アツアゲ、疑惑の対象になる
それから数日後。次は何処のダンジョンに行ってみようかと自宅で悩んでいたイナリに、赤井から電話がかかってきた。
「儂じゃよ」
『突然申し訳ありません。その、こういうことを聞くのもどうかと思うのですが……アツアゲは最近どうしてますか?』
一体何の話かと思いつつも、イナリは机の上で大の字で寝ている……本当に寝ているかは分からない……表情も無ければ呼吸もないので判断できない……とにかく転がっているアツアゲに視線を向ける。
「うむ……今はたぶん寝とる」
『たぶん?』
「見た目じゃ分からんからのう」
『そうですか……最近、アツアゲは1人で出歩いたりしていますか?』
そこまで言われて、前に月子が言っていたのと同じ話だとイナリは気付く。しかしどうしてアツアゲがそういう風に最近の行動について聞かれるような事態になるのか?
「いや、基本的に儂と行動しとるが」
『そう、ですよね。なんだか最近アツアゲを見かけた、みたいな話がたまに流れてきているようで……少しばかり気になったので』
「ふむ……」
『いえ、失礼しました。まあ、噂は噂ですし……余計なことを言ってしまいましたね』
「いや、構わんよ。また何かあれば聞かせとくれ」
赤井との電話を切ると、イナリは考える。要は「アツアゲと思われる何かを見かけた人が複数いる」と、つまりはそういうことなのだろう。正直赤井からの話だけであれば赤井の言う通りに「噂は噂」で済んだかもしれない。しかし月子までもが同じことを言っていたというのは普通ではない。
つまり……アツアゲと勘違いされるような「何か」がいるということだ。
(もしかすると、じゃが。東京湾に居たモノと関連している可能性もあるのう)
その辺りは不明だ。不明だが……何かがあるのは確実だ。そしてイナリは、1つの可能性について考えていた。そう、それは……埼玉第3ダンジョンのことだ。
この国ではかつて覚醒者を弾圧したことで逃げられ、全国規模でモンスター災害が発生した。その際ダンジョンから出てきたモンスターは倒されたものもいるが、行方不明なものもいるという。伊東で出てきたキングコロッサスたちがまさにそれであったが、埼玉第3ダンジョンのボスである積み木ゴーレムが何処かに潜んでいた可能性だってあるし、それが東京湾にいたところで、なにも不思議ではない。
「とはいえ、見分けがつかんのは困るのう」
イナリが机の上のアツアゲを突けば、アツアゲが「何か用か?」とでも言いたげに起き上がる。
「おお、すまんの。どうにもお主の同族がいるようでの?」
そんなもん知らん、とでも言いたげにスタスタ歩いてリモコンを手に取ってテレビをつけるアツアゲは、まさに自由そのものだ。何も気にしている様子はなさそうだが……まあ、同族だとかそういう意識はないのかもしれない。
ーでは、本日のトレンドコーナー! 今日ご紹介するワードは『パートナー』です!―
「む?」
―あの狐神イナリさんのパートナー『積み木ゴーレム』から始まったパートナーですが、その可愛さからペットとも呼ばれ覚醒者社会ではより強いモンスターや、より可愛いモンスターを手に入れようという動きが強まっているんですね! そこで今回はクラン『アニマル広場』の石沢秀樹さんにおいでいただきました!―
―どうも、今日はよろしくお願いします―
―では石沢さん! 昨今のパートナー事情がどうなっているのでしょう?―
―そうですね。やはり積み木ゴーレムを手に入れたいと願う人は多いのですが、少しばかり相手が悪すぎるのもあって、最近はウルフなどにシフトした人も多いですね―
―そうなんですか?―
―はい。そもそも積み木ゴーレムはク……ごほん、強力なボスとして有名なモンスターなので。余程運が良くないと、ベテランでも簡単に敗北するような相手なんです―
そう、ボスモンスターとしての積み木ゴーレムは凶悪だ。何しろ登場前からダイスを振り、強化済の状態で出てくるのだ。運が悪ければ36倍積み木ゴーレム……パーツを無限に交換してくるタイプの不死身じみた超巨大な敵と戦う羽目になる。誰しも自分の命をそんなくじ引きの結果に託すつもりはないのだ。
―ペットとも呼ばれているように、そこそこの戦力と一緒にいても辛くない可愛さを求める人は多いです。そういった点でウルフは凛々しくて可愛くて良い……ということですね。古来から狩りのパートナーとして犬が選ばれてきたのも根底にはあるでしょう―
―けれど狐神さんが積み木ゴーレムを手に入れるまでは、そうしたパートナーを手に入れた方はいらっしゃいませんでしたよね?―
―はい。現在でもパートナーを手に入れた人はごく少数に留まっています。恐らくですが、確率が凄まじく低いのではないかと予想されています。他にも拡張ダンジョン同様に、最近『手に入るようになった』のではないか……という説もあります―
―タイミングの問題であったと―
―そうですね―
ダンジョンが今も変化し続けているのは事実であり常識だ。だからこそ「思わぬ何か」が追加されていても気付いていなかったということは十分あり得るし、覚醒者はパートナーもそうであると理解していた。
―ちなみにこちらは視聴者の方から頂いたアツアゲの画像です。赤羽の町を歩いているみたいですね、。かわいいですねー!―
「……ふむ?」
ここ数日、イナリは赤羽には行っていない。そしてアツアゲもまた同様である。となると……この写真に写っているのはアツアゲではないことは明確だ。だとすると、やはりアツアゲではない積み木ゴーレムがダンジョンの外をウロついているという話になる。
今のところは人間に害を及ぼしてはいないが、今後もそうであるとは限らない。
イナリが覚醒フォンを取り出し安野に電話をかけると、数コールで応答があった。
『はい、安野です。どうされました?』
「うむ。今てれびを見ておったんじゃが……アツアゲではない積み木ごおれむがいたようでの? ちいとばかり見に行ってみようと思うんじゃよ」
『分かりました。此方でも情報を関係部署に共有しますので、何かあればすぐに電話をください』
安野も積み木ゴーレムが敵に回った際の厄介さはデータだけではあるが知っている。下手に刺激しても大丈夫な人物……イナリだからこそ、そういうサポートに回ることを即座に判断したのだ。とはいえ、これは緊急事態だ。即座に全国の覚醒者協会支部に連絡が回っていくが内容は「緊急時以外の手出しは無用」「見つけ次第連絡」である。
積み木ゴーレムの基本サイズは50センチではあるが、アツアゲを見る限りではそこから縮小できることも分かっている。これはアツアゲという積み木ゴーレムがいなければ分からなかったことだ。そして恐ろしいのは、他にどんな能力を持っているか分からないということでもある。
だからこそ覚醒者協会は油断しないし、徹底した監視網を作るつもりであったのだ。
そんな中でイナリが向かったのは赤羽だ。まだそこにいるとは限らないが、ひとまずの手がかりであったからだ。
「ふーむ……相変わらずの賑わいじゃのう」
荒川を利用した赤羽港を有する物流拠点であり大きな市場の存在する赤羽はいつも人が多い。何故か狐耳を売っている店もあるが……ひとまずそれはさておいて。
「ねえ、あれイナリちゃんだよね」
「ほんとに赤羽に来るんだ……すっごい可愛い……」
「尻尾もふもふしたい……」
なんだか色々と聞こえてくるが、軽く手を振ると歓声が上がる……と同時に一気に囲まれてしまう。
「握手してください!」
「サインもらえませんか!?」
「写真撮っていいですか!?」
「お、おおお……?」
遠巻きに何か言われるのは慣れていても、こんなに一気に囲まれて何か言われるのはイナリにとっても初めての経験だ。まあ、その辺りはマナーの問題というか「仕事中の覚醒者の邪魔をしない」といったような暗黙のルールのようなものを自主的に守るか守らないかというような話であったりするし、今のイナリが仕事中に見えるかオフに見えるかみたいな話であったりもする。
「はーい、そこ! 道を塞がないでください! 解散してくださいねー!」
市場の警備を担当していた覚醒者が人の群れを解散させていくと、遠巻きに観察する人だけになるが……イナリは安堵の息を吐く。まさか蹴散らすわけにもいかないし、全員対応しても凄まじい時間をとられただろうから、結果的にはこれでよかったのだろう。
「すまんのう。助かったのじゃ」
「いえいえ。何かあったら近くの警備に頼ってくださいね」
「そうさせてもらおう」
とにかく、そんなわけで赤羽を歩くイナリだが……今日は休日のせいか人があまりにも多すぎる。この場所で積み木ゴーレムを探すというのは中々に手間であるように思えるが、やるしかない。市場を歩けば何処も人の群れで、以前イナリがコロッケを買った店でも人が並んでいる。
テクテクと歩いていくイナリは店の商品棚の下や隙間なども覗いていくが、それらしき姿はない。
お店の隙間の小さな路地、自動販売機の陰……そういった場所にも見つからない。
一体何処に行ったのか? そう悩むイナリに、かけられた声があった。
「どうされましたか?」
「いや、たいしたことではないのじゃが……む?」
振り返った先に居たのは、長い金色の髪を低い位置で纏め、優しげな緑色の目をした女だった。全体的に人の警戒心を解くような温和な雰囲気を持っており、10人いれば7人は振り返りそうな美人でもあった。着ている服はシャツにジーンズとラフな格好で、靴も動きやすそうなスニーカーだ。しかし、腰に提げた細身の長剣が覚醒者であることを明確に示していた。そして……抑えてはいるが、かなりの実力者であることも伺えた。
「ああ、これは失礼しました。私はソフィー・ダール。生まれはノルウェーですが、こっちで暮らして大分たちます」
「これはご丁寧に。儂は狐神イナリじゃ」
微笑むソフィーにイナリもそう返す。このソフィーと名乗る人物が強いことは直感的に分かる。具体的にどの程度かは分からないが、少なくとも立ち振る舞いに隙というものがない。しかし越後商会のときのような「誰かに化けている」不自然さもない。そして敵意らしきものもない。なら、ひとまずは問題が無いのだろう。
「ああ、今朝のニュースで積み木ゴーレムの件をやっていましたけど……やはりアツアゲだったのですか?」
「違う。だから探しておるのじゃよ」
「なるほど……」
別に嘘をつく理由もないので正直にイナリが答えれば、ソフィーは深刻そうに頷く。
「そうでしたか。だとすると事態は深刻ですね。是非お手伝いさせてください」
「うむ。それは有難いが……」
「幸いにも、幾つか予想できる場所はあります。一緒に回ってみませんか?」
目星がついているのであれば断る理由もない。イナリはソフィーと一緒に歩き始めるが、最初に向かった先は赤羽港だった。
「港? 何故此処に?」
「積み木ゴーレムが自分の生まれた場所に向かう可能性もあるでしょう?」
言いながらソフィーは港の職員への聞き込みを始めていく。職員も忙しいはずだが、ソフィーに話しかけられると男女共に照れたように好意的に口を開いていく。
「積み木ゴーレム? いや、見てないなあ。そんなのが船に近づいて来れば流石に分かるよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「いやあ、いいんだよ。またなんかあればいつでも……」
笑顔を振りまいていたソフィーはイナリの下に戻ってくると「川口に行った可能性は低そうですね」と伝えてくる。
「そうじゃのう。泳いでいったとしても目立つじゃろうし」
「となると……あちらのほうかもしれませんね」
「ん? 他にも心当たりがあるのかの?」
「はい。むしろそちらの方が本命といいますか……」
スタスタと歩いていくソフィーの背中を見ながら、イナリは「ふむ」と頷く。
「ところで……何故そんなに親切にしてくれるのかのう?」
「善意に理由が必要ですか?」
「場合によってはのう。どうもお主と似た気配を東京湾で感じた気がするんじゃよなあ」
それはほぼイナリの勘に近いものだ。しかし、どうにも何かが引っかかるのだ。具体的な証拠など何1つないが、1度感じると違和感としてイナリの中で広がっていく。そして、そんなイナリに……ソフィーは苦笑と共に振り返る。周囲には人気はない……大分人のいない場所まで歩いてきたからだ。
「……凄い人ですね。隠し切ったはずなのですが」
「やはりお主は……」
「いいえ?」
ソフィーはイナリの言おうとしたことを遮るように否定する。その表情は、穏やかな笑顔のままだ。
「私は貴方の考える通りのモノであるかもしれませんが、同時にソフィー・ダールです。システムも私の存在をそうだと認めている……覚醒者協会からきちんとカードも貰っていますしね」
言いながらソフィーが出したカードは、確かに覚醒者協会のものだ。
名前:ソフィー・ダール
レベル:87
ジョブ:ワルキューレ
能力値:攻撃B 魔力C 物防B 魔防C 敏捷C 幸運D
スキル:輝き失わぬ剣
「日本の……お主、のるえーとか言ってなかったかの?」
「今の時代って覚醒者ということにしとけば戸籍がどうにでもなるから、良い時代ですよね」
能力も誤魔化しがききますし、と笑うソフィーだが、イナリとしてはまあ似たような境遇なのでそこについては何も言えはしない。
「まあ、日本で暮らしているのは本当ですよ。特に理由があったわけではありませんが」
「……お主、『神のごときもの』の一柱じゃろう? 理由もなしに日本に居ると?」
「システムも雑ですよね。ただ、そう称するしかなかったのだとは思いますが。神という言葉はそれだけ重たいものです」
「世界に害をなすつもりはないと?」
「それは今更な話ですよ。何をもって世界への害と為すのか。その基準は変わり続けている……旧きを守るだけが世界の益となるわけではありません。それに人の中で生きているならご存じと思いますが、私は貴方と違って目立ってませんし」
「うっ! それを言われると弱いのう」
ソフィー・ダールなどという人物はイナリも初めて聞いた。本人の言う通り人の中にあって目立っていないのだろうが……そういう意味ではイナリの方が余程人の中に馴染んでいない。
「ま、そこはいいんです。他の方々がどう考えているかまでは知りませんが、私はこのまま世界の行く末を見守るつもりです。まあ、アマンダの件については暴走を止め切れなかったのは申し訳ないですが」
「……やはりアレは使徒じゃったか」
「ええ。彼女が歪んだのは人の間での権力闘争の結果ではありますが」
言いながら、ソフィーは「ああ、そうそう」と思い出したように言う。
「別に私のようなものがあちこちにいるわけではありませんよ。私は元々こういうことに適性があるんです。少なくとも人が違和感を感じず、システムが私を認めざるを得ない程度には」
「まあ、人の子に迷惑をかけとらんのであれば儂は別に構わんが……」
「そうですか。それでは何も問題なし……ということで、次の場所にこのまま向かいましょうか」





