お狐様、軽井沢に行く2
「お帰りなさいませ、お嬢様」
それは、寸分のズレもなく揃った台詞。頭を下げるタイミングも1ミリのズレもなく、ズレのない台詞と動きは美しさすら感じさせるものだった。
実際世の中には多人数が統一された動きをすることで美しさを発揮するものは存在する。ダンスなどは、その最たる例と言えるだろう。これもまたそういうものであり、イナリに「おお……」と感嘆させるには充分なものだった。そしてエリがイナリの斜め後ろから、澄ました表情で1人の執事に向けて口上を述べ始める。
「イナリお嬢様は本日より5日滞在予定です。旦那様からも必要な書類をお預かりしておりますので、後ほど受領願います」
「はい。ご滞在の間、一切の不都合のないよう務めさせていただきます」
「フッ」
「フフッ」
エリと執事がそう笑い出すと、イナリ以外の全員が一斉に笑い始める。もう演技はここまで、とでも言いたげだった。
「やだもー、長尾さんてば、また演技力上がってるじゃないですかー!」
「敷島さんこそ、去年より『ぽく』なりましたね」
「えー、そこは本物同様、じゃないんですか?」
「いいえ、まだまだ。セバスチャンさんに比べたら……」
「あの人を基準にするのは間違ってると思いまーす」
「そのー……演技は終わりかの?」
イナリが遠慮がちに聞くと、長尾とエリは手を合わせて「はい、ご協力ありがとうございました!」と綺麗な笑顔を見せてくる。完璧な動きだ……こういうのも訓練しているのだろうか?
「よう分からんが、上級めいど、とやらの話は一体……?」
「それに関しては当館の執事長を務めております、この長尾からご説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
キリッと執事に戻る長尾にイナリが「うむ」と頷くと、何処からかメイドたちが大きなイラスト付き説明の貼られたボードを運んでくる。
「此方はお嬢様もご存じの通り、使用人被服工房の保養施設となっております。そんな場所で『同じ使用人』という立場を適用いたしますと、何かと面倒が発生しますので便宜上、利用者を『上級使用人』と定義することでサービスを提供しております」
お嬢様、旦那様をお迎えする前の予行演習……といったような設定でやっているため「お出迎え、お見送り」「食事」「各種サービス」といった要所要所で執事やメイドとしてやっていくが、まあそういう設定でやっているだけで同僚であり皆仲良しなので、必要なところ以外はこんな感じになるのだ。
「ご理解いただけましたでしょうか?」
「うむ。何やら苦労しとるんじゃのう」
「とんでもございません。これもまた私たちの務めでございます」
まあ、そういうことらしい。要は保養所という性質上、利用者が気疲れしないように最低限だけ演技している……ということなのだ。実際、このくらいが丁度良いのは長年の運用と利用者アンケートなどで証明されているらしい。
「と、いうわけでして。使用人一同、お嬢様がご滞在の間、最高の御奉仕をいたしますのでよろしくお願いいたします」
「う、うむ。よろしくのう」
「普段そういう設定だから『お嬢様』をおもてなし出来るのがうれしいんですよ。『旦那様』……代表だと、やっぱり緊張度が凄いですしね」
まあ、それはイナリとしても理解できる。メイドや執事を職業にしているのではなく、それを楽しんでいる者の集まりなのはメイド隊の時点でイナリにも理解できている。だからこそイナリをお嬢様と持ち上げているくらいで丁度よいのだろう。
「では、お嬢様がたをお部屋にご案内いたします!」
1人のメイドがそう言うと、執事たちが荷物をテキパキと運ぶ準備を始めていく。イナリは荷物はほぼ無いし神隠しの穴に放り込んでいるので無いのだけれども。
そうして部屋に案内されて行くと、それぞれ事前の割り振り通りに2人部屋である。イナリはエリと同じ部屋だが、やはりクラシックな装いの部屋……に現代的なテレビや冷蔵庫が設置されており、そういうコンセプトのホテルのようである。まあ、実際保養所なのだが。
「こういうのも中々に面白いのう」
「イナリさん、確か生活向上って仰ってましたけど……こういう風にする気はないんですか?」
「うーむ、どうかのう。儂は普通の板敷きのほうが馴染みがあるからのう」
「あ、畳とかじゃないんですね」
「うむ」
畳は手入れしなければどんどんダメになるし、それでも10年から20年程度が限界であるともされている。イナリが実体化する前から廃村となっていた建物の畳がどうであったかは……まあ、言うまでもなく。ちゃんとした畳というものは、イナリはあまり知らなかったりするのだ。そして現代の高級マンションにおいて「和室」というものは中々趣味的な部屋であったりする。もっと言うと、イナリの今のマンションの部屋には存在しないし前の家にもなかったのだ。
「畳、のう……そういうのもアリかのう」
「なんだってアリですよ。そういうのを書き溜めていくと、いつか理想の家とかが分かると思いますよ!」
「ふむ……なるほどのう」
「今度可愛いノート買いに行きましょう! あ、今回の件が終わったら街のお店で買うのもいいですね!」
「うむうむ。そうしようかのう」
ダンジョンへの出発は明日。だからこそ、こんな何でもない会話でイナリとエリは盛り上がるのだった。