お狐様と世界の現状
第10章、開始です。
書籍1巻もよろしくお願いします!
これは当然の話なのだが、働く人がいるということは、その人たちが住む場所が存在する。
武本武士団と住民たちの協力で作り上げた巣鴨とは異なり、その隣の駒込は覚醒者協会がほぼ全ての土地を買い上げた駒込では、一部の例外を除き個人の土地というものがない。
巣鴨と駒込を合わせた一大観光地として有名になった影響で、その観光客の受け皿として用意された駒込は温泉旅館が立ち並んでいる。
此処で大切なのは、旅館のような24時間何かしらの対応が必要な場所では、その比較的近くに従業員寮が作られる傾向が強いということである。
しかし駒込の「和風」な性質を崩してしまうのは大問題だ……そこで作られたのが、それこそ江戸のごとき和風な街並みを最大限に利用した「長屋」風の住居であった。
無論、江戸の本物と比べると遥かに広く過ごしやすく、家族での入居に充分以上に耐えうる二階建ての住居であった。
1つの建物を壁で区切ることで建物内に関しては完全に共用空間を無くした長屋はコの字型に作られ、観光客にはご遠慮していただくプライベートな空間としての共用中庭をも確保していた。
コンクリートではなく土をそのままにしている地面は、いわばそこに住む子供たちにとっての小規模な公園であり、子どもたちが楽しげに遊ぶ声が聞こえてきていた。
いくらでも最新ゲームのある時代に、子どもたちが外で遊ぶ理由などただ1つ。それより魅力的なものがあるからだ。そしてそれは……この駒込では、よく見慣れたものだった。
「じゃんけん、ぽん!」
「あいこでしょ!」
「おや」
「わーい、イナリちゃんが鬼ね!」
「うむうむ。では、そうじゃのう……」
じゃんけんで鬼を決めている。となると……鬼ごっこだろうか?
いや、違う。子供たちはじりじりと距離を離しているものの、周囲を確認するような仕草を見せている。
「よーし……では、青じゃ!」
その言葉にワッと一斉に子供たちは散っていく。そう、これは色鬼と呼ばれる遊びである。
鬼が決めた「色」が安全地帯であり、1人がそれに触ったら他の人は別のものを探さなければいけないのだが……「無い色」を指定するのはズルいので、出来るだけたくさんの色がある場所でやることや、鬼側の気遣いなどが試される遊びでもある。
そしてこの場所には物干しやら子供たちが遊びに使うバケツやらと、それなりに色々な色が揃っている。
とはいえ、それも全員分があるわけではなく……けれどイナリが混ざっている場合、安全な色を見つけられなかったのは別に悲しいことではない。
そう、今日はイナリがいる。それが子どもたちが外遊びをしている一番大きな理由であった。
「お? どうやら安全地帯を見つけられなかった子がおるのう……それ、捕まえてしまうぞー!」
「わー!」
「きゃー!」
勿論、イナリがその気になれば非覚醒者の子どもなど簡単に捕まえられる。しかし、当然ながらイナリはそんなことはしない。子供たちが逃げられる速度で、ポテポテと小走りで追いかけている。
ここで大事なのは、子どもは手加減されていることを敏感に察知するということだ。そう、察知する。するが……大事なのは好感度だ。子どもたちのイナリに対する好感度はマックスに近いため、基本的に何をしようと好かれてしまう。理不尽ながら世界の真実であるのだが……まあ、さておいて。
「よーし、捕まえたのじゃ!」
「わー、捕まったー!」
女の子が1人イナリに捕まっていたが、その顔は非常に嬉しそうだし他の子は羨ましそうな顔をしている。そう、もうどうしようもないくらいにイナリ大好きっ子たちであるわけだが……それはイナリが自分たちと同じくらいに見える、というのが大きいだろう。
実際に何歳かというのはひとまずさておいて、同じくらいの年齢に見えてキラキラした世界にいる子というのは、大抵の場合嫉妬か憧れの対象になる。
しかしながら嫌味なところも傲慢なところも……およそ嫌われる要素が第一印象では1つも存在しないイナリを嫌うのは中々に難しい。
まあ、そんなわけでイナリは子どもたちの遊び相手として自然とロックオンされるわけだが……親御さんからしてみれば、やはりイナリは有名な覚醒者というのもあるし見た目にも色々安全だしと、子どもと遊んでくれるなら大歓迎な相手である。
特に土日は子どもが学校がお休みな分、相手をしてくれる人は本当に……何の忖度もなく大歓迎なのだ。
まあ、そんなわけでお昼の時間になった子供たちが親に呼ばれると自然と解散になるが……そう、今日は土曜日。世間的にはサラリーマンがお休みであり、逆にサービス業は忙しくなる日である。
今日の駒込はまさにそんな日であり、街中にはいつも以上に観光客がいる。そんな中で、観光の理由の1つであるイナリが出歩いていればどうなるかといえば、テーマパークのマスコットのごときである。
「わー、イナリちゃんだ!」
「本当にちっちゃいんだ……」
「すご……あんな美少女、いるの……?」
フォックスフォンのポスターやグッズ、その他のテレビ映像などでしかイナリを知らない人々からしてみれば、実際にイナリに会ってみると色々と驚くものがあるらしい。
それがどういう意味でかは人それぞれだが、イナリが美少女であるという点だけは同意であるらしい。
実際、生物学的な話で言うのであればイナリは耳や尻尾のことをどうこう言うまでもなく、人間には到達不可能な肉体を持っている。睡眠不要、食事不要、もっといえば呼吸すら不要であり俗なことをいえば様々な美容ケアは常に最高の状態で保たれているのでやる必要すらない。というか、やる意味がない。
以前秋葉原のクラン「使用人被服工房」の面々が赤ちゃん肌と評したことがあったが、まあそんな感じである。
とにかく白く美しい長い髪に狐耳がぴょこんと生え、巫女服のお尻からは狐尻尾が出ている。
明らかに狐娘……一般的な人間の形からは外れた部分も、覚醒者であるならば「そういうこともあるかもしれない」で済まされてしまう。何しろジョブも「狐巫女」なのだから。
水中や空中を何の制約もなく動き回る覚醒者がいることを思えば、耳や尻尾くらい普通に思えてくるものだ。
そう、覚醒者こそは現代のリアルヒーローでありスーパーヒーローだ。覚醒者協会によるイメージアップのための各種の施策に頼るまでもなく、世界を守っているヒーローなのだ。その時点で好感度は高いし、覚醒者の登場と覚醒者協会という組織が戦争を無意味にしたことも大きい。
どの国に行っても覚醒者はいるし、どの国の統制も受けず、戦車を真正面から壊せる戦闘系覚醒者を相手に軍隊で勝てると思う指導者は居ない。何よりも、自国の覚醒者に見捨てられたら今度こそ国が滅びる。それを忘れるには、まだそんなに時間がたっていない。
まあ、そんなわけで覚醒者とは平和の象徴でもあり、特に各国のトップランカー……各国ランキングのトップ5を指すが、そう呼ばれる人々は人気が凄まじい。
日本で言えば、最近変動があったばかりだ。
1位、『勇者』蒼空陽太。
2位、『プロフェッサー』真野月子。
3位、『潜水艦』鈴野紫苑。
4位、『黒の魔女』千堂サリナ。
5位、『聖騎士』獅童耕哉。
いずれ劣らぬ実力者であり、実力以外の部分では結構問題がある面々でもある。
たとえば『勇者』は今日も日本に居ない。インドからのヘルプ要請を受けて即座に飛んでいっている。
2位の『プロフェッサー』は世界各国の覚醒者協会が引き抜きを狙う魔科学者……魔力を利用した新しい科学のナンバーワンであり、本人も人付き合いが大嫌いなのでほぼ人前には出ない。
3位の『潜水艦』は顔のメディアへの露出を極端に嫌うため、5人の中で一番顔の知られていない有名人である。
4位の『黒の魔女』は日本にいるしフットワークも軽いしメディア対応もこなすし実力もあるのだが、中二の権化でお子様にいわゆる黒歴史を作りかねない。
5位の『聖騎士』は爽やかイケメンで品行方正に見えるが、私生活その他が全然ダメなので『黒の魔女』とは逆の意味でダメである。
さて、それを前提にして現在8位のイナリはどうかというと……ビックリするくらいに何の問題もない。あえて言うなら「稼ぎの割にお金を使う習慣がない」ことだが、もう本人が米と米に合うもの以外には物欲ゼロなので本当にどうしようもない。まあ、最近は「逆に安心だよね」という評価になりつつある。
そして大切な実力については「任せて安心」レベルであり、先日沖縄の事件の解決に大きな貢献をしたことでも有名である。
そう、沖縄全土における水棲モンスター大規模襲撃事件。そして……これは秘匿されたが「神のごときもの」の使徒による事件。
この前者の沖縄全土襲撃事件に関しては日本だけではなく世界中でトップニュースとして報道された。
まあ、当然だろう。人類が海における弱者と化してから、海に関する職業はモンスターに殺される確率の一番高いものと化した。その分給料も高くはなったし覚醒者を護衛として雇ってもいるが、船ごとやられる例は後を絶たない。
マリンレジャーも無くなった現在、海とは何よりも恐ろしく警戒すべきもので、海に面した国は何処も防衛体制に関して日々悩んでいた。
それだって、水棲モンスターが「たまに現れる」のをどう対処するかという話だったのが今回の沖縄の事件である。どの国もパニック一歩手前で済んだのは奇跡といっていいし、土地価格に関してとんでもないことになった国もあったらしいが……まあ、さておいて日本がそれに無事に対処したことも大きく知られることになり、そこにやはり「狐神イナリ」の名前があったことも調べずともすぐに分かることであった。
そうなれば、そんな優秀な覚醒者はどの国の覚醒者協会も引き抜きたい。
何しろ、覚醒者は「国」という枠組みに縛られない独自の戸籍を持つ者たちだ。覚醒者になった時点で「その国の国民」ではなく「その国の覚醒者協会の登録者」になるのだ。
つまり国籍が無く各国の覚醒者協会がその身分を保証しているわけだが……これは国の指図を受けないためであり、覚醒者基本条約ならびに関連法によってガッチリと決められている。
文句があるならいつでも出ていってやるぞ、が出来る覚醒者ならではであり、覚醒者を利用したり弾圧しようとした初期の問題による埋められない溝の証拠でもあるわけだ。
とにかくそんなわけで覚醒者は本人が望めば移籍も簡単であり、そうされないために各国の覚醒者協会は自国の覚醒者をしっかり囲い込むための策を色々と講じるわけで……そんな攻防は現在も続いている。
特に「これからトップランカーになるかもしれない」相手などは是非狙いたいわけで、イナリはまさにその対象だ。
今もまさに覚醒者協会日本本部には探りの電話やら各種の交渉やらがひっきりなしであり、しかしイナリに直接交渉する者は今のところ以前のイタリア支部長のキアラ以降は現れていない。
その理由は色々あるが……そのうちの1つを見つけて、イナリが「おお」と声をあげる。
「あ、狐神さん! こんにちは!」
「うむ、こんにちは。安野は今日も元気じゃのう」
「え、あの……私って元気キャラで認識されてたんです?」
「いつも頑張っとるなあとは思っておるよ」
「そうですかあ……」
そう、覚醒者協会日本本部、営業部サポート課の安野果歩。イナリのサポート役として頑張り、最近主任に出世したらしい苦労人である。
そんな安野がこうして高い頻度で会いに来ることで秘密裏の接触などはさせないというポーズをとっているのである。もっとも実際には安野がいないときにやればいいだけなのだが、どの国の覚醒者協会もわざわざ日本本部とやり合いたいとは考えていない。
その辺りは「勇者」が恩を売りまくっているのが実は役にたっている。日本本部と敵対して「勇者」という便利な戦力を使えなくなるのは嫌なのだ。
「特に最近はほれ、沖縄の件で忙しかったじゃろ?」
「まあ、あれも引継ぎが出来るまででしたから……」
イナリ担当である安野をずっと引き留めるわけにもいかないという事情がそこにあったりしたが、引き継いだ本部職員はやることが多すぎて頭を抱えていたし、今も沖縄で沖縄支部の職員たちと共に各種調整をしている。さておいて。
そもそもイナリが駒込にいるのは、観光地とも化している「イナリのお屋敷」があるからだが……覚醒者協会による警備がされており、日本でも有数の安全地帯となっている。
そのお屋敷の門を潜り入り口の扉を開ければ、イナリの服の中からアツアゲがピョンと飛び出て居間へと走っていく。
「あー、そういえば『パートナー』も色々と過熱してるみたいですね」
「ふむ?」
パートナー。ペットと呼ばれることもあるが、特殊なアイテムを手に入れることでモンスターを仲間に出来る仕組みのことである。イナリが積み木ゴーレムである「アツアゲ」を手に入れたことで巻き起こったパートナー入手の熱は未だ収まることはなく、アツアゲ人気でさらに加速していた。
……とはいえ、積み木ゴーレムを何度も相手にするのはギャンブルそのものなので、もっと手に入れやすい一般モンスター相手に入手を狙う者も多い。
「最近、ようやくリビングメイルをパートナーにした人が出たそうでして。アツアゲみたいに反則みたいな能力は持ってないみたいですけど、頼りになるそうですよ」
動く鎧であるリビングメイルは見た目にも格好よく、頼りになりそうなイメージがある。どうせならゴブリンやオークではなく、そういうのを手に入れたいというのも当然の欲求なのだろうが、まあようやく成功したということだろう。これをすればいいという条件が不明なだけに、運頼りではあるが……それがダンジョン攻略に繋がるのであれば世界のためにもなる、といった感じだ。
「うむうむ。皆頑張っとるんじゃなあ」
「まあ、頑張ってるといえばこの駒込のダンジョンもですけどね」
東京第11ダンジョン。通称「カードダンジョン」であるが、そこで産出する「電脳ウォーズ」のカードを戦いに取り込んだ「カードバトラー」と呼ばれる覚醒者も増えているらしいが、駒込が混んでいるのにはそういう理由もあったりする。
「パートナーのように仲良く出来るわけじゃないですが、ある程度お手軽に色んなモンスターの力を使えるのはやっぱり便利ですからね」
「いつでも混んでおるようじゃからのう」
ボスが入場者によって毎回変わる東京第11ダンジョンはイナリが入ったときには「ノイズイナリ」なるボスが出てきたが……どうにも「そのとき入った中で一番強い者」を元にボスが作られることが分かっている。だから、自分を元にしたノイズモンスターを出してカードを手に入れたいとか、強い人をそのときだけ雇ってどうのこうのとか、そういうこともやっている、らしい。
らしい、というのは覚醒者協会としては別にそれにどうこう言うつもりもないからであり、近くに住んでいるイナリも全く興味が無いからである。
どちらかというと今日も元気に鳴いているザンザンゼミのほうがイナリの興味を引いており……そういう意味では今日は、とっても平和な日なのである。





