お狐様、未来を祈る
事件から6日後。巣鴨にある武本武士団の本部で、イナリとタケルは会っていた。
しばらく目を覚まさなかったタケルは以前の縁を思い出したイナリにより武本武士団に運ばれたのだが……目を覚ましたのが昨日のことであり、その間にも色々なことはあった。しかし、それはイナリにとっては比較的どうでもよいことだ。
数日ぶりに会ったタケルは随分とスッキリした表情をしていて、以前見た陰はなくなっていた。しかし同時に、タケルの中にあった力も随分と減ってしまったようだった。それは神の如きものの力が抜けたから……というだけではなさそうだった。
それは覚醒者としては随分と痛手であるはずだが……タケルに気にした様子は一切見られない。
「ありがとう、狐神さん」
だからだろうか。対面してすぐのタケルの言葉は、それだった。それが具体的にどれに対する「ありがとう」なのかは分からない。しかし、互いにそれだけで充分だった。だから、イナリは「うむ」と頷く。
「その気持ちは確かに受け取った。それで? お主の身体のほうは大丈夫なのかえ?」
「ああ。医者にも怪我は一切ないって言われたよ。ただ、覚醒者としては出直しかな」
そう、タケルの傷はイナリの蛍丸で全て治った。しかし覚醒者としてのタケルは、元のジョブから使徒としてのジョブに変わり、それが消えたことで大きく削られていた。使徒となる前の状態から比較しても大きな減少……それはタケルを使って【終わり告げる炎剣】が顕現しようとした影響もあるのかもしれない。
……まあ、それは世間的には全部神の如きもののせい、ということになっているのだが。タケルが今までソロで活動していたおかげで、その辺りの隠蔽はイナリとタケルが黙っているだけで完璧であった。
「レベルも1になってさ。でもまあ、重たい荷物を下ろした気分だ」
「うむうむ。前より大分男前な顔をしておるぞ、タケル」
「え? そ、そうかな。何も変わらないと思うんだけどな」
「いいや、顔が明るくなっておる。儂はそっちのほうが好きじゃよ」
言われて、タケルは前までの自分はそんなに暗い顔をしていたのかと思ってしまう。
しかしまあ、していたのだろう。あのときの自分は何処までも思いつめていた。
怒りを溶岩のように煮え滾らせ、解き放つ日だけを待っていた。自覚は無かったが……どうしようもなく暗い顔だっただろう。そして同時に、イナリが自分を妙に甘やかそうとしていた理由についても思い至る。
「あのさ、狐神さん」
「なんじゃ?」
「前の俺って……そんなにほっといたらダメそうだったかな」
「うむ」
「えっ」
「前のお主は嘆き苦しむ幼子のようじゃったよ。放っておくにはあまりにも後味の悪い顔をしておった」
言われて、タケルはそこまでかと思わず手で顔を覆ってしまう。つまるところ、イナリと会った時点で「こうなる」ことは必然に近かったということだ。それをなんとか追い返そうとしたり止めてもらいたがったり……思い返せば、本気で幼子……というか、駄々っ子のようだ。思い出したくない過去を黒歴史とかいったりするらしいが、まさにそんな恥ずかしさだ。しかしまあ、忘れる気などはないけれど。それは、やってはいけないことだ。
「あのさ。今までのことと、これからのことなんだけど」
「うむ、タケルの好きにするといい」
「へ?」
「覚醒者協会には、すでに話をつけておる。此度の件は超人連盟が余計なことをしたところに『神の如きもの』が便乗した、そういう事件……ということになっておる」
「え!?」
「お主はそれに巻き込まれた者じゃよ、タケル」
自分が倒れている間にそんなことになっていたとは、タケルは知らなかった。しかし、けれど……それは。
「それは……正しくないだろ」
「確かにそれだけを見れば正しくはないかもしれんのう」
「だろ!? なら俺はやっぱり責任を」
「しかしのう。お主が一体何をしたというんじゃ? 過程ではなく結果で、じゃ」
「……それ、は」
結果で言うならば、タケルは何も為してはいない。全てはイナリによって防がれたのだから。しかし、結果として何もなかったからといって、それは。
「でも、俺は」
「お主は何も傷つけておらん。誰も何も覚えてはいない。じゃから、何もなかった。そういうことじゃよ」
言いながらイナリはタケルへと微笑む。それは、間違いなく慈愛の感情に満ちた笑みだ。
「此度の件、何が悪か問うのであれば間違いなくお主に縋るに飽き足らず手中に収めようと蠢いた人の業であろうよ」
そう、タケルを巡り集った人の業は、邪悪と呼ぶに相応しいものだ。それは草津を悪意の坩堝へと変え、元の姿をも消し去った。タケルを追うように粘つき怒りの炎へと導いたそれを無視しタケルを悪と呼ぶのは、イナリにとっては有り得ないことだ。何しろ、結果としては何もなかったのだ。誰の身体にも心にも、何の影響もなかった。それならば。
「お主がこれ以上重荷を背負う必要が何処にある。これからはただ報われねばならぬ……そうでなくば善悪の天秤は無能の誹りを免れまい」
そう、これからはタケルを追い詰めた人々がそれを贖う番だろう。それがどんな形になるかはともかく、タケルが負うべき責など何もない。そんなものは、イナリが認めない。
「思うがままに、幸せに生きよタケル。呪縛より逃れたお主がするべきは、ただそれだけじゃ。責任などと言い出すことは、この儂が許さん」
 





