お狐様、お泊り会をする
その後も幾つかの話をした後、安野は帰っていく。なんだか人材交流がどうのとか、色々と綱引きのような交渉がイタリアと始まっているとか、まあそんな話である。とはいえイタリアの交渉とはまあキアラのことで、キアラは相変わらず……というか、より一層強くイナリを欲しがっているようだ。
とはいえイナリに嫌われたくもないようで、まずは穏便に人材交流から……という話になっているようだ。まあ、人材交流といってもそう簡単にいくものでもないので、それなりの調整が必要になってくるのは当然だ。長い目で見ながらやっていくことであり、ひとまずイナリには関係ない話とのことで、様子を見にきたついでに色々と最近のことを伝えていったという感じのようだ。愚痴も色々混ざっていたので、話しても問題のない誰かに聞いてほしかったのかもしれない。まあ、そこはさておいて。
「あ、安野は帰ったのね」
「うむ。まだ仕事があるらしいからのう」
「ふーん」
玄関で安野を見送っていたイナリに、歩いてきた月子がどうでも良さそうに返事をする。一応言ってはみたが、月子は安野にそこまで興味がない。というか、基本的に月子は対人関係に関して非常に慎重だ。具体的に言うと、初対面の人間はまず疑ってかかるし警戒する。多少打ち解けても1対1で会うことなど有り得ないというスタンスだし、それは今後も続くものと覚醒者協会は考えていた。
……ところがイナリとはあっという間に距離が近くなっている。これは単純に月子に対してイナリが相性が良かったというだけではないのかもしれないが……まあ実際のところは不明だ。イナリと関わった人間は大体の確率でそうなるので、単純にイナリが信用できる人物であるというだけの話であるのかもしれない。
とにかく今の月子はイナリを中心に人間関係を構築しており、エリや恵瑠といった面々には多少やわらかい対応をするようになっている。
安野に対してある程度塩対応なのは、覚醒者協会の人間だからというフィルターがあるからなのかもしれない。これも実際のところは不明だ。まあとにかく、月子は安野にたいして結構どうでもいい感じということである。
「そういえば月子や」
「何よ」
「ザンザンゼミって知っとるか?」
「うん。でも何よ、イナリってば進化論の類に興味があったの?」
「そういうわけじゃないがの。だんじょんが出た後に出てきたセミだと聞いたからのう」
「あー、そういうことね」
ダンジョンが生まれ、ザンザンゼミが生まれた。この事実は世界の変化という現象を明確に表す証拠の1つとされているが、実はザンザンゼミからは微量の魔力が検出されたという研究結果もある。これが何を示すかはまだ議論されているが、地球上の生物がいずれ皆、魔力を持つように進化していくのではないか……という説もある。
実際にどうであるかは他の事例がない……というか発見されていないだけかもしれないが、とにかくないのでまだ分からない。しかしもしそうなのであれば、あるいは覚醒者も人類の進化の形なのではないかという意見があるのは確かだ。
「とまあ、そんな感じね。実際はどうだか分かんないわよ?」
「進化、のう。有り得ん話ではないんじゃろうが」
「そうね。ただ、そもそもシステムとは何かという話になるけども」
「ふむ……」
まあ、結局はそこに行きついてしまうのだろう。以前会ったソフィーの話を信じるのであれば、システムは人類側であるようにも思えるが……実際にどうであるのかはシステムにしか分からないだろう。
「ま、その辺はどうでもいいのよ」
「そうかのう」
「そうよ。今日はお泊り会なんだから、そういう面倒な話はナシよ」
言われて、イナリは微笑む。まあ、確かにその通りではあるだろう。
「これはこれは。儂が無粋じゃったな」
「そうよ、無粋よ無粋」
言いながら月子はイナリの手を握り引っ張っていく。いつもよりもテンション高めな月子だが、仕事のストレスから解放されているということなのだろうか。手を引かれながらイナリが着いた場所は、畳の敷かれた広間である。大きな机の置かれたその場所には料理が所せましと並んでいるが……普段イナリが作らないタイプのものばかりだ。
ちなみに今日のエリの格好は和風メイド……このお屋敷とも絶妙にマッチした装いである。さておき料理は彩りも素晴らしく、恐らくはエリのものであろうセンスが光っていた。
「ほお、これは凄いのう!」
「ふふふ……皆で作りました!」
「ぶい」
エリと恵瑠が胸を張って、紫苑がVサインをしているが、カラフルな具材の入った一口サンドイッチに唐揚げ、サラダにローストビーフ、サクサクのパイに綺麗にカットしたフルーツまである。部屋の隅にヒカルがぐったり倒れているのが見えるが、準備で疲れたのだろうか? イナリが近寄って軽くゆすってみると、ヒカルが「うう……」と呻く。
「本格的な料理って大変だな……アタシは普通のでいいや……」
「本格的なのはもっと力使いますよ?」
「マジかよ……」
「料理は体力とスピードですから!」
「愛もですよね」
「愛は常にマックスですから」
そんなことを言い合っているエリと恵瑠が中心になって作ったのは明らかだが、イナリがチラリと月子に視線を向けると「私も手伝ったわよ。ほら、そこにミニトマトがあるでしょ」と答えてくる。
「洗っただけじゃん……」
「充分でしょ」
「そーだな……」
「ボクは超がんばった」
「ああ、お前は確かに頑張ってたよ」
ヒカルがゆっくりと起き上がりながら月子と紫苑に言うが、そんなヒカルの頭をイナリが撫でる。
「ヒカルも頑張ったんじゃのう。手伝えなくてすまなんだの」
「いや、それはいいんだけどさ。元々アタシたちがやるって言い出したんだし」
「うむうむ」
まあ、イナリが手伝ったところでこんなに華やかな感じにはならなかっただろうが、そういう意味でイナリは自分に出来ないことが出来るエリたちを素晴らしいと思う。
戦いなどよりも、こういった技能こそ賞賛されるべきだと、そう考えるからだ。
「さて! じゃあみんな座って頂きましょうか!」
「ええ。冷めちゃったら悲しいですからね」
「そうね」
「おう」
「そうじゃの」
全員で座布団に座り……座れない……イナリの隣を狙いジャンケンが始まる。
「最初はパー!」
「あ、ズルいです!」
「よっしゃ、グー出した奴は負けな!」
「仲良くの?」
ヒカルの知略……まあ、知略である……に恵瑠が負けていたりとそんなジャンケン勝負が白熱し、エリと月子がイナリの隣に座ることになる。ヒカルは普通に敗北した。紫苑はイナリの正面だ。
「まあ、ジャンケンなんて結局は運よね」
「そうですねえ」
「ではみんな座った事じゃし……頂くとしようかの……む?」
あぐらをかいたゴッドキングダムが空中浮遊しながら部屋に入ってくる……いや、違う。アツアゲが運んできて空いている座布団に座らせている。
これでよし、とでも言いたげに頷いたアツアゲが部屋から出ていくが、エリが代表するように「えーと……これどうしたらいいんでしょう?」とイナリに尋ねる。
「うむ。まあ……そのままにしておけばええんじゃないかの」
「王命発布!」
「凄い喋りますねこの玩具……」
「お高い玩具は機能も相応」
まあ、紫苑の言う通り値段が高いほど多機能だったり高性能だったりするのは、何でも同じなのだろう。
ひとまず気にしないことにして「いただきます」と手を合わせれば昼食の始まりである。
「はい、どうぞイナリさん」
「うむ、ありがとうのうエリ」
甲斐甲斐しくイナリの世話をするエリを恵瑠が羨ましそうに見ているが、ジャンケンの結果なので仕方がない。エリはメイドしたいし、イナリはエリがそうしたいと知っているので断らない。紫苑やヒカルは我関せずといった感じだし、月子も同じだ。同じだが……月子の視線は広間の扉を開け放った先に見える庭園に向けられていた。
純和風の日本庭園はしっかりと手入れされているので美しく、見ているだけで穏やかな気分になるように細やかに調整されている。それは月子の感性からしても受け入れやすいものであった。
「いいとこね」
「そうじゃの……そういえば月子は何処に住んどるんじゃったかの?」
「都内のビルよ。セキュリティの問題があるから、どうしても限定されるのよね」
「せきゅりちー……安全装置のことじゃったかの」
「大体そんな感じよ」
正確には色々違うのだが、月子はイナリに対して甘いのでそう頷く。さておきセキュリティでいえばこの屋敷も相当なものであり、だからこそ月子がのんびりしているとも言える。何よりイナリがいる間はイナリ自身が世界最高のセキュリティである。何の心配もいらない。
「確かに凄いお屋敷ですよね。旧家のお屋敷とかってこんな感じなんだろうなあって思うと自然とメイド力が高まりますよね!」
「そんなもん高めてるのはアンタだけでしょ……」
月子はそんなツッコミを入れるが、そもそもメイドっぽいことやってるだけであってメイドじゃないなどというツッコミは今更誰もしない。本当に今更だからだし野暮だからでもある。なお本物のメイドの技能に「メイド力」なんて項目は存在しない。念のため。
「タケルも来れればよかったんじゃがのう」
「そうですねえ」
後日また改めてお祝いに来るとは言っていたが、タケルはこの場には来ていない。それをイナリは少しばかり残念に思いながら言うしエリも同意するように頷くが、イナリ以外の全員……エリも含む……は気付いていた。
イナリを中心としたこのグループでタケルだけ男だから、遠慮したんだろうなあ……と。
(まあ、あの人のことですから女の子だけで水入らずでどうぞ、ってとこでしょうかね)
(女だらけの中に男1人って辛そうだしな……妥当過ぎる……)
(大和さんは良い方ですけど、変なとこで遠慮されるんですよね)
(まあ、昼間だけ来るにしても居づらいんでしょうね)
(甘い玉子焼きも作るべきだった)
エリもヒカルも恵瑠も月子も紫苑もそれぞれそんなことを考えるが……紫苑はともかく、全部当たっていたりする。お泊り会は参加しないにしても、女の子ばかりの中に男1人で混ざるというのは、それだけで結構気をつかうものだ。特にタケルは気遣いが出来るほうなので、尚更である。
……まあ、それはそれとして付き合いは悪くないので、お泊り会がメインのこの状況に混ざってなんとなく流れでそのまま泊まる方向になるリスクを避けた可能性もある。
「まあ、人それぞれ事情はあるものじゃからの」
「そうですね。はいイナリさん、冷たいほうじ茶です」
「おお、ありがとうのう」
そんな会話をしつつも昼食を終えて、皆で片づけをして。広いお屋敷の探検が始まったりもするが……このお屋敷、2階建てである。最初は平屋にしようという意見が強かったらしいが、イナリが今後何か始めても不都合のないように……という結論でこうなったらしい。
1階には水回り……広い温泉大浴場も此処に存在する。イナリ1人では広すぎるが、こうして複数人がお泊りに来ても充分な広さだ。基本的に和室ではあるが、個人の部屋となる場所には鍵付きの引き戸がついている。その中でも2階の眺めの良い角部屋にイナリの部屋となる場所があり、充分な広さがとられた室内には立派な座卓と座布団、小さな書棚やテレビも置かれている。
頓着しないイナリの代わりに置かれた家具の数々だが、ここぞとばかりに生産系の覚醒者たちが気合を入れて作った特別な品々ばかりだ。恐らく買えば1つ1つが相当な値段がしそうなものばかりなのだが……イナリには「良いものじゃのう」とは思っても、その辺りを気にした様子はない。
「うわあ……これ全部特注品ですよね」
「手彫りの品ばかりですね……この座卓も……」
「うむ、儂も気に入っとるよ」
エリと恵瑠にはその辺りの知識が多少あるので良さが理解できるが、ヒカルと月子は実用派なのでイマイチよく分からなかったりする。
「えーと……高いって話なんだよな?」
「素材が良いのは分かるわ」
「はい、あとは職人の技術ですね」
エリもその辺は何となく察しているのでそう頷くが、まあこれも覚醒者協会側からの最大限の好意ということだ。あとは生産系の覚醒者が予算が天井無しだったので張り切った成果でもある。
「お風呂も凄かったですし……掃除は専門の人が入るんでしたっけ?」
「うむ。なんじゃったか……下請けに出さずに出来るところ限定、じゃったかの?」
そうした清掃系のスキルを持った覚醒者もいるため、いつでもピカピカに出来るのだが……そうした中に入る人間を調査管理できないリスクを無くすために下請けへの委託禁止という条件が課されたわけだ。もっと言えば「余計なことをしないように確実な選定をされた人間」のみが中に入れるということになる。この辺りは日本本部肝入りなこともあり、イナリの知らないところで厳しい管理となっている。
「凄いっていえば冷蔵庫も凄かったですよね」
「あ、そういえばそうですね。たぶんあれ最新っていうかまだ未発表のやつでは……」
「儂にはよう分からんが、確かに凄いものじゃの」
エリと恵瑠の言う通り、冷蔵庫も各メーカーが熾烈な売り込み合戦の末に勝利したものが置かれている。来期に発売予定の最新モデルである。無論、イナリは「凄いのう」くらいだし紫苑とヒカルは分からないし月子は技術的な面で「ま、こんなもんかしらね」である。
「うーむ」
「どうしました?」
「いや、エリと恵瑠は色々と凄いと思うての。儂には分からんことばかりじゃ」
イナリに言われて、エリと恵瑠は顔を見合わせ嬉しそうに微笑む。
「まあ、メイドですから」
「色々と勉強したせいかもしれません」
「良いことじゃの」
どんな知識も何処で役に立つか分からないものだが、それで物の良さが分かるのであれば、それだけでも素晴らしいものだ。
「しかしまあ、何とも良い家を貰ってしまったものじゃ」
イナリが欄干付きの窓を開ければ、すっかり整備された駒込の町並みが見える。
駒込の整備計画により、何処の建物も和風で2階以下となっているが……そんな街並みを見ることの出来るこの狐神邸は、この駒込でも一番良い場所に立つ美しい建物だ。
それ自体が観光名所となり得る場所ではあるが、そんな場所に暮らせるというそれ自体が今のイナリが覚醒者協会にとってどう思われているかという何よりの証でもある。
「さて、屋敷は充分探検したし……次は何をするかのう」
「お昼寝」
「まあ、それもいいかしらね」
「じゃあまたジャンケンですね!」
「色々開けっ放しで寝られるって、実は物凄く貴重ですよね」
今時は防犯上の問題でそういうのが難しいので、元々セキュリティ面で凄いイナリの屋敷でそれを出来るというのは、本当に贅沢であったりするのだが……現代においては、しかも都内で高層ビルに住むよりも贅沢なお屋敷ライフをその日、エリたちは目いっぱい楽しんだのであった。





