お狐様、準備完了する
翌日。安野は時間通りにやってきた。きたが……その表情は、随分と疲れ切っていた。朝だというのに、徹夜でフルマラソンをしたような顔をしていた。昨日イナリが言ったことで何かあったのだろうか……イナリもなんだか申し訳ないような気持ちになってしまう。
ひとまず居間に通して恵瑠にお茶を出してもらうと、安野はその場にガクリと座り込む。
「いや、なんかこう……すまなんだのう」
「いえ、いいんです。話が上の上の更に上のほうへいって、大騒ぎになっただけなんで……」
「むう、そんなに大事じゃったか」
「大事なんですよ……本部長みたいな入社式でしか見たことない人まで出てきましたし……」
そう、イナリが安野を通して要請した件は、安野の上司を通して本部長……日本の覚醒者協会のトップまで届いたのだ。これはイナリがどうこうというよりも、イナリと武本武士団と、そして越後商会という無視できない名前が3つ揃った結果である。そのくらいに各所に影響の大きい話だと判断されてしまったわけだ。
「えっとですね。まず結果から申し上げますと、私たち日本本部が越後商会へのつなぎ役になります」
「おお、それは助かるのう。しかし、ええのかの? 今日話を聞くということだったはずじゃが」
「そこはまあ……私たちもあれだけ材料があれば事情も把握できると申しますか」
実のところ、それでもかなり厳しい判断ではあった。越後商会のような超巨大クランに覚醒者協会が影響力を行使するという前例を作ることが今後どういう影響を及ぼすか、判断しきれなかったからだ。
そもそも覚醒者協会は覚醒者の生活などを円滑にするための「調整役」であり、決して支配者ではないからだ。支配しようとする、あるいはされようとすることに対する覚醒者の忌避感は根強く、そういう素振りを見せれば優秀な覚醒者を引き抜きたい他国の覚醒者協会に隙を見せることになる。実際、そうした隙を見せて大幅に弱体化した国もあるのでこの辺りは何処も慎重だ。
だからこそ本部長まで出てきて行われた会議の結果、「今現在の越後商会よりも狐神イナリ個人のほうが重要度が高く、9大クランに嫌われた事実もあることを考えればつなぎ役程度の話であれば問題ない」という結論に至ったのだ。
平たく言えば「別に介入してないよ」と言い張れると判断したわけだ。
「今回武本武士団にも事情確認を致しまして、詳しい資料も頂いています。結果として……まあ、その。超人連盟が関わっている場合は確実にその計画を潰しておきたいというのが協会の意向です」
「ふむ?」
「もし超人連盟に繋がる証拠が発見された場合、覚醒者協会は本格的な介入が可能になります」
お家騒動には介入しないが超人連盟絡みであれば話は別だ。あれは覚醒者社会を乱す社会の敵だからだ。そして覚醒者協会はその可能性に備え、すでにトップランカーにも連絡を取り始めていた。
「善は急げ、といいます。すでに覚醒者協会日本本部の名前で、越後商会に連絡を入れています。内容としては『クランマスター候補者が現れた。身元に関しては協会が保証する』といった感じですね」
「おお、中々に過激じゃのう。実質協会が後ろ盾ではないか」
「このくらいしないと今の越後商会には意味がないという判断らしいです……」
実際、越後商会の内部は今酷いことになっていた。日本本部にも2人から「クランマスター登録申請」が出され、その2人で内部でやりあっている状況だ。元々前クランマスターである越後 八重香も「若すぎる」と引きずり降ろそうとしていた連中だ。政治ゲームがクセになっているのだろうが……。
「狐神さんは『黒い刃』も潰してるのでそんなに心配はしてないんですが、『サンライト』と『レッドドラゴン』は2人の候補者にかなり深く関わってます。たぶん、それなりの荒事になるのではないかと」
サンライト、レッドドラゴン。チンピラクランだが、誰かに手を出すことにそんなに躊躇がない。覚醒者協会がブチ切れるラインを見極め動く連中だが……今回は越後商会という隠れ蓑があるからこそ、かなり大胆に動く可能性もあった。
「ま、大丈夫じゃろ。儂もしっかり守るからのう」
「それなら安心ですね」
イナリと安野が頷きあうのを見て恵瑠が何とも言えない表情をしているが、実際今回の弱点は恵瑠である。安野の予測ではイナリはダンプカーを最高速でぶつけたところで無傷だろうが、恵瑠はそうではない。しかしイナリが恵瑠を守るというのであれば……まあ平気かな、と思えてしまうのだ。この辺りは紫苑の救出作戦に関するレポートが強く影響していたりする。
「では、あちらさんに出向くのは何時頃になるかのう?」
「いつでも。車は待たせていますので、今から向かいますか?」
「うむ。では早速行こうかのう」
「はい。そうしましょう」
もう恵瑠を置いてきぼりで進んでいく状況に恵瑠は「ええ……?」と目を白黒させるが……それでも1つだけ分かることはある。
(過激な話に慣れてる……結構武闘派なのかな……)
戦歴だけ見るとそんなに間違っていないと思えるのが、ちょっとアレではあるかもしれないけれども。ともかく、こうしてイナリたちは越後商会本部へと向かったのである。





