に突っ伏しているのだが……何故かアツアゲが頭の上にバナナを乗せていた。
「何やらお疲れじゃのう……」
「そうですねえ……まあ、色々あるんですが……とりあえずですね……」
「うむ」
「なんでアツアゲは私の頭にバナナを乗せるんですか……?」
「疲労回復効果があるらしいが、そういうことではないかのう?」
「効くんですかねえ、私に……」
「まあ、知らんが」
ちなみにバナナは先日月子から送られてきた、結構お高いものである。イナリの家にはそういうかさばらない程度の消えものがよく置かれている。さておいて。
「まあ、そういうことでしたら有難く……」
ソフィーが頭のバナナをどかして1つもごうとすると、アツアゲにその手をぺしっと叩かれる。
「え?」
ソフィーの目の前からアツアゲはバナナをヒョイと持ち上げると、そのままスタスタと何処かへ歩き去っていく。
「え? ええ?」
そのままアツアゲは何処かにバナナを置いて戻ってきたので、別にバナナを切りに行ったというわけでもないらしい。
「……えーと……?」
ソフィーが答えを求めてイナリを見るが、イナリは「ふーむ」と悩むような声をあげる。
「どうやら本当に頭に乗せたかっただけのようじゃのう」
「まあ、会話できないんだから仕方ないですけど……」
言いながらソフィーはゴロンと畳に転がり「はぁー」と幸せそうな声をあげる。
「いいですよねえ、畳。手入れとかよく分かんないから自宅はフローリングなんですけども」
「まあ、どちらも良いものじゃよ」
「そうですねえ」
そうしてしばらく無言の時間が流れて……ソフィーが「前から気になってたんですけど」と声をあげる。
「貴方って、システムとはどういう関係なんですか?」
「どういう、とは?」
「そのままの意味ですよ。貴方がどういう存在であるかは、こうして直接見ればなんとなく分かります。ですが『何故存在しているのか』については未解決のままです」
「うむ? そんなことを聞かれてものう」
イナリとしては何故と聞かれても自然にそうなったとしか答えようがないのだが……ソフィーからしてみれば、それでは納得できなさそうだ。
「私はまだいいんです。そういう権能を持った存在ですから。他にも例外的な手段を持ってる人たちもいます。でも貴方は違う。前回『国津神』のたとえ話を出しましたが、ただそれだけであればスサノオとかオオクニなんとかが地上にいてもおかしくないはずと思いませんか?」
「どちらも会ったことはないのう」
「あってたまりますか。とにかく、です。貴方は間違いなくこの大地に新しく生まれた神です。そしてそれは非常に高い確率でシステムが関与している……私はそう考えています」
なるほど、イナリも図書館に通うようになってから様々な知識をしっかりと取り入れるようにしてきた。そうして気付いたのは「神のごときもの」とされている存在にはソフィーのような「語られるもの」と似た特徴を持つものが時折存在している、ということだ。
それは以前蒼空が神のごときものの1人を「そう」ではないかと疑ったのと同じようにだ。
しかし、実際そうであるかはイナリには何とも言えないし、そうした存在が全て「神のごときもの」として活動しているのかは分からないが……まあ、それはそれとして。
「そう言われてものう。儂、しすてむが現れるより前から居ったぞ?」
「ええ……? そうなんですか?」
「うむ」
「だとすると、本当に自然発生した神をシステムがこれ幸いと巻き込んだとか……? でも有り得ない……だってこの世界はそういう力が無かったのに……」
「よう分からんが、そんなに重要なことなのかのう?」
「……まあ、そこまで重要ではないんですが」
言いながらソフィーは考える。てっきりシステムが「こちら側」を牽制するために作った存在だと思っていたのだが、そうではないとするなら本当に偶然生まれた神ということになる。
まあ、よくよく考えれば有り得ない話でもない。それはシステムそのものが証明している。
(システムの正体は恐らくはアカシックレコードとか呼ばれる概念……アレはその性質上、この世界の絶対的守護者ですからね……システムとはよくいったものです)
システムはこの世界に「魔力に満たされた世界」に慣れるまでの猶予期間を設けた。いずれ訪れる時代を意図的に遅延させているのだ。だからこそソフィーの本来の上司のような存在は「神のごときもの」として間接的な干渉をするに留まっている。
しかし、その猶予期間ももうすぐ終わろうとしている。そうなれば地上での勢力争いが始まるだろう……ただし、当初の予想よりは緩やかに。
間接的な干渉による「使徒」の作成と、それを通した世界の観察は、多くの「神のごときもの」たちに多少の心境の変化を与えていたようなのだ。
……まあ、全員がそうというわけでもなさそうだけれども。とにかく、恐らくはシステムの意図したとおりに世界は多少の……あくまで神視点だが……人間にとっては大波乱を予定しつつも更に新しい世界への移行準備を進めている。
とにかく、最初の変化……世界を魔力で満たすその前に、システムが慣らしとして多少の魔力を世界に流していたとしても何の不思議もない。そして、あるいはイナリは……その時に「生まれた」のかもしれない。
(ま、狐神さんに関しては全部想像ですけど。でも大体合ってると思うんですよねえ)
勿論、そうではない可能性もあるが……そこに関しては突き詰めたところで、イナリの言う通りそんなに意味はない。ただ1つ言えることは「イナリは自陣営に引き込む価値がある」という、その一点だ。
「何やら企んどる顔をしとるが……」
「ええまあ、もっと仲良くするにはどうしようかなあという感じですが」
「別に普通にやっとれば普通に仲良くなるものではないかのう」
「そうですかねえ」
そんな話をしていると、イナリの覚醒フォンに1つの連絡が入る。それはもう1人の同行者が到着したという連絡で……イナリの横で覚醒フォンの画面を覗いていたアツアゲが玄関に向かって走っていく。
「えーと……メイドの人が来るってのは聞いてましたけど」
「そうじゃのう。エリはアツアゲに気に入られとるからの」
来るたび妹か弟かというくらいにエリがアツアゲを構うせいか、アツアゲからも一定以上の信頼を得ているらしいエリだが……やがてアツアゲを肩に乗せたエリが居間までやってくる。
「おはようございます! エリ、ただいま参りました!」
「おお、エリ。此処で転がっとるのがソフィーじゃよ」
「え、その紹介はちょっと……」
言いながらソフィーは起き上がると、エリへと綺麗な一礼をする。
「お見苦しいところをお見せしました……私はソフィー・ダール。今回狐神さんに同行します」
「敷島エリです。使用人被服工房に所属してます。どうぞよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
そんな挨拶をしながらソフィーは直接見たエリを侮れない、と思っていた。
(いいですね、この人。鍛錬を怠ってない感じです……たぶんレベル以上の強さを持ってるでしょうね。いいなあ、欲しいなあ……こっそり使徒契約持ちかけたら契約してくれないですかねえ……)
思わずソワソワしそうになるが、その気持ちを抑えてソフィーはエリへと微笑みかける。
「なんだか、貴方とは良い友達になりたいなって思います」
「なんだか悪そうな顔をしておる……」
「してませんよ!?」
イナリが勘だけで見抜いてきてソフィーはビクッとするが、実際エリはソフィーの基準から見て「かなり良い人物」であった。自分じゃなくても欲しがりそうな逸材だが、よく今まで誰とも契約もせずにいたものだとすら思う。下手をするとソフィーの上司も欲しがりそうだ。
(……そういう意味では、狐神さんもですけどね。何この人、神なのに使徒契約結べる余地があるんですけど。意味わかんない……)
まあ、イナリのことはさておき……この3人で今回は青森に向かうことになるわけだ。
「そういえばエリの荷物はどうしたんかの?」
「玄関にスーツケースがあります。鎧はこうして着て来ちゃいましたけど」
「うむうむ」
覚醒者あるあるな話だ……鎧や剣をスーツケースに入れるわけにもいかないので、あらかじめ装備してしまうのだ。臨時ダンジョンの問題もあり常在戦場が求められるので、出かける時にフル装備が習慣づいてしまう者もいる。ちなみにイナリは普段着がすでにフル装備なので何も問題はない。
「ソフィーさんは武具とかはどうされるんですか?」
「あー、私は……まあ、見せた方が早いですね」
ソフィーは居間から見える庭へと出ていき……指をパチンと鳴らせば、その身体を光の線が覆い鎧と剣が形成されていく。服も完全に白いローブのようなゆったりとした服装に変わり、足元にもブーツらしきものが形成されている。イナリのものとは種類が違うが、服装が変わるという点では同じ類のものだ。
一番特徴的なのは、羽のような飾りのついた兜だろう。なんとも荘厳なその印象に、エリは思わず「おー」と声をあげる。
「なんだかワルキューレみたいですね!」
「ひゅっ」
一切の含みも悪気も無しのエリの感想にソフィーは思わずそんな変な声をあげるが、すぐに笑顔でエリへと顔を向ける。
「ええ、まあ私も北欧の人間なので……そっち系のジョブとかは結構あるんですよ」
「いいですよねえ、北欧神話。メイドの次の次に好きです」
「そぉですか……」
たぶん何でも「メイドの次」なんだろうなあ……などとソフィーは真理をついたことを思うが……そこでふと「次の次」だったことに気付く。言葉通りだとすると、その間に何かが存在している。
「ちなみにメイドの次に何がお好きなんですか?」
「イナリさんですね」
「わあ……」
ぺかっ、と音がしそうな笑顔で言うエリに「これ誘っても契約しないな」などと気付くソフィーだったが……まあ、なんともイナリがこの国で上手くやっているらしいことに感心してしまう。ソフィーなどは他人との関わりは結構最低限なので……まあ、イナリの生まれ持った性格ではあるのだろう。
「好かれてますねぇ……」
「照れるのう」
「ところでお昼の準備しようと思うんですが、メニューは私にお任せで大丈夫ですか?」
「おお、ではお願いしようかのう。ちなみに手伝いは」
「メイドの仕事ですので!」
ビシッと言うエリだが、まあこういうことを言うときはエリの意思が固いときなので「そうかえ」とイナリは返して、エリは鼻歌を歌いながら台所へと歩いていく。ちなみにアツアゲは肩に乗ったままだ。
「なんていうか……冷蔵庫の中身とか把握されてるんですか……?」
「うむ……皆がちょくちょく泊まりに来るからのう」
放っておくとご飯とご飯のお供しか買わないイナリに他のものを食べさせるために皆が色々買ってくるし、それが申し訳なくてイナリが食費を出したら皆で共用の食費がいつの間にか出来上がっていたりしたのだが……まあ、そんな感じでいつものメンバーはイナリの冷蔵庫の中身を大まかに知っているのだ。
勿論エリは一番知っており、慣れた手つきで買ってきたシャケを和風あんかけに仕立てていく。
ご飯はいつもイナリが炊いているのがあるし、彩りと栄養バランスのためにレタスとミニトマトも添えていく。これ自体はエリにとっては簡単だが、そこに大根をリズミカルに拍子木切りに仕立てて小鍋で煮込んで出汁入りの味噌を入れていく。そう、大根の味噌汁だ。
ご飯にもひと手間加えたいところではあるが、ふりかけ大好きなイナリのために白ご飯のままだ。
「はい、出来ましたよー!」
そうして運んでいけば「いただきます」の合図で食事開始だ。
「うむ、美味いのう。エリはほんに料理が上手じゃの」
「あー、確かに美味しいですね。自炊で此処までいけるんですねえ」
「メイドにとって料理は基本技能ですからね!」
味噌汁の大根を拍子木切りにするのはエリのこだわりだが、そうした自分ではやりそうにない部分を含めてヒカルなどは「店の味」と評したりもする。
「そういえば明日じゃが……朝早く迎えに来るらしいのう」
「此処、車進入禁止ですもんね。歩く時間も含めてってことでしょうか」
「あー、いや……へりこぷたあ、だそうじゃ」
そう、ミチルは指揮のために今日すでに出発しているのだが、サンラインの精鋭がイナリたちを迎えに来ることになっている。車ではなくヘリコプターで向かうことになるのだが、どのみちヘリコプターも着陸できる場所があまりない上に近所迷惑なので、近くに発着場所が用意されている。
「はー……やっぱり9大クランともなると、お金持ってますねぇ」
「そうじゃのう」
まあ、お金だけならイナリもヘリコプターを買うどころかオーダーメイドするくらいなら簡単な程度に持っているのだが、買う意味がないので買わないだけである。
「やー……本当に行くんですねえ」
「嫌そうじゃのう」
「いえいえ、そんなことはないんですが」
嘘である。本当は嫌だ。折角目立たず生きていたのに、日本の9大ギルドの長なんて相手に名前と顔を売ろうとしている事実がソフィーは結構嫌であった。
そんなに仲良くなりたいならあの無駄イケメンが来ればいいのに、などとソフィーとしては思うのだが……まあ、そこは仕方がない。1度やると決めた以上は、やり抜かなければいけない。
「さて、そんなわけじゃから……今日は出発前の準備をしっかりして、早めに寝るとするかのう」
「そうですね。まあ、今回は事情が事情ですから、私たちの出番はないかもですが」
サンラインの新人研修も兼ねているのだから、然程凶悪なモンスターが出てくるわけでもない。そこに関しては安心だし、元々仲良くなるのが目的だ……危険なことをイナリたちにさせるはずもない。
「帰りに観光とかしたいですよね。青森は色々美味しいものもあるそうですよ」
「ほう、こんな本があるのかえ」
観光ガイドを見ながら何やら楽しげにワイワイやっている2人を見ながらソフィーは「楽しそうですねぇ……」と呟く。
まあ、ソフィーと違って裏に含むものが何もないのだから当然かもしれないが……自分に余計な仕事を押し付けたミケルを、ソフィーは結構本気で恨んでいたのであった。
キコリの異世界譚のコミック1巻発売中です。
お狐様の小説1巻と合わせてよろしくお願いいたします!





