ヒカル、沖縄第1ダンジョンに挑む
那覇の街中を歩いていたヒカルは、大きく溜息をついた。今はまさに実家からの帰りであるわけだが……まあ、ヒカルの気分を著しく害する結果に終わってしまっていた。
「はー……ったく、面倒なこったぜ」
正直な話、家族仲はそんなに良くはない。まあ、実家を飛び出して東京に行った娘なのだから仕方ないといえば仕方ない。定期的に連絡はしているが、そのくらいのものだ。今回も折角来たのだからと顔を出したが……正直、仲直りのきっかけは欠片もなかった。
―【全ての獣統べる万獣の王】は家族関係の人生における軽さについて語っています―
「……ああ、なぐさめてくれてんのか? ハハッ、分かりにくいんだよ」
―【全ての獣統べる万獣の王】は一般論だと補足しています─
「そうかいそうかい。ありがとな、神様」
正直、ヒカルは家族関係については諦観に似たものを感じている。しかしながら【全ての獣統べる万獣の王】は、正直に言って今の家族よりも家族らしい。
触れ合うことなど出来ないし、どんな姿をしているのかも知らないが……まあ、万が一とんでもない怪物のような姿だったとしても受け入れる自信がヒカルにはある。
イナリの暴いた「神のごときもの」の起こした諸々の事件について知るまでは、こんな世の中でも神様が見てくれているなら捨てたもんじゃない、と無邪気に思っていたくらいだ。
(神のごときもの、か)
今までイナリと相対した神のごときものたちは、ヒカルからしてみれば悪神といっていいような所業を行うものたちばかりであった。
そういう側面から見れば、確かに「神のごときもの」たちは人間に対し何かよからぬことを考えている集団であるようにも見えるし、覚醒者協会日本本部の考えとしてもそうだろうと予測できる。
しかし、ヒカルから見た【全ての獣統べる万獣の王】は暖かな心を持った善神だ。
だからもしかすると、そういう「神のごときもの」も多くいるのではないか、と感じるのだが……それを言ったところで、誰も納得などしないだろう。
(ま、イナリに言えば何か含蓄ありそうな話で納得させてもらえるのかもしれねえけど)
地元チェーンのハンバーガーの店を見つけて、ヒカルはピタッと足を止める。
東京……というか他地域には進出していない沖縄限定のバーガーチェーンだ。
モンスター災害からの復興後に出来たチェーンではあるが、沖縄県民にこれ以上ないくらいに愛されている場所の1つでもある。
「……買ってってやるか」
ああ見えてお米を無限に食べそうなほどに健啖なイナリだから、夕食前にバーガー喰らい大丈夫だろうと、そんなことを思うのだ。
「いらっしゃいませー!」
店内にはそれなりに人がいるが、幸いにも注文カウンターは空いている。まあ、逆に言えば考える時間もあまりないのだが……。
(うーん……あんまりなじみのないものを選んでもな……いや、黒豚スモークベーコンのバーガー……? これはアリか……?)
「……特製バーガーのセットを3つで。オニオンリングとコーラ」
安野のこともちょっと考えてあげたヒカルだが、メインがイナリであるのは言うまでもない。安野のヒカルにとっての比重はこのバーガーセットでいえば、オニオンリングの入っている袋くらい……お世話になっているけどそこまで気に留めるほどでもない、そのくらいである。
実際こうして帰り道を歩いている間にも考えているのは「イナリならなんと言うか……」といった感じである。
イナリから興味を持って日本神話についても軽く調べてみた……難しいので本当に触りだけだが……そうしてみて分かったのは、神様という存在は決して人類愛に満ち溢れた絶対善ではないということだった。
たとえば天照大御神だって、須佐之男命のせいとはいえ天岩戸に閉じこもり、結果として地上に作物被害や人の病などの大混乱に陥ったというような話が残っている。そこに人類への愛があったかといえば、ヒカル個人としては少々疑問に思ってしまうところも多い。
だからまあ……神様だからと過度な期待をする者ほどドツボにハマるような……そういうものではないか、などと思うのだ。
実際、ヒカルは【全ての獣統べる万獣の王】に何かしらの過度な期待をしたことはない。
それでこうして上手く付き合えているのだから、それが正解という気がするし、イナリも【全ての獣統べる万獣の王】にたいして特に何か言及することもない。精々が「上手く付き合えとるんなら、それでええんじゃないかの」くらいである。
「ま、特に何かが大きく変わると思ってたわけでもねえけどよ」
そういう意味では肩透かしであり、同時に「ああ、やっぱり安心だ」という気持ちも大きかった。
だからこそ、ヒカルはイナリとの付き合いにちょっとした安らぎを覚えるわけだが……恐らくは他の面々もそうなのだろうとは思う。
特に月子と紫苑だ。対人能力に少々難のある……まあ、月子の場合は簡単に他人を信用できない事情もあるがさておいて……とにかくあの2人は、イナリに会うとやり方の差こそあれ、祖母と孫の関係の如くになるし、イナリはイナリで2人を甘やかすので、なんかもう本当に祖母と孫そのものである。
タケルは「や、ああいうのは俺にはキツいよ」と自分で線を引いているのでさておき、エリは正直「メイド」以外の感想が浮かばないから本当にたいしたものである。
とにかく、全員イナリを中心に集まった仲間であることは言うまでもない。
けれど、それだけで……イナリに会っただけで「東京に行ってよかった」とヒカルは思うのだ。
「と、そろそろタクシー乗り場か。適当に車を拾って……」
そうヒカルは言いかけて。風と共に何かが突然身体を通り抜けるような感覚を。
―【全ての獣統べる万獣の王】が権能【永劫不変にして完璧なる肉体と精神】を発動! 使徒を緊急保護します!―
バヂッ、と。通り抜ける前に、その何かが大きく弾かれた。
「うおっ……!?」
突然吹いた強い風は【全ての獣統べる万獣の王】の発動した権能とかいう何かによってヒカルに当たる前に弾かれて、しかしその後ろへと通り抜けていく。
その風の強さと突然の衝撃にヒカルは目を瞑り……そうして目を開けると、世界が一変していた。
「……は? なんだこりゃ」
それは、まるで世界が変わったかのような……あるいは世界が終わったような、そんな光景だった。
先程までまだお昼過ぎだったはずなのに、世界がまるで夕方のように赤い。
いや、これは……日が沈む前、なのだろうか? 分からない。突然なんでこんなことになっているのかヒカルには分からない。
先程までの喧騒は消え、人々はしかし変わらずそこにいる。けれど。ああ、けれど。
何かを大口を開けて話していた人はそのまま固まり、走っていた車も突然その場に張り付いたかのように止まっている。そして。
「うおっ……」
ヒカルの持っていたバーガーの袋が、その場で固定されたかのように固まっている。そっと手を離すと、そのまま空中に浮いている……ピクリとも動きはしない。一体何故こんなことに。まるで……時間でも止まったかのようだ。
いや、それにしてはおかしい。突然空の色が変わった理由にはなっていない。だが、そこまでは重要なことではないのかもしれないが……ヒカルは頭の隅に置いておく。
「神様……これってよお……別の神様の仕業だな?」
―【全ての獣統べる万獣の王】が肯定しています―
―【全ての獣統べる万獣の王】は敵能力の底知れなさについて警告をしています―
確かに、底知れない能力だとヒカルも思う。実際に何かをしているのが使徒だとして、これほどまでの広範囲に影響を及ぼせるスキルを使えるなど、とんでもない実力者なのは確かだ。
しかもこれが「時を止める」能力であるのならば、まさに勝てるかどうかも分からない。
……と、そこまで考えて、ヒカルは気付く。というか思い出す。
「そうだ神様。さっきの権能てなあ、なんだよ? 初めて見たぞ」
―世界への介入の難しさと、それを超えて自らの力の片鱗を送り届けた偉大さについて【全ての獣統べる万獣の王】は自慢しています―
「力の片鱗、ねえ……」
―【全ての獣統べる万獣の王】は神々が待ち望む日への渇望と、不正なる介入への怒りを露にしていますー
「……全然分からん。このメッセージ、こういうときに不便だよな」
とにかく、ヒカルが想像する以上の何かが起こっていることは事実らしい。こうなるとイナリを頼りたいが、この状況ではアルトフィオリゾートのほうもどうなっているか分かったものではない。せめて連絡できればいいのだが……取り出した覚醒フォンは、うんともすんとも言いはしない。
「こういうときのための覚醒フォンじゃねーのかよ……いや、流石にこんな状況は想定してねえわな」
こんな沖縄の時間が丸ごと止まったかのような状況で覚醒フォンだけ動くと期待するのも酷ではあるだろう。しかしこうなると、本当にアルトフィオとの連絡が取れないし、直接行くとしてもそれなり以上の時間がかかる。
……それだけではない。最悪、動いているのが自分だけかもしれないこの状況において、時間のロスは何を引き起こすか分からない。
府中の「眠りの霧」とはわけが違うのだ。イナリが動いていることを前提に動くべきではない。
「アタシがやるしかねえ、か……」
言いながらヒカルは拳を握る。実家からそのままアルトフィオリゾートに戻るつもりだったから、武器も防具も持ってきてはいない。しかし、問題はない。ヒカルが指を鳴らすと何処かから現れた装備品がその身体に装着されていく。
ヒカルが最近手に入れたスキル『常在戦場』の力だが……こうして登録した装備をいつでも呼び出せる便利なスキルだ。
「よし、状況の整理だ。まず範囲が何処までかは分からねえが、あらゆるものが止まってる。何処かへの連絡も不可能。救援の可能性は致命的。で、これをやった野郎はどっかに居やがる。ついでにこれが『完成』か『始まり』かも分からねえ」
なんとも終わってやがる、と吐き捨てるようにヒカルは呟く。実際、こんなどうしようもない状況は詰んだと投げ出しても仕方がないくらいだ。ただ、ヒカルはそんなことはしない。ただそれだけの話なのだ。
「神様。何か補足はあるか?」
―【全ての獣統べる万獣の王】は貴方の選択を尊重しています―
「おう、そうかい。確かこういう場合は……」
イナリが今まで出会った「神のごときもの」たちは、ダンジョンで何かをしようとしていたと聞いている。そうであるならば、今回もダンジョンにいる可能性は高い。
問題は、どのダンジョンにいるかだが……これに関しては何も問題はない。何故なら沖縄のダンジョンは1つだ。
すなわち沖縄第1ダンジョン……それは、まさにこの那覇市にある。場所は覚えている。ヒカルの実家もある、この那覇市壺屋にあるのだから。
「ダンジョンだな。確か場所は……あっちだ!」
しばらく来なかったとはいえ、地元には違いない。走り辿り着いた沖縄第1ダンジョンでは、やはり何もかもが停止していた。幸いにも誰かが出入りする途中だったようで門が開いている。これが開いていなければフェンスを登る必要があったが、その必要もなさそうだ。
そして……ダンジョンゲート前に辿り着いたヒカルは、思わず笑ってしまう。
「……ハッ。ダンジョンゲートそのものは動いてんのかよ。これだけ世界の一部ではございませんって感じだな」
案外、その言葉は的を射ているのかもしれない。何しろダンジョンゲートの先は地球ではない異界なのだから。その出入口が違うルールで動いている何かであったとして、何の不思議があるだろう?
とにかく、ヒカルはそのままダンジョンゲートの中へ侵入していく。何度か入ったダンジョンだ。構造は分かっている。
いる、というのに。そこに広がっていたのは、ヒカルの知るものとは全く違う光景だった。
「なんだ、こりゃ……沼、か?」
ヒカルは懐から硬貨を1枚取り出すと、弾いてみるが……指弾のようにズバアン、と放たれた効果は何かにぶつかる鈍い音をたてる。どうやら底が浅そうだが、足を踏み入れた瞬間に底なし沼に沈んでいく……といったようなことはなさそうだ。とはいえ、何処にそんな場所があるか分かったものではない。
だからヒカルは溜息を……本当に大きな溜息をついて、沼へと踏み出す。だがそうすると……沼はグニッとゴムのような感触でヒカルの足が沈みこまない反発を与えてくる。
先程硬貨を弾いたときとは材質そのものが違うとでもいうかのような、そんな状態だ。
(訳わかんねえ……だがダンジョンには何かのルールがあるはずだ。此処がどれだけ変わってもルールだけはある。そいつを把握してる暇があるかどうかは分かんねえが……)
何よりも気になるのは、このダンジョンの空の赤さだ。まるで外と同じような……いや、このダンジョンから外へと染み出したのかと思えるような、そんな光景だ。
そんな光景の、こんな訳の分からない大地から染み出てくるのは、泥の人型の群れ、群れ、群れ。
泥人形とか呼称できそうにもないそれはしかしゴムのような性質を維持しているようで、ヒカルへと凄まじい速度で走ってくる。
「ゴゴゴゴゴゴゴ……!」
「猛虎七連掌!」
先頭を走る泥人形をヒカルの連撃が粉砕すると、別の泥人形たちが同時に違う方向から文字通りゴムのようにしなる腕を振るい打ち据えようとする。だがそれをヒカルはするりと、空を飛ぶ鳥のように自然な動きで回避して、その場でまずは片方の泥人形へと五指を広げ腕を振るう。
「獅子斬爪!」
一撃で獅子の鋭い爪の如く振るわれた一撃が泥人形を引き裂き、そのまま体を回転させながらもう1体を引き裂く。だが、泥人形の数はまだまだいる。だからこそヒカルの正面だけではなく背後からも泥人形は襲い掛かって。しかし、まるで兎が大地を踏みしめ跳ぶかのような凄まじい蹴りがそれを打ち砕く。
「あー、もうワチャワチャ湧きやがって!」
ヒカルはその辺りの泥人形を足場に跳ぶと、そのまま自分を捕まえようとする泥人形の群れへと飛び蹴りを喰らわせる。
「吹っ飛びやがれ……巨象戦槌脚!」
ドガン、と。凄まじい衝撃と共に周囲に居た泥人形がまとめて吹っ飛んでいく。そうすると、もう泥人形は出てこないが……それを確認してヒカルはフンと鼻を鳴らす。
「これでようやく進めるな」
とにかく何処に行けばいいかは分からないが、奥に進めば何かしらが出てくるはずだとヒカルは思う。
だからこそヒカルは念のために足元に気をつけながら不可思議な泥沼を歩いていく。本当に不可思議で、気味が悪くて……だからこそ、止めなければならないという強い意思も出てくるというものだ。
「鬼が出るか蛇が出るかって言葉はあるが……出てくるのは使徒ってか? 笑えねえが……ま、やってやるさ」
この先に恐らくは……いや、間違いなく使徒がいる。それがどんな相手かはヒカルには分からない。分かるはずもない。けれど、それが人類の敵であることは明らかで。だからこそ、ヒカルは出会えば即座にぶっ飛ばしてやるつもりだった。
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