お狐様、追い詰める
その青年をイナリはじっと見る。流石に見ただけでは判別はつかない。以前見たような「おかしな不一致」があるわけでもない。ということは何か別のスキルで変身しているのであろうと理解できる。そして……まだ出会って間もないノアはともかく、月子も「そう」だというのであればイナリに疑う理由はない。
「なるほど、あの男かの」
「サイラス・テイラー。そういう名前みたいね」
月子の説明に頷くと、イナリはエリへと声をかける。
「エリ」
「あ、行くんですか?」
「うむ」
「分かりました。ではお二方、行ってまいりますね!」
詳しい説明などする必要もない。イナリとエリはヘリから飛び出して、そのままエリはズドン、と。イナリはふわりと柔らかに青年の近くに着地する。
「……なんかズルいです」
「そんなこと言われてものう……」
自分だけ重たいみたいな感じになったエリの抗議に何とも言えないような表情をするイナリだが、すぐにその表情を引き締める。
「え、ええ……? な、何事ですか?」
本当に何処にでもいそうな青年だ……丁度大学生くらいにも見えるが、町で出会ってもそのまま何の記憶にも残りそうにないくらいには普通だ。出会って間もないノアだけではなく、月子も「そう」だと言っていなければイナリも彼に目をつけることはなかっただろう程度には印象が薄い。しかしもう、イナリは彼をしっかりと見つけた。
「さいらす・ていらあ……じゃな?」
「え? サ、サイラス? 違います、僕は」
「残念じゃが、すでに鑑定しておる。逃れられはせんぞ」
少し離れた人の居ない場所に着陸したヘリから月子とノアが出てくるのを見て、動揺していた青年から表情が抜け落ちる。
「ああ、なるほど。プロフェッサーにパープルアイか。随分とまあ……」
「さあ、観念せよ。もう逃げられんぞ」
静かに距離を詰めていくイナリに、サイラスはハハッと馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「観念? 面白い冗談だ。私を捕まえられると?」
「当然じゃ」
「幻夢の霧」
言うと同時に一瞬で距離を詰めたイナリの手がサイラスを掴み……しかし、そのサイラスの身体が突如噴出した霧に溶けるように消える。その霧は急激に広がり濃くなっていき……僅か一歩先すらも見えないほどに濃いものへと変わっていく。
「な、なんですかこれ!?」
「魔力の霧よ! この手のは何があるか分からないから気をつけなさい!」
戸惑ったようなエリの言葉と、月子の声が響くが……それも霧で妨害されるかのように遠くなっていく。なるほど、これは様々なものを阻害するのだろう。月子の機器も、そしてイナリの感覚も。何もかもを覆い隠し、騙すのだろう。これがどのようなものであるか具体的にはイナリは分からないし、恐らく人間はこれに対抗できる手段をそう多く持ってはいない。けれど。そう、けれど。
「人を惑わす霧。五里霧中とはよくいったものよ。されど、これで逃げられると思うのであれば、それは甘いのう……そうじゃろう? 狐月」
イナリの手の中に刀形態の狐月が現れて、その刀身に指を這わせ滑らせる。
イナリの指の動きに合わせ金の輝きを纏っていく狐月は、荘厳なるその輝きを纏って。
「破邪顕正の理を示せ――秘剣・数珠丸」
イナリを中心に黄金の輝きが巨大な柱のように広がっていく。それは眩く、けれど……光の中に居る人々にとってはただ、暖かくて。優しく包み込むようなものであった。だというのに……その中で苦痛の声をあげながら像を結ぶものがある。
「ぐ、ぐああああああああああああああ!?」
それは、金髪碧眼の男の姿だ。美形といえるその男の姿は先程の姿と比べれば人目を引くようなものだが……その顔は怒りの感情で歪んでいる。
「なんだその理不尽なスキルは……! 私の、私の霧を消し去るだと!? それに……!」
サイラスが視線をちらりと向けた先。そこでは野次馬を決め込んでいた人々の身体から黒い何かが溶けるように出て消えていくのが見える。何かをやろうとしていたのか、あるいはもうしていたのか。どちらにせよ、その目論見もまた破壊された。
そして霧を破壊された影響かよろめいている男……サイラスの眼前に立つと、イナリは微笑む。
「だから言ったじゃろう? 観念せよ、と」
イナリがサイラスを掴んだその瞬間。ガオン、という凄まじい音を立ててサイラスの身体が宙を舞う。狐神流合気術。どんな体勢からでも相手をぶん投げられるそのスキルは確かにその威力を発揮してサイラスを背中から地面へと叩きつける。
「か、はっ……」
「此処までじゃ。お主にはしっかりと全てを吐いてもらわねばのう?」
「ハ、ハハハ……」
踏みつけるイナリを見上げながら、サイラスは乾いた笑いを浮かべる。まさか、ここまでとは。こんな理不尽な力を持っていると知っていれば……いや、それを予想していたからこそ今回の計画をたてたのだったか。
「ハハハハ……ハハハハハハハハハハ!」
「む?」
「確かに私の負けだ! 私にはもうどうしようもない!」
それは敗北宣言にも聞こえる言葉だ。しかし、何か……何かがおかしい。だから、イナリはサイラスを多少強く踏んで気絶させることにする。
「寝ておれ」
「ぐっ……」
ガクリと。確かに気絶したのを確認して。けれど、その気絶したサイラスの口から。いや、その奥から……おかしな言葉が漏れ出てくる。
「■■■―■■■■――」
それは理解できない、おかしな音か、言語か。分からない。分からないが……サイラスの顔が消える。顔のあった場所に黒い闇が溜まり、まるで星空のような何かが見える。
哂った、と。見えないはずのその表情をイナリが理解した、そのとき。凄まじい圧力がその場にいた全員を吹き飛ばした。





