お狐様、沖縄にてダンジョンに挑む
「あー……一応聞きたいのじゃが」
「なんだ」
「正々堂々の内訳について教えてくれるかの?」
「簡単な話だ」
コロッセウムの戦士は剣を構えたまま、何の抑揚もない声で答える。
「互いに持つべきは武器1つ。妖しの術は全て禁止だ」
「……うむ」
聞けば答えてくれる。それは非常にやりやすいようにも思えるが、逆に言えばルールがハッキリと、そして厳格に定義されているということでもある。そして同時に、ルールを破った際に何かとんでもないことが起こる可能性が非常に高いということだ。
「勝負の決着はどう決まるのかの?」
「どちらかの敗北だ」
そう告げると、コロッセウムの戦士は剣をゆっくりと構え始める。それはこれまでの礼と違い、明らかな戦闘態勢だ。
「もういいな。では、あとは戦いで語り合うとしよう」
「……ううむ。まあ、致し方なしか」
正直、そういう真正面からのチャンバラはイナリは得意ではない。妖しの術がどうこうというのは、やはりどう考えても秘剣が禁止ということだろう。下手をすると狐神流合気術が発動してもアウトかもしれない。人間の審判ではなくダンジョンが判定している可能性がある以上「これなら大丈夫かも」という自己判断は危うい。
「いくぞ」
コロッセウムの戦士が凄まじい勢いで地面を蹴り、一気にイナリの眼前へと現れる。振り抜かれた剣はイナリに防御の暇すら与えずその胴体へと吸い込まれ……しかし、斬ることが出来ずにイナリをただ吹っ飛ばすだけで終わる。
「ぬおおおおおお!?」
吹っ飛び転がっていったイナリは立ち上がり、しかし傷1つない。
「むう、流石じゃのう……どうしたものか」
「いや待て」
「む? なんじゃ?」
「なんだお前は。何故斬れない」
「何故と言われてものう……」
コロッセウムの戦士は自分の剣をじっと見て、それからイナリを見て。周囲を確認するように見回すと、剣をしっかりと構え直す。
「ルール違反ではないようだ。斬れぬならば殴るとしよう」
「ああ、やはりだんじょんがそういうのを判定しとるんじゃな?」
イナリも狐月を構え直すが、正直刀術だけで倒す自信はない。イナリはそういうのをあまり知らないからだ。とはいえ、やるしかないのは事実だ。
「こういうのは儂には向いとらんが……まあ、やるしかないのう!」
イナリも地面を蹴り、とにかく狐月を振り回していくが……その全てがコロッセウムの戦士の剣に迎撃される。
ギン、ギインと鳴る音は刀と剣のぶつかり合う音であり、イナリがコロッセウムの戦士を押している音でもあった。
その理屈は酷く単純で……イナリが単純な力で強くなくても、狐月は強いというだけの話であったりする。普段イナリが秘剣を使うせいであまり目立たないが、狐月はただの刀などでは断じてない。イナリの巫女服「百狐」が凄まじい威力の攻撃でも弾くように、狐月も相応の力を持っている。
実際、続いていく剣戟の中で……ヒビが入ったのは、コロッセウムの戦士の剣のほうであった。
「なんと……!」
ギイン、と。再びの一撃がコロッセウムの戦士の剣を砕き、剣先がコロッセウムの地面に刺さる。
ピタリとコロッセウムの戦士の金属の首にイナリは狐月を突き付けると、ふうと息を吐く。
「これで儂の勝ちということでええんでないかのう」
「……確かに。武器まで砕かれて負けを認めないわけにもいかないだろう」
コロッセウムの戦士はそう言うと、その場に片膝をつく。
「私の負けだ」
その言葉と同時にコロッセウムの戦士の身体が砕け、その場に魔石がドロップする。どうやらこれで倒したという扱いになるようだが……それを認めるようにいつものメッセージが表示される。
―【ボス】コロッセウムの戦士討伐完了!―
―ダンジョンクリア完了!―
―報酬ボックスを手に入れました!―
―ダンジョン消滅に伴い、生存者を全員排出します―
そうしてイナリがダンジョンの外に出ると、その手には銅の報酬ボックスがある。
基本的で、そこそこのものが出る報酬ボックスだ……しかしダンジョンが消えたことでその場にいた全員が「おおっ」と歓声をあげる。
「ダンジョンが消えた!?」
「こんなに早く……凄い! 凄いぞ!」
「やったああああ!」
喜ぶ沖縄支部の職員たちをそのままに、もうそういうのに慣れた安野と、イナリなら大丈夫だろうと思っていたヒカルがイナリへと駆け寄ってくる。
「おつかれ、イナリ」
「おつかれさまです。狐神さん。で、どんなダンジョンだったんですか? 宇宙?」
「いや、宇宙ではないが……そうじゃのう。まあ、試合場……かのう」
イナリが自分の体験したことについて話していくと安野が「うわあ……」と声をあげ、ヒカルは興味深そうに頷いていた。
「そりゃ面白そうなダンジョンだったな……アタシも行ってみたかったけど、スキル無しだと何処まで出来るか分かんねえな」
「ああいうのはエリのほうが得意な気はするのう」
「あー、メイドな。でもやっぱりスキル無しだとどうなんだろな」
そんなことを話していると、白井が笑顔で走ってきて興奮気味に「ありがとうございます!」と声をあげる。
「本当に助かりました……! 所定の報酬とは別に、ホテルもご用意しておりますので是非ご滞在ください!」
「あー、うむ。その前にこれを開けてからじゃの」
イナリが手に持っていた銅の報酬ボックスを開けると、緑色のポーションが出てくる。
「お、解毒ポーションだな」
「要らんのう……」
「取っとけば? 何かのタイミングで使うかもしれねえぜ」
「そうかのう」
イナリからしてみれば毒なんか意味はないし、誰かが毒を受けたとして秘剣で毒を消し飛ばしてしまえるので更に意味が無いのだが、まあヒカルにそう言われればイナリとしても「まあいつか使うこともあるかなあ」という気持ちになってくるので、ひとまず神隠しの穴に放り込む。
まあ、そんなことがありつつも、白井本人はこれから色々と後処理があるということで、安野を含めた3人は他の職員の運転する車でホテルに向かうが……その向かった先は、なんとも広大で立派なホテルであった。
「うわ、あれ知ってるぞ……沖縄でも結構でかい方のホテルじゃねえの?」
敷地内の車止めに入ればホテリエが走ってきて、中へと案内をしてくれる。
アルトフィオリゾート沖縄。そんな名前のこのホテルは広大な敷地と幾つかの棟、そしてレストランやショップなどで構成されたリゾートホテルだ。
あえて海の近くに作られたこのホテルは警備の覚醒者も多く雇っており……というよりも、覚醒企業である。覚醒企業アルトフィオ。あるいはクラン、アルトフィオ。沖縄を本拠地とする覚醒企業の経営するこのホテルは、それ自体がクランの本拠地でもあるという少しばかり面白い形となっている。
「中入るのは流石に初めてだぜ」
「儂もこんな凄い場所に来たのは初めてじゃのう」
「私もです……」
南国情緒あふれる広々とした造りは白い壁と海の見える大きなガラスで彩られ、白と青が程よく調和した造りとなっているのが分かる。絨毯も青いものが選ばれ、センスの良い椅子や机が置かれたロビーに案内され座れば、冷たいお茶が運ばれてくる。
「おお、美味い茶じゃのう」
「さんぴん茶ってやつだな。つーか……」
お茶を運んできたホテリエの男をヒカルはジト目で見ているが、安野も何も言わないものの似たような感じでイナリだけが疑問符を浮かべている。
「何してんだよ与那覇さん……」
「ああ、やっぱり……見た顔だと思ったんですよね……」
「ヨナハ? 2人とも知り合いなのかの?」
イナリの疑問に、ヒカルは溜息をつきながら頷く。そう、ヒカルにとってこの男……与那覇はよく知った顔であった。
「このホテルのオーナー……クラン『アルトフィオ』のマスターだよ」
「初めまして。与那覇 東司と申します。この度は当ホテルをご利用いただきましてありがとうございます」
「うむ、狐神イナリじゃ。よろしくのう」
「狐神さんの活躍については聞いています。1度お会いしたいと思っておりました」
「おお、そうかえ。照れるのう」
本気で会いたいと思っていたかは知らないが、なんとも記憶に残る男だとイナリは思う。
沖縄の日差しのせいか日焼けした肌は健康的で、鍛えていると分かる身体はしかしスマートだ。
短く切った黒い髪は後ろを軽く刈り上げており、目はどことなく人懐っこいものを思わせる柔らかなものだ。
半袖の制服と合わせ、徹底的に人に好かれそうな要素を併せ持った男であるように見える。
そういう意味では、エリと方向性こそ違えど似ているように見える。見えるだけで、かなり違うのは理解できるが……まあ、とにかく立ち居振る舞いやその他、人に与える印象を気をつけているのがよく分かる。
「いえ、今日は久々に瀬尾さんにお会いできると聞いたもので、つい来てしまいました」
「ふむ?」
「前にクランに誘われてたんだよ……断ったけどよ」
「その後活躍されているようで何よりです。ほら、私の覚醒フォンもライオン通信です」
与那覇の取り出した覚醒フォンの質実剛健なデザインはなるほど、確かにライオン通信製のものであるようだ。
「色々とお話ししたいこともございますが……あまり邪魔をするわけにもいきません。ごゆっくりお過ごしください」
そう言って歩き去っていく与那覇からヒカルは「何なんだ……」と言いながら視線を外すが、イナリは「ふむ」と頷く。
「話したいこと、のう。どんな話があるのやら」
「さあな。ただの冗談か、それとも本気の厄介ごとか……どのみち、あまり良い話とも思えねえけどな。アタシたちが一仕事終えたタイミングで匂わせにきたんならよ。ま、接客業の対応としちゃどうかと思うね」
「まあ、それはそうじゃのう」
あるいは、そんな話をしたくなるほど何かに追い詰められているのか。その辺りについてはイナリには想像するしかないが、安野は考え込むような表情で与那覇をじっと見送っていた。
「どうしたんじゃ? 何か思うところでもあったのかえ?」
「え? いえ。なんかこう、隙のない人だなあって思いまして」
「ああ、それは分かる」
安野と頷きあうヒカルだが、イナリには正直よく分からない。もしかするといわゆる戦士同士が感じる何かみたいなものなのかもしれないが……まあ、与那覇が強いという話だろうことはイナリにも理解できる。そのままイナリに分からない話で盛り上がる2人と共に案内された部屋に向かえば、そこは部屋どころか、まるで一軒家のような場所であった。ヴィラと呼ばれる一棟まるごとを客室としたそこは、まさに沖縄でも最高級の贅沢を詰め込んでいるだろう。
「お、見ろよプールがあるぜ! すげえな、部屋の専用なのかよ」
「見てください狐神さん。温泉ですよ温泉!」
「これこれ、儂を両側から引っ張るでない」
流石に水棲モンスターの危険もあるので半露天風呂だが温泉も用意されている。
成分表も貼ってある本物の温泉だが……そういう意味でも、本当にすごい場所だと言えるだろう。
プールも広々としており、恐らくは此処が本当に高級なのであろうことを思わせる造りだ。
机に置かれた、よく冷えたフルーツ盛りも中々に美しい。
「こんな宿を用意して貰えるとはのう。いいんじゃろうか」
「いいんじゃね? 協会の予算なんだし」
「え? いえ。幾らお礼でもこんな部屋の予算が承認されるとも思えませんが」
此処がアルトフィオというクランの本拠地であるという「いざというときの安心」をも売りにしていることを考えると、最低でも値段は20万はするはずだし、試しに安野が覚醒フォンで調べてみると……この部屋は一泊50万であった。それも3人ではなく、1人あたりである。
「うわあ、やっぱり結構しますねえ……」
「いや、でもよお。50万は大金だけどよ。覚醒者の稼ぎからするとそうでもないよな。実際、イナリが今日手に入れてた解毒ポーションだって市場価格は200万くらいだろ?」
あらゆる毒を消し去るという解毒ポーションは覚醒者はいつでも常備しておきたいものだし、万が一のためとして一般の病院にも特別な許可を受けて少数が保管されていたりする。
そんな解毒ポーションを場合によっては覚醒者は何本もがぶ飲みしたりするのだから、覚醒者として稼げるようになると金銭感覚がおかしくなるとはよくいう話だ。
逆に言えば日本でもトップクラスに稼いでいるのにニコニコしながらふりかけご飯を食べているイナリが特殊とも言えるわけだが。
「いえ、そうじゃないんですよ。稼ぐとか稼がないとかじゃなくて、単純に覚醒者が無暗に贅沢してると思われると面倒な話になるんで、VIPを招くとき以外にそんな予算……いや、VIPですね。うーん……」
安野が何を悩んでいるのかといえば、まあ単純に「贅沢していると思われるとやっかみが凄いので何か特別な理由がない限りは高い宿に泊まる予算は承認されない」という話であったりする。元々覚醒者の間でとんでもない金額が動いているのは周知の話ではあるのだが、そんな雲の上の話ではなくホテルや旅館のような分かりやすい話だと想像が出来る分、そういったものが発生しやすい。
覚醒者協会とて無駄に対立を煽る気はないため、基本的には最寄りの覚醒者協会関連施設での宿泊を推奨している。この辺りは地球防衛隊のような組織が存在していることも理由の1つになっているわけだが、さておいて。
「だとすると、与那覇さんの仕業だろうなあ。本気で何か頼みでもあんのかね」
「まあ、その辺の話はええんじゃないかの?」
海をじっと見ていたイナリが振り向き言えば、ヒカルが「え?」と声をあげる。
「実際あの男が儂らに何か頼みたくて本来より良い部屋を用意したのだとして。儂としては、基本的には受けても構わんからのう」
「イナリってそういうとこあるよな……」
「私は歓待受けてお願い聞いたとかは、ちょっと職務上の問題があるんですが……」
まあ安野は覚醒者協会の職員なのでそうかもしれないが、イナリとヒカルに関しては別に問題はない。一応日本本部に電話連絡をしていたようだが、まあそんな安野はさておいてイナリはフルーツを一つフォークで刺して口に入れる。
「うむ、知っとるぞ。ぱいなっぷるじゃ」
「イナリってパイナップルとか食うんだ」
「いや、店で見たことはあるからの。こんな味なんじゃのう」
「これは結構高いやつだと思うけどな」
結局のところ、その日のうちに与那覇が再度現れることはなく。イナリたちは、部屋でゆったりと過ごし眠りにつくのだった。





