お狐様、甘やかす
翌日。イナリたちは再びタケルの家に来ていた。タケルから大丈夫だったか問うメッセージが来たので、無事だと顔を見せに来たのだ。
「いやあ、なんだか心配をかけてしまったようじゃのう」
「ん、凄く無事」
「そっか。ならいいんだ。オークションに何か見たことのない群馬第1ダンジョン産っぽいアイテムが出てたからさ。何かとんでもない事態が起こったんじゃないかって心配してたんだ」
余計な心配だったな、と苦笑するタケルにイナリは「そんなことはないぞ?」と微笑む。
「そうやって心配してくれる者がいるというのは嬉しいものじゃ。実際儂も嬉しい」
「……そっか」
「ん、わかる」
タケルが照れたように頬を掻き、紫苑も頷く。
「心配してくれる友達は大事。すごく大事」
「ま、そういうことじゃな。しかし、おうぶはタケルへの土産にしてやればよかったかの?」
「丸薬じゃなくて?」
「あー、要らないよ。俺もその辺は色々とやってるからさ」
「ふむ。ま、儂がとやかく言うことでもないかの」
「ハハッ、でも気にかけてくれてるのは感謝してる」
微笑むタケルにイナリも頷いて。そんなイナリにタケルは「そういえば」と思い出したように声をあげる。
「草津の湯はどうだい?」
「ああ、うむうむ。やはり草津の湯は良いのう」
「ん、凄く良い」
「だよな。俺も草津の湯は気に入っててさ。此処の家にも引湯してるんだ」
「引湯! そういうのもあるんじゃな」
思わずイナリはほう、と感心した声をあげてしまう。自宅に温泉。なるほどそれはイナリには思いつかない考えであった。自宅に温泉。なんと素敵な響きであるだろうか。草津に住めばそういうことも出来るというのだろうか? 湯量が明らかに増えているようだし、十分可能かもしれない……まあ、そんなことを考えて。
「……いかん。すっかり草津に移住する気になってしまったのう」
「俺としてはそれはそれで大歓迎なんだけどな」
「しかしまあ、随分と不動産価格も上昇したと聞いとるが」
「ん、東京並に高い」
「あー……まあな」
言いながらタケルは頭を軽く掻く。実際、草津の不動産価格は上昇を続けている。それは非覚醒者の富裕層が安全な場所を求めて一気に流れ込んできているからであり、同時にタケルが草津から動かないことが大きく関係している。
何かがあっても日本のトップランカー3位がすぐそこにいる。その事実は物凄く大きい。
「ま、実際人は凄い増えたよ。何処かの会社が丸ごと本社機能をこっちに移転するなんて話もあったくらいだ……どうなったかは知らないけどな」
「色々あるんじゃのう」
「ありすぎるくらいさ。俺へのボディガード依頼みたいなのもたくさんくる。断ってるけどな」
タケルには全く向いていない仕事だ……しかしそうなるとタケルへの悪評のようなものも囁かれるようになってくる。非覚醒者社会で金も力も持っている層の人間だ、そういうのは本当にまことしやかに流れていく。
「随分命知らず。それでどうなったか知らないわけでもないだろうに」
「喉元過ぎれば熱さを忘れるってやつさ。もう過去なんだよ、そういうのはさ」
「……ふむ」
日本も覚醒者が逃げ出して蹂躙された国の1つだ。そういうものを忘れるほどの時間はたっていないようにイナリには思えるのだが……まあ、忘れてしまったのだろう。あるいは何かしらの手段によってそういうのを逃れたのかもしれないが、ひとまずその辺りの事情はどうでもいい。
(未だ渦中、か)
最初に会ったときタケルは心が軽くなったと言っていた。しかし、それで何もかも救われたということではないのだろうとイナリは思う。まあ、人生とは無数の障害が立ち塞がるものではあるが……だからといって傷だらけの人間を放置してよい、というわけではない。
「タケル」
「え?」
「ちょいと失礼するぞ」
イナリは立ち上がり……そのままタケルの前に立つと、その身体を手で抱えて軽く抱き寄せる。丁度イナリの顎の下……胸元辺りに引き寄せると、頭を優しく撫で始める。
「ちょ、ちょっと狐神さん!?」
「よしよし。タケルはどうにも頑張り過ぎのようじゃの。頑張るのは良いことじゃが、何事も度を過ぎれば毒じゃ。お主はもっと、気楽に生きてええんじゃよ」
「いや、俺は……」
「ええんじゃ。お主のやっておることは立派じゃし、日本で3位も素晴らしい。しかしのう、お主が嫌であれば捨ててもええんじゃ。お主が壊れてまで守るものではないんじゃよ」
そう、タケルの成したこと、やっていること……その全てが素晴らしいことだ。しかしそれはタケルという人間と引き換えにしてよいことだろうか? イナリは、そうは思わない。
「のう、タケル。そのうち東京に遊びに来るとええ。今度は儂の家にも招待しようではないか」
「けど、俺が居ないと」
「ええんじゃよ。草津に居る覚醒者はタケルだけではなかろう。それともタケルが居ないと滅びてしまうのかえ? それとも……まだ草津の外は、辛いかの?」
「……」
「であれば、儂が迎えに来よう。お主に何か言う者は、全て儂が説教してくれる。それならどうかの?」
イナリに撫でられながら言われ、タケルは「ハハ……」と笑う。
「敵わないな、貴女には。本当に……もっと早く会いたかった」
「今からでも遅くはあるまい」
「……そうかもな」
タケルは、そう呟いて。そっとイナリから身体を離そうとして。
「え!? ちょ、ええ!? 意外に力強い! あ、離してお願い! 凄いハズい!」
「何を言っとるか。ええ機会じゃ……たっぷり甘やかしてくれる。ほれ、爪も伸びとる。紫苑、爪切りを探してくるんじゃ」
「ん」
「自分で切るから! 今日やろうと思ってたから!」
まあ、結局タケルはイナリに爪切りをされたのだが……イナリが帰るときは、すっかりグッタリしていたのであった。





