お狐様、夜の湯畑に行く
夜になって、イナリたちは布団で川の字で寝ていた。ちなみに真ん中はイナリである。2人の希望によりそう決定したが……さておき、イナリは「寝る真似」は出来ても本当の意味で寝ることはない。しかし見た目には同じなので誰もが寝ていると判断するだろう。そんなイナリが、ぱちりと目を開ける。何やら両側から視線を感じるからだ。
「あ、イナリさん起きましたよ」
「おはよう、イナリ」
「うむ……まだ夜ではないかの?」
午後9時10分ごろ。良い子は寝る時間だが、何故2人は起きているのだろうか? その答えは、2人からアッサリと出てきた。
「湯畑、見に行きましょうよ」
「ライトアップされてるらしいのよね」
「あー……そういえばされてるのう」
紫苑とも旅館の窓から見たが、エリや月子とは行ったことがない。なるほどこれは確かに気が利かなかったか、とイナリは反省してしまう。
「なるほどのう。では見に行くとするかの?」
「勿論ですよ!」
「浴衣のままだけど、これでもいいのかしらね」
「いいはずですよ!」
まあ、そんなこんなで3人で旅館を出て湯畑へと歩いていく。多少緩やかな坂を上る形にはなるが、覚醒者にとっては準備運動にもなりはしない。見えてきた湯畑からはもくもくと湯気が立ち昇り、緑色のコケもライトアップされて幻想的な色を見せている。
「わあ……なんだか凄いわね」
「はい、綺麗ですよね」
「うむ。しかし夜に来るとより一層硫黄の香りが濃い気がするのう」
それは夜の冷たい空気のせいでそう感じるのだろうか。旅館の窓から見るのとはまた違う風情を感じるもので。
「焼き鳥の匂いがするわ……」
「あ、ほんとだ。こんな時間でも開いてるものなんですね」
湯畑の近くにある焼き鳥屋にちらほらと人が並んでいるのが見えるが……なんとも食欲を誘う香りではある。しかし寝る前に焼き鳥というのも乙女としてはどうなのか? いや、焼き鳥を前にして乙女がどうこうなどと。そんな葛藤に襲われる月子とエリを余所にイナリが「1本買うのもいいかものう」と声をあげて。
「ダメです! 寝る前です!」
「そうよダメよ」
「ええ……? 何故じゃ?」
「寝る前の食事はよろしくないんです!」
「うむ、さよか……」
言いながらイナリは店の前に貼ってある「鶏ガラスープ」の文字に視線を向ける。
「……スープならええんじゃないかの? あったまるぞ」
そうして、エリと月子は顔を見合わせて。結局3人の手には紙コップに入った鶏がらスープが湯気を立てていた。
「んー、美味しいですねえ」
「そうね。こういうとこで飲むと凄く良いものね」
「うむうむ」
ホッとするような味の鶏がらスープは、何とも美味しいもので。シチュエーションが味を高めるというのであれば、今はまさに最高潮に高まっているに違いないと誰もが思っていた。
3人で鶏がらスープを手に湯畑を見ながら……月子が、ぽつりと口を開く。
「土間のことだけどさ」
「……うむ」
「どうするつもりなの? もう1度説得するの?」
月子から見ても、タケルを取り巻く状況は決して良くはなかった。今後の関係を考えても、今まで以上に悪くなる一方なはずだ。それに、それだけではない。日本3位のトップランカーの1人の家が冤罪の果てに焼かれた。この事実は決して軽く見てはならない。
日本でどうこうという以上に、世界的に見て「日本における覚醒者の扱いは悪いのではないか」という疑問を植え付けることになるだろう。
ノアのような人物が来ていること自体、その前触れのようなものだ。これからはもっと多くのスカウトが日本に来るのは間違いない。
そしてタケルの事件を受けて覚醒者が動揺しスカウトの誘いに乗ることだって、有り得ない話ではない。
その代表格……一番スカウトを受けるだろう人物がタケルであり、そのこと自体がタケルを更に追い詰める可能性すらあった。
「私は正直、タケルを東京に連れていくことは賛成よ。1度全部リセットするべきだもの」
人間関係のリセット。それは今のタケルにこそ重要だろう。タケルが何をこだわって草津にいるのかは月子にも分からないが、此処に居るのがタケルのためにならないのは明らかだ。
「それについては私も同意見ですね。土間さん、執事とかに興味ありますかね……?」
エリの言葉に月子とイナリは執事姿のタケルを想像してみるが……まあ、似合っていそうではある。本人がやりたいかどうかは別問題ではあるのだが。
「まあ、執事とかはともかく。イナリがクラン作ればいいんじゃないの?」
「儂かえ?」
思ってもみなかったことを言われて、イナリは驚いてしまう。
クラン。これまで幾つものクランを見てきたが、自分で作るなどということは考えてもいなかった。フォックスフォンもイメージキャラとしての契約をしているだけであって所属してはいないし、確かにやろうと思えば出来るのだ。
「儂がくらんを、のう……?」
「作るんなら私も入ってあげるわよ。最近また勧誘がウザくなってきたし」
「え、ええー!? いいですねえ。うー、でも私は今のクランが……うーん……」
悩むエリや何処まで本気か分からない月子を見ながら、イナリは湯畑に視線を向ける。
クラン。なるほど、タケルを東京に連れて行くというのであれば、そういう責任の取り方もあるのだろう。
「……ふむ」
そう呟くイナリを……エリと月子が、ただ静かに見守っていた。





