お狐様、歓待を受ける
翌朝。部屋に運ばれてきた朝食を食べ終えたイナリたちの下に与那覇がやってきたのは、まあヒカルの予想通りであった。何かを頼むのであればこのタイミングしかないからだ。
だからだろうか、ヒカルは少しばかり渋い顔で、イナリはいつも通りに何も気にしていない顔である。
「実は、お願いがあるんです。勿論、無理であれば断っていただいて構いません」
「与那覇さん……正直予想はしてたけど、頼むなら頼むで最初に言ってほしかったぜ」
「それは申し訳ないと思っています。正直、こんな頼みをするという時点でどうかとは思っていますから。しかし……こちらで提示できる条件をギリギリまで検討していたのです」
「そうはいってもさあ……」
「ええんじゃよ、ヒカル」
ヒカルを途中で止めると、イナリは与那覇へと向き直る。イナリとしては誰かに何かを頼むときに迷ってギリギリになってしまうのも、頼みごとをするのが後ろめたくて親切にしてしまう心理も。そういったもの全てをひっくるめて「それもまた良し」なスタンスである。
ヒカルもそれを分かっているからこうして与那覇に苦言を呈するわけだが……イナリがいいと言った以上はヒカルとしても「そうかよ」と引くしかない。
「それよりも、そのお願いというのを聞かせてくれるかの?」
「はい……!」
この時点で安野が「あちゃー」という顔をしているが「引き受けるんだろうなあ」と察したからである。いい加減それなりの付き合いなのもあって、安野もそういうのは予想がつくようになってきている。
「内容は……モンスター退治です」
「え?」
「へ?」
「ほう」
安野が、そしてヒカルが疑問符を浮かべ、イナリが頷く。この反応の差はつまるところ、クラン「アルトフィオ」に対する知識の差である。
アルトフィオは沖縄でも上位のクランであるはずだし、実際このホテルもその戦力を背景に高級ホテルとして成り立っている。
そうだというのにモンスター退治を頼むというのは、ヒカルや安野にとっては理解し難いものだったのだ。
いや、想像は出来る。それはつまり、アルトフィオの戦力では討伐不可能なレベルのモンスターが相手だということ。そして沖縄の、このホテルの立地でそういうものが出るとなれば、恐らくは。
「まさか水棲モンスター……ですか?」
「……はい」
安野の言葉に与那覇は重々しく頷く。太平洋第1ダンジョン……海の危険度を大幅に上げたその場所は、全世界に水棲モンスターを今この瞬間も溢れさせ続けている。
その種類は様々であり、以前キアラの話にもあった地中海第1ダンジョンのような海中ダンジョンをクリアできない要因の1つともなっている。
つまるところ現在において海とはモンスター出現地帯であり、だからこそ世界中でマリンスポーツやレジャーは無くなってしまったわけだが……海沿いのホテルといったものは、そうしたリスクを背負いつつも人気であるわけだ。まあ、かつての時代でも台風やら津波やらのリスクがありつつもオーシャンビューが人気であったのと同じ理由である。
さておき、モンスターは基本海から出てこないし何があっても実力のある覚醒者の本拠地であれば大丈夫。つまりはそういうことであるわけだが……実際、これまでどうにかできていたものを他人に頼む理由は何処にあるのか? 予想される答えとしては1つだ。
「倒せないのが出たのか? それなら協会に頼むべきだろ」
「そうですね。沖縄支部で解決できずとも、本部に要請がいくはずですし……あっ」
「む? 何かあるのかの?」
「あるといいますか、えーと……」
言葉を濁す安野にイナリが首を傾げると与那覇が「対策措置です」と呟く。
「協会に要請するのは簡単です。しかし通常のダンジョン対策と違い海の被害は『予想できる被害』です。万が一にでも支部で解決できない問題を本部の力で解決した際に、当ホテルの安全性が疑問視されるのは確実でしょう」
軽くても営業停止、最悪廃業。戦闘に向かない覚醒者も雇っている「覚醒企業としてのアルトフィオ」は大きくダメージを受けるだろう。沖縄でも有数の高級リゾートであるアルトフィオがそういうことになれば、連鎖的に沖縄の各所にいくダメージも無視できなくなる。
「ふーむ。安野や、その辺りはどうにかならんのかえ?」
「う、うーん。こういうのは一般人への被害が出てからでは遅いですからねえ。覚醒者がいるから安全……というのを謳う以上は、自分たちで解決できないリスクを抱えているというのは本部から見ればあまり放ってはおけないといいますか……」
実際、今回本部の力で解決したとして次回はどうするのか。原因を残ったままにはしておけないだろう……という突っ込みは当然来るだろうし、当たり前でもある。
しかしモンスター災害の余波という予測できないものへの対策を完璧にするのは不可能でもある。その他諸々のことを考慮するに、覚醒者協会に頼ったという結果を残したくないというのが実情なのである。
「融通利かねえなあ、協会……」
「いやだって仕方ないじゃないですか……協会としても可能な限りの支援はしますけど、恒常的な支援をクランなり覚醒企業なりに行うとなれば、公平性の観点で問題がですね……」
「まあ、そういうことなら決まったの」
と、そこでイナリがパンと手を叩く。何やら色々と難しい話があるのは理解したが、ならば本当に簡単な話なのだ。
「その話、受けもご」
「二つ返事で受けるんじゃねえよ……せめて詳細を聞け!」
『どうせ受けるんじゃから後か先かの問題ではないかのう?』
「頭の中に声が……!?」
「あ、また念話使ってますね狐神さん!」
さておき、イナリは佇まいを直すと与那覇へと微笑みかける。
「えーと……詳細を聞かせてくれるかの?」
「あ、はい」
なんだか毒気を抜かれたような顔をする与那覇だが、こちらもキリッとした顔を作り直すと「では……」と仕切り直す。
「問題は、先程お伝えしたように水棲モンスターです」
その問題が出たのは、つい一か月前のことであった。夜に外周を巡回していたクランメンバーが、おかしな音を聞いたというのだ。
いや、それはあるいは声……だろうか? しかし少なくとも日本語ではなく、英語でもなく。巡回中だったクランメンバーに理解できない言語だったのは確かであったという。
翌日朝から付近の調査を行ったが何も起こらず、しかしまた夜に同じ現象が発生した。
その後、数日間に渡り同じことが起こるに到り、与那覇に報告が上がってきた。原因不明の現象あり、とだ。
「原因不明と簡単には言いますが今の世の中、本当に原因不明であることは少ないです。大体の『不明な現象』はモンスターが原因ですので」
そう、何かおかしな現象が起こるとなればそれは覚醒者かモンスターか。そのどちらかに大体限られている。しかしながら地上げの類を仕掛けてくる悪徳クランに覚えはなく、となれば原因はモンスターということになる。
ならば原因を探らなければならない。アルトフィオの戦闘系覚醒者の中でも比較的どんな状況にも対応可能なチームを作り、調査チームを結成した。
まずは朝から夕方までの時間に限定し、原因となるモンスターが発見できるか、あるいは痕跡を発見できるか調査した。しかし1週間が経過しても、それらしきものは見つからず……今度は謎の音声の聞こえてくる夜に調査を開始した。
「……これが失敗でした。声の聞こえてくる場所は海からであることは分かっていました」
アルトフィオリゾート沖縄は海の見える少し高台に建設されている。だから水棲モンスターが襲ってくるにしても崖を登ってくるか、海岸に降りる道を行くしかないわけだが……そこに降りた調査チームは、凶悪な人型モンスターの襲撃を受けた。
ディープワン。そう呼ばれているモンスターとマーマンを含む混合部隊である。
なんとか撃退した……というよりは命からがら逃亡したというのが実情だ。モンスターの数が多く、しかし海岸を離れると襲ってこなかったのが理由だ。しかし、それが何故かは分からないままだ。
「30人のメンバーによる攻撃部隊を編成しましたが、結果は同じでした……モンスターは更に数を増やし此方の迎撃に出てきたのです。こうなると、すでに海岸から先はモンスターにより制圧されていると考えてよいはずです」
それだけであれば、まだ問題はない。海岸へ降りる道はすでに安全確認という名目で封鎖してあるし、防備を固める手も多くある。しかし、しかしだ。それだけでなかったなら? 世界中の海に溢れ出ている水棲モンスターの総数を知る者はもはやいない。
その僅か一部であったとしても相当な大群であるのは間違いない。そんなモンスターたちが、今この瞬間もアルトフィオリゾート沖縄に攻め込むための準備をしているとしたら?
今無事なのは単純に戦力が整うのを待っているだけだとしたら?
何1つとして確かなことはない。この時点で与那覇は沖縄支部への要請を決意した。
しかしそのとき、クランメンバーから聞いてしまったのだ。以前勧誘したヒカルと、最近有名な狐神イナリが友人関係らしい、という話を。
聞けば、とんでもない実力でランキングを駆け上った凄い覚醒者であるという。そんな覚醒者からの協力を得ることが出来れば、アルトフィオ存続の危機をも回避できるのではないだろうか?
もし、ヒカルを呼ぶことでイナリも呼ぶことが出来たら? しかしツテがない。以前勧誘して断られた程度の縁で呼べるはずもない。だから利用した。沖縄支部がヒカルを呼ぶという話を聞きつけ、そこに乗ったのだ。
「卑怯と罵ってもらっても構いません。しかし、私には貴方が一縷の希望に見えたのです」
「なるほどのう……」
それは責められるものではない、とイナリは思う。要は覚醒者協会に話を通すことで会社が潰れることを危惧したという話であって、それをなんとか回避しようとしたのを責めるのは違うだろうと思うからだ。
「……安野や」
「分かってます。これは単純に覚醒者間での相互協力の範疇であって、協会としては何も聞いていません。そういう風に通します」
安野とてイナリに嫌われたいわけではないし、事情に関しては理解できる。ぶっちゃけ、この件に関しては今言った通りに報告しても「そっか。分かった」で済むだろう。覚醒者協会とて原理原則に縛られているわけではない。いくらでも抜け道はあるのだ。
しかし、ヒカルだけはどうにも何か納得いかない……というよりも、引っかかるものを感じていた。
「うむ。その話、請けさせてもらう」
「ありがとうございます……! 勿論、この件を狐神さんだけに任せようとは考えておりません」
「と、いうと?」
「はい。個人的に親交のあるランカーにも協力を要請しています。沖縄出身なのですが……」
「あー! それだ! 思い出した!」
そこでヒカルがすっきりした顔で指を鳴らす。そう、それをようやく思い出したのだ。
「レッドシーサーだな!?」
「え、ああ……聞いたことありますね」
「はい、その彼です」
「いや、儂は分からんのじゃけど……」
25位、『レッドシーサー』金城 悠真。
沖縄出身沖縄在住の覚醒者であり、かなりレアなジョブ「ヒーロー」であることで有名だ。
「なんつーかさ……マジで変身するらしいんだよ」
「というと……ああ、アツアゲの見とるやつじゃな」
「そうそう、そういうの」
真っ赤なシーサーのようなヒーロースーツに「変身」するという金城は、沖縄では大人気の覚醒者である。安野からしてみれば、そんな人物を動かしたら相当話題になってしまうのではと思うのだが……与那覇はそう考えていないようだ。
「……金城さんを投入するのは賭けでした。少しでも失敗する確率がある限りは出来ません。当ホテルのイメージが一気に落ちるからです。人気の覚醒者の敗北の影響は、驚くほど大きいのですから」
だから、失敗しないための追加戦力が必要だった。こう言ってしまうと身も蓋もないが、与那覇は金城の勝利を信じきれなかったのだ。だから今回断られたら、大人しく協会に依頼するつもりでもあった。
「ふむ。その金城とかいう者は今何処に?」
「はい。今日の予定は空けてくれるように頼んでありますので、呼べば来るはずです……今から呼びましょう」
言いながら与那覇は覚醒フォンを取り出し「あ」と思い出したように声をあげる。
「それと……少々独特な雰囲気を持つ人物ですので、驚かないようにお願いします」
「ふむ?」
与那覇が覚醒フォンで何処かに電話をかけ始めて1コールもしないうちに通話相手が電話に出たようで、早速話し始めるが……すぐにその電話を切る。
「いつでも出られる準備をしていたそうで……すぐに来るそうです」
「準備がいいんじゃのう」
「まあ、そうですね……」
「では迎えにいかねばの?」
イナリが立ち上がり、全員でロビーまで歩いていくと……遠くからバイクの音が聞こえ始める。それはだんだん近づいてきて、しかし見えたそのバイクは、なんとも派手な装飾の真っ赤なバイクだった。
というか、なんだかシーサーを思わせるデザインだ。そんな代物が近づいてくると、フルフェイスヘルメットを被っていた男がバイクを止め降りてくる。
「よう、与那覇!」
「ああ、金城。来てくれて嬉しいよ」
ヘルメットを外し与那覇と握手する金城は、なんとも野性味に溢れる顔をした男だった。
ワイルド、というべきなのだろうか。タケルや蒼空とは違う雰囲気を持った美形の男だ。
ワイルドショートに整えられた黒髪はしっかりとセットされており、眉もナチュラル気味に整えられ、力強い印象の瞳とよく合っている。
レザーの上着とジーンズも、かなり似合っていると言えるだろう……全体的に自分をプロデュースするやり方をある程度心得ているような、そんな印象であった。
そんな金城はイナリたちに気付くと、軽く手を上げる。
「初めまして。俺は金城悠真。どう呼んでくれても構わない。与那覇からは『協力要請が上手くいったら呼ぶ』としか聞いてないけど、荒事だろうなってのは理解してる」
「うむ。儂は狐神イナリじゃ。よろしくのう」
「どうも。瀬尾ヒカルです。どうぞよろしく」
「私は安野果歩です。まあ、その……気にされなくて大丈夫です」
「安野さんはえーと……そう言うなら気にしないけど、君たち2人は知ってるよ! 狐神さんは有名人だし、瀬尾さんも……な」
言いながら金城が取り出すのはライオン通信の覚醒フォンだ。どうやら沖縄ではヒカルのおかげでライオン通信のシェアが高そうだが……。
「さて、与那覇。俺にも話を聞かせてくれ。こうして呼んだんだ。話す気になったんだろ?」





