お狐様、秋葉原にて思い出す
そして次の日。ヒカルを送り出したイナリが向かったのは秋葉原、使用人被服工房だ。お土産のお饅頭を渡し入るのはいつものバックヤードではなく、「クラン」としての使用人被服工房の事務所だ。キラキラと海外のお屋敷のような内装で整えられている。そんな中でメイドやら執事やらが動き回っていると、まるで日本に居ないような錯覚に陥るが……此処は間違いなく日本で秋葉原である。窓の外に別の建物が見えるので間違いない。そしてソファに座ったイナリに、エリが紅茶を出していた。
「ビックリしました? 此処入るの初めてですもんね!」
「うむ。何やら驚きじゃの」
「フフフ。此処ってクランのほうにご用事のお客様とかいらっしゃいますからね。そういう方に拘りを見せつけると後の話が楽に進む……らしいです!」
「なるほどのう」
確かに使用人被服工房がどういうクランかを見せつけるのに、これほどまでに分かりやすい場所はないだろう。そして、そんな場所にイナリが招かれたのには、1つの理由があった。
「いやあ、お待たせして申し訳ありません」
そこにやってきた老紳士……そう言わざるを得ない、短い白髪と髭を美しく整えた、まるで昔のジェントル階級のような恰好をした男が、イナリに優美な挨拶をする。隅々に、それこそアクセサリーにまでしっかりと気を使っているのが分かる。身体は細身だがしっかりと筋肉がついており、覚醒者としてもかなり実力を持っているだろうことが伺える。セバスチャンとはまた違う意味で「美しく老成した」男であるのだろう。
「当クランの代表、呉崎大吾です。お気軽にクレサキ、とお呼びいただければ」
「狐神イナリじゃ。今日はお招きいただき感謝する」
「いえ、こちらこそお会いする機会が出来て嬉しいです」
イナリも立ち上がって互いに握手すると、呉崎は再びイナリに席を勧め、その向かい側に座る。そうするとエリもスッと呉崎の斜め後ろあたりに立つので、その辺のロールプレイは本当に徹底しているのがよく分かる。
「うちの敷島からも聞いているとは思いますが、当クランは現在、少しばかり厄介な案件を抱え込むことになりまして」
「うむ、聞いておるよ。確か……旧軽井沢のだんじょん……じゃったかの?」
「その通りです」
そう、長野県軽井沢町。それは古くは別荘地として有名であった場所だ。山間に存在し比較的気温が低い場所であったことから夏には避暑地、冬にはウインタースポーツを楽しむ場所として発展してきた。その後、色々な経緯を経た軽井沢はやはりモンスター災害によりそれなりの被害を受け、今は再び高級な別荘地として生まれ変わっていた。
それは海に対する恐怖、というのがやはりあげられる。海からいつ大量のモンスターがやってくるか分からない。一般市民はそんなもの気にしていられないが、なまじお金があるとそういう恐怖が蘇ってくるようで、軽井沢は高級な別荘地……そして定住するセレブも多い町となったのだ。この辺りは、都内に集まる覚醒者たちとは違う思考であるとも言えるだろう。
しかし当然ながら、軽井沢にもダンジョンがある。長野第2ダンジョンと呼ばれるダンジョンだが……それが今回イナリが呼ばれた理由だった。
「他のダンジョン同様に、長野第2ダンジョンも定期的に指定されたクランが大規模掃討を行っていますが……その仕組みについてはご存じですか?」
「いや、知らんのう」
「ではご説明しましょう。簡単に言うと、入札です」
いわゆる競争入札であるが、これは覚醒者協会に支払う額を争う最高額入札者を決める入札である。さて、何故そんなことになっているのかというと話は簡単で、その大規模攻略期間は落札したクランが完全独占できるからである。そしてクランは定められた大規模攻略期間に、指定された分……つまりモンスター災害が起こらない程度の攻略をしなければならない。これは内部のモンスターを減らせばいいため、必ずしも完全攻略が必須ではないのがポイントである。
「まあ、そんなわけで長野第2ダンジョンは今年はクラン「緑風」が請け負っていたのですが……そこで問題が起こりました」
つい先日に軽井沢に発生した臨時ダンジョンの対応の際に「緑風」のエースたちが軒並み大怪我をして入院しているのだという。
「あまりにも酷い大怪我の場合、回復スキルで治しても入院が必要になりますからね……」
「ふむ」
イナリが以前治した紫苑は何事もないということですぐ退院していたが、イナリはそれは言わずに頷くにとどめる。どうにも覚醒者の回復スキルが自分のものと違うように感じたからだ。余計なことは話の腰も折れるので喋らないに限る。イナリはその辺は学んでいる。
「では、それで大規模攻略が出来なくなった……ということじゃな?」
「はい。それで知己である私と「使用人被服工房」にヘルプ要請が来たわけです。勿論、今回の大規模攻略で出たものは全部此方のものですが……大規模攻略を遂行できなかったというマイナスの実績がついてしまうほうが問題ですからね」
「まあ、話は分かった。3日後に出発と聞いたが早速準備を」
「あ、いや待ってください。ちゃんと契約しましょう。まだ報酬の話もしてませんよ」
「報酬?」
何故そんな話が必要なのかと言わんばかりの顔をするイナリを見て、呉崎はチラリとエリを見る。
「えーと……こういう人なんです。たぶん友達の上司の話だから聞いてあげよう、みたいな感じじゃないかなあと」
「おお、エリはよく儂のことを分かっとるんじゃのう」
「あはは……」
「いけませんよ狐神さん。こういうのはしっかり報酬を受け取らないといけません。というか受け取ってください。とはいえ、これはアレですね……うん、契約金とは別に報酬箱を狐神さんに。残りは全て我々……ということで如何です? 報酬箱はかなり良いものが出ますので」
「うむ。別に構わんが……そういえば」
言いながら金の報酬箱のことを思い出す。紫苑救出の件で手に入れていたものだ。いつも要らないからとオークションに放り込むのですっかり忘れていた。いたが……普通、銀の報酬箱でも中々出ないし手に入れればすぐ開けるものだ。しかしイナリにしてみれば「そんなものもあったな」程度である。
「金の箱があるのをすっかり忘れとったな……そういやまだ開けとらん」
「え……っと。敷島さん、規格外とは聞いてましたけども」
「あはは……こういう人なんです」
そうしてイナリがすっかり忘れていた報酬箱。これがまた少しばかりの騒ぎを引き起こすが……やっぱりイナリはどうでもいいので、オークションの話を電話でされた安野がコーヒーを吹いたくらいの……まあ、イナリとしてはやっぱりその程度の話である。