目覚めのとき、そして
ダンジョンの外に転移したイナリは、ゆっくりと周囲を見回す。
しかし蹴りの姿勢のままで停止したヒカルも、ダンジョンゲートを監視する覚醒者協会の職員たちも……そして空も、何も変わりはない。
放っておいても原因を排除した以上は時間経過で戻っていくのかもしれないが、その確証はない。
3分後くらいには戻っているのかもしれないし、3日かかるかもしれない。流石のイナリとて、そんなことが分かるはずもない。だからイナリは金の報酬箱を地面に置くと、狐月をしっかりと構え直す。
今沖縄を覆っているのは、人を害するための事前準備。すなわち、悪しき意思の蔓延。ならば、それは当然祓われるべきだ。だから、イナリは刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ金の輝きを纏っていく狐月は、荘厳なるその輝きを纏って。
「破邪顕正の理を示せ――秘剣・数珠丸」
黄金の輝きがイナリを中心に広がっていき……それは急速にその範囲を広げ続け、やがて沖縄そのものを包むかのような光の柱となって立ち昇っていく。
その黄金の光が消え去った後……ヒカルが足を空振り、職員たちがイナリとヒカルを見て「うわあっ!?」と驚きの声をあげる。
「な、なんだあ!?」
「え!? あ、貴方たちいつの間に此処に!?」
「あ、報酬箱! え? 貴方たちダンジョンに入ってたんですか⁉」
「そんなまさか……! 此処はずっと監視してたのに!」
「うーむ。どう説明したものかのう」
確か神のごときもの関連に関しては秘匿されていたはずだ。確かその理由は「訳の分からない強大な力を持つ存在がいるとなると混乱が起きるから」だったが……そうなると、イナリが勝手に色々と説明するのはあまりよろしくない。
だから少し考えて、イナリは覚醒フォンを取り出し安野へとかけ始める。
『あれ? 狐神さんですか? 突然消えてビックリしたんですが……今どちらに?』
「うむ。今だんじょんの前にいるんじゃが」
『えっ、一瞬でどうやってそんなところに』
「うむ、ほれ。お主は知っとるじゃろ? 儂が何度か関わっとる……」
『すぐ行きます。あと電話代わってください。そこに現地職員いるんですよね?』
言われてイナリが覚醒フォンを渡すと、訝しげに見ていた職員が「えっ!」と声をあげる。
「は、はい。勿論です。ええ、ええ」
電話を持ちながらペコペコしている姿にヒカルは「力関係がハッキリ分かんなあ……」と呟いていたが、そのまま視線をイナリへと向ける。
「……お前が倒したんだよな、あいつ」
「うむ」
「どうなったんだ? 死んだのか」
「すでに人としては死んでおったよ。怪物に成り果てておったからの」
「そうか」
言いながら、ヒカルは大きく溜息をつく。まあ、結局イナリが解決してくれたということだが……少しばかり自信を無くしてしまう。
「もっと強いつもりだったんだがなあ」
「ん? 強いじゃろ?」
「いや、負けただろ」
「相性の問題じゃろ。儂は元々搦め手には強いんじゃよ」
強いというか効かないのだが、とにかく人体をどうにかする類の技はイナリには効かないのだから本当に相性の問題であるとしか言いようがない。
平たく言えば真正面からぶつかってイナリより強ければイナリにはどうしようもない。そういう話でしかないのだから。
「相性、ねえ……」
「うむ。ヒカルは真正面から戦うのが得意じゃろ? あやつが得意としとったのは搦め手じゃ。それではちと相性が悪い」
「……まあ、そうかもしれねえけどよ」
けれどイナリは、そうでない相手でもねじ伏せられることをヒカルは知っている。とはいえ、イナリが本気でそう言っていることもヒカルには分かる。
(まあ、結局はアタシがまだ弱いってだけの話なんだよな)
もっと強くならなければいけない。けれど、今回出会ったような「神のごときもの」みたいに安易に力を貰うつもりもない。【全ての獣統べる万獣の王】はそういう神さまではないけれども……。
―【全ての獣統べる万獣の王】は鍛錬の大切さを説いています―
「まあ、アンタはそうだよな」
「む?」
「ああ、違う。イナリの話じゃねえよ」
「さよか」
そんなことを言っている間に一台の車が到着し、安野がバタバタと降りてくる。
「狐神さん、おつかれさまです! あとは私がやっておきますので、その車でホテルまで帰ってください!」
「おお、そうかえ? ありがとうのう」
いわゆる覚醒者協会の職員同士の話になるのであれば、イナリに出来ることは何もない。頷いてヒカルと共にホテルへ帰っていく、その前にイナリは金の報酬ボックスを手に取る。
「開けるのか? いいもん出るといいな」
「そうじゃのう」
包装紙を破きながら箱を開ければ、中から出てきたのは……真っ赤な手乗りサイズのシーサーの置物だ。なんとなく金城の顔が浮かんできてしまうが、何故こんなものが出てきたのかはサッパリ分からない。
「うーむ……」
「なんか沖縄土産っぽいの出てきたな……なんだこれ……」
「あ、鑑定しますよ!」
イナリが報酬ボックスを開けたのが見えたのだろう。職員が走ってくるが……鑑定すると「おや」と声をあげる。
「どうやら持ってるとほんのり健康になる効果があるアイテムみたいです」
「なんだそりゃ」
「こういう『素晴らしい効果とは言えないけど無駄じゃないしなんとなく嬉しい』みたいなアイテムって、たまに出てくるんですよね。まあ、そんなに高い値段はつきませんが」
名前は「魔除けのシーサー(赤)」であるらしい。つまり別の色もあるということなのだろうが……金の報酬ボックスに相応しいものであるかどうかは、イナリにもヒカルにもちょっと判断し難い部分がある。
「ヒカル、どうじゃ?」
「いやあ、要らねえかな……これでも健康には自信あるし……」
「そうか。儂も要らんのう……」
「エリが留守番してくれてんだろ? あげれば?」
「そうじゃのう」
そんなわけで魔除けのシーサーはエリへのお土産に追加されることが決定して。安野はこれから新しい問題に対処するためにまた物凄い働くことに決定していた。
……その処理で安野だけ帰還が1日遅れるというトラブルはあったが……それはさておいて。
翌日、ヒカルと共に東京へと帰ったイナリは、そのまま迎えに来た覚醒者協会の車で各自の家へと帰っていくことになる。そして、イナリの場合は家に帰るとどうなるかというと。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「うむ、ただいま。儂はお嬢様ではないがの」
「ふふふ、お屋敷でこういうのやると、すっごいメイド感ありますよねー」
玄関ですでにエリとアツアゲがお出迎えに来ている。しかし、アツアゲがエリの肩に乗っているところを見ると……どうにも仲良くなったようだ。
「仲良しになったんじゃのう」
「ようやく仲間として認めてくれたって感じですね。といいましても……」
「ぬ? ぐえっ」
エリの肩からジャンプしてイナリの顔に張り付いたアツアゲがそのまま頭の上へと登っていくのを見て、エリが「ふふっ」と微笑む。
「でも結局はイナリさんがお好きみたいですね」
「そうなのかのう」
何やら頭の上で踊っているアツアゲをそのままにしながら、イナリはエリへと向き直る。
「ま、何はともあれ今回は助かったのじゃ」
「いえいえ、そちらも大変だったみたいですね」
家の中に入りながらイナリとエリはそんなことを言い合うが……実際、今のテレビもネットも沖縄のニュース一色だ。
沖縄に立ち昇った超巨大な光の柱。それは当然のように以前伊東で観測されたものと同一視された……というか実際どちらもイナリによるものなのだが、覚醒者協会がその辺りを「調査中」としたことで、様々な憶測が飛び交った。
何しろ、沖縄の人々は誰もそれを覚えていないのだ……「いつのまにか時間が経過していた」といった認識だけであり、全ての観測機器は当時の沖縄の状況を記録していなかった。
ちょうどリビングで流れているニュース番組でも、その話をしているようだった。
―こちら那覇空港です。こちらでは問題となっている『空白の時間』の間、全ての機器が1つの例外もなくストップしていたとのことで、外部から沖縄への通信も事実上の遮断状態にあったそうです。このことから、沖縄へ何らかの強力なスキルによる攻撃があったという見方もあるようですが、覚醒者協会からは現在調査中であるとの回答が得られています―
―ありがとうございました。本日は解説として魔道連盟の六志麻マスターにお越しいただいております。六志麻さん、今回の件についてどう思われますか?―
「お、朝子じゃのう」
「この前お会いしたんでしたっけ。写真見ましたよ」
「うむ……」
なんかあの写真は海外でまでバズったらしいが……イナリとしては「うむ」しか言いようがないのでさておいて。
―そうですね。現状としては「何も言うべきではない」というのが最適解になると思いますー
―と、言いますと?―
―覚醒者協会が調査中と言っているということは、文字通りに何も伝えられる情報が無いということです。どんな原因であったにせよ、沖縄全土に影響するほどのものです。少なくとも同様の現象が起こらないと確信できるまでは勝手な憶測が広がることは避けるべきですー
―しかし、影響範囲が大きすぎます。せめて進捗を発表するべきでは?―
―……もし今回の現象に何かしらの犯人が存在するとして。追い詰めることの危険性については言うまでもないと思いますがー
朝子が一方的にキャスターを黙らせているが……まあ、お互いの力関係を考えれば当然のことだ。覚醒者……それも9大クランの一角のマスターである朝子を怒らせれば将来のキャリアアップの道は閉ざされたも同然になる。そういう意味ではディレクターが責められるべきなのかもしれないが……まあ、この後責められるだろうからさておこう。
「あー、これたぶん協会本部から何かしらの要請来てますね」
「ふむ?」
「だって、光の柱が云々っていうのはイナリさんで、また何かあったんでしょう?」
エリに聞かれてイナリは「うむ」と頷く。別にエリ相手であれば隠すことでもなんでもないわけだから、その辺は素直だ。
「とすると、隠したい事情も推測できますし……まあ、私としてはイナリさんもヒカルさんも無事でよかったなって感じですかね」
「うむ、そうじゃのう」
これに関しては、イナリとしてもエリに完全に同意であった。安野が未だ沖縄で事後処理に追われているように、大人の世界……それも覚醒者の世界というものは色々な面倒ごとがある。それに関してはそういうことを仕事にしている覚醒者協会の職員や9大クランが背負うことであり、イナリのような一個人が背負うことではない。
だから、イナリがやるべきことはいつも通りの日常に戻ることであり……それ以上のことは、イナリの仕事ではない。
「さて、と。本来であればイナリさんがお戻りになられた以上は私も家に帰るところ……なんですが!」
「おお、そう急がんでもええじゃろ」
「はい、なので今日はお夕飯を作ってから帰ろうかな、と」
「では儂も手伝うとしようかのう、と。そうじゃ」
イナリは言いながらお土産を神隠しの穴から取り出していく。サーターアンダギーにちんすこう、その他イナリなりに厳選して買ったお土産の数々である。
「あ、レッドシーサーですね」
「うむ、念のため買ってみたのじゃが」
レッドシーサー人形をエリは「うーん」と声をあげながら見ていたが……やがて「これってあげる人決まってます?」と聞いてくる。
「いや、決まっとらんが。持っていくかえ?」
「はい! これ何気に沖縄限定なんですよね。ありがとうございます!」
「ではこれも持っていくとええ。健康に効くらしいが」
「あら、これも赤いシーサーですね。セットで飾っておきましょうか」
ちなみに机の上ではアツアゲがサーターアンダギーの袋をじっと見ていたが、別に食べるわけでもなくツンツンとつついていた。何がしたいのかはよく分からない。
「ありがとうございます、イナリさん。大切にしますね!」
「うむうむ」
そうして二人並んで台所へ向かっていくと、アツアゲはテレビのチャンネルを変え始める。そこでも沖縄のことをやっているが……何やらさきほどまで見ていた番組とは違うことをやっている。
―そんなわけで、今日はイナリちゃんも泊まったというアルトフィオリゾート沖縄にやってきました! 代表の与那覇さん、今日はよろしくお願いいたします!―
―はい、今日はよろしくお願いします―
―まずはこのホテルについて簡単にご説明お願いできますか?―
―そうですね、まず……―
チャンネルを変えれば、今度は金城がインタビューを受けているのが見える。まあ、アツアゲにとっては知らない人……いや、先ほど人形で見た顔だ。
―レッドシーサーだ! 皆、沖縄に会いに来てくれよな!―
各テレビ局は沖縄のことを報道するにしても「色々あったけど沖縄は元気です」という方向で報道をすることに決めたようだが……まあ、そうすることが沖縄のためにもなることを考えれば当然のことなのだろう。
どのみち、あと数日もすれば皆沖縄で色々あったということなどは忘れて別のニュースに飛びつくようになるだろう。それは情報の新鮮さの話でもあり、情報化社会の生み出したやり方であり、生き方であり……とにかく、そうして沖縄は「とても素晴らしい観光地」として輝きを取り戻す。
つまるところ、転んでもただでは起きないだけではなく「もっと強く輝く」ということでもある。
「沖縄ですかあ……」
「む、エリは沖縄が好きなのかえ?」
「はい。まあ、昔は沖縄といえば海みたいなところもあったらしいですけど……そこから脱却して今の姿になったっていう話、大好きなんですよね。人間の強さとはこうだ! みたいな感じで」
「うむうむ」
そう、人間は強い。かつての時代のモンスター災害であらゆるものが消し飛んでも、再び今のような形に復活した。いや、新しい形に新生した。
勿論、そこには覚醒者という新しい「形」も含んではいるが……それも含めて人間の強さであると言えるはずだ。
沖縄はまさにその代表的な例であり、今もまた沖縄を襲った危機から即座に立ち上がろうとしている。
「儂もなあ、人の子のそういうところが好きなんじゃよ」
勿論、その影にはイナリがかつて居た廃村のような、ひっそりと消えていくものもあるのだろう。
沖縄だって今の形になるまでにマリンレジャーというものを捨てざるを得なかった。
そんな、ひっそりと消えていくものがあったとしても……忘れられていくものがあったとしても。
それでも、そこに新しく生まれていくものがあるのであればイナリはそれを否定したりはしない。
より強く、より美しく変わっていく。それは人間が求めるものであり、そうであるからこそ人間であるのだとすら言えるだろう。
それはきっと……これからもどんどんと変化していくであろう世界の流れにだって、きっと負けないはずだ。
少なくとも……イナリは、そう信じている。
第9章はこれにて完。皆様、如何でしたでしょうか?
第10章はほんの少しのお時間をいただきまして開始となります。
発売中の1巻もよろしくお願いいたします!