お狐様、90位になる
第5章、始まります
世界は今、平和である。ダンジョンという不安材料があり海における覇権を人類が失ってもなお、平和と言い切れる。それは人類が人類同士の戦争をする理由を消失したからであり、旧時代から今もなお続く各国の政府が持つ軍事力がモンスターに完全敗北し、それに勝利できる覚醒者という存在が現れたからであった。覚醒者の軍事利用の類の試みは全て失敗し……まあ、色々あって世界は今平和になっている。
そんな中、唯一ギスギスしているのが各国の覚醒者協会だろう。世界的な視点で見れば各国の覚醒者協会本部は自国の安全のため、少しでも優秀な覚醒者が欲しくて他国の優秀な覚醒者にスカウトを送り込んだりする。送り込まれたほうの国は猛烈に抗議するし、抗議の代わりにスカウトを送り込んだりして、更にギスギスする。
その対象は大抵はトップランカーであり、日本のトップランカー1位の『勇者』などは困っていると聞けば飛んでいくため、所属は日本だが各国にとって「非常に扱いやすい」覚醒者と言われている。おかげで日本にあんまり居ないのは、もはや笑うしかない。ないが……下手な扱いをして所属を変えられても困るので強く言えないのは、日本本部の悩みの種ではあるだろう。
そしてもう1つが、本部や各支部同士での覚醒者の取り合いだ。同じ日本で何を……と言うのは、認識が甘い証拠だ。基本的に覚醒者は所属している支部の近くに住居を構えるものであり、何かあったときに本部も支部も、まずは所属している覚醒者に声をかける。
その際、すぐに出動できる覚醒者に強者がいるかいないかというのは、問題解決までの速度に大きな違いが出る。
……というのはまあ表向きの理由で、それも嘘ではないのだが……自分のところで解決できたか他に協力を要請したかというのは、大きな差であったりする。
例えばの話だが東京には「日本本部」と「東京支部」があるが、有力な覚醒者は大体日本本部に所属している。東京支部は何かあった場合は日本本部に要請をするのが大体の流れであり、地方支部においてもこの傾向は大きい。
―こうした覚醒者の一極集中問題は今に始まった話ではなく、地方本部を創設し有力な覚醒者を振り分けるべきだという議論は以前からあるんです―
―どうして実現していないんですか?―
―簡単な話です。覚醒者が何処に住むかは覚醒者が決めることだからです―
「そういうのは昔から変わらんのう。誰もが東京に憧れたというからの」
テレビを見ながらイナリとアツアゲがうんうん、と頷いている。なおイナリはともかくアツアゲが本当に分かっているかは不明だ。さておいて。
都市伝説事件からそれなりの時間がたち、イナリのランクが90位に上がっていた。まあ、イナリとしてはそういうのは結構どうでもいいのだが、テレビを見ながらつまんでいるのは魔石である。暇があれば稼いできてポリポリ食べている魔石ではあるが、魔力ランクはAから変動する気配を見せてはいない。ちなみにアツアゲも結構な量を食べているが、目に見える変化はない。しかし継続は力なり、であり今のところこの方針を変える気はない。
―ちなみにですが、群馬支部には頑なに所属を変えないトップランカーもいるんですね―
―あ、私も知ってます! 草津のあの人ですよね!?―
―そうです。『要塞』土間 タケル。不動の3人の1人であり、『草津要塞』の仇名でも親しまれていますね―
―草津からほぼ動かないという土間さん。その安心感もあってか、草津の地価は東京並であるということで……―
「草津……」
恋の病以外は全て治せる、とか……まあ、そのくらい効能が凄いという触れ込みで昔から人気である温泉地、草津。イナリも府中、熱海、伊東と温泉には行ったが、まだ草津には行っていない。効能が凄いという草津には是非行ってみたいが、実のところ友人が増えた影響もあり、ここのところ予定がそれなりに一杯であった。イナリはカウンターに置かれている小さな卓上カレンダーに視線を向け、明日の予定を確認する。
「明日は……紫苑と浅草に行くんじゃったか」
日本のトップランカー4位、『潜水艦』鈴野 紫苑。以前の都市伝説の事件もあり仲良くなった相手ではあるが、まだイナリが浅草に行ったことがないと聞いて遊びに行こうという話になったのである。都市伝説事件が収束したせいか「海の中から出てくる手」の噂も消えてきたようで、紫苑の忙しさもようやく普通に戻ってきたのだという。そんな紫苑のお疲れ様会も兼ねているわけであり、それはそれとしてもイナリとしても浅草は楽しみではある。
勿論、かつての時代の浅草とは大分変わっているそうではあるが……。
「あの団子は美味かったのう……ああいうのが浅草にはたくさんあるんじゃろうか」
もしそうなのであれば、買って帰って他の友人に配って回ってもいい。美味しいものは皆で食べてこそ、というのがイナリの信条だ。明日のことを考えニコニコしていたイナリの覚醒フォンが鳴り、着信画面には紫苑の名が表示されている。
「おお、紫苑。どうしたのかの? 明日の? うむ、うむ。分かっておるよ……」
テレビを見ているアツアゲを邪魔しないように台所へイナリはいそいそと歩いて行って。
―最近何かと話題の覚醒者、狐神イナリさん。彼女を獲得するべく、日本各地の支部が動き出しているという話もあるんですね―
テレビがそんなことを言っているのを、アツアゲだけが見ていた。