お狐様、沖縄に足止めされる
午前1時、那覇空港。最初優勢だったはずの戦況は複数のフォートレスホエールの登場により逆転され、押されつつあった。
空路がその重要さを大きく増している現代、那覇空港もその警備は厳重になっている。いるが……その立地上、水棲モンスターからすれば非常に攻め込みやすい場所でもあった。
施設を守るという観点から言えばフォートレスホエールの登場は非常に拙い状況であり、第2滑走路付近から上陸したフォートレスホエールを中心としたモンスターたちにより大きな被害を受けつつあった。
まあ、当然だ。砲撃タイプの大型モンスターであるフォートレスホエールは、当然ながら相応の火力が無ければ倒せはしない。伊達に準ボス級ではないということだが……そのタフさが、その火力が、那覇空港の防衛隊に無視できない損害を与えつつあった。
那覇空港の防衛隊としても空港施設を無暗に壊すわけにはいかないという制約がある以上は、大火力の攻撃を乱発するわけにもいかない。いや、そこまでの火力を持つ者はいないのだが……それでも大分気をつけながら戦わなければいけないことに変わりはない。
「うわああああああ!」
「くそっ、引け! このままじゃ全滅する!」
「援軍はまだなんですか⁉」
「此方に向かってるそうだが……避難する車で道路が渋滞してる! 此処に辿り着くには……」
緊急事態に道路が渋滞するのは良くある話だ。そうするべきではないと分かっているはずなのにそうしてしまうのは、様々な事情があるのだろうが……その辺りはさておき、そうなれば当然援軍の乗っている車も足止めされてしまう。
だからこそ、那覇空港を防衛する覚醒者部隊は状況を再びひっくり返すことも出来ずにいた。
少しでもこの状況をひっくり返せる何かがあれば。しかし、それがない。
「新しいモンスターの一団が現れたそうです! このままでは……!」
「……ここまでか。全員、那覇空港を放棄……」
言いかけたその瞬間。光の矢がこちらに砲撃を加えてきていたフォートレスホエールを一撃で破壊する。
「なんだ!? 空⁉」
覚醒者たちが見上げた先には、空中に浮かび弓を構えている狐耳の巫女……イナリの姿があった。
「アレは……!」
「イナリちゃんだ……」
「沖縄に来てるのは知ってたけど……」
放たれる光線がフォートレスホエールを粉砕していき、それよりはずっと小さな光の矢がマーマンたちを次から次へと貫いていく。
「凄い……」
「あの子、あんなに強かったのか……」
イナリの姿をテレビで知っている者はいても、その強さを正確に知っている者は少ない。しかしながら、こうして見れば尋常ならざる実力であるのはよく分かる。
何しろ空を飛ぶというのは新世代覚醒者に許された能力であり、飛行のスキルオーブがあるという話もあるが幻と言われるほど市場に流れてはこない。
だというのにイナリは空を飛び、一撃でフォートレスホエールを葬るような強力な遠距離攻撃を放つことができる。ハッキリ言って、信じられないほどの強さだ。
(強い……だが、あそこまで強いと羨ましいとかいう感情そのものが湧いてこない)
別格。存在そのものが違うかのような強さ。それを那覇空港防衛隊の隊長は感じていたが……そこに「隊長!」という声が聞こえてきて、隊長はようやく自分に向かって飛んできた槍に気付く。
拙い。避けられない。防げない。そう感じたそのとき、隊長の前に躍り出た少女が槍を思いきり掴み取る。
「あっぶねえなあ……何ボーっとしてんだよ」
「す、すまない。君は……?」
「ライオン通信所属、瀬尾ヒカル。詳しい話は後でな!」
ヒカルは槍を投げ返してマーマンを撃破すると、そのまま突進して眼前のマーマンへと拳を繰り出す。
「犀角突貫撃!」
ズドン、と。抉るように繰り出す拳がマーマンを大きく吹っ飛ばし、そのままヒカルのムチのようにしなる蹴りがマーマンの群れを吹っ飛ばす。
「かかってこいよマーマンども……全員ぶっ飛ばしてやるぜ」
ヒカルの挑発するような手招きにマーマンたちが飛び掛かるが、その瞬間にカウンターのように放たれたヒカルの蹴りがマーマンを倒していく。
そして上空では変わらずイナリが弓で狙撃を続けている。すでにフォートレスホエールは全滅し、残るはマーマンたちだけだ。そう、戦況は再びひっくり返ったのだ。
「い、今だ! 押し返せ!」
「わあああああああああ!」
隊長の命令で防衛隊の面々も再び反転攻勢に出るが……それに反応するかのように追加のマーマンたちが現れる。戦況はまさに泥沼であり……しかし、イナリの狙撃が強力な個体を撃ち抜くおかげで人類側に有利に進んでいく。
そして午前6時。日が昇り始めた那覇空港の滑走路で、イナリとヒカル、そして安野は座り込んでいた。いや、座り込んでいるのはイナリと安野であり、ヒカルは大の字になっている。といっても安野はぐったりしている、イナリがその背を……まあ、鎧を着込んだ背中なのだが、撫でているような状況である。
「つ、疲れた……」
「まさか一晩中戦うことになるとは……」
「いやはや、ほんに凄まじい戦いじゃったのう」
勿論一気に吹っ飛ばすことも出来たのだが、そんな威力の攻撃を放てば那覇空港そのものが吹っ飛ぶので地道になるしかなかったわけだが……結果が徹夜での戦いである。
周囲には防衛隊の面々も疲れ切った様子で座り込んでおり、これ以上は一歩も動けないと言わんばかりであった。
「そういえば……」
「うむ?」
安野の何かを思い出したかのような言葉にイナリが疑問符を浮かべれば、安野も「たいしたことじゃないんですが」と前置きする。
「状況からすると本命は那覇空港だった気がするんですが……指揮官らしき個体はいなかったですね」
「そうじゃのう」
「あれだけ戦力つぎ込んで出てきませんでしたあ、なんつーのはないと思うけどな……」
ヒカルもダルそうに、しかし真面目な口調でそう言うが、実際ボスらしきものもいなければ命令を出している指揮官もいなかった。ただ戦力が多かっただけだ……それだけでも沖縄が大変なことになるには充分すぎる事件ではあるのだが、なんとなくスッキリしないのは確かだ。
「……うーん……イナリはどう思う?」
「さて、のう。幾つかの可能性があるにはあるが……」
可能性の1。襲撃そのものが目的であった場合。ダンジョン内のモンスターが問答無用で人間を襲ってくるように、モンスター災害によってダンジョン外に出たモンスターもそういった性質を持っており、何かをきっかけに一斉に陸地におびき寄せられた。
可能性の2。ただの偶然であった場合。実は人間が察知できていなかっただけで沖縄周辺海域にはそれだけのモンスターがいて、1つの襲撃に他のモンスターが刺激されて一斉襲撃へと変わった。
「そして、3つ目じゃが。全てが囮の可能性じゃのう」
「囮?」
「うむ。この全てが何らかの目的のための目くらましであり、主犯はもっと全然違う場所にいる……かもしれん」
「だとすると……」
「うむ」
イナリは狐月を刀形態に変えると、刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ白い輝きを纏っていく狐月は、イナリの手からふわりと浮く。
「根源を示せ――秘剣・祢々切丸」
狐月はその場でクルクルと回転し……しかし、何処にも飛んでいく様子はない。それはつまり、この一斉襲撃事件の「犯人」は居ないということになる。
祢々切丸はイナリが認識した事件の犯人に向かって自動的に飛んでいくミステリー殺しの秘剣だ……それを欺くことは事実上不可能だ。
「ふうむ……此度の事件の犯人は少なくとも感知できる場所には居ないようじゃの」
「凄いですよねえ、それ……」
「え、感知できる範囲ってどんだけなの?」
「少なくともこの星の上にいれば感知できるのう」
「うええ……」
つまり地球に居る限りイナリの祢々切丸からは逃げられないということだが……そうなると、今回の襲撃は本当にたまたまなのだろうか?
考え込むヒカルだが、安野の覚醒フォンが鳴ったのを聞いてそちらに視線を向ける。
「安野です。はい、はい……ええ、おつかれさまでした」
短いやり取りをして電話を切ると、安野は大きく安堵の息を吐く。
「沖縄の全地域で状況終了です。覚醒者協会沖縄支部は、現時点を持って緊急事態終了宣言を出したそうです。本当におつかれさまでした」
その言葉にその場にいた全員が歓声を上げ始める。まあ、聞こえていたのだろうし……喜ぶのも当然と言えた。
「やったああああああああ!」
「勝った、勝ったぞおおおおおお!」
「モンスターどもめ、ざまあみろってんだ!」
叫ぶ声は歓喜の色に満ちていて、完全に大の字になってしまう者も大勢いた。しかしまあ、それを咎める者などいるはずもない。誰もが同じ気持ちであったのだから。
「うむうむ、元気じゃのう」
「まあ、この事件に犯人もいねえってんならいいんだけどよ……」
「うむ?」
「空港がこんな状態でよぉ……アタシら、帰れんのかな。飛行機飛ぶのか?」
「ううむ……どうじゃろうのう……」
イナリは勿論手加減して攻撃したが、フォートレスホエールの巨体が上陸すればコンクリートなど簡単にひび割れるし滑走路はボコボコだ。空港施設も一部壊れているし、こんな状況で飛行機が飛べるかと聞かれれば……当然、難しいものはあるだろう。
「ううむ。まあ、いざとあれば船もあるし……の?」
「新沖縄港だって状況的には似たようなもんだろ」
「それに水棲モンスターの襲撃があった現状ですと、数日は船は出ないですし飛行機もフォートレスホエールが出ないことを確認してからになると思いますが……」
「おお、なんと……」
いわゆる安全上の理由というやつだが、まあ当然ではある。万が一飛行機が狙撃されでもしたら大事故だし、船だってマーマンに襲われるだけでもとんでもないことになる。その辺りをある程度確認するまでは運航中止は当然の判断だ。
むしろ、こんなときに飛行機だの船だのを出航させれば、誰であろうと非難されるのは間違いない。
「まあ、仕方ないのう。エリには連絡せねばならんが……」
「あー、留守番してもらってるんだっけ」
「うむ、アツアゲの相手もしてもらっておるが……何か良い土産でも用意せねば」
「っていっても、今日は無理として明日は店開いてっかな……」
こんなことがあれば数日は臨時休業でもおかしくはないが……いや、だからこそ開いているかもしれない。まあ、その辺りは実際に行ってみないと分からないのだけれども。
ただ、海沿いはともかく国際通りであれば「負けるか」とばかりに営業している可能性は高いだろう。
まあ、とにかく……これで沖縄を巡る事件は終了……では、どうにもないらしい。
沖縄の、とあるダンジョン。監視役の職員たちが襲撃対応で全員で払った中で、それはふわりと舞い降りていた。
真っ赤なローブを身に纏い、男か女かも定かではないその何者かは、その顔のあるべきところに黒い闇が溜まり、顔の造作など確認することも出来ない。輝く2つの目のような光は、まるでローブの人物が人間ではないかのようで。
しかし、くぐもった声でローブの人物は「ククク……」と笑う。
「今頃有象無象ともは襲撃の意味について考えていることだろう」
ダンジョンゲートを潜り洞窟のようなそのダンジョン内に入ると、犬のような人型モンスター……コボルトが汚らしい声をあげて棍棒を振り回し襲ってくる。
しかし、ローブの人物が手の平から放った炎はコボルトを一撃で焼き尽くし、魔石をその場にドロップさせる。
「……しかし、気付くまい。それ自体に意味などない! 元より爆発するのを待っていただけの爆弾なのだから!」
沖縄近郊に、元々あれだけのモンスターは「居た」のだ。察知されていなかったに過ぎない。元々モンスターは人類のソナーなどで捉えられる存在ではなく、海に潜って確かめられる先代の「新世代覚醒者」は少ない。海という戦場に向かえる者ともなれば、かの「潜水艦」くらいのものだ。
だというのに、人類は自分たちの科学力を過信した。それで敗北したのをもう忘れたとでもいうかのように、安心しきっているのだ。だからこそ、「そのとき」を待つだけで良かった。
馬鹿な連中はきっと今回の原因を探して右往左往するだろう。それが無駄な時間だと気付かないままに。そうして、取り返しのつかない事態になってから叫ぶのだろう。
「ああ、我が神よ。ただ懸念点を申し上げるのであれば、余計な連中が首を突っ込んできたことです。急がねばなりません」
―【天と地の狭間にて輝くもの】が慌てずじっくりと行動するのが大切だと諭しています―
「はい、仰る通りです。万が一の間違いもないように進めてまいりましょう。1つずつ、1つずつ。貴方様の輝きが永遠になるように」
―【天と地の狭間にて輝くもの】が貴方の働きに期待しています―
「おお、おお……! ありがとうございます我が神よ! 私は貴方のために全てを捧げましょう!」
興奮しているのか、ローブの人物の顔のある部分に溜まっている黒い闇がゆらゆらと揺れる。いや、よく見ればローブとその先から伸びている手は……手袋と服の袖の間から見える部分にも闇が溜まっている。
まるで徹底的に正体を隠しているかのようだが、それについて尋ねる者はこの場にいるはずもない。
ただ、この人物は神のごときもの……【天と地の狭間にて輝くもの】を崇拝していて、その為に「何か」をしにこの場に訪れた、ということは確かであるようだ。
「ああ、ああ……我が神よ。我が愛よ、我が全てよ! 貴方のためなら私は全てを捧げましょう! この身が焼かれて薄汚い灰となっても、それでも貴方のためであれば! 何よりも眩き貴方のためになるのであれば! どうかご照覧あれ! 我が愛の行く末を! この見苦しい身が咲かせる花を、実る果実を! 全てを、全てを捧げましょう!」
歩く。ローブの人物がダンジョンの奥へと歩いていく。ゆっくりと、ゆっくりと。まるで巡礼をするかのように一歩一歩を踏みしめて。その影が、ゆらゆらと揺れて。ダンジョンの奥から走ってくるコボルトたちを、その影が影には有り得ざる動きで盛り上がり、鋭角になり……槍のようにコボルトたちを刺し殺す。
「誰も私を止められはしない。この歩みは愛なのだから。この歩みは光なのだから。正しき者を誰も阻めはしない。ああ、理解は出来まい。それでも私は我が神の名において救済しよう。そうして救われた先で、共にその輝きを崇めよう。これこそが唯一であると崇めよう。いざ、いざ! この歩みこそが救済なれば! 神の示される通りに、ゆっくりと、じっくりと! その素晴らしさをかみしめよう!」
何を言っているのかは分からない。ただ、ローブの人物が【天と地の狭間にて輝くもの】に心酔していて、そのために何かをやろうとしているということしか分からない。
そしてそれは、きっと放置すればロクでもないことになってしまうのだろう。ああ、しかしなんということだろうか。
今はまだ、その企みに誰も気付いてはいない。そう、誰も。けれど……それをどうにか出来る者は今、何の因果か……沖縄にいるのだ。