お狐様、越後商会に向かう2
その警棒は、イナリの足元に転がってきて。そんな倉林には視線すら向けないまま、イナリは2人へと視線を向ける。すでに集まった面々は気絶し始めていて、その2人が気絶していないのはイナリの匙加減であるようにすら感じられた。
「な、ななな……なんなんだお前は!」
「いきなりこんな……! 常識がないのか⁉」
「ほっほっほ。斯様な棒切れよりは大分穏当だと思うがのう」
イナリは足先で警棒を軽く蹴るが、2人の男は気にした様子すらもない。イナリの実力に気圧されてはいても、謎のプレッシャーに脅えてはいても。自分たちが「支配者側」だというプライドが支えているのかもしれない。それとも、あるいは。
「さて、まず確認するが2人の候補者というのはお主等で間違いないかの?」
「お、お前……こんな真似してただで済むと思ってるのか⁉」
「そうだ! こ、これは問題だ! 協会はこんな干渉を許すのか⁉」
「誰が戯言を申せと言ったかの?」
そう、これは神通力だ。そしてイナリはただ怒っているだけだ。あまりに怒り過ぎて身体から魔力が漏れ出て、神通力として「敵意」に反応し気絶するような威圧を与えているだけだ。だからこそ、恐らく候補者と思える2人はまだ「話をしなければならないから」意識が残っている。
「いいか、よく聞くが良い。儂はそこに居る恵瑠の後ろ盾となる。どうにもお主等は上に立つ素養がない。これを放っておくはあまりにも周囲が不幸に過ぎる」
「うるさい! 手を出したお前はもう終わりだ!」
「この件は厳重に抗議し訴えてやる……牢獄送りだ、覚悟しろ!」
「ふむ?」
イナリは言われて安野へと振り向く。安野は「あー……」と声をあげると、呆れたような表情を2人へと向ける。
「覚醒者協会はこの件、狐神さんの全面的味方ですよ? というか商売ばっかやってるから常識が非覚醒者とそう変わらないんですかね?」
「は?」
「覚醒者基本条約があるのに、国の法律が覚醒者をどうこう出来るわけないじゃないですか。覚醒者の問題はその国の覚醒者の自浄能力に頼ってるんですし、協会はこの件、狐神さんの肩持ちますから」
その言葉に、2人はあんぐりと口を開けてしまっていたが……イナリでも分かるくらいに当然のことなのだ。そもそもイナリが以前「黒い刃」を潰したときも、逮捕者などというものは1人も出なかった。それは覚醒者基本条約……つまり覚醒者のやることに国が関わらない、縛らない仕組みが出来ているからである。
事実上、日本の覚醒者の統括は覚醒者協会日本本部であり、日本国にはそこに関わる権利はないのである。普通に覚醒者をやっていればその辺を何となくでも察するし真面目にやっていれば理解するものなのだが……覚醒者でありながら一般人同様のことしかやってこなかった2人には分からない。
チンピラクランが何故野放しにされているのか。その理由を考えただけでも分かりそうなものだが、そこを分かっていない。
「ま、そんなわけでのう。後継者争いとやらはもう少し続くんじゃよ。よろしくのう?」
イナリがそう言うと、今まで抑え込まれていた威圧が2人に襲い掛かって一瞬で気絶する。それを見届けるとイナリは「うむ」と頷いて振り返る。
「ま、こんなもんじゃろ。それでは帰ろうかのう?」
「いいんでしょうか……」
「というか、いえ、まあ。私も殴りたかったですけど、思ったよりずっと大事に……」
「元々大事だったじゃろー?」
「いえまあ、覚悟してましたけども……」
そうして身を翻しながら、イナリは安野と恵瑠を押すように部屋の外に出て。扉を閉める前に、部屋の隅……何もいない場所へと視線を向けて、扉を閉める。
そのまま誰にも止められずに本社ビルの外に出て、車に乗って。そうすると、安野と恵瑠がぐったりしたように息を吐いて座席に深く座り込む。
「ふはあああああ……」
「つ、疲れました……」
「おやおや。気疲れかのう?」
「いつチンピラクランが襲ってくるかと気が気じゃなかったです……」
「私も……」
そんなことを言う2人にイナリは「ふむ」と頷く。
「それっぽいのはあちこちに居たがのう」
「え!? 居たんですか!?」
「うむ。隠れとったから忍びの類かと思うたが、仕掛けてくる様子もなかったしの」
「全然気づかなかったんですけど……」
前にメイド隊の1人が使っていたスキルと似たようなものなのかもしれないが、イナリには普通に見えていた。ビルのあちこちにいたが、特に敵意もないので放っておいたのだ。
「ええ……? でも今回報告にあったクランって忍者系をそんなに抱えてたっけな……ま、まさか超人連盟!?」
「そんなに強そうにも見えんかったがの」
「うう、狐神さんの基準は当てにならない……」
「なんてこと言うんじゃ」
とにかく要報告だな、と安野は思うが……それよりも考えるべきことはたくさんある。たとえば今回実際に会ってみて分かった「候補者」2人の愚かさなどだ。あの2人のどちらかが越後商会を継ぐとして……まあ、どのみち長くはないだろう。ぶっちゃけた話、恵瑠に継がせてもお家騒動の余波であまり良い結果になるとも思えない。
(あーあ。どうすんだろ、これ。どう転んでも越後商会は終わりだと思うなあ……)
なんとも憂鬱な気分の安野を乗せた車は、帰路を進んでいく。報告書をなんとまとめるか……それ以前にまた上司勢揃いだろうなあ、と。思えば思うほど増していく安野の憂鬱さとは裏腹に、空はとってもよく晴れていたのだった。





