お狐様、鬼怒川から帰る
鬼怒川のダンジョンが拡張ダンジョンになったという話は、かなりの反響をもたらした。
まあ、当然だろう。ただでさえ鬼怒川の栃木第2ダンジョンは役に立つものばかりが出る鉱山という認識をされていたのだ。そこにアンドロイドが出る拡張領域が追加されたというのだ。
今までが今までだから「大幅な技術革新!」みたいな期待をする者は少ないが、どうにもエリが持ち帰った機械の指が「アンドロイドの部品」というアイテムであったらしく、これは今まで解析できていなかった技術の一端を確認できる……かもしれない、ということでオークションでかなりの高値がつくだろうと予測されていた。
そしてこの事実はすでに覚醒者協会を通じて大きく発表されているため、オークションの盛り上がりはもはや間違いない……らしい。
利益はイナリとエリで折半になるため、イナリはいつも通りだがエリは一日でかなり稼いだということになる。
「あれがそんな凄いものとは……驚きでしたねぇ」
「うむ。まあ、それ含めて運ということじゃろうのう」
イナリたちが視線を向ける先では、何やらニュースがやっている。それはどうやら今いる鬼怒川のニュースのようだが……テレビのレポーターが栃木第2ダンジョンの前に居るようだった。
―この検問所の奥にある栃木第2ダンジョンが大きく変化した結果生まれた新しい可能性……その事実に今、鬼怒川が沸いています! 観光協会長の田沼さん、お話を聞いてどうでしたか?―
―いやあ、有難い話ですよねえ。そもそもこの鬼怒川は歴史の深い場所ではありますが、そこに未来への可能性がまた新しく加わったんです。過去から未来へと繋いでいく力はまさに鬼怒川の湯の……―
イナリたちのいる旅館の部屋は鬼怒川渓谷に向いているので外がどうなっているかはよく分からないが、どのチャンネルをつけても似たような中継をやっている。まあ、栃木第2ダンジョンの利用のされ方とそこから派生するものを思えば、注目度が高いのは致し方ないとも言えるだろう。
「さて。エリ、一晩たったわけじゃが、だんじょんで戦った感想はどうじゃったかの?」
イナリがパンと手を叩いてそう聞けば、エリはなんとも難しそうな表情になる。実際、エリとしては難しいところではある。自分1人で出来ることを再確認もしたが、仲間の重要性をも再確認した。イナリのように買い物をするノリでダンジョンに行く……というのは、正直エリには難しい。だからエリにとって今回のダンジョン攻略は、1つの事実の再確認であったとも言えるだろう。
「そうですねえ……やっぱりメイド隊の面々と組むのが基本的には良さそうかなって思いました。その上で相性の良いダンジョンに関しては都合がつかなければ1人か2人で行く、という方針で問題なさそうです」
「うむ。学びがあったのであれば今回は大成功じゃの」
「あ、採点される流れとかじゃないんですね」
「エリはそんなもの必要なかろ? 出来る子じゃもの」
「わあ、信頼が凄い……」
「まあ、つけろというなら100点じゃろ?」
イナリの場合適当ではなく本気で言っているからこそ効くのだが、実際にエリの戦い方は自分が何を出来るのかを理解した者のそれだった。自分の出来ることをしっかりとやって結果を出したことに採点などしても、100点以外にあるはずもない。
まあ、そんなわけで2泊3日の鬼怒川旅行も今日で終わりで、チェックアウトまではまだ時間もある。何よりお土産もすでに購入済だ。だからこそ、こうして部屋でゆっくりとしているわけだ。
「そっか。100点ですか……それだけでなんだか満足な気分です」
「満足といえば、此処の湯も中々のものじゃったのう」
「昔は偉い人しか入れなかったらしいですよ」
「まあ、温泉はのう。そういう話に事欠かぬのう」
その辺りの歴史はさておき、それだけの古い歴史を持つ温泉街である鬼怒川は、その独特の立地もあって今までイナリが経験したことのない場所であったことは確かだろう。だから結果的に言えばイナリとしても非常に満足であったのだ。
「温泉饅頭も何処に行ってもあるしのう。素晴らしいことじゃ」
「伊香保が発祥っていうのが定説らしいですよね」
「草津の近くじゃったかの?」
「ですね」
伊香保温泉も素晴らしい温泉ではあるが、イナリは行ったことはない。いつか行ってみようなどと思うが、具体的にいつかというのは特に考えてはいない。さておいて。
「さて、と。じゃあそろそろ宿を出てバス停に行きますか? 今日は1日中テレビはコレでしょうし、そうなると見つかったときに面倒かもです」
「うむ。そうするかの……ほれアツアゲ、行くぞ?」
イナリが呼ぶとアツアゲはテレビを消してイナリの服の中に最小サイズとなってすっぽりと潜り込む。そうして2人は東京行きのバスに乗って帰ったわけだが……イナリがエリと一緒に鬼怒川に行ったことはすでにグループメッセージでエリが流したので知られており、紫苑が「私も行きたい」と言っていたのはまあ……別の話だ。
そして鬼怒川から帰ったイナリを待っていたのは、駒込関連の話であった。
「……温泉の町?」
「はい。そういう売りでいこうかという話が出ているらしいです」
「ふむ……?」
安野の言葉に、イナリはそう首を傾げる。温泉の町。別にそうするのは構わないのだけれども……ちょっとばかり疑問がないでもない。それはコンセプトがどうこうという話ではなく、もっと根本的な問題だ。
「確かに駒込に温泉の実績があるという話は聞いたが。そんなに湯量があるのかのう」
「ダンジョンが出来たので、その辺に関しては心配してません」
「あー……なるほどのう」
熱海、草津、そして鬼怒川。何処もダンジョンの影響か湯量が大幅に増加した場所ばかりであった。そして何処もその増加した湯量で保たれている……ならばすでに温泉の実績のある駒込もそうであるということなのだろう。
「まあ、そんなわけで巣鴨との連携も前提に和と温泉をテーマにした開発をしようということで……結構楽しげな案も上がってきていますよ」
「日帰り温泉に温泉旅館に甘味処と食事処、江戸の歴史体験館……何故江戸が……?」
「狐神さんが狐巫女だからというのもあるでしょうし、巣鴨と駒込で『復活の江戸』って感じなので……」
「まあ、好きにすればええがのう」
別にイナリは町の開発に詳しいわけでもない。専門家がそれが良いと思ったのであれば別にいいのではないかと思っている。
そうして説明を聞いていくと、思ったよりも巣鴨とガッツリ組んだ形になっていることが分かる。
「このように巣鴨が観光、駒込を宿泊といったように分けていくことで相乗効果を生み出していくというわけですね。実のところ9大クランでも駒込のダンジョンに関しては武本武士団が中心となって管理すべきという風に纏まったらしくて、この辺りの調整に関してはほぼ済んでいるんですよ」
「はー、なるほどのう」
勿論駒込の東京第11ダンジョンを狙う中規模クランも多いが、9大クランがそうと決めれば勝てる者は存在しない。そしてそれは利権がどうという話ではなく、9大クランがイナリに対し自主的にサポートをしている結果でもあった。彼らとしても「性格が良い実力者」との縁を積極的に繋いでおきたいのだ。その結果が、イナリの家周辺に存在していた。
「この儂の家についてなんじゃが……」
「はい、素敵でしょう?」
「うむ。ああ、しかしそこではなく。近くに見たことのある『くらん』の名前が並んどるんじゃが……?」
富士、天道、ブレイカーズ、閃光、ジェネシス、武本武士団、サンライン、ドラゴンアイ、魔道連盟。9大クランの出張所がイナリの家の近くに並んでいるのは一体何事だというのだろうか? 更には覚醒者協会の駒込出張所も近くに移転予定になっている。
「あー……それはですね。調整の結果といいますか。狐神さんと今後仲良くしていきたいという証らしいです。何かあったときに気軽に連絡をとれるように、って意味も……ですね?」
「ふむ」
どのクランもイナリが今まで何をしてきたかはある程度調べているし、そうすればイナリとの縁が得難いものであることは充分に分かる。だからこそそうなっているわけだが……こういう風になることで、治安が否が応でも上昇するという大きなメリットも同時に存在していた。それはイナリが家を不在にしている間に発生するかもしれないリスクの低下にもつながり、まあイナリが良ければ……ではあるが非常にメリットの大きい話ではあった。
「まあ、ええんじゃないかのう」
「良かったです。では先方にも伝えておきますね」
別にそれはイナリとしては比較的どうでもいいのだが、それにしても何とも大規模な話ではある。町全体をほぼ一から作り直しにするわけなのだから、相当なものだが……まさに数年単位の計画であるようにイナリには思えた。
「これだけの仕事……さぞ時間もかかるじゃろうのう」
「まあ、早ければ1カ月ですかね」
「なるほど1カ月……うん?」
「はい?」
「いやいや、流石にそれはないじゃろう。建築とは時間がかかるものじゃ」
「まあ、通常の建築技術であればそうなんですが……一般用の建物はともかく覚醒者仕様の建物は建築系の覚醒者が請け負いますので。もう凄く速いんですよ」
建築系のスキルというものは、凄まじいものだ。更にそこに建築系の知識が加われば非覚醒者では有り得ないレベルでの建築も可能となるため、一般向けの建築は可能な限り請け負わないという住み分けもしていたりするが……ともかく、そんな建築系覚醒者たちが集まればとんでもない建築速度になるというわけだ。
「ううむ。凄いんじゃのう」
「はい、凄いです。東京の復興はそういった技術系覚醒者の活躍に支えられていたらしいので、頭が上がりませんよねえ」
戦闘系の覚醒者ばかりでは世界の急速な復興はなかっただろうとすら言われている程度には建築系、農業系、その他技術系や生産系の覚醒者は各国において重要な役目を持っている。彼等、あるいは彼女等は覚醒者としてのランキングに載ることはないが、負けないくらいの大切な仕事をしているのだ。
「そうなれば、この部屋ともお別れのときが近づいておるのう」
「そうですね。私としては以前から家具がほぼ増えてないのが気になるんですけども……」
「使わんものを買ってものう……」
「まあ、結局はそこなんですよね」
普通、覚醒者はお金を稼げるようになると2つのタイプに分かれる。1つは自分の生活を向上させるタイプ。生活レベルを上げることで戦闘によるストレスなどのケアを行い、安定して稼げる状態に持っていくということだ。住居、家具に家電などがそれにあたるが……お風呂のお湯にポーションを混ぜることで健康管理や強力な美肌効果など……文字通りのアンチエイジングを行っている者も多い。そうした設備はやはり特殊な技術が必要なためお金がかかる。維持にも使用にもお金がかかる……更にはそれを無駄にしないように家具にもこだわると、そういう風に色々と自宅が凄いことになっていくのだが。
そしてもう1つのタイプは自分を強化するタイプだ。より良い武器、より良い防具、より良いアイテム。特に武具の類は上を目指せばきりがない。一番お金を使うのはこのタイプと言えるだろう。
何しろ、どの武器や防具が最高かというものに関しては、一般的には答えがない。なお刀1本、巫女服一着で何もかも事足りているイナリは除く。そっちを見てはいけない。常識が壊れるから。
さておいて、武器も防具も状況によって「最高」が変化する。どんな状況においてもある程度対応できるような汎用装備は確かに存在する。するが、それはより高い戦果を得ようとする場合には不向きだ。勿論、初心者の場合にはそうした汎用装備を誰もが揃えようとする。
しかし、やはりそこから一歩抜け出そうとした場合は天井知らずに金がかかっていくようになっている。
まあ、この2つのタイプは始まり方こそ違えど最終的には1つの流れになるようになっている。
武具を買い揃えた者はそれを補完する住宅や自己メンテナンスを望み、自己メンテナンスをある程度終えた者はそこから一歩先に進むために武具を買い求める。そういう風になっているのだ。武具に一切問題が無くて住む場所にも自己メンテナンスにも興味が無いのはイナリくらいのものである。まあ、そういう性格をしているのでエリやメイド隊の面々が世話を焼きたがるのだが、その辺はまた別の話である。
「まあ、普段使いするものにはこだわっとるがの。そのお茶とかも結構お高いんじゃぞ」
「あ、そうなんですね。かもなーとは思ってましたけども」
安野は出されたお茶を飲みながらそう頷く。コンビニでパックのお茶を買っていたイナリもすでに過去の話だ。興味のあることにはこだわるタイプのイナリは赤羽港の市場でお茶も買ってくるようになったらしく、台所には高級そうな茶葉の缶がある。急須も何やら良い色をしており、やはり赤羽で買ってきたのだろうと思わせた。
それに何より、あの炊飯器だ。何かの冗談で作ったんじゃないかと思えてしまう値段のあの炊飯器は、製造系の覚醒者が何処かの職人と組んで作った超特殊仕様の品である。今後数十年は超えるものが出ないだろうと明言できる、そんな代物だ。
他にもそういうのを向けられればイナリの部屋は日本10位の覚醒者に相応しいものになっていたかもしれないが……そこまでは望み過ぎなのだろうと安野は思うようになっていた。というか、お屋敷が出来るんだからもうそれでいいのかもしれない。
「いやあ、楽しみですよねえ」
「そうじゃのう。なんだか儂1人のために大騒ぎになっている気もするのは申し訳ないのじゃが」
「大体こんなものですよ。あとは、あー……」
「む?」
「ミスが無いようにするだけです」
「ふむ」
流石にこれは言えない。今回の駒込開発にあたって、いわゆる非覚醒者の住人の受け入れにはかなり慎重になっている。それは草津の件を踏まえてのことであり、覚醒者協会としてはイナリに何かがあるような事態になることだけは全力で防ぎたいし、そうなると駒込の中心部を覚醒者関連で固めておくのが一番手っ取り早い。
そう、9大クランどころの話ではないのだ。各地の覚醒企業にも声をかけ進めているこの駒込開発計画では、都心に負けないほどの安全度を確保できるようになる見込みだ。そしてそれは、決して薄汚い欲望の蠢く場所にしてはならない。草津の件はそれほどまでに覚醒者協会に教訓を与えていた。
とはいえ、そんな裏事情をイナリに話すのはなんともはばかられる話であったのだ。だからこそ、安野はそれを語らない。
全てを知ることが必ず幸せであるとは限らない。つまりはそういう話ではあるが、そこには汚い裏の類はない。幸せを作るための苦労。それを無駄にさらして恩を着せようとは思わない。まあ、そんな覚醒者協会の良心的な話なのだ。





