お狐様、秋葉原に行く
ちなみに当然ではあるが、温泉掘りに建物の建築、都市整備……どれもやろうと決めてすぐに出来るものではない。ないが、建築系の能力を持つ覚醒者はこの手の大きな仕事には敏感だ。
例えばの話、何処かで覚醒者協会の職員が何かしら土地調査らしきものをやっていると知れば、即座に地元の覚醒者協会に営業がズラリと並ぶ。
まあ、そんなわけで東京第11ダンジョンのある駒込が開発されるだろうと見込んで様々な覚醒企業が営業をかけてきている。土地自体は覚醒者協会が余計なことをされないように周辺を1度買い上げているので、妙なことにはなっていないが……この辺りは草津で色々あった件の反省を活かしてのことであるともいえる。その辺りのこともあって営業は凄いことになっているが、勝手に外野でやっている分には覚醒者協会は関与しない。
「この場合、情報を先んじて得たとしても狐神さんに直接営業をかけようとするのはアウトという意味ですね。何しろ本部長肝入りの計画です。余計なことして睨まれるのはその会社ですから」
「なるほどのう」
フォックスフォン秋葉原本社ビル、代表取締役室。平たく言うと赤井の部屋でイナリはお茶を飲みながら頷く。定期的にこうしてフォックスフォンに集まるイナリ関連グッズの企画書の話を聞きに来るのだが、実のところイナリが今お茶を飲んでいる「狐」と大きく筆文字で書かれた湯呑みもそういうグッズのサンプルであったりする。
(大切にされている、というわけじゃな。タケルのときもそうであれば良かったのじゃが……まあ、詮無きことよな)
まあタケルの場合はタケル自身が目立たないようにしながら計画を進めていたこと、そして非覚醒者側の権力者たちと覚醒者協会草津出張所の行動もあり状況が徹底的に隠蔽されていたのもある。一概に覚醒者協会をどうこう言うのは多少……まあ、それでも出来ることは幾つもあっただろうが……酷ではあるからイナリも言いはしない。
「ところでその湯呑み、いかがですか?」
「ん? うむ、良い湯呑みじゃと思うが」
多少分厚めでしっかりとした造りの湯呑みは落ち着いた渋い色合いをしており、狐という文字も……それ自体はともかく達筆であり、シンプルイズベストとかわびさびとか、そういう感じがよく出ていてイナリ好みだ。
「前にお話しした湯呑みの試作品なんですが、値段としては6500円を予定しているそうです」
「む……湯呑みにしては少々お高いのではないかの?」
数十万する炊飯器を買ったイナリの言うことではないが、一般的にはまあその通りであるかもしれない。しかしながら、赤井の意見はそうではないようだ。
「確かに量産品であればそうかもしれません。しかしそれは職人が工房で手作りする完全受注生産品です。そのせいで1つ1つ、微妙に差異は出るんですが……だからこその特別感の演出というわけですね」
「ほー……儂にはその辺は分からんが、良いものなんじゃな」
「はい。ちなみに並行してデザインを変えた大量生産品の廉価版も発売予定です。こちらは1000円を予定しています」
言いながら赤井が差し出してくる廉価版のサンプルをイナリは手の中で回しながら見る。
確かに高いほうと比べると安いのだろうな……と思う部分が多々ある。色合いもそうだし、デザインがまず違う。
「ちなみにでざいんを変える意味はあったのかの?」
「平たく言うと廉価版を受注生産品だと言って騙す人が出ないようにするためですね。一目で分かるようにしています」
なるほど、よくできているとイナリは思う。欲しいけど6500円はなあ……という人でも安いほうなら買えるし、その安いほうを高いほうですと偽れないようにもなっている。
こういうのはイナリには出てこない発想であるだけに、本当に面白いと思うのだ。まあ、人の悪意への対策を前提にしているのは少しばかり悲しくもあり寂しくもあるのだが……まあ、仕方のないことだ。
「しかしまあ、色々とグッズも出ましたけど……こういうのも出てくると、大分分かってきたなあ……って感じですよね」
「ふむ?」
「こういうグッズって、うちでもそうでしたけど、まずはビジュアルを押し出して売るんですね。これは本人の顔を売る広告的側面もあるんですが、平たく言うと美形だからですね」
「う、うむ?」
「以前もお話ししましたけど、アイドルグッズですから。だから最初はそういうのが出るんですが、それがある程度出尽くすと今度は本人をイメージしたグッズが出るんですね。まあ、ここまでいく人は中々いないんですが……」
本人のビジュアルではなく、本人をイメージした物品。コラボグッズとしては結構難しい品であり、しかしながら普段使いしやすい品でもある。たとえば時計や財布などは定番だろう。
「まあ、儂にはよう分からんが……買う側が喜ぶならええんかのう」
「はい。実はすでに予約が予定数に達してまして。追加生産の話に入ってます」
「何故……」
「それだけ人気ってことなんですよ」
「うーむ……」
「あ、ちなみに狐神さんをイメージしたアイマスクの試作品も届いてます」
「それはもっと分からん……」
イナリとしてはその辺りは本気で分からないのだけれども。フォックスフォンを出て秋葉原の町中を歩いてみれば人の視線が結構突き刺さる。秋葉原に最初に来た頃とは種類の違う……憧れにも似た視線が向けられてきているのだ。
「アレが狐神イナリ……すごいな。マジであんな美少女とか……」
「しかも強いんだろ。巫女系ジョブってそんなに強かったっけか」
「いや、彼女のは狐巫女ってやつらしいぞ」
何やらそんな会話も聞こえてくるが、本当にイナリのことが大分知られているらしいと自覚せざるをえない。まあ、イナリの登録情報は別に隠しているわけではないので調べればすぐに分かることではあるし、それでどうこうというわけでもなさそうなのでイナリは気にしていない。
だからこそ、普通に使用人被服工房にも入っていくわけだが……それを見た人々からどう見えるかといえば、答えは1つである。
「え、狐巫女メイド……?」
「属性多すぎねえ?」
さておいて。イナリもすっかり使用人被服工房では顔パスで、今日もエリに会いに来ている。というのも、今日もイナリの髪で遊び……もとい、手入れの練習をしたいそうなので付き合っているのだ。
使用人被服工房にある美容室並の設備は中々にイナリとしては面白いので、こういうのを断ることはない。イナリにとって髪は結構自由自在なので普段美容室の類に行くこともないからだ。
「いやあ、でもイナリさんの髪って綺麗すぎるからお手入れするところってないんですけどね」
「儂にはよう分からんのう」
「そうでしょうねえ……」
エリがイナリの家に初めて遊びに行ったときに置いてあったのは安いシャンプーとリンスで、一緒に選びに行ったときには「便利そうじゃのう」とリンスインシャンプーを掴もうとしたのがイナリである。こんなに肌も髪も綺麗なのに美容ケアという言葉とは程遠い、女子としては羨ましいを通り越して「そういうもの」に分類されている。
「実はですね。秋葉原に美容室を出そうかっていう話もありまして」
「ほー」
シャンプーをされながらイナリが相槌を打つが、まあ事業拡大の話である。趣味的な側面の強すぎる覚醒企業である使用人被服工房が業務を拡大して何の意味があるのかという意見もあるかもしれないが、まあそこは使用人被服工房が決める話ではある。
「いえ、こうして整髪技術などを嗜みとして身につけてはいますけど、どうせならそれを専門にする店を作ってもいいんじゃないかって話も出まして。今使ってるシャンプーもそのために開発したオリジナルです」
「色々やっとるんじゃのう……」
「それはもう。実を言うと使用人被服工房も新人さんが増えてきてまして。うちは結構バリバリに戦うほうですし、裁縫や鍛冶系の覚醒者も多いですけど、それなりに大きくなってくるとそうじゃない覚醒者雇用とかそういうのも考えなきゃって話も出てくるらしいんです」
「うむうむ。素晴らしいことじゃ」
実際現在の秋葉原だって、鍛冶系スキルを持つ覚醒者が中心になって再興した街であるわけだし、使用人被服工房も鍛冶スキル持ちに裁縫スキル持ち、そしてエリのような「クラン」としての側面の役割を果たすための戦闘系覚醒者もいる。
勿論現在も販売員などでそういうのに向いていない覚醒者を雇ってもいるのだろうが、そこに更に雇用を増やそう……ということであるのだろう。それは立派な社会貢献であり、素晴らしいことでもあった。
「実際、私なんかは戦い向きでメイドとか大好きだから此処に居ますけど。農業系スキル持ってる子とかもいますよ。当然戦いには向いてませんけど、メイドへの情熱は私にも負けないくらいです」
「ほー」
洗髪にドライヤー、顔マッサージ。そうして髪を弄る段になると、エリは毎回「うーむ」と声をあげる。イナリの場合狐耳があるので、そことの親和性を考えなければいけない。ポニーテールは無難な選択だが、お団子ヘアは少し冒険が過ぎるかもしれない。色々と選択肢はあるが、やはり似合うのは太めの三つ編みな気もする。しかし思いついたものを全部試していては時間が足りない。
仕方なくエリはイナリの髪を緩く太い三つ編みにしていくが……髪が本当に上質過ぎて困る。ここまで美しいとそのままストレートで充分すぎるからだ。
「えーと、何処まで話しましたっけ」
「農業のめいどの情熱の話じゃの」
「あ、そうでした。ん? そうでしたっけ……? えーと……で、まあ。その子に店長やってもらう話も出てるんですよね。勿論希望すればですけど、そうするとほら……お手当も増えますしね」
「うむうむ」
要はその子を厚遇してあげたいという話なのだろうとイナリは理解する。イナリはたぶん会ったことはないが、非常に真面目でメイドへの情熱が凄くて好かれているのだろう。だからこそそういう話が出たし、そういう子のような覚醒者の活躍の場をもっと作ろうという話が出たのだろう。それはきっと、素晴らしいことだとイナリは思う。
実際、あくまで赤井から聞いた話ではあるが……フォックスフォンでも直接戦闘が得意な覚醒者については「クラン」としてのフォックスフォンでの活動に専念している者も多いという。これはあくまで覚醒企業というものが非戦闘系の覚醒者によって設立されたのが始まりであることも大きいし、覚醒者の本業はあくまでモンスター退治なのだ……ということを忘れてはいないという話でもある。
そして実際、覚醒企業とはクランの付属品のような扱いであり……いってみれば越後商会のような、その辺りが逆転したクランが珍しいのだ。
その辺りは使用人被服工房でも同じであり、「クラン:使用人被服工房」が稼ぎ「覚醒企業:使用人被服工房」が理想を追求する……といったような、そんな感じの構成となっているわけだ。なお、フォックスフォンも似たような感じでありつつも覚醒企業でもガッツリ稼いでいる。さておいて。
「まあ、そういうのもあって私もクランのほうの業務に比重を傾けるかもなんですよね。ほら、店舗業務は戦闘系じゃなくても出来るので」
「それはそうかもしれんが……エリとしては問題があるんじゃないかの? めいどとしての楽しみのようなものがあるじゃろ」
エリに最初に会ったときは決めポーズもしっかりキメていたし、メイドをやるのを本当に楽しんでいたようにイナリには見えた。ならばエリには当然不満はあるのではないかとイナリには思えるのだが。しかしエリはそうではないようだった。
少し言葉を探すような表情をしたエリだが、その顔には不満の色はやはりない。それはやはりエリも覚醒企業とクランの関係について、どういうものかを理解しているから……というのもあるだろう。しかし、それだけではない。
「それはそうかもしれませんけど、接客がメイドかっていうとそれだけじゃないが答えになりますし。私の場合なんだかんだで戦うのが得意ですからね。そっち方面でメイドするのは正しい選択だと思うんですよ」
メイドする、というのが日本語として正しいかはさておいて、イナリもすっかり慣れたのでその辺はすでに全く気にしていない。まあ、気にしたところで何かを言うわけでもないがさておいて。
それに、と言いながらエリはテキパキとイナリを試着室に押し込んでいく。イナリ用に着易いものを用意しているし、こういうのはトータルで考えるのが一番理想だ。あと若干趣味も入っているのはすでに告白済だ。イナリもすでに慣れたもので、すぐに服を着て出てくる。いつもの巫女服は形態を変えて中に着込んでいるので、そういう意味でも楽なものだ。そんなイナリが着ているのは……今回は比較的シンプルでクラシックスタイルなメイド服だ。素材はいつも通り拘っているし、イナリのサイズはいつも1ミリも変わらないので正確な数値が手に入っているから拘り放題だ。服のシワのつき方に到るまでち密な計算がされており、イナリの美少女っぷりとメイドの融合を見事に作り上げている。
そしてイナリの長い白髪が緩く太めの三つ編みにされていることで、何処となく儚げな印象を持つ狐耳メイドの出来上がりである。
「うわあ……思った以上に凄いです。やっぱり素材が良いと違いますね」
「確かにいつもながら良く出来た服じゃのう。素材の良さがよく分かる。着心地も抜群じゃ」
「あ、いえ。はい。そうですね」
イナリが良いと褒めたつもりだったが、イナリは素材と聞いてメイド服の素材のほうを褒めている。勿論本心なのだろう。この辺りはエリも慣れたものである。イナリは別に自分を卑下しているわけでは微塵もないが、自己評価よりも他者評価が先に来る。それをエリはよく理解している。
「それで、ですねイナリさん」
「うむ?」
エリが指を鳴らすと他のメイドたちが機材を抱えて入ってきて、写真を何枚か撮って出ていくが……後で額に入れられてイナリにプレゼントされる予定である。あと使用人被服工房にも飾られたりする。勿論許可済である。さておいて。
「クランメンバーとしての活動を優先するとなると行動制約とか時間制約とか、そういうのがほぼゼロになるんですね」
「ふむ。出来高制というやつかのう」
「間違ってはいないですけど……アツアゲ、最近そういうドラマとか見るんですか?」
「宇宙徴税官・財堂桃太郎とかいう題名じゃったかのう」
「あー、あの特撮ギャグ……」
宇宙を駆ける徴税官・財堂桃太郎の勧善懲悪系ストーリーであるが、妙な人気があるらしい。さておいて。
「まあ宇宙徴税官はさておいて。今度行ってみようと思ってる場所があるんですよ」
「東京第11はまだ整備中じゃろ?」
「いや、あそこは通い詰めたいですけど、ひとまずさておいて」
「うむ」
「鬼怒川に興味ありません? ダンジョンがあるんですけど、昔ながらの温泉地でもあるんですよ」
「ほう、聞いたことはあるのう」
温泉があると聞けば……イナリの答えは、当然のように是であった。





