ヒカル、沖縄第1ダンジョンに挑む2
みなさまー!
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泥のような場所を歩き続けて、戦い続けて。しかし、そうしているとヒカルは自分の精神が削れていくのを感じていた。
当然だ。何処まで続くとも分からない空間と、奇妙な弾力のある柔らかい泥の地面。そしてこの、朝焼けとも夕焼けとも判断のつかない赤い空。あらゆる不安定を混ぜ込んだかのようなこの奇妙な空間が、何処までも続くかのような……もう戻れないかのような錯覚をヒカルに起こさせる。
「ったく……めんどくせえぜ。なあ、神様。これの原因が何処にあるとか分からねえもんなのかね」
ヒカルのその問いに、答えはなくて。そこで初めて、ヒカルはダンジョンに入ってから【全ての獣統べる万獣の王】が全く語りかけてきていなかったことに気付く。
お喋りな【全ての獣統べる万獣の王】にしては随分とおかしなことだが、それに気付く心の余裕がなかったというのか。
何故か? 分からないが……もしかすると此処が他の使徒が何かをした空間であるということが関係しているのかもしれない。
それを言うのであれば外でもそうだが……ダンジョンという特殊空間の中で、なおかつ神のごときものの力で変容した場所であれば外とはまた話が違うだろう。
「……まあ、仕方ねえな。此処まで来た以上は戻るってのも違うだろうし……此処まで何かやってんなら、どうにか出来るタイムリミットがあってもおかしくねえ」
だから、戻る選択肢はない。ヒカルはそのまま進み……地面が揺れ始めたのに気付く。
「な、なんだあ?」
モンスターが出現するときにもこんな現象は無かった。一体何が起ころうとしているのか?
警戒しながらヒカルが構えれば、ヒカルの眼前に巨大な泥ゴーレムが出現していく。
ズズズズ、と音と振動をたてながら現れるその姿は……6階建てのビルよりも更に大きいだろうか?
「ボスの登場ってか。こいつ倒したら企み消したり出来るってんなら面白えがな……!」
そう呟き、踏み出そうとしたその瞬間。ヒカルの足元に大きな穴が開く。
「はあっ!?」
足元への注意が疎かになった瞬間だったからこそ、抵抗できずにヒカルは遥か下へと落ちていき……しかし「上」と同じように柔らかい泥の大地にボン、と跳ねてヒカルは転がりながら態勢を立て直す。
周囲を見回せば、上と同様に赤い空間が広がっている……というよりも、上と全く同じ構造になっていて、違うのは空が高い泥の天井になっていることくらいだ。そして、そんな場所にいるのは1人の男とも女とも判断できないローブの人物だった。
いや……真っ赤なローブを身に纏い、男か女かも定かではないその何者かは、その顔のあるべきところに黒い闇が溜まり、顔の造作など確認することも出来ない。手袋をはめた手から漏れる闇も、輝く2つの目のような光も……人間であるかどうかすらも確定させはしない。
「……ああ、お前が今回の犯人ってわけだな」
「我が神が他の神の使徒がいるというから呼んでみたが……随分と粗暴だ。我が神以外のくだらぬ木っ端の使徒であればその程度、か?」
「おうおう、随分あからさまに喧嘩売るじゃねえかよ」
思わずケンカ腰になるヒカルではあったが、小さく息を吐くと心を落ち着ける。向こうに対話をする意思があるのであれば、戦わずにこの状況を収めることも可能になる……かもしれない。まあたぶん無理だが、それでも対話を放棄するのは一応の対話をしてみた後だ。
「チッ。なあ、お前何がしたいんだ? 沖縄の時間を止めて何の得がある。いや……それ以前に、そんなことが出来るお前の神様は何処の誰だ」
「質問だらけだな。もっと自分で考えることは出来ないのか?」
明らかな挑発だ。そんなものに乗るのは愚かでしかない。そんなことはヒカルも分かっている。
だから、1度だけ我慢する。
「そう言うなよ。何事にも理由があるもんだ。アタシを此処に呼んだくらいだ……理解させようっていう気くらいはあるんだろ?」
「いや、ないな」
「は?」
「邪魔な奴は確実に仕留めようと思っただけだ。それに……質問ばかりで考える力のないアホと会話をする気はない」
「そうかい。言葉のキャッチボールじゃなくてドッジボールをご希望かよ。いいぜ、ぶん殴ってやる」
「出来るのであれば」
その言葉が終わる前に、ヒカルは一気に踏み込んで使徒の前に辿り着く。簡単なことだ。覚醒者としては徹底的に近接タイプのヒカルは、あくまで短距離だけで言うのであれば、同じ距離で銃弾が届くより速く相手に到達可能だ。
「猛虎ッ! 九連掌オオオオ!」
とんでもない音を響かせながらの九連打の掌底が使徒へと叩き込まれて、使徒は吹っ飛ぶようにして地面へと転がっていく。
「ハッ、どうやらその訳わかんねえ身体にもキチンと中身があるらしいな」
追撃で更に蹴り飛ばすヒカルに使徒はなんとか立ち上がろうとして。しかし、ヒカルはそれを許さない。
(こいつは時間を止めた……! それをもう使えねえなんて保証はねえ! 此処できめる!)
「これで……トドメだあ!」
ヒカルがまさに今必殺の蹴りを放とうとした、その瞬間。ヒカルの動きがピタリと止まる。
いや、止められた……というべきだろうか? 今まさに蹴りを放とうとした、その動きのままで停止しているからだ。
「……やれやれ」
そして使徒は、ゆっくりと立ち上がる。先程の連撃のダメージもないかのようだが……その輝く目をゆっくりと動かしてヒカルを見据える。
「もう聞こえていないだろうが……教えてやろう。私の能力は『時を止める』などというものではない」
そう、使徒が信仰している【天と地の狭間にて輝くもの】は時間を操るような「神のごときもの」ではない。その正体を知る者がいれば、そんなたいしたものではないと言うかもしれない。けれど、あるいはそんな些細なものではないと言うかもしれない。
「天と地。それは古来より全く違うものとされた。清浄にして恐ろしき天、混沌とした有象無象の地。解釈は色々あれど、天と地は明確に分割されたものだったのだ」
そう、古来より天は地に住む者には届かぬ領域であり、届いてはいけない領域であった。
水平線の向こうには世界の果てがあると信じられていたことすらある、そんなとき。
そんな天にあって誰もが崇める太陽と月は、まさに凄まじき力の象徴でもあった。
そして同時に……「太陽が沈む」「太陽が昇る」という現象をただの時間経過ではないとする解釈もあったという。
「そう、それはまさに世界の終わりと始まりであった。太陽が沈む瞬間、確かにその世界は一瞬終わったのだ。ならば世界が終わって始まるその『創世』の刹那。その瞬間にあっては誰も動くことは叶わず。まだ始まっていないのだから。如何な超人であろうと、その力を振るうことは叶わぬ。我が神【天と地の狭間にて輝くもの】は……その永遠の刹那を現実とする。故に、私も『こう』なる」
言いながら、使徒は自分の闇色の身体をつつく。終わったまま、始まっていないが故の混沌。始まりが約束されながら、それを実行されぬ生成途中。それを体現したその身体は、確かにヒカルの言う通りに「中身」はある。
いわば、未だ固まらぬ創世の泥。原初の混沌。そう、時は止めていない。
ただ、指定したモノを終わりと始まりの、その刹那の状態に強制的に移行させるだけなのだから。
終わったまま始まっていないから動けない。ただそれだけの、至極単純な論理。
この力の前では、たとえ世界を滅ぼせる者であろうと抗うことなど不可能だろう。
「此処が……沖縄が始まりだ。世界全てを美しき混沌と変えよう。何よりも美しく清浄な世界へと変えよう! 始まらないからこそ終わらない永遠を創ろう! 我が神の望むままに! 願うままに! ああ、世界に永久に続く平穏を! 平和を! 永遠を……今こそ此処に!」
「おお、それは余計な世話というやつじゃのう」
「誰だ!?」
飛んできた刀。それが使徒の目の前でピタリと止まって。1人の少女がスタスタと歩いてくる。
その動きは、決して速くはない。あの体格の少女の歩みとしては酷く常識的な……少なくとも前衛戦闘系の覚醒者としては凡庸に過ぎるものだ。
しかし、何故だろうか。その歩みは使徒にとって……非常に恐ろしいものに見えたのだ。
「どうやら、お主が犯人……ということでよさそうじゃな」
少女の手に戻る刀は、それが少女の何かしらの能力であり、決して「攻撃」を目的としたものではないことが分かる。しかし、しかしだ。此処に来るためには。
「……上に居た巨人はどうした」
「おお、あの泥人形かえ? 無論倒したが」
なんとアッサリ語るのだろうか、と使徒は冷や汗を流す。アレはそう簡単に倒せるようには造っていない。創世の泥は使えば使うほど秘めたる力を増す。アレは、その辺の覚醒者が20や30集まろうと一瞬で蹴散らせるものだったはずだ。今此処で固まっている何処かの神の使徒の少女だって仕留めきれるものだったはずだ。だから、それを倒せるなど想定していない。いや、そもそも。
「貴様は……何故動いている⁉」
そこにいるのは、狐耳と尻尾の少女。巫女服を身に纏い、艶のある長い白髪をなびかせた……あまりにも美しすぎる少女。その非現実的な美しさは、しかし現実として其処にある。
「何故、とはまた異なことを。儂が動いて何の不思議がある」
「私は! 先程から貴様を終わりと始まりの狭間へと! 美しき永遠へと導いているのだ! 動けるはずなどない! 終わっているのだから! 始まらないのだから!」
そう、使徒は先程からイナリへとスキルを使っている。受ければそれに対抗しうる神々による特別な護り無くば何もかもが停止するはずの、そのスキル。なのに、それなのに。
(何故だ……! スキルに抵抗された様子はない! なのに、なのにどうして!)
少女は、スタスタと歩き続ける。まるで、使徒が1人でごっこ遊びにでも興じているかのように。そんなスキルなど、初めから無いのだとでも言うかのように。
「何故だ⁉」
「何故、が多いのう」
「……!」
ヒカルに投げかけた言葉と同じような少女の言葉。まるでそれは呪詛が返ってきたかのようだ。
そして実際、少女には使徒のスキルは効いていない。
何故か? その答えは単純だ。少女は……狐神イナリは、人ではないからだ。
正確には、イナリの身体が人間と……いや、生物と呼べるようなものではない。
人を上っ面だけ模した「何か」と呼ぶのが正しく、その性質は世界の理のほぼ全てを無視したものに近い。命という概念があるかどうかも怪しいモノ相手に終わりや始まりという概念を持ってきたところで、まだ「石像を朽ちさせよ」というほうが現実的にすら思える。
言ってみれば、そういったことを実行する側の「力」そのものだ……ならば、単純な力比べで効くか効かないかが決まるといったような話にすらなってしまうのだ。
そして大抵の場合、「神のごときもの」そのものが出てこない限りはイナリに魔力勝負での負けはそんなにない。だから効かない。まあ、効いたところで「止まる」という概念がイナリに存在するかは不明なのだが。
……そう、使徒にとってイナリは徹底的に相性が悪い。しかし、そんなことが使徒に分かるはずもない。ないが……それでも、使徒は次の手を打つ。
「ならば……受けよ!」
そう、此処に来る途中でモンスターを燃やした火炎放射。それはイナリに命中し、爆炎を巻き起こす。
「ハ、ハハハ! どんな術を使ったかは知らんが……」
「うむ、何も使っとらんがな」
しかし、その中から無傷で焦げ跡1つすらなく歩いてくるのは、イナリだ。その歩みはやがてヒカルの隣で止まり「ふむ」と頷く。
「どうやらお主は色々なものの動きを止めるのが得意のようじゃが……ちと迷惑じゃ。やめてくれんかの?」
「め、迷惑⁉ 私の……我が神の偉大なる理想を、そんなくだらんものに貶めるつもりか⁉」
自分の神の望む理想の世界。それをそんな子どもの悪戯かのように語るイナリが、使徒には全く信じられない。信じられないが……イナリにとっては、そういう話でしかない。
そして、それが分かるからこそ。使徒はイナリを何よりも排除すべき敵だと理解する。
「迷惑じゃよ。お主が何をやろうとしているかはちいとも興味がないが……ただひたすらに迷惑じゃ」
「そうか。なら……貴様は敵だ。この世で貴様とだけは生涯相容れぬ……!」
「おお、そこはお揃いじゃな。儂も人をそのようにしたがる輩とは、ちと仲良うできそうにない」
そのイナリの言葉に、使徒はピクリと反応する。そこまで見抜かれている。その事実に、しかし使徒は高笑いを止められない。
「ハハハハハハハハ……! なんという! この創世の泥たる身の秘密を見ただけで暴くか!」
「人をやめとることくらいは……まあ、一目見れば明らかじゃからの」
これまでに出会った「使徒」とは明らかに違う、その姿。それは人をやめたからこその、使徒にとっては「進化」なのだろう姿はしかし。イナリには哀れなものにしか映りはしない。
アレはもう、戻れない。本人も戻ることを望んではいないだろうが……完全に、人とは違うモノになっているからだ。
「ならばもはやこの姿にこだわる必要も無し……!」
使徒の身体を覆う闇が消え、ローブの中の泥の塊が周囲の泥を吸い上げ巨大化しようとしていく。
「人をやめ、人を超えたこの力! 貴様が如何に妙な力を使おうと捻り潰してくれる!」
「そうか。人の子に災いをもたらす鬼と成り果てるか」
鬼。その言葉の意味や語源には色々なものがある。しかし、こういう解釈もある。鬼とは、人に災いをもたらす怪物であると。
どう拡大解釈しようと「神のごときもの」は鬼ではないだろう。悪鬼のようであっても、神は神だ。
しかし、そうではないのなら? 人を超え、人に災いをもたらし……しかし、神ではないもの。
それは鬼だ。そして鬼であるのならば。
「秘剣・童子切」
かつて酒吞童子を討ったという鬼斬りの剣の再解釈、そして拡大解釈。
童子切安綱の伝説を元にした秘剣が……「鬼を切り裂く」一撃が、そのたった一撃で巨大化する途中の使徒を真っ二つに切り裂く。
「……何故」
その言葉を最後に、使徒の泥の身体は崩れて消えて。イナリは刀を掃うと、虚空を睨みつける。
「見ているんじゃろう、この哀れな子に力を与えた外道よ」
―【天と地の狭間にて輝くもの】は貴方を見ています―
―【天と地の狭間にて輝くもの】は貴方を見ています―
―【天と地の狭間にて輝くもの】は貴方を見ています―
―【天と地の狭間にて輝くもの】は貴方を見ています―
―【天と地の狭間にて輝くもの】は貴方を見ています―
―【天と地の狭間にて輝くもの】は貴方を見ています―
次から次へと現れるウインドウは、【天と地の狭間にて輝くもの】の静かな怒りを示すかのようで。しかし、イナリは静かに狐月を構え直すと、刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ青い輝きを纏っていく狐月は荘厳な輝きを放って。
「失せよ、悪鬼外道――秘剣・鬼切」
ウインドウを、真っ二つに叩き切る。触れ得ぬはずのそれはしかし、イナリの一撃で切り裂かれ消えていく。
―【天と地の狭間にて輝くもの】の干渉力を一時的に排除しました!―
―業績を達成しました! 【業績:干渉排除】―
―驚くべき業績が達成されました!―
―金の報酬箱を手に入れました!―
―歪められたダンジョンのリセットを開始します―
―ダンジョンリセットの為、生存者を全員排出します―