お狐様、鬼怒川に行く
鬼怒川とはどんな場所か? その答えを一言で言うのであれば「温泉地」である。場所的には栃木県日光市鬼怒川地区に位置し、かつての時代から有名な温泉地であった。その住所の通り観光地としての日光に近く、しかし一番重要なのはそこが温泉地であるということだ。
今の鬼怒川がどういう場所かといえばやはり温泉地であり、そして非常に栄えていた。その理由は勿論温泉にもあるが……栃木第2ダンジョンにもその理由を見出すことが出来るだろう。
「温泉と稼げるダンジョン。この2つがあってこそ栄えるってことですよね」
「熱海みたいなものかのう」
「そんな感じですかね」
鬼怒川もまた日本全土を襲ったモンスター災害の影響を免れてはいなかったが、見事そこから復活した場所の1つだ。ダンジョンの影響によるものか以前よりも豊富になった湯量、そして覚醒者に好まれる類のダンジョン。これらは栄えるための重要な要素ということなのだろう。
「ふーむ。まあ、儂も温泉に釣られてこうしているわけじゃしな。分かる話ではあるかのう」
「ぶっちゃけ私もそれで釣れると思って誘いました」
「うむうむ。よう分かっておるのう」
まあ、そんなわけでイナリはエリと共に鬼怒川行きのバスの中である。ちなみに正確には「栃木第2ダンジョン行き」のバスであり、覚醒者協会が運行する高速バスである。素材にモンスター素材などを使っている分各種性能が他の追随を許さない次世代バスだが、そのおかげでバス内は非常に快適である。ではバスが混んでいるのかといえばそんなこともなく、このバス内はイナリとエリの2人きりであった。いや、運転手さんはいるけども。ついでにアツアゲもいるけども。
そんなわけで2人を乗せたバスは順調に進んでいき……予定通りにお昼過ぎにダンジョン前へと到着する。
「おお、結構人がいるのう」
「そうですね。まあ、あのダンジョンはまた特殊なので中規模くらいで組むことが多いらしいんですけど」
「中規模というと」
「10から20人くらいですかね」
「……ん?」
「やろうと思えば1人でもいけるらしいんですよ。まあ、後でご説明しますね」
「うむ」
恐らくは攻略方法の問題なのだろうが……1人でもいけるとなると……まあイナリは大抵の場合1人だがさておいて……確かに人気が出るのはイナリとしても理解はできる。
とにかく、攻略は今日ではない。だからこそイナリたちはダンジョン前を通り過ぎ、鬼怒川の町を歩きだす。
「凄い場所じゃのう」
「そうですね。川を挟んで建物が出来てますからね。中々他じゃ見られない光景だとは思います」
そう、鬼怒川は鬼怒川渓谷……要は鬼怒川とその両側にそそり立つ岸壁の、その上に出来ている街だ。だからこそ川の両端を繋ぐ橋からは渓谷の眺めを楽しむことも出来るのだが、今いる場所からもかなりの数のホテルや旅館が見える。
「あれ全てが営業中だっていうんだから凄いですよね」
「人気の場所なんじゃのう」
「そうですね。やっぱり此処のダンジョンのおかげって気もしますが……あっ、そこの旅館ですね」
エリが指差したのは、やはり渓谷沿いにある3階建ての旅館だ。如何にも和風といった感じであり、イナリの好みを考え選んだのだろうということがよく分かるセレクトであった。
「なるほどのう……今日は何やら和風な装いじゃと思ったら、そういうことか……」
「はい。いつ突っ込んでもらえるかなあってドキドキしてました♪」
「それは儂の気が利かんかったのう」
「いえいえ。和風はちょっと私も経験が少ないものですから、自己主張力が足りなかったかもしれません」
「自己主張の強い和風めいどってなんじゃ……? 傾奇者?」
「前田慶次はメイドじゃないと思うんですよね……」
「別に前田慶次だけが傾奇者というわけでもなかろうに」
「まあ、そうなんですけど。傾奇者っていえば……ってとこありません?」
「まあ分かるがのう」
そう、今日のエリのメイド服はちょっと和風な感じだ。まあ、着物というわけではないのだが見る者が「あ、ちょっと和風だ」と思う感じのメイド服である。そこにいつも通りの装備や荷物があるのだから、トータルでいえば「ちょっと和風」って感じではある。
なお前田慶次のメイドは中々に傾いていそうだが、史実にそんなものはないのでさておこう。
「……メイド慶次って、きっとメイドの仕事しませんよね。それとも傾きつつも仕事はしっかりするタイプなんですかね……?」
「儂、前田慶次じゃないからちょっと分からんのう……」
その辺は今度こそさておいて。イナリたちが泊まる旅館はしっかりと和風の部屋であり……分類でいえば「渓谷側スイート」と呼ばれるようなタイプだ。ベッドが2つある和洋室であり、部屋に露天風呂はないが見晴らしの良い大浴場が用意されている。そして部屋のバルコニーからは鬼怒川の流れを見ることが出来る。ついでに川の向こう側のホテルも見えているが……まあ、そんな感じだ。
机の上に置かれた温泉饅頭2つも、なんとも温泉地らしさがあるが建物自体がまだ新しさがあり、「かつての時代」以降のものであることが分かるのだが、此処から見えるホテルや旅館もほとんどがそんな感じだ。
「うむ、良いのう」
「ですよねー。動画サイトで見たよりも良い感じです」
「最近の子は皆そういう話をするのう……」
「そういう時代ってことですよね。あ、お茶入りましたよ」
「ありがとうの」
エリがテキパキとした動きでお茶を淹れていくが、その姿も実に和風メイドな姿と合っている。バルコニーから戻ってきたイナリが座布団に座り、エリの淹れてくれたお茶を飲めば……なんとも良い味が口の中に広がっていく。イナリだってそういうのは自分である程度やってきたはずなのだが、不思議と味が自分で淹れるものとは違うように感じるのは茶葉の差なのか、あるいはエリの腕か……それとも旅の高揚感だろうか? なんとも不思議なものではある。
「美味いのう……儂が自分で淹れるより美味い気がするのじゃ」
「こういうのはコツですからね。メイドたるもの、美味しいお茶を淹れる技術は基本です」
「うむ、それは納得出来る気がするのじゃ」
エリが色々と多才なのはイナリも充分に認識していることだ。というかエリの友人であり同僚でもあるメイド隊の面々も多少の差異はあれど同じくらいのレベルで出来るらしいので、使用人被服工房という組織のメイドっぷりが凄いという話ではあるのだが。
「分かっていただけて光栄です……イナリさんも染まってきましたね!」
「ぬ?」
「出会った頃でしたらきっと『そういうものかのう……よく分からんのじゃ』とか仰ったでしょうから」
「おお……それはその通りかもしれんのう……」
確かにエリや使用人被服工房と関係を築いたことで執事やメイドというものに関して理解を深めた自覚はある……ヒカルには「アキバに来ていきなり一番濃いのと関わる辺り『持ってる』よなあ……」とか言われたがそれはさておき……そういうのをある程度理解する前のイナリであれば、確かにエリが言ったような感じのことを言ったかもしれない。
「うむうむ。儂もちゃんと今の世の知識を理解してきたということじゃな」
「そうですね!」
メイドや執事が現代知識かというとエリは「どうかなあ」とは思うのだが、たまに「大人になったらなりたい職業」に執事やメイドが入ったりすることもある……使用人被服工房の活動の成果であるがさておいて……とにかくそういうこともあるのでギリギリ現代知識と言い張っても良い気がするのだ。
「で、此処のだんじょんが特殊という話じゃが?」
早速出てきてテレビをつけているアツアゲをそのままに、イナリは先程の話の続きを始める。明日行くダンジョンの話であるし、今までにないパターンなので気になっていたのだ。
「はい。具体的な話をしますと……崩壊世界型と呼ばれるタイプのダンジョンなんです」
崩壊世界型。それはその名の通り崩壊した世界を思わせるフィールドが広がっているダンジョンだ。まるでそこに何かの文明があって、それが滅びたかのような光景だからだ。そこで実際に手に入るものは文明の進歩に役立つ……というわけではないが、いわゆる使い物にならない部品などに貴重なレアメタルの類がそれなりの量使われていたり、未知の金属が発見されたりとまあ……ダンジョンを鉱山扱いする風潮の中で、本気の鉱山のような扱いもされている。
「つまり、そうしたものを回収することを主目的にした際に探索や運搬などで人数が必要になるんですね。そうでない場合は、本人に実力があればさっさと1人で突破も可能……ってことです」
「それだけ聞くと難易度が高くないように思えるのう」
「そうですね。私1人で対処可能だと判断しています」
「……なるほど? つまり今回の儂の役回りは」
「私のカッコいいところを見ててください!」
グッと拳を握るエリにイナリはほっほっほ、と笑う。なるほど、確かにエリと一緒に戦ったことは何度かあるが……大体イナリが解決していた。今回はエリが自力でどうにかするところを見せたいという話なのだろう。
エリが自分を友人と思ってくれていることをイナリは知っている。そんな友人に自分の成長を見せたいというその気持ちは、なんとも心地の良いものだ。エリがそう言うのであれば、イナリとしてもその気持ちに応えざるを得ない。
「では、儂は今回は楽をさせてもらおうかのう」
「はい、勿論です!」
―その油断が貴様の限界ということだグザーン! いくぞ、王命発布!―
絶妙のタイミングで響くバリトンの効いた声に振り向けば、アツアゲがテレビを見ている。どうやら前回の振り返りらしいが……画面では何やら巨大ロボットが合体完了していた。
「あー、ゴッドキングダム……」
「アツアゲが妙に好きなんじゃよなあ」
「うちでも結構好きな人多いですよ。1クールだけの予定がなんだかんだで連続4クールになったとかで……しかも凄いのは子ども向けの玩具と大人向けのエグい玩具があるのに子どもって子どもだましが嫌いだから大人向けのエグいやつを欲しがるという……」
「何処まで計算しとるか考えるのが怖いのう」
―何処までだ……何処までが貴様の計算だったのだ!―
―全てだ! 王たるもの、あらゆる全てを計算に入れるもの! 貴様の性格、過去から現在に至るまで! この身に一切の油断は無し!―
「……全て計算らしいぞ?」
「そういえば最近のアニメは玩具を買い揃えた辺りで次が来るらしいですよ」
そんなことを話しながらアツアゲがアニメを見終わるのを待つと、イナリたちは浴衣に着替えて……イナリはいつものように衣装チェンジだが、とにかく着替えて温泉へと向かう。幸いにも性別が存在しないアツアゲも一緒に入ってよいことになっているので連れて行っているが、ロビーにはチラホラと他の客もいて、デフォルトサイズのアツアゲやイナリにチラチラと視線を向けている。
「アレってイナリちゃんだよね?」
「アツアゲいるし本物だと思う……」
「隣の女の子誰だろう?」
即座にカメラを構えようとするような者はいないが、まあそんな声は聞こえている。あとエリがちょっと落ち込んでいる。
「いやまあ、メイド服も着てないですしね……仕方のない部分はありますけど」
「そう気にするでない。儂はエリがどんな格好をしていようと分かるからの」
「ありがとうございます……まあ、自宅以外ではほぼメイド服だからいいんですけども」
メイドのエリで認識されていることに喜びを感じるエリとしては自分の承認欲求的なものを自覚してしまい、なんとも複雑な気持ちではある。さておき、ロビーを抜けると男女入れ替え制の大浴場があり、着替えスペースを抜ければ綺麗な大浴場が整備されている。
淡いブルーの壁は鬼怒川を意識しているのだろうか、なんとも落ち着く色だ。とはいえ川の向こうにもホテルがあるせいか大浴場からは眺めは望めない。しかし露天風呂へ続く扉があるのでそちらはどうなっているのか?
それを確かめる前に、まずはしっかりと身体を洗うことを心得ているのがイナリたちだ。
しっかりと身体を洗って、迷わず露天風呂に向かうイナリをエリが追いかければ……そこにあったのは、随分と工夫された露天風呂だった。まず目隠しの塀は当然のように設置されているが、岩風呂に仕上げた露天風呂の近くに小さな箱庭のようなものを作り、小さな木々が植えられている。
そして川こそ見えないが山は見えるようになっており、開放感もしっかりとある。露天風呂としての条件を満たしつつも配慮を忘れない、しっかりと工夫された場所であった。
「おお、素晴らしいのう」
「そうですね。一応調べはしましたけど、実際に見るとこれは中々……」
鬼怒川の泉質はアルカリ性単純温泉であり、どの年代でも入って安心な優しい湯だとされている。それはこの時代でも変わらず、けれど効能が増しているという研究結果もあるらしい。それもまた熱海や草津のようにダンジョンの影響……なのかもしれない。
「ああ、良い湯じゃ……」
「ですねえ……美肌効果もあるらしいですけど」
言いながらエリはイナリを見るが、これ以上ない美肌に美肌効果が合わさると一体何になるのか。まあ、カンストして変わらないあたりが妥当なんだろうなあ……などとどうでもいい結論に到る。
「そういえばスルーしてましたけどアツアゲは温泉も平気なんですね」
「まあ、もんすたあじゃしのう?」
見た目は積み木……木製でも、温泉に浸かってどうにかなっている様子もない。イナリの言う通りモンスターであって、そういうものだからなのだろう。
「私、たまーに思うんです」
「む? 何をかの?」
温泉にしっかり肩までつかっていたエリの言葉に、イナリが聞き返せば……エリは「ダンジョンのことです」と返す。
ダンジョンのこと。相変わらず何も分からないままだが、エリには何か思うところがあるのかとイナリは耳を傾ける。
「モンスター災害とか、そういう問題があるのは知ってますし、危険な場所であるのも十分承知してるんですけど……それでも、なんていうんですかね。もたらされる恵みも大きくて……あんまりこういうこと言うのは良くないって分かってるんですが、人間が必要としてたものなんじゃないかなって、そんなことを思うんです」
「ふむ……」
「あ、勿論ダンジョンは危険なものっていう前提ですけどね!」
確かにモンスター災害による爪痕を考えれば大っぴらに言えたことではないだろう。それがなくてもダンジョンが一瞬で命を奪う危険なものであることは変わりない。あの空中ダンジョンのようなものだってあるのだ……それを良いものなどと判定するのは少々難しいだろう。
しかしそういったことを前提にしたうえで、人類がダンジョンを鉱山のように扱い、それを前提にした社会が出来上がっていることもまた事実なのだ。魔石エネルギーというクリーンなエネルギーだって、人類は手放せやしないだろう。そういう意味ではダンジョンは明らかに人類にとって恵みとなっている。
「難しい問題では、あるのう」
そう、難しい問題だ。ダンジョンがもたらすもの。ダンジョンが奪うもの。どれだけ恵みがもたらされようと、天秤が釣り合うなどと考えてはいけないのだろう。しかし……ダンジョンを前提に生きる人々がいるというのも、まぎれもない事実なのだ。





