お狐様、長野第2ダンジョンに挑む
そして、翌日。長野第2ダンジョンの前にイナリたちは集まっていた。
旧軽井沢銀座のメインストリートから少し離れた場所にあるこのダンジョンは、現在の軽井沢の住人がそれなり以上にお金や一般的な権力がある人間が多いせいか、管理に失敗すればそれなり以上に面倒な事態になるダンジョンであった。
勿論非覚醒者と覚醒者の間には権力面でも「違う世界」と言っていいような部分があり、そういう圧はその気になれば簡単に弾き返せるのだが、全ての覚醒者がそうというわけではない。一般社会に馴染んでいる覚醒者、あるいは仲良くやっていきたいと考えている覚醒者のほうが多く、クラン『緑風』のマスターもそうであった。
覚醒企業として喫茶店をも営んでいる『緑風』のメインの客層は軽井沢に住む非覚醒者たちであり、まあ……一言で言うと色々としがらみがあるのだ。こうして目の前にいる『緑風』のマスターも、どうにも疲れた表情をしていて目の下の隈が隠しきれていない。
「今回は要請に応えて頂きまして、ありがとうございます。本当に助かります」
「あ、はい。えっと……」
「疲れた顔をしとるのう。よう眠れとらんのではないかえ?」
エリがなんと言っていいか迷っている間にもイナリがズバッと言ってしまい、『緑風』のマスターは「はは……」と困ったような笑みを浮かべる。
「そうですね。予想外の事態に翻弄された結果と申しますか……この辺りには我々くらいしか本拠地を持つクランがありませんでして、まあそのおかげでなんとかやれてはいたのですが」
「ふむ……」
地方格差というのはイナリもニュースで見たが、思っていたよりも深刻なのかもしれないと、そんなことを考えるが……実のところ、軽井沢の場合ではいわゆる俗世の権力に関わりたくないという覚醒者が多いという忌避感からくるものだったりするのだが、さておこう。未だにその辺りの軋轢が無くなったわけではないという何よりの証拠である。
「ご安心ください。今回は私たちがダンジョンをしっかりとクリアしてまいりますので!」
「はい、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる『緑風』のマスターに頷き、イナリたちはダンジョンに入っていくが……そこは何やら夜のように暗い場所だった。いや……実際に夜なのだ。空を見上げれば月が浮かんでおり、その青白い光が地面を照らしている。周囲には森、そして明らかに人の住んでいないように見える家々もあり……ホウ、ホウ、というフクロウの鳴き声すら聞こえてくるこの場所は、イナリのいた廃村の夜にも似ていた。まあ、周囲にあるのは如何にも洋風な家ばかりで、あの廃村とは違うのだが。
「ライティング」
リリカが明かりの魔法を唱えると、ふわりと小さな拳大ほどの大きさの丸い輝きが浮かび上がり、周囲を照らし始める。
「索敵開始!」
「目視範囲内に敵影無し!」
「同じく、敵影確認できず」
「よし!」
エリの合図でシズナとジェーンが周囲を確認し、モンスターがいないことを確かめると……エリは「ふうううう……」と大きく溜息をつく。
「あの調子だと『緑風』のマスター交代も近いですかねえ……」
「もうやだって空気が全身から出てたよね」
「そもそも此処からだと草津も近いし、皆そっちに拠点を置いちゃうんじゃない?」
「いや、行くなら長野市でしょ」
エリとリリカ、シズナがそんなことを言い合うが……実際その通りであったりする。長野県全体でいえば覚醒者の数は決して他県より少ないというわけではないのだが、やはり1つの県の中でも偏りは大きい……というわけだ。
「とはいえ、私たちが口出しできる話でもないですし……」
「メイの言う通りです。旦那様にご報告しておくのが一番いいでしょうね」
「ふむ。何やら世知辛いんじゃのう」
メイとジェーンに続きイナリも頷くが、そう。世知辛いのだ。覚醒者だって仕事は何処にでもあるから、わざわざ辛いことをしたくはない。いつの時代でも起こりうる問題であった。
「では世知辛い話は此処まで! 全員、このダンジョンについては頭に叩き込んでますね!? はい、リリカ!」
「はーい! 此処は村落型で、別名は『滅びた木こり村』! ウッドマンやウッドゴーレムが出ます!」
「よし。ではシズナ、私たちの今回の作戦目標は?」
「可能ならモンスターの殲滅。あるいはそれに近いくらいの数の殲滅」
「ではそれを踏まえた上でイナリさん。遊撃の役割をお願いします」
「うむ、任された」
つまりはイナリは好きにしていい、ということである。この辺は昨日の夜も打ち合わせをしているのでバッチリだ。本当はエリは何処かの役割に組み込もうとしたのだが、軽く聞いただけでもオールラウンダーなので好きにさせた方がいいという結論に至っていた。正解である。
「では、探索を開始しましょう。まずはこの『村』を余さず探索していきます」
盾を構えたエリを先頭に、手近な家のドアを開ける。その瞬間、家の中から飛び出してきたのは丸太を組み合わせて作ったような雑な造形の人型モンスター「ウッドマン」だった……!
「ほれ」
盾を素早く構えたエリの横をすり抜けたイナリの狐火がウッドマンの頭を破壊して、斧を構えたウッドマンの身体が家の中へと吹っ飛ばされるように転がっていった。