お狐様、サンラインの長に会う
さて、そんな平和な日ではあるが……その中にあってイナリのお屋敷は、特に平和である。
それは安全性もそうなのだが、その内装や庭などがそういった雰囲気を醸し出しているからだろうか?
そう、イナリにとてもよく合う「雰囲気」……いわゆる和の雰囲気でこの場は統一されている。
和、あるいは和風。そういったものに対するイメージは人によって異なるだろう。
たとえば枯山水。砂と石で表現されたそれこそが和であると考える者もいるし、そうではない者もいる。
具体的に何がそうであるかは感性によって異なってくるだろうが……少なくとも安野が畳の敷かれた居間から見るこの庭は、間違いなく和であると言いきれた。
日々怠らず手入れのされている木々と、「外」とは隔離するように作られた壁。騒がしい駒込の中で一定の静寂が保たれたこの場所には、1つの美が存在している。
(まあ、問題があるとすれば……住んでるご本人がそういうのに興味無さそうなところですかねえ)
人は、より良い環境を得ればそこから中々抜け出せない生き物だ。それが向上心に繋がったり成長の種となったり、色々な問題を引き起こしたりもするものであり、ある意味で人が太古から抜け出すことの出来ない業であるともいえる。
いえる、のだが。この屋敷の主人であるイナリにはそれがない。もう気持ちいいほどにない。
たとえば此処から最初の家に戻ったところで、いつも通りだろうという確信があるし……この家に越して来てからも増えたもので一番高いのはゴッドキングダムの玩具だ。
「お茶です」
「あ、はい。どうも……」
(また敷島さんがいる……)
和風メイドな格好のエリがお茶を置いていくのにもすっかり慣れてきた安野だが、エリも最近はかなり精力的に戦闘系覚醒者としての活動をしているのを知っているし、たぶん「イナリの友人」という立場ではエリが一番イナリに近いのではないかと覚醒者協会では分析していたりもする。
「ところでアツアゲが敷島さんの後を追いかけていったんですが……」
「ああ、よくエリは来るからのう。仲間認定したのではないかの?」
「はあ……そういうものですかねえ……」
自分もアツアゲにそれなりに会っているはずなのになあ、とは安野は思うのだが、別にそれを言いはしない。お茶を一口飲めば、比較的安価だけど安定したお茶の味がする。淹れ方が上手なのでランクが1つ上の味になっているが……それはエリの手腕だろう。
「うむうむ。エリは茶を淹れるのがほんに上手じゃのう」
「そうですね。ところでこのお茶、何処でお求めになられたんです?」
「ぶらざあまーとじゃよ」
「ああ、あのコンビニの……」
「巣鴨にも茶葉を売る店はあるんじゃが、これはこれで飲みなれた味でのう」
「そういうの、ありますよね……」
ブラザーマート。アニキのような頼りがいがキャッチコピーの全国チェーンのコンビニだが、イナリはよくそこに出入りしている。いる、のだが……駒込は覚醒者協会が一部を除き買い上げて開発計画を主導していた影響で、ブラザーマートは徒歩ではちょっと辛い範囲にしか存在しなかったりする。
ちなみに巣鴨のお茶屋さんはそれなりにお高いものを揃えてはいるが、主に武本武士団がお得意様であるからこそのラインナップであったりする。
そして宿泊を中心とした駒込の場合は逆にそういう店が少ない……サトウマートが佐藤商店という名前と駒込に合った店構えで存在したりするのだが、まあそんな感じで上手く住み分けている。
(まあ、ある意味で狐神さんによく合った町になったんでしょうか……)
そんなことを考えながら安野がお茶を一口含めば、ガシャガシャと何やらロボットじみた音が聞こえてくる。
どうせアツアゲが何かやっているのだろう、と。そんなことを安野は思うが……廊下から現れたのは、何やら全長50センチを少し超えるくらいの鎧武者であった。面頬……というか目元まで覆うマスクじみたものをつけ、安野を見るとビシュウウウウ! と音をたてて2つのロボットじみた目が輝く。腰に大小2本の太刀を佩き、手には薙刀まで持っている。そう、指があるのだ……!
「って、あ。これってアレだ……こういう玩具でよくある差し込むタイプのやつ……」
そう、子供向け……主に男の子向けの玩具で丁度武器を持たせられるような穴が開いているタイプの「手」パーツである。
そこまで理解すると、これを用意したのが誰かはもう明らかである。
「あの……これって敷島さんっていうか……使用人被服工房が……?」
「うむ。何やら、やはり『巫女には武者』という結論に到ったらしくてのう」
「別に巫女と武者はそういうセットじゃないと思うんですが……」
「まあ、別にええんでないかの」
「それはそうですが……」
安野が武者アツアゲを見ると、丁度バイザーみたいになっている部分で再び目がビシュウウウ! と輝く。
「……ひとまず、あの目元の仕掛けは何なんですか?」
「ん? おお、あれは別に意図した仕様ではないらしくてのう」
「え? じゃあ何ですかアレ」
「アツアゲがなんぞやっとるんじゃないかのう」
「また積み木ゴーレムの謎が増えてる……」
というか武者アツアゲの鎧や武器の素材がそれなり以上の品質に見えるのは、やはりパートナー用装備開発の一環なのだろう、けど。
(どう考えても趣味が入ってる……趣味だからお金の使い方が……うーん……)
しかしまあ、一番注目されている「パートナー」が誰かといえばアツアゲなのだから、人々はアツアゲを見てパートナー装備の出来を判断する……と考えれば、悪くない投資と言えるのかもしれない。
「まあ、その……アツアゲが嬉しそうで何よりです」
「そうじゃのう」
しみじみとそんなことを言うイナリは、恐らく本当にそう思っているのだろう……そういう意味では使用人被服工房とイナリの相性は非常に良いように安野には思える。
「あ、そうそう。最近、デンマークの覚醒者協会が結構大きな動きを見せてるみたいでして……狐神さんに対する問い合わせも結構多いんです。今のところ入国している関係者もいませんが、一応注意してくださいね。何かあれば私にすぐ連絡をお願いします」
「うむうむ。そうさせてもらおうかのう」
そんな会話をして安野が帰っていくと……エリがひょいっと顔を出してくる。
「あ、もう安野さんはお帰りに?」
「うむ。忙しそうじゃからのう」
ちょくちょくやってきてはメイドをやっていくエリだが、イナリがそういうことをしてくれるならと報酬を渡そうとしても「趣味ですから」と頑として受け取らないし、むしろ恵瑠と仕事を平和的に取り合っているのはイナリとしては「よく分からんが……本人たちが幸せなら、まあ……ええかの……」というスタンスになってきている。
「あ、忙しいで思い出したんですが、使用人被服工房も最近は就職希望者が結構増えまして」
「おや」
「やはり時代は執事やメイドってことなのかもですよね」
「そうなのかもしれんのう」
ちなみに何故かという疑問の答えは単純で、使用人被服工房の戦闘系覚醒者があちこちのダンジョンや現場に出向いたりするようになったのが原因であり……「実力があり華やかで非常に行儀が良い」覚醒者があちこちに現れ、それが一目で何処の所属か分かるとなればどうなるか、という答えであったりする。要は憧れの職場現象であり、新しく覚醒した者やソロでやっていた者などが今日も面接に臨んでいるという。
似たような理由としてはイナリがイメージキャラ契約をしているフォックスフォンにも入社希望者がそれなり以上にいる、らしい。
まあ、その辺りはさておき……エリは懐中時計を取り出すと「あ、そろそろですね」と声をあげる。
「おお、もうそんな時間かえ?」
「ええ、30分前です。えーと……」
玄関に向かってくるアツアゲにエリは視線を向けると。和風メイド服からサッと何かを取り出す。
それはアツアゲが最近ハマっている特撮アニメ「獣神機アムドレオ」のDVDであり……エリが取り出すと同時にアツアゲの視線がそちらに向く。
「ほーらアツアゲ、昨日発売されたばかりのアムドレオの1巻ですよー。おまけ映像も入ってますよー」
DVDを求めてガシャガシャと……そう、まだ武者アツアゲである……ガシャガシャと動くアツアゲに、エリはパッケージの一点を指差す。
「しかも初回限定版! なんとノンクレジット版のオープニングも……! ほらほら、来ないとこのパッケージ、開けちゃいますよー」
DVDを振りながら2階へ向かうエリをアツアゲが追っていき……やがて、表門から連絡を受けてイナリは来客を迎えに行く。
そこに立っていたのは西洋風の白い装束に身を包んだ、1人の女性であった。
おかっぱ頭に切りそろえた金色の髪は美しく艶があり、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。その輝きだけでも人目を引くというのに、その顔の造作もまた美しい。
綺麗に整えられた細い眉と、何処となく細いアーモンドを思わせる目もこれまた金色の輝きを持っている。
身体自体も細身ではあるものの、非常に健康的な印象があり……一言でいうのであれば「美女」としか表現しようがない。
そう、この女性こそが月山ミチル……ヒーラー系の最大手クラン『サンライン』のマスターである。
そんなミチルの背後に控えている2人は護衛だろうか、鎧をガッチリと纏ったその姿は、まさにミチルを守る騎士といった風情だ。
「お久しぶりです、狐神さん。以前の会議以来でしょうか?」
「そうじゃのう。中々会う機会もなかったからの」
「ふふ、それについては申し訳ありません。六志麻から聞いているかもしれませんが、私たちの間での調整に手間取ったもので」
そう、9大クランとイナリは相互協力関係にあるが、実際に関係を深化させているのは武本武士団くらいのものだ。特にマスターの武本の娘である恵瑠はイナリの屋敷に結構な頻度で出入りしている。ぶっちゃけた話で言えば、武本武士団に他の8クランは大きく出遅れている。迷惑になってもいけないと控えていたが、イナリが駒込に屋敷を構えた以上はいつまでもそうしているわけにもいかない……と、今回の話になったのだが、前回は魔道連盟の長である朝子がイナリと撮った写真をSNSにあげてバズっていた。それ以降、それなりの頻度では連絡をとる仲程度にはなっていた。
……そしてそれは、当然のように他の9大クラン……武本武士団は除くが、彼らのある程度の焦りを加速させていた。
「というわけでして……ガッツリと思い出深い交流をしようということで、今日はその打ち合わせに伺いました」
「うむうむ、まあ立ち話もなんじゃからの。入るとええ」
「お邪魔します」
そうして居間に通されると、スッとエリがお茶を運んできて去っていくが……続けてアツアゲがスッと煎餅の袋を1つ運んできて去っていく。
「あ、こらアツアゲッ!」
それをエリが見つけて追いかけていくが……そのパタパタという足音のする方向を見ながら、イナリがニコニコと微笑む。
「ほんに仲がええのう」
「今のって……最近話題のメイドさんですよね」
「おお、そうじゃのう……最近頑張っとると聞いとるよ」
「ふむ……」
敷島エリ。クラン「使用人被服工房」においては文句なしのエースであり、覚醒企業としての使用人被服工房でもエースだ。正直に言えばメイド趣味がなければ、あるいは使用人被服工房がなければ……9大クランの何処に行っても才覚を発揮しただろうとミチルは考えている。
しかしまあ、メイド趣味がエリをそこらの有名覚醒者にも負けない知名度を発揮する要因になっているのも確かなのだ。
何しろ、街中でもダンジョンでも1度見たらそう簡単には忘れない。主にメイドなせいである。
最近は覚醒者に求められるアイドル的な面でも活躍しており、エリ関連のグッズもそれなり以上の売り上げを叩きだしているらしい。
エリのジョブであり、物理と魔法の両方に対応可能なタンク職「マジックフォートレス」の評価もエリの活躍で大幅に上がっており、その影響で最近のタンクは特化よりも自分の弱点を補強し立ち回りをより重視する方向が人気だという。
「ああいう『有能』だけで終わらない人は常に欲しているんですけどね。そういう人こそ他所に行ってしまう……ままならないものです」
「エリはのう……めいどじゃからのう……」
「クランの雰囲気作りは結構頑張ったつもりだったんですが、使用人被服工房と連携してそういうのも導入しましょうかね?」
「儂に聞かれてものう……」
ちなみにサンラインの本部は神話の神殿のような外観にしており、そういう意味では武本武士団も魔道連盟も、そしてサンラインも……9大クランなどと呼ばれるに到るには、そうしたイメージ作りにも手を抜いていないのが……それが全てではないが重要であることが大切であるというのが誰の目にも理解できるだろう。
「ああ、そうでした。打ち合わせを忘れるところでした」
「うむ。まあ、茶を飲むとええ」
そうしてお茶を一服しつつ……ミチルはその用件を切り出す。
「実はですね。私たちサンラインと狐神さんでの共同作戦など如何なものかと思いまして」
「共同作戦?」
「ええ、とはいえそんなに大仰なものではありません。私たちサンラインが請け負っている、新人育成も兼ねた中規模作戦にご参加いただくのはどうかと」
「ほう? 中規模作戦……何やら只事ではなさそうじゃが」
「ふふふ……確かに実戦ですので楽しいイベントとは言い難いですが、互いを理解するのは1000の言葉より1つの実践ともいいます。私たちがどのようなクランであるか、そこで私がどのように率いているのか。様々なことがそこに集約され、それはより深い理解に繋がるでしょう」
まあ、筋は通っている、とイナリは思う。実際、1つの体験が絆を結ぶことはよくある話だ。しかしまあ……懸念点は、ある。
「その中規模作戦とやらが新人育成を兼ねておるというのは一体? そんな場所に部外者を放り込んで良いものなのかのう」
「いえ、狐神さんに関しては新人を援護し指導するベテラン部隊のゲスト……客人になっていただければと。それと今回のイベントですが……」
新人育成というのは遊びではない。出来る限り安全な場所、かつフォローの出来る場所で行うことが推奨されるが、ダンジョン内では何が起こるか分からない。だからこそダンジョンの外での作戦が推奨されるわけだが……丁度それが出来る場所があり、サンラインはそこを毎年押さえているのだ。
「何やら都合が良く聞こえるが、そんな場所があるというのかえ?」
「はい。というのも事情があるのですが……ひとまず、場所は青森県です」
「リンゴの旨いところじゃな」
「他にも色々ありますが……まあ、そこです。まだ少し先のことになりますが、スケジュールをお渡しするので参加の可否を早めにご連絡くださりますと嬉しいです」
「……断ったらどうする気なんじゃ?」
「その際は、もっと平和的なものを考えます」
なるほど、どちらでもいいが出来れば参加してほしい。そういうことなのだろうとイナリは理解する。
「まあ、ええよ。細かいことはこの後詰めていこうかのう」





