お狐様、草津出張所に行く2
結局のところ、タケルを巡る一連のことに黒幕などは存在しなかった。小さな悪が幾つも重なり、連携していただけの話だ。その規模が土間タケル……いや、大和タケルという人間の人生を徹底的に壊す程度のものだったと、つまりはそういう話だ。ただそれだけの、何処までも胸糞悪い話なのだ。
「……お主等については、後は安野たちに任せることにしよう。大人しく沙汰を待っているがいい」
「そうね。行きましょ」
イナリと月子が立ち上がり、エリがドアを開けると……慌てたように所長が立ち上がりイナリたちへと追いすがる。
「ちょ、ちょちょちょ……ちょっとお待ちを! 話をしましょう、話を!」
「ええい、妙な力を使うではない。無駄じゃ」
相変わらず『説得』のスキルを使ってくる所長だが、イナリに弾かれ通用しない。そんな所長の手が月子に触れようとして……しかしエリが即座に手を引っ張り抱え、イナリの手から展開された結界が所長の手を弾く。
「……その手からも妙な力を感じるのう。『説得』とやらは中々に応用が利くようじゃ」
「うっ……げうっ!?」
イナリの服の中から飛び出したアツアゲが所長に跳び蹴りを喰らわせ、所長が応接セットを超えて所長机まで吹っ飛んでいく。そのまま机を超え椅子を巻き込みながら壁に衝突するが……アツアゲはそのまま着地するとデフォルトサイズの50cmまで大きくなっていく。
「モ、モンスター!?」
「ふむ。アツアゲのことを知らんか」
「そんなもんでしょ」
楡崎が慌てたように立ち上がりアツアゲがシャドーボクシングのような動きで挑発するが、そんなアツアゲにイナリが「やめい」と軽く注意する。別に所長と楡崎をぶっ飛ばしにきたわけではないのだ。
「ほれ、行くぞアツアゲ」
そうイナリが促せばアツアゲもイナリの背後を歩き始めて。そんなイナリたちの背中に楡崎の声が投げかけられる。
「こんな、こんな暴力……許されると思ってるんですか!?」
「なぬ?」
何を言っているのか意味が分からなくてイナリは思わずエリと月子に解説を求め視線を向けてしまう。しかしエリも月子も意味が分からないといった表情だ……まあ、当然だろう。
月子は軽く頬を掻くと工事現場で使っている誘導棒のようなものを取り出し、所長室の中へと向けていく。そうすると、幾つかのポイントで光り、そこへ向けてドローンを飛ばしていく。工具を展開したドローンはその場所で何らかの工事のような火花を出すと何かの小型機械を抱えて戻ってくる。
「あー……なるほど小型カメラ。上手く編集して被害者ぶろうと? そうよね、別にそっちのルートが死んだわけじゃないだろうし」
タケルへの冤罪事件の報道の速さを考えても、諸々の証拠と合わせても……草津出張所と「新住人」の間にはかなり太いラインが出来ている。此処から巻き返そうと考えていても、何の不思議もない。
「う、うう……」
「まあ、正直な? お主等に同情するところがないでもないんじゃよ」
組織の出世レースから外れた鬱屈もあるだろう。様々な人間関係などもあるだろう。外部からでは想像できないものだってあるだろう。その辺りを全て無視して一方的に悪と断じることなど、出来るはずもないしやって良いことではない。
たった1つの巨悪など、何処にもいない。しかし、結果として巨悪を形作る一因にになったことは、許されることではない。
「しかしのう……儂はお主等を救ってやろうとは、微塵も思えんのじゃよ」
それはタケルの境遇を知っていたからか、それとも彼等自身がイナリとは合わないが故か。どうであるにせよ、イナリとしては「後は好きにせよ」といったような心境である。どのみち、この後の捜査は日本本部に引き継がれる。所長たちの処分内容もそこで決まることだろう。
イナリたちが草津出張所を出ると……まずはエリが溜息をつく。
「はあー……覚醒者協会に勤めるのが憧れって人も結構いますけど。ああいうの見ると、そんないいもんじゃないなって思いますね」
「何処も末端はあんなもんでしょ。ただ程度の差があるだけで」
「まあ、協会が此度の件をどのように差配するかは組織の今後を示すものとなるじゃろうが……」
イナリはそう言うと、空を見上げる。今日の草津の空は雲1つない快晴だが……イナリの心情はそうではない。今回の件で何処の誰がどうなろうと、タケルの歩んできた過去が変わるわけでもない。
結局のところ、救われないままなのだ。それは今後も何1つ変わりはしない。
「ところで、この後はどうされるんです?」
「ん?」
「私と月子さんは超人連盟対策で来たので、明日帰りますけど……イナリさんはどうされるんです?」
一緒に帰りますか、と聞いているのだと理解して、イナリは「ふむ」と考え込む。まあ、確かにタケルにも断られてしまったし帰ってもいい。ノアはどうやらタケルの勧誘をまだ諦めていないようだが……別にそれもタケルが選ぶのであれば良いと考えている。しかし、しかしだ。
「儂はもう少し草津にいるとするかのう」
そう、イナリはまだ東京へ帰るつもりはなかった。タケルの言っていたことがイナリの中で引っかかっていたからだ。
(タケルが此処ですべきこと……一体何なのか。それがどうにも引っかかって仕方がない)
タケルの個人的な事情であればイナリが首を突っ込むのは無粋だが……その辺りを見極めたいと考えていたのだ。
「あ、それなら……今夜は本部がとってくれた旅館があるので一緒に泊まりませんか?」





