お狐様、紫苑とご飯を食べる
そうしてサトウマートで買い物をしてイナリの家に戻ってくれば、紫苑は「おー」と声をあげる。
「やっぱり良いお家」
この辺りでも一番立派な場所なのでその反応は正しいのだが……イナリはふと疑問に思ってしまう。
「お主の家はこれより立派かと思っておったが」
「ん、秋葉原の低層マンション」
「あの町、そういうのもあったんじゃのう」
「結構ある。職人とかが結構いる」
そう、秋葉原は覚醒者街と言われている程度には職人が多い。しかし彼らとて遠くから一々通勤したくはない。だからこそ一定以上の稼ぎのある職人や、武具の損耗や買い替えなどが多い「稼げる」覚醒者は秋葉原に住んでいたりもするのだ。
「ボクの場合、インナーが特別製。だから秋葉原に住むと便利」
「ほー、知らんかったのう」
「もっと知ってほしい」
「うむうむ。ゆっくり相互理解を深めていくとしようかのう」
そんな会話をしながら、台所に買った食材を置いていく。今夜のメニューはシンプルな和食である。まずは枝豆だ。これは技術の進歩により冷凍のものがいつでもあるため、これを解凍する。その間に小さな鍋に湯を沸かして乾燥わかめを投入していく。あとは適当なところで火を止めて出汁入り味噌を混ぜていく。この出汁入り味噌というものは本当に凄い、好みがうるさくなければ色々な手間が省けてしまう。
次は切り身の……塩鮭が2つだ。これを油を引いたフライパンにのせ、焼き目がついたらひっくり返して蓋をしてじっくり蒸し焼きにするだけで完成だ。
「鮭の香りというものは暴力的じゃのう……」
「わかる。昔はこれをもっと気軽にお安く食べれてたらしい」
「漁師の皆に感謝せねばのう」
昔と比べると命の危険が増えた……増えすぎたが、それでも何の危険もなく帰ってこれることも多いし海の危険はモンスターばかりではない。のんびりクルーズでもしようというのでなければ、リスク管理といざという時の各種の備えさえしていれば充分に仕事として成り立つ高給取りなのだ。
さて、塩鮭が焼けたら、その油で軽く皮を剥いたアスパラを適当な大きさに切って焼いていく。これを添えたらおかずは出来上がり。その間に紫苑は解凍した枝豆を剥いてボウルに入れていた。
「そして最後は……これじゃ」
炊き立てのご飯に紫苑が頑張って剥いた枝豆を入れて混ぜていく。冷凍の枝豆はもう塩味がついているので、ここから更に味をつけていくかは文字通りお好みになる。そうしてしゃもじで枝豆が全体に行き渡るように、そして枝豆を潰さないように優しく素早く混ぜていく。そうすれば枝豆ご飯の出来上がりだ。
最後に紫苑がミニトマトをそっとおかずの皿にのせれば……鮭定食の完成だ。
「ふふふ……食事は彩りが大事というが、これは完璧じゃろう」
「一切の隙が無い」
「うむうむ」
パチパチと手を叩く紫苑だが、まあ実際に彩りは良い。リビングに運んで「いただきます」と手を合わせて食べ始めるが、紫苑は何度も「うんうん」と頷いて、その手はかなり早い。
「落ち着いて食べるんじゃぞー?」
「大丈夫。よく噛んでいる」
「うむうむ、偉いのう」
まずパリッと焼けた塩鮭はジューシーであり、これとご飯だけで成立するほどだ。アスパラは特に味をつけたわけではないが、塩鮭自体の味が濃い目なので箸休めになっている。ワカメの味噌汁はシンプルながら、塩鮭がメインとして結構重たいのでこのくらいがちょうど嬉しい。
そして枝豆ご飯だ。これが……美味いのだ。ほのかな塩味と、枝豆の爽快な食感。これがご飯の味を1段階引き上げている。
元々塩にぎりというものがあるように、ご飯と塩は物凄く相性がいい。そして赤飯を例に出すまでもなく、豆とご飯もこれまた相性がいい。つまり枝豆ご飯は約束された美味とすらいえてしまうのだ。
「ああ、美味いのう……」
「うん、これは100点」
モグモグと食べる2人を余所にアツアゲがテレビをつけているが、丁度何もやっていないコマーシャルの時間であったようで、リモコンで番組を変更していた。
「前回と比べると手間が凄い。毎日こんなの作ってるの?」
「客が来るときだけじゃのう。儂だけなら、ご飯とふりかけがあれば幸せじゃから」
「極端」
「よく言われるのう」
しかしまあ、イナリは栄養バランスとかそういうのは意味がないから好きなものだけ食べていれば本気で問題ないのである。なんなら何も食べなくても一切問題はないのだから。食とはイナリにとって純粋に趣味である。栄養も毒も、等しく意味がない。
「さて、でざあとは桃の缶詰じゃ」
「おおー」
「ふふ、桃の缶詰は特別なときにしか食べられんものだったというが……今やお安くすうぱあで売っておるのじゃから、良い時代じゃの」
「そういうのは分からないけど、美味しいのがお安いのは良い」
「うむうむ」
缶詰の桃はいわゆるシロップ漬けであり、生の桃とは大分食感も味も違っている。冷たく、甘く、つるんと口の中に入ってしまうような桃はフォークで容易く切れて食感も良い。イナリにとっては「見たことはあるが食べたことのない何か特別なもの」も今の時代、今のイナリならば本当に簡単に手に入ってしまう。それはイナリが実体を得て良かったことの1つであり、そういう意味で桃の缶詰はイナリにとってはちょっと特別な食べ物の1つであるのだ。





