お狐様、子守唄を歌う
食事が終われば、お風呂の時間である。ボタン1つで自動でお湯はりをしてくれる素敵なお風呂は食事の間の僅かな時間に湯はりを終えて「お風呂が沸きました」と音声で教えてくれる。
「お、丁度良いのう。儂は食器を洗っておるから、入ってくるとええ」
「え、いえ。私がお先にいただくわけには」
「何を変な遠慮をしとるか。入らぬというなら抱えていって丸洗いしてくれようぞ」
「あ、はい。すぐに行ってきます」
本気の目をしているイナリに気圧されるように恵瑠がお風呂に入っている間にイナリが食器を洗い、アツアゲがチャンネルを変えてカードバトルのアニメを見始めていた。
「何やら、るうるが難しく思えるが……最近の子どもはほんに頭の回転が速いんじゃのう」
前に子供たちとゲームをやったときもルールが結構複雑だったな、などと思いながらイナリは食器を洗っていく。まあ、スターターパックを買ってブーストパックでデッキを強化し日々追加、変更されていく特殊ルールなどを覚えて……などというのはイナリにはちょっと難しいかもしれない。さておいて。
しっかりとお風呂に入って歯を磨いて。テレビの前から動かないアツアゲをそのままそっとしておけば、寝る時間である。
「あの……アツアゲは放っておいても?」
「ええんじゃよ。アツアゲはてれびが楽しいらしくてのう。邪魔するのも悪かろう」
イナリが野球を見ているとき以外は大体アツアゲがテレビを見ているが、イナリよりテレビの扱いが上手いので録画の仕方なども覚えていた。まあ、アツアゲもゴーレムであるせいか食事も睡眠も不要であるようなのだが……魔石も食べるし料理もつまみ食いしたりするのは、やはりイナリと同じということなのだろう。さておいて。
「客用の布団があるから、それを儂の部屋に敷くとするかのう」
「ありがとうございます。何処か空いている場所に早速……」
「あ、いやいや。儂の部屋で寝るんじゃよ?」
「え、しかし……いえ。そうですね」
「うむうむ。何やら刺客が来るかもしれんとなれば……まあ、今夜は来ないじゃろうが念のため、な」
流石にまだ越後商会に乗り込んでもいないのに刺客が来ることはないだろう。それは流石に速すぎるし、だったら武本武士団にいるときに刺客が来ていたはずだ。だから大丈夫とは思うが、それでも念のためというものだ。石橋は叩き壊さない程度に叩いておくのが安心だ。
そうして布団を敷いて、部屋の電気を消して。恵瑠は暗闇の中で目を開けて、ベッドで寝ているイナリへ視線を向ける。
(寝息がない……え、寝てるの? 起きてるの?)
正解は「どちらでもない」であったりするのだが、思わず恵瑠は起き上がってイナリの寝息を確かめようとしてしまう。殺されている。そんな最悪の想像をしてしまったからだ。
(まさか周りの人を……いえ、でも。まさか、そんな……)
そっとイナリの顔の近くに手を持っていこうとして。イナリの目がカッと開く。
「む?」
「ひゃっ」
その場にすてん、と尻もちをついた恵瑠を見てイナリはきょとんとした表情で首を傾げる。一体何をしているのだろうといった感じではあるのだが……イナリは「ふむ」と頷くと布団を持ち上げる。
「まあ、不安よなあ。見知った者はおらぬ、命は狙われるかもしれぬ。おまけに見知らぬ場所じゃ。儂が頼れるかどうかも分からん状況では、さぞかし辛かろう」
「あ、いえ。その……」
「ほれ、おいで。一緒に眠れば不安も多少は紛れよう」
まさか呼吸を確かめようとしたとも言えず、恵瑠は大きなベッドに入っていく。良いベッドなのだろう、先程まで入っていた布団もかなり上質なものだったが、これも相当だ。すぐに寝入ってしまいそうになるが、そんな恵瑠の耳にイナリの穏やかな歌が静かに耳へと入ってくる。
眠れ眠れ 幼き子らよ 夜の帳に包まれて
行こう行こう 夢の中へと 小さな旅がそこにある
(……子守歌……なんだか、眠く……)
眠れ眠れ 小さなゆりかご 大きな船
眠れ眠れ 見慣れた天井 知らない空
ただ幸せに ただ静かに 眠れ眠れ
そのまま恵瑠は意識をそっと手放して。聞こえてくる寝息に、イナリは優しい笑顔を向ける。歌ったのはかつてあの村で母親が子どもに歌っていた子守歌だが、意外にどうにかなるものだと思う。夕食のハンバーグもだが、やはり親の力というものは偉大……ということなのかもしれない。
「随分と気を張って生きとるようじゃが……なんとも悲しきことよ。処世術は正しきものじゃろうが、いつからそうしてきたやら。せめて、此処に居る間くらいは気楽にしてほしいものじゃが」
しかしまあ、それも難しいだろうとイナリは思う。武本と恵瑠がどういう親子関係を築いているかはイナリには想像するしかないが、たぶんどちらも何処まで踏み込んでいいか測りかねているのだろう。恵瑠からも武本からも、イナリはそんな空気を感じていた。
(ま、ゆったり解きほぐしていくしかあるまい。こういうのは慌ててどうにかなるものでもない)
そうしてイナリは目を閉じて。そういえば寝息をたてるの忘れてたかも……などと思い出す。イナリの「眠り」は疑似的なものな上に人間と色々違うので、うっかりそういうのを忘れてしまうこともある。だから、今度はしっかりと寝息をたてて。そうして穏やかな夜は過ぎていくのだった。





