お狐様、越後商会に向かう
クラン「越後商会」の本部は中央区に存在した。旧東京駅から然程離れていないビル群のうちの1つが丸ごと越後商会本部ビルであり、ジャンルを問わない様々な商品の販売が覚醒企業としての越後商会の姿であった。
だからだろう、越後商会のクランメンバーは戦闘力ではなく営業力などを基準に構成され、戦闘要員は比較的少なめである。まあ、この辺りは何処を重視するかという話であり、いわゆる「越後商会スタイル」と呼ばれるタイプの覚醒企業も少なくはない。
しかしながら覚醒企業としての活動のみで10大クランと呼ばれる地位までのし上がったのは間違いなく越後商会の実力であり……越後商会の初代クランマスターである、越後八重香の父と、2代目である八重香の手腕であった。
「ふむ……その父親は今何を?」
「ダンジョンで亡くなったと。正直今の状況を見るときな臭いですけども」
「はー、嫌じゃのう。人の子の悪いところを連続で見せられるのは気が滅入るわい」
「なんだかすみません……」
「おお、おお。恵瑠は何1つ悪くないからのう」
イナリが恵瑠を撫でているのを「凄い仲が良いですね……」と安野が見ていたが、元々イナリはこんな感じである。さておいて、車は越後商会のビル前に着き、安野を先頭にイナリと恵瑠が続く。正面入り口に向かえば当然のように守衛が動き出すが、安野の胸元に吊るされた覚醒者協会の一員であることを示すカードを見ると「うっ」と声をあげる。そして安野も堂々とそのカードを示す。
名前の上に銀色の太い線が入っている特別なデザインは、覚醒者協会の職員である証だ……それを「知らない」というのは、覚醒者としては、ましてや守衛としては結構失格だ。そしてこの守衛は失格ではないからこそ、明らかに怯んでいた。
「覚醒者協会日本本部の安野です。アポイントメントはとっていますので、取り次ぎを願います」
「は、はい! 少々お待ちください!」
すぐに何処かに連絡を始める守衛をチラリと見ながら、イナリは安野に囁く。
「……普通に見えるがのう。本当に妙なのが関わっているのかえ?」
「守衛がチンピラになってたら、乗っ取られてるんじゃないかって話になっちゃいますよ」
そんなことを囁き合っていると、随分とガタイの良い男がやってきて慇懃に頭を下げる。
「覚醒者協会の安野様と狐神様……それと、小鳥屋様ですね。マスター代行の秘書、倉林です。ご案内します」
「はい、お願いします」
秘書というよりはボディガードかといった感じではあるが、秘書兼ボディガードかもしれない。そこを突っ込むのは失礼というものだろうと安野は口をきゅっと噤んで。
「随分と立派な身体じゃのう。鍛えとるのかえ?」
「はい。秘書には必要ですので」
「なるほどのう」
(うーわっ、迷わずいった!? ていうか秘書に必要な筋肉ってなんです!?)
安野は心の中でツッコんでしまうが、今のやりとりで分かったこともある程度ある。それは、突発的な対応にもサラリと返せるということである。もしチンピラクランの連中が秘書だと言い張っているなら、こういうときにボロが出やすい。しかしどうにもそうではない。まあ、そういう対応を出来るチンピラクランの一員という可能性もあるけども。
「では、これを。ビジターカードです。必ず着けているようにお願いします」
そんな秘書の倉林に案内されながら、安野は周囲に視線を巡らせていく。「商会」としての機能にほぼ全振りしている越後商会本部ビルの内部はオフィスビルそのものだが、安野の見る限りでは怪しい場所は……ない、ようにも見える。まあ、明らかに怪しい場所があれば相当間抜けではあるが。
「ふむ……」
そんな中、イナリは安野にはよく分からない何かを見るかのように何処かに視線を向けていたが、そんなイナリに倉林が「どうかされましたか?」と声をかける。
「いや、こういう場所は初めてじゃからのう」
「そうですか。色々と機密もございますので説明できないことをご理解ください」
「構わんよ」
そうしてエレベーターに乗るとイナリが「……うむ」と妙な声をあげていたが、尻尾がぼわっと膨らんで耳がピーンとしているのは隠しようもない。相変わらずエレベーターは苦手だが、日本本部ほどのものではないのでイナリもなんとか耐えているようだ。
エレベーターが止まったのは高層階……27階だ。会議室が並んでいるその場所の第2会議室に案内されたイナリたちは、そこに並んだ面々の敵意に近い視線を一気に受ける。歓迎されていないのがあからさまだが、どうやら特に強い敵意を向けてきている2人の男が候補者なのだろう……安野が気付くと、すでにイナリは動いて恵瑠を隠していた……まあ、恵瑠のほうが身長が高いので隠れていないのだが。
「……その子どもが新しい候補者とやらか。不相応な夢を見てないでさっさと帰るんだな」
「いや、待て。後継者争いには関わらないという念書を書かせてからだろう」
「ちょっと、貴方たち……」
安野が言いかけて、しかしイナリが前に出たのを見て黙り込む。あ、怒ってる……と。そう理解できてしまったからだ。
「お初にお目にかかる。儂は狐神イナリじゃ」
「は? 名前なんか聞いてないんだよ。空気読めないのか?」
「今時の子どもはそんなもんだろう。大人の時間を奪う罪深さを知らないんだ」
そのあまりにも「大人らしい」言葉を聞いて、イナリの表情が笑顔の形になる。
笑顔の形。そう、それは笑顔ではない。笑ってなど、いないのだから。
「お主等の言う『大人』だの『空気』だのは、少しばかり幼すぎるようじゃのう」
「なんだと!? お前らがこうして無駄な」
「黙れ。その口から出るのが汚泥しかないのであれば、いっそ黙って頭だけを下げよ」
部屋の温度が急激に下がったかのような感覚が安野と恵瑠を除く全員におとずれて。何かに耐えかねるようにその場に膝をついて倒れたのは……イナリの近くにいた倉林で。その手からは覚醒者用の警棒が転がり落ちていた。
 





