お狐様はお嬢様ではありません
夕闇のカーアクションの結果、なんとか怪しい車を撒いたが……イナリは主に精神的な疲れでぐったりしてしまっていた。
「大丈夫ですか?」
「うー……まあ、大丈夫なのじゃ」
車は今は安全運転だが、それも万が一追いついてこられても面倒だからであった。
まあ、それにしてもセバスチャンの運転は凄まじいものであった。
「それはそうと先程の車ですが、アレは覚醒者ですね」
「む? 分かるのかえ?」
「ええ。覚醒者専用車は特徴的なので。しかしそうなると先程のはタチの悪いタイプのスカウトの可能性がありますね」
スカウト。つまりクランのスカウトである。日本にはクランが無数にあり、東京には覚醒者協会日本本部があるせいで各クランも本部、あるいは支部を東京に置いていることが多い。
しかしまあ、クランといっても規模も質も様々だ。その中には当然どうしようもないチンピラ同然のクランも存在するしマトモなクランの皮を被った悪徳クランも存在する。
そうしたクランは悪質な方法でクランメンバーを集めていることもあり、やり過ぎたクランが覚醒者協会に摘発されることなどはよくある話だった。
「なるほどのう……」
まあ、安野にダンジョンに連れていかれたときのことが原因だろうとイナリは思う。あの時スマホを構えて写真を撮ったり連絡している者もいたので、その中に悪質な勧誘を行うクランの手先がいたのだろう。
「儂の顔写真しかないから、秋葉原で待ち伏せた……というところかのう」
「あー、覚醒者なら秋葉原に来ますもんね」
「そんなところでしょうね。しかしそうなるとどうしますか……」
「うむ。ま、なんとかなろう。えーと、安野の番号は……」
安野に貰った名刺を手に、イナリは覚えたてのスマホで電話をたどたどしくかけ始める。
通話ボタンを押せば、数コールの後に安野の声が聞こえてくる。
『はい。どちらさまですか?』
「おお、儂じゃよ儂」
『今時オレオレ詐欺は古いですよ?』
「イナリじゃ」
『げっ、今のは忘れてください。どうされました?』
「うむ。妙な奴等に目をつけられたようでのう。通りすがりのめいどと執事長の車に乗ってそいつらを撒いたところでの?」
『いや待ってください。いきなりたくさんの情報をブチこまないでください。えーと……』
電話の向こうで机か何かをトントンと叩く音が聞こえてきて。
『まず通りすがりのメイドと執事長ってなんですか? 何処かの名家の使用人の方ですか?』
「秋葉原のめいどじゃ」
『あー……居ましたねそんなの。じゃあそれは大丈夫ですね。でも知らない人の車にホイホイ乗らないでください。危ないかもでしょう?』
「うむうむ。分かっておるよ。もし騙されても何とかなる算段はあったからのう」
具体的には狐火で火を点けるか刀形態の狐月で車の扉をぶった切るつもりだったが、もしそうなったら明日の新聞の何処かを飾っていたかもしれない。通りすがりのメイドと執事長が良い人で本当に良かった。さておいて。
『でもそうですか。それで知らない番号からかかってきた理由も分かりました。とすると後は不審者についてですが……ひとまず人員を手配しますので、今から言う場所を運転手に伝えてください』
「うむ。住所は……」
「ああ。日本本部ですね。そこに向かって走れということですか」
セバスチャンがそのまま車を走らせると日本本部前に到着し……ビル前を警備していた職員が走ってきて窓を叩く。
「安野より伺っています。車は此方で移動させますので、このまま32階の第2応接室へどうぞ。これは許可証です」
「ええ、ありがとうございます」
許可証をセバスチャンが受け取ると、一番に降りてイナリたちのいる後部座席のドアを開けて。
エリが次に降り「お嬢様、どうぞ」と恭しくエスコートする。どうやら安全が確保されたので遊ぶ余裕が出てきたらしい。
「お主等は……まあ、ええか」
ここぞとばかりに目が輝いている2人を止める理由もなく、イナリは2人を引き連れて歩く。
警備の1人もそのままついてくるが、そうなると見た目には何処のVIPがやってきたのかという光景が出来上がる。
「すげえ、メイドと執事だ……」
「え、何あの執事。凄くセバスチャン……」
「警備もついてるぞ。何処かのVIPか?」
(うーむ……こういうのを悪目立ちというんじゃったか……しかしまあ、もう何処まで目立っても誤差じゃのう……)
スマートフォンについてもイナリは理解が出来たが、どうやら写真を撮って一瞬で相手に送れる道具であるらしい。あのダンジョンでスマホを抱えていた人数を考えるに、恐らくイナリの顔は相当数の人間に知れ渡ったと考えていい。それが今日の結果だ。
ならば、此処からどう動いていくか。それが重要だが……大事なことが1つある。
それは変わらずイナリはダンジョンに他の人間を連れ歩くつもりはないということだ。
悪質だろうと良質だろうとクランの勧誘などは全て跳ねのけるつもりだ。
問題は、その方法。これから会う相手がそれを知っていることを、イナリは願っていた。
イナリ「面倒じゃのう……」





