お狐様、草津空港に行く2
「うーむ。引き抜きの話なら無理じゃぞ?」
「あ、あはは……」
「というか、そのために日本に来たわけでもあるまいに」
塩対応。物凄い塩対応にノアは「無理だ」と確信する。ノアもスカウトとしてはそれなり以上の経験があるが、これは絶対に無理なパターンである。
(……これ以上粘ると通常の会話すら難しくなるな……仕方ない、一端諦めよう)
相手の反応が悪いときに食い下がるのは三流だ。搦め手を使おうとするスカウトも他国にはいるというが、それは四流以下。そんなものは必ずしっぺ返しをくう。ならば……二流以上はどうするのか。その答えは簡単だ。しっかりと仲良くなり土台を積み上げていけばいい。目的はいったん忘れ、距離を縮めることだけに集中する。そうして「ちょっとくらいなら頼みを聞いてやってもいいかも」という段階まで持っていけば、第一段階は成功だ。だから、まずはそこを目指そうとノアは一瞬で計算した。
「ご賢察の通りです。私は自国の参考にしようと日本に来ましてね」
「何か参考にすることがあるのかの?」
「それを知りたいと思っているのですよ」
「ふむ」
これは嘘である。ノアはしっかりとスカウトに来ていた。具体的には「土間タケル」のスカウトが今回の目的であった。諸々の事情を鑑みれば、それは非常に簡単であるように思えたのだが……ノアはタケルとイナリを天秤にかけた。
此処でなんだかんだと誤魔化した後にタケルをスカウトするのは簡単だ。しかしイナリが草津にいるということはタケルと面識……いや、ある程度の交友関係にある可能性も高い。となれば、スカウト失敗しようと成功しようとイナリの耳に入るだろう。
先程の会話の流れから考えて、そうすれば今後イナリはノアを確実に警戒する。それは将来の可能性を潰すものであり、あまり良いものではない。
(その辺りも見極めていかねばならないが……状況は刻一刻と変化する、とはよくいったものだ)
「コガミさんこそ、どうして此処に? 海外からお友達がいらっしゃるご予定……というわけでもなさそうでしたが」
「ああ、色々あってのう。ま、個人的な事情というやつじゃよ」
「そうでしたか。レディの事情とあってはそれ以上聞くわけにもまいりませんね」
「ふふ、お主は紳士じゃのう」
「そうありたいと心掛けてはいます」
微笑むイナリに、ノアは内心で汗を流しながらも微笑み返す。
(危ない……よく分からんが警戒域をひとまず脱した感触がある。こういうのは覚えがあるぞ……テムズ川に蹴り落としてやっても足りないくらいのろくでなしのクソ馬鹿を存分に相手にした直後で、他人に対する評価が辛くなってるときのやつと同じだ。誰だか知らんが、地雷を踏み抜いたのは間違いなさそうだ)
それに関しては、まさに大正解であった。タケルと何度か話したことですっかり庇護枠に入れているイナリとしては、楡崎含む出張所の職員たちにあまり良い評価をしていない。結果がそんなに伴っていなくても頑張っているのが目に見えて分かる安野のような本部職員を普段見ているのも評価が低くなる原因ではあるだろうが……基本的にイナリは人の善性を喜び、弱さも、それゆえの醜さをも許容する。場合によっては悪をも受け入れるだろう。しかし、そんなイナリでも拒絶するものはある。単純にそういう話であるのだが、そこまでは流石にノアにはまだ推測することはできない。
「ちなみに、何故草津を選んだのじゃ?」
「ええ、世界的に見ても草津の現状は珍しいパターンですからね。1人の覚醒者に実質依存している仕組み……その現状を見るのは今後の学びになりますし」
そう言っている最中、ノアはハッとする。それはまさに天啓のように閃いた。言うのであればここしかないと、そう直感がささやいたのだ。
「場合によっては、スカウトも視野に入れようと思っています。歪みの犠牲になっているだけの構造なのであれば、私たちが救いの手を差し伸べるのもまた人としての務めでしょう」
「……ふむ」
イナリはその言葉を反芻するように黙り込むと、やがて再度の微笑みを浮かべる。
「そうじゃな。それは正しく人の道じゃろうよ」
「ええ、私もそう信じています」
「しかしまあ、やはりタケルの引き抜きで来たんじゃな」
「え、いえ。まあ、ええ……」
「くっくっく。試すような真似をしたのはすまんかったの。しかしまあ、お主は誠実であるようじゃ」
「いえ……信用して頂けて幸いです」
「儂も正直、タケルの現状についてはどうかとは思っとる」
「では……」
「うむ」
協力してくれるのかと、そんな期待を抱いたノアにイナリはパッと笑顔を向ける。
「儂が東京まで連れ出してしまうのもアリじゃな」
「え?」
「おお、そうなるとえばんす。お主とはすかうと合戦になるのう?」
「あ、あはは……そ、そうですね……?」
なんでこうなった。ノアはそんな泣きたい気持ちになってくる。なってくるが……少なくともタケルをスカウトしてもイナリとの関係は悪化しない。それだけは確かな成果であるのは、まあ事実であったのだ。





