お狐様、草津の危機に挑む4
「ぐあっ……!?」
吹っ飛び転がったタケルはその勢いのまま起き上がり、手の中に再び炎の剣を生み出す。しかし、まさか消されるとは思ってもいなかった。そんな概念の存在するものではないはずだというのに、何故。
イナリと距離を僅かにとりながら、タケルは考える。
(秘剣・草薙……草薙の剣? そういえば火を消したとかって伝説があったな)
イナリの狐月からすでに炎は消えている。なら、先程の技はスキルのような1回使ったら効果を終了するタイプのものということだろうか?
(……確かめてみるか)
タケルは炎の剣を構えイナリからバックステップで数歩の距離を取り振るう。タケルの炎の剣の軌跡に合わせて放たれる炎がイナリへと向かい、イナリはそれを簡単に狐月で切り払う。だが切り払った瞬間に巻き起こる爆発はイナリの視界を塞いで……その隙を狙いタケルは突っ込み炎の剣を振り下ろす。
「……やっぱりか」
イナリは狐月で炎の剣を受け止めているが、炎の剣は今度は消えていない。1回で効果を消失するスキルと考えて間違いない。なら、戦い方は決まった……さっきの技を使う暇は、もう与えない。
「お、おおおおおおおおお!」
「くっ!」
単純にパワーの差でイナリを弾き飛ばすと、タケルは炎の剣を地面へと突き刺す。ゴウ、と。タケルを中心に人間を超える高さの炎がタケルの周囲へと円状に広がり燃え盛る。勿論、この程度でイナリがどうにかなるとは思っていない。しかし此処で大切なのは、イナリもまた同じ考えであるだろうということだ。
(この程度では貴女はどうにもならない。だから避けない……だからこそ!)
タケルは炎の剣をまるで槍投げの槍のように振り被る。一瞬にして巨大になった炎の剣を……タケルはイナリがいるであろう場所へと投擲する。ドォン、と。響く音はまるでバズーカでも発射したかのようだ。それは確かに、イナリのいるはずの場所に命中して大爆発を引き起こす。
これでもまだ死んではいないかもしれない。しかし、無傷というわけにはいかないはずだ。だから、タケルはその手に新しい炎剣を。
「……え?」
炎の中、自分に触れる小さな手がある。炎の中にあって燃えていない巫女服を纏う、その手が誰の手か。一瞬遅れた理解は、どういう理屈か空中へと投げ飛ばされたタケルの頭の中に広がっていく。
(嘘だろ……アレが効かないのかよ)
「秘剣・草薙」
タケルが燃やした大地の炎が、消えていく。そこに立つのは、焦げ跡1つないイナリの姿だ。全く効いていない……なんという圧倒的な力の差だろうか?
地面に転がったタケルは起き上がり、その場に立つイナリへ苦々しい表情を向ける。
「本当に信じられないことするな。神の火だぞ? そんな簡単に消せるものじゃないんだ」
「神の火だがなんだか知らんがの。この世に消えぬ火など存在せんよ、タケル」
なるほど、確かにそうであるのかもしれない。けれど……それでもタケルは、この戦いを諦めてはいなかった。そして同時に、1つの疑問も。
「……それだけの力があるなら、俺を殺せるはずだ」
そう、イナリの力はタケルの想像を遥かに超えている。勝てないと。そう明確に思えるほどの力の差……だというのにタケルが死んでいないのは何故なのか?
「何故殺さない? そうすれば簡単なはずだ。止めに来たんだろう?」
「なるほどな。確かにそう出来るかもしれん」
事実、イナリは人間であれば簡単に殺せる技は持っている。たとえば「忌剣」を使えば生き物であれば大抵のものは殺せるだろう。呪いを流し込む「村正」でも、骨を砕く「骨喰」でもいい。けれど、イナリはそうはしない。
「しかしのう、タケル。儂は笑いながら蹂躙する悪党ならともかく、嘆き苦しむ者を斬ろうとは微塵も思わん」
「……何の話だよ」
「世界の書き換え、といったか」
世界を上書きして、そこにいた人も物も消え去る現象。ある意味で、とても残酷に思える。しかし、イナリはそこに別のものを見ていた。
「たとえお主の知っている草津とは変わり果てたとしても。それでも草津を焼きたくはなかったのじゃろう?」
そう。そうするのが一番速かったはずだ。イナリが戻ってきても、焼かれたものを元に戻せるわけでもない。タケルの見せた技であれば、そんなものは簡単に出来たはずだ。それでもタケルは世界の書き換えなどという迂遠な手段を選んだ。それは……タケルがまだ、戻れる証拠だ。自分を止める手段を残したのだ。それを、イナリはタケルの良心だと信じた。
「確かに止まれなかったのかもしれん。お主の怒りは止まれば己をも焼いたのかもしれん。ならば……儂が止めてやろう、タケル」
「何、を……」
「自分では止まれぬ者を止めてやるもまた、儂の務めじゃろうて」
ダメだ。タケルの中で、そう誰かがささやく。止めなければ。殺さなければ。これまでの日々は何だったのか。今、願いが叶おうとしているのに。全てを燃やして、全てを美しい記憶のままに。
「違う。違う! 俺は、俺は……俺はああああああああああああ!」
「秘剣・石切」
巨大な炎の剣を振り被るタケルを通り抜けて、イナリの狐月が巨大結晶を切り裂く。
秘剣・石切。それは怪物を石ごと切り裂いたという伝説を解釈し、石と、そこに何かしらの力があれば、それのみを切り裂く力を狐月へと付与する技。
だから、この一撃はタケルを傷つけない。ただ、世界書き換えの礎のみを切り裂いて。タケルの身体から、強烈な炎が噴き出し始める。それはタケルをも焼こうとする、無慈悲な炎だ。
―【終わり告げる炎剣】が激怒しています!―
―【終わり告げる炎剣】が神域と使徒を利用し顕現しようとしています!―
「させんよ。お主の企みは潰えた……潔く去るが良い!」
狐月を構え直すと、イナリは刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ青い輝きを纏っていく狐月は荘厳な輝きを放って。
「秘剣・鬼切」
虚空を割いた一撃がウインドウを切り裂きタケルを焼こうとする炎を吹き散らす。
―【終わり告げる炎剣】の干渉力を一時的に排除しました!―
―業績を達成しました! 【業績:干渉排除】―
―驚くべき業績が達成されました!―
―金の報酬箱を手に入れました!―
そうして、この異界にヒビが入り始める。元の草津に戻ろうとしているのだろう……倒れたタケルに、イナリは静かに近づいていく。
「……俺の、負けだな。神の力が抜けた……たぶんさっき見捨てられたんだな」
「そうじゃな。慈悲の類があるようには思えんかった」
恐らくはタケルが敗北した時点で使徒契約を解除したのだろうが……それだけではなく、タケルを何か生贄のようなものにしようとしていた素振りもあった。その影響だろう。
あの【終わり告げる炎剣】とかいう神の如きものは、そういうタイプなのだろうと思われた。
「不思議だ。あんなに俺の中を満たしていた怒りが、今はもう欠片も残っていない」
「そうか。ならばまっさらな気持ちで始められるな」
「ああ。なんだか……清々しいよ」
その言葉を最後に気絶するタケルの傷を、イナリの蛍丸の光が癒していく。
「……おっと、いかん」
ついでとばかりにイナリはタケルを抱えてダンジョンゲートへと潜り……適度なタイミングで如何にもダンジョンの中で何かがあったかのような顔をして戻ってくる。
そうしてこの「草津ファイアドーム事件」は……内部に居た人々の記憶が一切ないまま、イナリから「神の如きものによる事件」とだけ報告され、幕を閉じることになったのだった。
 





