駒込、新生する
夏が来る。町中を見渡せばトンボの姿を見かけるようになり、お店でも夏を意識したものを売り始めた。魔石というクリーンエネルギーは様々な環境問題を解決し、春夏秋冬はそのイメージに相応しい、けれど比較的過ごしやすいサイクルとなっていた。
覚醒者協会は服装に関しては比較的自由がきくが、安野のような外部とよく会う部署はスーツを選ぶ者も多い。安野の場合はまだ新人ということもあり無難にスーツを着ていたのだが、最近はもうすっかり慣れてしまった。なんだかんだとスーツという服装の与える信用は便利ではあるのだ。
とはいえ……今日ばかりはちょっとミスマッチな気がする、などと安野は思っていた。
東京都豊島区駒込。巣鴨に隣接するこの場所は「かつての時代」以降は特筆する部分のない普通の町だった。それ自体はとても素晴らしいことであるのだが、東京の11個目の固定ダンジョン、東京第11ダンジョンが発生したことで事情が変わった。
覚醒者協会日本本部の肝入りでの開発事業が始まり、一部の特例を除き、基本的に駒込の全域は覚醒者協会の所有する場所となった。
これは駒込で失敗したくない覚醒者協会の鉄の意志によるものであり、巣鴨と連携し町全体が和風に揃え開発された。
通常であればかなり時間がかかるはずの整地や建築も生産系……特に建築系の覚醒者たちの手により特急で仕上げられていったが、こんな大規模な建築事業は久しぶりだったために皆笑顔であったらしい……さておいて。
9大クランの1つ「武本武士団」を中心にやっている巣鴨と連携するというのは口先だけではなく、「観光の巣鴨」と「宿泊の駒込」という形で最終的に合意していた。
まあ、要は巣鴨のサポートとして駒込を作り、巣鴨に不足している宿泊施設を温泉付きで作るということである。この辺りは駒込に固定ダンジョンが出来たことで安定した湯量が約束されたからでもある。
そういうわけで和風な温泉旅館が出来上がり、巣鴨同様に人力車や駕籠の通る和風な街並みとなった。
なんだか時代に逆行しているようにも見えるが、覚醒者がやるなら下手な車よりも頑丈だし、積載量だって多くなる。
まあ、そんなわけで江戸のごとき街並みとなった駒込の一角に存在するのが9大ギルドの支部、覚醒者協会駒込出張所改め駒込支部。そして、駒込再開発の理由となった狐神イナリの家である。
純和風の極致とも言える職人のこだわりが随所に見えるお屋敷はそれなり以上の広さがあり、門の前には覚醒者協会の警備が立っている。
ハッキリ言ってVIP並の扱いではあるが、それだけイナリとの関係を覚醒者協会が重視しているという証でもある。
狐神イナリ。現在日本ランキング9位。トップランカーに近づいていくほど何処かが……実力以外の何かが欠けているものだが、少なくともイナリは人格も良く信用も出来る人物という、本気で日本本部としては得難い人材である。
何しろ1位の『勇者』はホイホイ海外へ人助けに行ってしまって肝心な時はほとんど日本にいない、2位の『プロフェッサー』は替えが利かないくらいに凄いけどあまり他者を信用しないし、3位の『潜水艦』は貴重な水中適応の覚醒者だが、人前に出るのを徹底的に嫌がる。4位の『黒の魔女』は人前に出るのも好きだし盛り上げも上手いが、中二の権化なので小さい子どものいるご家庭から結構ガチの苦情が来る。5位の『聖騎士』はそういうのもない爽やかな青年だが、『黒の魔女』同様にそういうキャラを演じてるだけなのであまり人前に出したくないのが実際のところであったりする。
まあ、そんなわけで日本の覚醒者協会としてはそういう問題が一切ないイナリをプッシュしていきたい事情もある。惜しむべくはイナリ本人が、そういうのに一切興味がないことだが……。
さて、そんなイナリの家に今……安野はやってきていた。覚醒者協会でイナリのサポート役となってからしばらくたつが、驚かされることばかりであった。
現代社会に適応していないイナリをある程度サポートするだけのチュートリアルガイド役程度だったはずが、今ではイナリ専属みたいな扱いである。おかげでお給料もちょっと上がって責任もぐーんとアップである。
「あ、お疲れ様です!」
「はい。お疲れ様です。狐神さんにアポはとってますけど、話は伝わってますか?」
「問題ありません! どうぞお通りください!」
イナリのことだから「安野が来たら勝手に入ってもらってええよ」とか伝えていたのだろう。実際その通りであるのだが、そうして門から入って行けば、そこに広がるのは美しい日本庭園である。庭園整備の人員も雇っているが、その辺りはイナリのお財布から出ている。正直、彼ら全員を100年雇ったところで何の痛痒もない程度にはイナリは稼いでいる。安野も同年代の中では同期と比べても高給取りなほうではあるが、イナリと比べれば全然であったりする。
(いや、そう考えると本当に凄いですよね。というか、狐神さんの関わっている案件が濃すぎっていう気もしますが……)
おまけに未発見のアイテムも度々持ち帰ってきてオークションを騒がせている。その辺りのこともあって資産がとんでもないことになっているのだが、覚醒者が湯水のようにお金を使う部分である装備やアイテムを全く必要としない辺りもイナリの持っているお金が増えていく理由になっている。
更に本人に「もっと良い生活をしたい」という意思が皆無なのでお金が全然減らない。かと思えば通販番組で変なものを買っていることもあるので、変な訪問販売を絶対に通さないように警備の職員には指示が出ていたりする。さておいて。
お屋敷の扉前のインターホンを押すと「どうぞ入っとくれー」と返事が返ってくる。当然のように鍵のかかっていない扉を開ければ、そこにはお屋敷の主であるイナリ……ではなく、全長2メートルのロボットが立っていた。
「えっ、ロボ……」
「今だ! キングダムカノンを使用せよ!」
「ええっ⁉」
「了解! 全砲門開け! 跡形もなく消し飛ばしてやるのだ!」
「け、消し飛ばされるうううう!?」
ロボットの前面が開き姿を現す無数の砲門。正直安野の理解は全くついていけていない。
「キングダムカノン・フルバースト!」
ズガガガーン、ズドドドドーン。響く音と、ひょっこりと姿を現すアツアゲ。なるほど、アツアゲが玩具で遊んでいたらしいと安野は理解するが……そこで「あっ」と声をあげる。
「そういえばアツアゲになんか凄い玩具買ったって言ってましたっけ……え、最近の玩具ってこんなんなんです?」
てっきり『プロフェッサー』がイナリの家に火力高めの警備ロボットでも開発して配備したのかと思っていたが、よく見ればロボットアニメ「巨神王国ゴッドキングダム」の主役メカである。結構なクオリティだが、確かにこれはお高いだろう。
「あれ。でもなんでコレが玄関に……? 狐神さんが置いたとも思えませんし……あっ」
言いながら安野の視線はアツアゲに向いていく。ひょっとしなくてもアツアゲが運んできたのだろうし、もう終わりとばかりにアツアゲがデフォルトサイズになって何処かに運び始めていた。つまり、安野が来るからわざわざ運んできたのだろう……玩具扱いされている。
「おお、安野……なんじゃ? 狸にでも化かされたような顔をしおって」
「どっちかというとゴッドキングダムの必殺兵器を喰らった顔ですが……」
「ごっど……あ、これ! アツアゲ!」
小さくなって逃げていくアツアゲをイナリは捕まえると、そのまま安野の前に持ってくる。
「まったく。安野で遊ぶでない。ほれ、謝るんじゃ」
「あ、いえそんな……」
ペコリと頭を下げるアツアゲに安野は曖昧な笑みを浮かべながらも「気にしてませんから」と答える。というかまあ、アツアゲに遊ばれるのはある程度の信用の証なので覚醒者協会的には光栄な話ではあったりする。
さておいて、改めてゴッドキングダムを何処かに運んでいくアツアゲを見送りながら安野は「凄い玩具ですねえ」と呟く。
「うむ。最近の玩具は本当に凄いのう。儂も驚きじゃよ」
「……一応聞きますけど狐神さんがご存じの玩具って」
「独楽とメンコと……ベーゴマも知っとるぞ」
「あ、はい」
「おお、そうじゃ。カルタもあるのう」
「そうですね」
さておき、イナリに案内されながら安野はイナリのお屋敷の中を歩くが……新築であることを除いても、実に立派であった。1つの不満さえ発生させないとでもいうかのような執念を感じるが、欄間に狐が彫ってあるのはそんなこだわりの1つであるのだろう。安野が知っている限りではイナリがこのお屋敷について言ったのは「任せるのじゃ」の一言であったらしいから、施工した職人がイナリのために作ったのだろう。通された部屋も落ち着く雰囲気の和室であり、立派な机や座布団が置いてある。
「あの……狐神さん」
「うむ」
「上座にゴッドキングダムが座ってるんですけど……」
「まあ、うむ。アツアゲの仕業じゃのう……」
ちゃんと座布団の上に座っているゴッドキングダムをそのままにイナリと安野が向かい合うように座ると、恵瑠がやってきて2人分のお茶を置いて下がっていく。
「今のって武本武士団のところの……」
「遊びに来とってのう。気の利く子じゃ」
「そ、そうですね……」
仲が良いのは知っていたが、なんかもう色々と自然過ぎて安野はどう突っ込んでいいのか分からない。
「ズルいです恵瑠さん……! こういうのはメイドのお仕事なんですよ!?」
「メイドかもしれませんけど女中さんではないですし……」
「和風メイドですー!」
襖の向こうでコソコソ話している恵瑠ではない声にも安野は当然のように聞き覚えがある。
「エリさんも来てるんですね……」
「うむ」
そういえば『プロフェッサー』である月子も今日は緊急時以外連絡してくるなと話があったと聞いていたが……まさか此処にいるのだろうか、などと安野は考えてしまう。特にそんな話は聞いていないし警備も通常通りに見えたので流石にそれはないかもしれないが。
「ちょっと煩いわよ。イナリは来客中なんでしょ?」
めっちゃ『プロフェッサー』の声聞こえた。安野は思わず遠い目になってしまうが、すぐに正気を取り戻す。
「そういえば此処、元々警備レベルは高かったですね……」
「ん? うむ。そんな話もあったかの」
さておき、安野も仕事で此処に来ている。気を取り直し、真面目な表情を作る。
「今日は狐神さんの御様子を直接確認しに伺ったのですが……近頃は何かありましたか?」
「ん? うむ。特に何もないのう。屋敷が広すぎて持て余し気味なくらいじゃな」
「あはは、そうでしたか。確かに大きいですものね、このお屋敷」
この部屋にあるように高級な家具も置かれてはいるが、普段はイナリとアツアゲしかいないのだ。使っている部屋は非常に少ないだろう。まあ、だからこそ今日のようにイナリの友人たちが遊びに来ても何の問題も無いのだが。
「良いところじゃよ。良すぎるくらいじゃがな」
「本来はこのくらいのお屋敷が丁度いいくらいなんですよ?」
「うむ。まあ、この屋敷であれば何かあった者を受け入れるのも楽じゃからの」
前のマンションであれば問題も色々あったかもしれないが、此処ならば問題はない。そう頷くイナリに安野は「そうですね……」と頷くが、本当にイナリの考え方は他者優先であった。それは出会ってからこれまで一切変わっておらず、これほどまでに傲慢の許される立場となってさえ変わらない。
とはいえ……その善意につけ込めばとんでもないしっぺ返しが返ってきそうな恐ろしさも安野は感じていた。それはイナリがやってきた当初にチンピラクランに対してやってみせた「おしおき」でも充分すぎるほどに理解できている。
「覚醒者協会には感謝しとるよ。本当に素晴らしい場所じゃよ、此処は」
「そう言っていただけると関係者一同の喜びです」
「うむうむ」
イナリの家として屋敷の門の辺りは一種の映えスポットとなっているが、それはそれとして皆騒がないようにと自主的にやっているのはやはりイナリが愛されキャラだから……ではあるのだろう。とんでもない美少女で、狐巫女で、なおかつ誰にでも優しい。そんなイナリに実際に関わってなお嫌いだと言えるとしたら、余程のひねくれものであるし、9大クランの支部もあるこの場所でわざわざ騒ぎを起こそうという馬鹿もそうはいない。
まあ、そんなわけでセミの声も聞こえ始めるこの時期、静寂の中で響く夏らしい音でもある。
ミーンミン、ザーンザザン、と……安野にとっては聞きなれたセミの声が耳に届いて。
「……今何ぞ、波の音みたいなのが聞こえなかったかの」
「ああ、ザンザンゼミですね。あの音が聞こえると夏が来るなあって気がしますよね」
「聞いたことのないセミなんじゃが?」
ミンミンゼミはともかくザンザンゼミなんて聞いたことが無い。首を傾げるイナリに安野は「そうなんですね」とちょっと意外そうな表情になる。
「かつての時代以降に現れたセミらしいですよ。正確にはいつでしたっけ……たぶん……15年くらい前、ですかね?」
「モンスターではないんじゃよな?」
「はい。研究の結果、元々いたセミが魔力の影響か何かで変異したんじゃないかって説が有力らしいです」
光を受けて青みがかった色で光る羽を持つザンザンゼミはその波の音のような声をあげることでよく知られている。
モンスターのように危険があるわけでもなく、ただ新しい種のセミであるということだが……実は似たような変異種の生物の例は世界中で見られている。おかげで生物学者などは魔力が生物に与える影響について研究する者も大幅に増加したし、鉱石などにも影響があるのではないかと調べている者も多い。まあ、鉱物については現時点では特に変化はないようだが……まあ、さておいて。
「まあ、こういう些細なことでもいいですし……何かあればいつでも私にお電話くださいね」
「うむ、そうさせてもらおうかの」
イナリとしても、安野のことは信頼していた。会ったときの頼りない部分は少しずつ抜けてきているし、いつでも真面目で真っすぐだ。まあ、面倒ごとを嫌がる部分もたまに垣間見えるけども。そういう部分含め、イナリは安野のことを評価しているのだ。
「安野も、何かあれば言ってくれ。出来る限り力になるからの」
「はい。そう言っていただけるだけでも本当に有難いです」
庭ではザンザンゼミがザーンザザンと鳴いている。きっと今年の夏も暑くなる。そう思わせるような、海を感じる鳴き方であった。





