お狐様、怒る
そして、イナリがエレベーターの上昇で「キョー」と奇声をあげながら尻尾をぼわっとさせる悲しい事件もありつつ3人は32階の第2応接室に着いていた。
フカフカのソファは高級で、イナリの身体を包み込むが……セバスチャンとエリの2人は何故かイナリの後ろにピシッと立っていた。
「……なんで座らんのか聞いてもええかのう?」
「「こんなチャンスは中々ないので」」
「よう分からん……」
ハモる辺り本気でそう思っているようだが、イナリにはよく分からない世界だった。
出されたお茶……2人が固辞したので1つしかないが、とにかくお茶を飲んで待っているとドアが軽くノックされる。
入ってきた男はイナリの後ろに立っている2人を見て一瞬ビクッとするが、すぐに真面目な表情に戻る。
(随分とガタイが良いのう……それに、全身から力を感じる。相当強いのう)
後ろの2人もマッチングサービスであった連中よりは強いが、あの男ほどではない。そう確信できるほどのものをイナリは感じていた。
「初めまして。警備部要人警護課、課長の飯島です」
「イナリじゃ」
「敷島です」
「滝川でございます」
どうやらエリの苗字は敷島であったらしい……さておいて。
「安野から申し送りを受けています。状況は大体理解できているつもりですが、念のためもう1度お話を伺えませんでしょうか?」
「うむ。まずは安野とだんじょんに行ったときの話じゃが……」
そうして一通りの話をすると、飯島はメモを取る手を止め何度か「うーむ」と唸る。
「恐らくですが、質の悪い勧誘であると思われます」
「恐らく、というのは他に何かあるということじゃな?」
「はい。色々あります。ですが今回は考えなくていいでしょう」
「人の世は荒んでおるのう……」
「返す言葉もありません」
言いながら、飯島は片耳についていたイヤホンマイクからの報告を受け取っていた。
「早速ですが、狐神さんのことを探ろうとしていたクランのうち、怪しいものが5つに絞れました」
「む、早いのう」
「どれが今回の犯人かは今調査中ですが、今から言うクランからの交渉については拒否すると良いでしょう」
レッドドラゴン、黒い刃、覚醒者互助会、サンライト、清風。黒い刃とかいうのは覚えがあるな……などとイナリは思い出す。そう、確かぶん投げた男の所属だったか。
「ひとまず狐神さんの家には警備課の者を向かわせ、しばらく交代制で見張らせます。ダンジョン攻略についても、しばらく……は……」
言いかけて飯島はイナリが凄く不機嫌そうなのに気付く。「むー」と唸っている。
まあ、当然だ。そんなのに絡まれてイナリが行動を制限されるというのは、あまりにも理不尽だ。
「こういう場合……うむ。こういう場合じゃが……普通どうするのかのう。駐在さんにでも連絡するのかの?」
「いえ。警察は覚醒者の問題には基本的に関わりません。こういうのは覚醒者同士で解決するのが通常であり、今回は我々が」
「うむうむ。それはそれとして、儂がどうにかしてもいいってことじゃよな?」
「それは、まあ。しかし、一体何を……」
何をするか。決まっている。お話をしに行くのだ。余計なことをするんじゃないと、ちょっと叱ってあげるだけだ。だから、イナリはにっこりと微笑んでそれを正直に伝える。
「うむ、ちいとばかりお話をのう? あ、建物は何処まで壊してええんかのう」
明らかに何かする気満々のイナリを見て飯島は何か言おうとして……諦めたように溜息をつく。
(……まあ、連中が蒔いた種だ。一発痛い目を見せておくのも牽制になるか)
「人死には出ないようにしてくださると助かります。世間からの印象というものは非常に大事です」
「うむ、心得た。まあ、元々そんなつもりはない故安心していいのじゃ」
「で、狙いは『黒い刃』ですか?」
「今のところ一番悪い縁があるでな。儂を探っているともなれば更に……のう?」
他のクランも怪しいには怪しいが、いきなりダメな手段でアプローチしてくるかというと少しばかり疑問がある。逆に言えばイナリにすでに悪印象を抱かれている「黒い刃」であれば、強引な手段を取ろうとしてもおかしくはないし、報復を考えている可能性だってある。
それを飯島も察したが故に、部下に連絡して1つの資料を持ってこさせる。
「それは『黒い刃』の登録資料です。持ちだし禁止ですので、ここで必要な分だけ覚えてください」
「うむ、感謝するのじゃ」
住所と電話番号、クランリーダーの名前と顔。その他、幹部の名前と顔。一通りを頭に叩き込むとイナリは「うむ」と頷く。
「さて、と」
スマホを取り出したイナリは早速「黒い刃」の本部に電話をかける。しばらくコールした後に不機嫌な声で「はい、こちら『黒い刃』本部」と聞こえてきて。
「おー、儂じゃよ儂。イナリじゃけど」
『ああ? 何だテメエ……いや待て。イナリ? その名前、あの時の狐娘だな!?』
「すでに儂の名前は調べたというわけじゃな、怖い怖い」
電話先の声は、間違いなくあの時投げ飛ばした男だ。イナリはそれが分かったからこそ、端的に用件を言う。
「今日儂を尾行してたのはお主等ということでええんかのう?」
『……だったら何だってんだ』
「お?」
『テメエと一緒に居た奴な。秋葉原で執事とメイドなんざ、調べるまでもねえんだよ。何か事故か起きねえといいなあ……!』
「ふーむ」
『余裕ぶりやがって、不幸はいつ誰にでも起こるんだぜ!』
電話先の男は気付かない。電話だから気付かない。イナリの目が、スッと細められていることに。
その場にいる者であれば誰もが理解できる程度には冷たい怒りがその身から流れ出ていることに。
「ほんに、愚かじゃのう人の子よ」
『あ? 何言ってんだ。今更謝ろうったって』
「そうじゃのう。悔いても遅い。気付くのはいつも、その愚かさの報いを受けてからじゃ」
イナリはクスクスと冷たい微笑みを……飯島がゾッとするほどの微笑みを浮かべながら電話先の男へと告げる。
「今から行くからのう。迎える準備でもしておくとよいのじゃ」
電話を切って、イナリは飯島に視線を向ける。その視線に飯島はブルリと震えるが……当然だ。飯島には、目の前のイナリが先程までの何処かぬけた印象のある少女と一緒であるように思えなかったのだ。
「早速じゃが、連中の本部まで送ってくれんかのう? それと後ろの2人……む?」
振り返ると、セバスチャンとエリは立ったまま白目をむいていた。どうやら突然のジャパニーズホラーな雰囲気に耐えきれなかったようだが……そんな2人を見てイナリはクスッと笑う。
「それと、この2人の保護を。なあに、此度の件はすぐに解決するのじゃ」
イナリ「さーて。やるとするかのう」





